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最強から最凶

 

「新名、次のネタ見せ、俺と組んでや」
「お前はこの前組んでたやろ?次は俺や。な?新名」
「…」


スクールに入って数ヶ月。
ネタ見せの授業のために、何人かとコンビを組んだ。

この先ずっとコンビを組んで行くことになるかもしれないと思った人間もいたにはいたが、そいつとの関係は理由あって破綻してしまった。


(どいつもこいつも、ネタ書けんから書ける俺と組みたいだけやん。しょうもない)


この数ヶ月間で分かったことがある。

ここにいるのは、お笑いをやりたい!と思っている人間たちのはずなのに、ネタを書くことを放棄している人間の多さ。

センスがない人間がいることは承知している。
しかし、ネタを書くのにはもちろんセンスが必要だが、そのセンスは努力で補うことだってできるはずだ。

その努力を怠っている人間が、芸人になりたいなど、笑止千万。更には、真面目に芸人を目指す人間の時間を搾取するなど、言語道断だろう。

新名もセンスがあったわけではない。
誰かに笑われたことはあるかもしれないが、誰かを笑わせたことは、スクールに入所するまで一切なかった。

厳しい家庭で育った新名は、テレビなどの娯楽はほとんどシャットアウトされており、大阪生まれだというのに、初めて観た漫才は高校の文化祭で観た素人の漫才である。

だが、家を飛び出してからは、そんな遅れを取り戻すためにたくさんテレビを観て、劇場に足を運んでネタを観て、たくさん勉強して、ようやくネタを作れるようになったのだ。努力の賜物なのだ。


苛立ちでグルグル思考していた新名だったが、とりあえず、「考えさして」とだけ返した。


すると、少し離れた場所から「よっしゃー、ほんなら任した!」とクラスメイトの一人が喜びの声を上げているのが聞こえ、目を向ける。


「マジか!アイツ、石像と組む気かよ」
「石像って、コンビ用のネタとか書けるんか?」


『石像』。
それは、いつも教室の最前列の席に座り、石像のように1日そこから動かない謎の男、雛石裕也に付けられたあだ名。

子どもの頃から、人の言う陰口などには何の興味も持たなかったが、雛石という謎の存在には興味があったため、周囲が噂する『石像』という単語には耳を傾けていた。


(確かに雛石って、いっつもピンネタやっとるよなぁ…)


そんな大したネタはやっていないが、どこか印象に残るネタ。

何かのテレビ番組で、初めからピン芸人になりたい人間などいないと言った芸人がいた気がするが、雛石は初めからピン芸人になりたいのだろうと勝手に思っていた。

ピン芸人一本じゃなく、コンビを組む可能性があったのなら、組んでみても面白かったかもしれない。
ネタ作りを放棄するコイツらより、前向きな姿勢がよほど好感が持てる。

コンビ用のネタがどんなネタなのか。漫才かコントか…。次のネタ見せの授業が、たまらなく楽しみになった。



「もうええわ!どうも、有難うございました〜」


お も ろ。

笑いはそれほど起きていなかったものの、予想以上のネタの完成度。

前フリ部分から考えてオチを決めたのか、はたまたオチから考えてフリを作ったのか…聞いてみたい。どんな思考で、このネタを書いたのか。


「なんか、ようわからんネタやったな」


興奮していた新名だったが、耳に入ってきた声で現実に引き戻され、思わずため息が出そうになる。

嘘やろ?何やコイツら。
お前らがネタ書けんのは、正常な笑いのセンスすらないからじゃボケ。腹立つな。


「雛石、か…」


大きなフリを何でもない小さなフリのように見せて小さく回収し、最後に改めて大きなフリとして回収し直すネタ。

一つ一つのボケとツッコミが小さく、全体的に見たら爆発力に欠けていたが、最後の回収があまりにも綺麗で、心奪われた。まさにカタルシス。

絶対に組みたい。一緒にネタを作ってみたい。
思考を共有したいと、強く思った。


「なぁ新名、次のネタ見せさ」


ネタ見せの授業が終わり、クラスルームに戻れば、早速例のネタ作り放棄のクラスメイトたちが話しかけてくる。次の予約をするためだ。

だが新名はそれを無視し、最前列の机に直行した。


「雛石」


今回組んでいた相手から礼を言われ、小さく返事をしてから、またいつもの石像スタイルに戻っていた雛石に、新名は対面から話しかける。


「?」


雛石は新名を見るなり書いていたノートを閉じて、何か用かと怪訝な顔で首を傾げた。


「いっつも最前列で授業聞いてるやん?目悪いん?」
「…いや、余計な情報が入ってくるやろ。後ろの席は」
「あ〜、なるほどな。ほんなら、俺も隣座ろかな」
「…まぁ、好きにしたらええんちゃう?」


明らかに、話しかけてくれるなと、雛石は態度で伝えていたが、新名には伝わらない。

新名は満足気に雛石の隣の席に座ると、「次のネタ見せ、誰と組むか決まってるん?」と尋ねた。

面倒やな。空気が読めん奴なんやな。
雛石はげんなりした様子で新名を一瞥すると、目も合わせずに答える。


「声かけてもらってるけど」
「決まってへんなら、俺と組もうや」
「え、嫌や」
「い、嫌?!」


あまりの即答に新名が驚き、大きなリアクションをとったため、周囲の視線が一挙に集まった。

石像が、あの新名の誘いを断った。あの、クラスメイト全員が取り合う新名の誘いをだ。

余計なヘイトを集めたくない雛石は、「あ、嫌なんやなくて、先に声かけられてるから…」と慌てて取り繕った。


「あ、あぁ、そうか…」
「また機会があれば」


所謂社交辞令を、新名はまっすぐ受け止める。
だってもう、絶対組みたいと思ってしまっている。
次のネタ見せは無理だが、その次のネタ見せは必ず組む。


そして迎えたネタ見せの授業。
ここでつまらないネタを披露するようなら、まぁ見込み違いとしよう。


「…?」


今回も、雛石が作ったのは漫才だったが、この前のネタとは構成が全く違う。
内容も、あるあるネタを軸に、エッセンス程度の時事ネタを含ませた、ほんの少しブラックな印象のネタ。


