揺らぐ輪郭
──地下室は静かだった。
誰かが長らく使っていなかった古い空間。
崩れた棚と、湿気を吸った紙の束。
金属の錆とインクの残り香が、ひどく重たく鼻をつく。
私はしゃがみ込み、床に散らばる紙切れに指先を触れた。
日付は三年前。
報告書の形式は公的なものに近いが、なぜか正式な印がない。
(これ……)
ふと、視界の隅に、黒い焦げ跡のような影を見つける。
「この資料、意図的に焼かれた形跡があります。記録抹消の痕……たぶん、異能絡みの隠蔽ですね」
「……なるほど。で、“君の出番”ってやつだ」
太宰さんが背後から声をかけてきた。
その声音には、どこか軽いのに、妙に目を離していない気配がある。
私は静かにうなずいた。
「……視られる限り──“ここに残った記憶”を」
「……頼んだよ、“事務員さん”」
彼の言葉に、小さく息を吸って、私は手のひらを床へ伸ばす。
──《残像の部屋》
意識が、部屋の“記憶”へと沈み込む。
視界に浮かぶのは三年前の夜。
誰もいないはずのこの部屋に、複数の人影があった。
──銃声。
──誰かの叫び声。
──異能の炸裂音。
──倒れた男の上に、別の誰かが覆いかぶさっている。
「“データを持って逃げろ……! 残りは俺が食い止める!”」
その声は震えていた。
誰かを守ろうとするための、切羽詰まった命令。
そして、爆音とともに天井が崩れ、視界が光に包まれた。
記憶が途切れる。
私は大きく息を吸い、能力を切った。
「……この場所、戦闘があったようです。隠された内部抗争。たぶん政府関係者か、異能組織内の派閥でしょう」
「隠された証拠、抹消された死者……政府絡みでよくある話だ」
太宰さんが言った。
そして、次の瞬間──
彼が私を、じっと見た。
私は、手のひらの痺れに意識を向けていたため、すぐには気づけなかった。
けれどその視線が、私の表情の奥、さらに奥を探っていることに、遅れて気づいた。
「君……」
彼が呟く。
「残像を見るとき、右手を強く握る癖……残ってるんだね」
私は、息を止めた。
──それは、あの頃、まだ名もなく、誰のものでもなかった“私”を見ていた者だけが知る特徴だった。
(……見てたの?)
(あの頃から)
「……まさかとは思ってたけどね。あの子が、こんなふうに成長するとは」
太宰はそれ以上、問い詰めたり、名前を出したりはしなかった。
ただ、静かに目を細めて言った。
「気づくのが遅くて、悪かった」
私は答えなかった。
答えられなかった。
けれど、その言葉だけで、胸の奥の何かが溶けていくようだった。
あの人の友人が、
今、目の前にいる“私”を見て、
過去を重ね、今を見てくれた。
それだけで、十分だった。
誰かが長らく使っていなかった古い空間。
崩れた棚と、湿気を吸った紙の束。
金属の錆とインクの残り香が、ひどく重たく鼻をつく。
私はしゃがみ込み、床に散らばる紙切れに指先を触れた。
日付は三年前。
報告書の形式は公的なものに近いが、なぜか正式な印がない。
(これ……)
ふと、視界の隅に、黒い焦げ跡のような影を見つける。
「この資料、意図的に焼かれた形跡があります。記録抹消の痕……たぶん、異能絡みの隠蔽ですね」
「……なるほど。で、“君の出番”ってやつだ」
太宰さんが背後から声をかけてきた。
その声音には、どこか軽いのに、妙に目を離していない気配がある。
私は静かにうなずいた。
「……視られる限り──“ここに残った記憶”を」
「……頼んだよ、“事務員さん”」
彼の言葉に、小さく息を吸って、私は手のひらを床へ伸ばす。
──《残像の部屋》
意識が、部屋の“記憶”へと沈み込む。
視界に浮かぶのは三年前の夜。
誰もいないはずのこの部屋に、複数の人影があった。
──銃声。
──誰かの叫び声。
──異能の炸裂音。
──倒れた男の上に、別の誰かが覆いかぶさっている。
「“データを持って逃げろ……! 残りは俺が食い止める!”」
その声は震えていた。
誰かを守ろうとするための、切羽詰まった命令。
そして、爆音とともに天井が崩れ、視界が光に包まれた。
記憶が途切れる。
私は大きく息を吸い、能力を切った。
「……この場所、戦闘があったようです。隠された内部抗争。たぶん政府関係者か、異能組織内の派閥でしょう」
「隠された証拠、抹消された死者……政府絡みでよくある話だ」
太宰さんが言った。
そして、次の瞬間──
彼が私を、じっと見た。
私は、手のひらの痺れに意識を向けていたため、すぐには気づけなかった。
けれどその視線が、私の表情の奥、さらに奥を探っていることに、遅れて気づいた。
「君……」
彼が呟く。
「残像を見るとき、右手を強く握る癖……残ってるんだね」
私は、息を止めた。
──それは、あの頃、まだ名もなく、誰のものでもなかった“私”を見ていた者だけが知る特徴だった。
(……見てたの?)
(あの頃から)
「……まさかとは思ってたけどね。あの子が、こんなふうに成長するとは」
太宰はそれ以上、問い詰めたり、名前を出したりはしなかった。
ただ、静かに目を細めて言った。
「気づくのが遅くて、悪かった」
私は答えなかった。
答えられなかった。
けれど、その言葉だけで、胸の奥の何かが溶けていくようだった。
あの人の友人が、
今、目の前にいる“私”を見て、
過去を重ね、今を見てくれた。
それだけで、十分だった。
