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失せ者

午前八時三十分。
武装探偵社の玄関チャイムが、いつもより二秒だけ長く鳴った。

「……あ、新人さんかな?」

莉緒はコピー機の前で手を止めた。
事務服の胸元を気にしてそっと手を当て、いつもの癖で小さく深呼吸する。

探偵社に勤めて、今日でちょうど二年になる。
毎日誰かしらトラブルを運んでくるこの職場にも慣れたが
──今日の“違和感”は、ただの新しい顔とは思えなかった。

「莉緒ちゃーん、新入り、きたよー。変な奴!」

乱歩の声が廊下に響く。
彼の“変な奴”は、たいてい本当に厄介な意味だ。

莉緒は給湯室から湯を注いだマグカップを手に持ち、玄関口へ向かった。
来客用の緑のソファ。その横、立っていたのは──

「……っ」

長いコート。包帯を巻いた腕。
少し猫背で、眠たげな目をした男。

その姿を見た瞬間、
莉緒の胸の奥で、時間が一瞬止まった。

(──太宰、さん……)

けれど口からその名は出てこなかった。

当たり前だ。
彼はまだ“私を知らない”。

「新人の太宰治だよーん」

太宰は小さく笑い、目を細めた。
その目が莉緒に向く。

一瞬だけ、彼の眉がわずかに動いた。
だが、気のせいだろう。
まだ“気づいていない”。

莉緒は、にこりと笑った。
探偵社の事務員として、毎日繰り返してきた“表の顔”で。

「宮本莉緒です。事務と庶務全般を担当しています。よろしくお願いします、太宰さん」

──その声を聞いた太宰は、軽く手を振って返した。

「よろしく。……君、どこかで会ったことあるかな?」

「さぁ…どうでしょう?」

嘘はつかない、けれど明言もしない。
過去の亡霊である私は、まだ名乗るわけにはいかない。

それが、宮本莉緒と太宰治の“再会”だった。
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