「なるほどな…」


先日の座学の授業内容は、あるあるネタや時事ネタを使ったネタ作りについてだった。
ついでに思い出すと、前回のネタ見せの前には、伏線回収についての授業があったのだ。

雛石は真面目に、座学で学んだ内容を復習し、ネタを作っている。まさに新名が提唱する、『センスを努力で補う』を実践しているということだ。


「改めて、次のネタ見せ、俺と組んでくれへんか?」


クラスルームに戻るより前に雛石を捕まえ、新名は改めて、そう伝えた。
雛石は「…何でなん?」と困惑気味。


「新名はめっちゃ人気者やし、相方選びとか別に苦戦してへんやろ?」
「別に俺、人気者ちゃうよ。みんなネタ書きたないから、それから逃げるために、書けるやつに声かけてるだけや」


両手を掴まれ、改めて「組んでくれや」とキラキラした瞳を向けられる。


「…何でそんな俺と組みたいねん」


戸惑いながら呟いた言葉に、新名は答える。


* * *


「俺は……解散なんかせん」


改めて思い出した。

新名は、雛石の努力家なところが好きだった。

自分たちがおもろいと過信していて、ネタ作りを放棄し、座学もろくに受けず、結局スクールを辞めていったクラスメイトたちの中で、前のめりで授業に参加し、毎日自分の実力を磨いている雛石が好きだった。


「ケンカしてる時とかめっっっちゃ腹立つし、お前のことめっっっっっちゃ嫌いやって思うことも度々ある。でも、俺は解散したいと思ったことなんて、ただの一度もない」


正式にデビューが決まった時、心の底から喜んだ自分とは違い、複雑な表情を浮かべていた雛石。
その日から態度が変わって、雛石の笑顔を見ることは殆ど無くなって…毎日のようにしたケンカは、解散を誘うためだったのだろう。

それでも、新名は雛石の根底にある努力家な部分を尊敬し、お笑いを愛する気持ちに共感していた。

解散するなんてことは、頭に浮かんだことすらなかった。


「だいたい、ほんなら主人格が目覚ました時、誰が支えてやんねん?8年ってデカいぞ?世の中のいろんなことが変わってる。右も左もわからんまま路頭に迷うことになるで?」
「それは…いろいろ記録は残してあるし…」
「精神的な支えは?主人格は誰に頼ったらいい?」
「そ、れは…」


次々に言葉が溢れる。雛石を失うのが、怖い。
なんとかして繋ぎ止めたい。その一心である。


「主人格が、続ける気がない、解散したいって言うなら解散する。その決定も、主人格がするべきやろ。芸人になりたかったんは事実なんやろ?ここで解散することが、ほんまに正解なんかな?」


新名は戸惑っていた。
こんなに、感情的になったことなどなかった。
自分にこんな感情があったことも知らなかった。

交代人格だろうが、雛石裕也の一部であることに変わりはない。だが、自分が尊敬し共感した相方は主人格が目を覚ませば、たったの一部となってしまうのだ。もう話もできない。消えてしまうも同然なのだ。

あくまで冷静に分析する自分もいるにも関わらず、それでも手放したくないと思ってしまう。

こんな感情を、新名は知らない。


「……」


雛石も戸惑っていた。
新名が頑固なのは十分すぎるほど知っていたが、いつもと違うのは、理屈を並べながらも、あくまでメインは“感情”だということ。

怒りと似ている、怒り以外の感情が、そこにある。

新名の強い感情に圧倒され言葉を失った雛石に、少しだけ冷静さを取り戻した新名が尋ねる。


「主人格ってどんなヤツやったん?」
「え…」
「ずっとお前が大切に守ってきた存在やろ?相方が大切なものは、俺にとっても大切なものやろ。俺が、お前の代わりに支えるから」


どんな性格で、どんなふうに生きてきたのか。

そして、交代人格が生まれたのは、どのような出来事があったからなのか。

それは簡単に聞いていい話ではない。
主人格が許容できない苦痛やストレスを感じた出来事なのだから。被害者である主人格がいない状況でむやみに話すことは、また主人格を傷つけることと相違ない。

開いていない窓から、ふっと風が入ってくるような感覚。きっと、これを聞いたら、話したら、総てが大きく変わるんだろうと、お互いに分かっている。


「知ってたほうが回避できることもあるやろし、寄り添えるかもしれん。聞いたらあかんことも、知っておくべきやろ」


新名の言葉には、覚悟が見えた。

ずっと言えなかった不安。もうすぐ目覚める主人格を、自分は今後も自分として存在して、ずっと守ってやれるのかという不安。

この目の前にいる、心底嫌っていた男が、選んでしまった相方が、この不安を消してくれるんじゃないかと…希望を見てしまった。

迷いはありつつ、その希望に縋るしかない雛石は、重い口を開いた。


「…俺が生まれたんは、裕也が小学校上がるちょっと前くらい」


主人格である裕也は、両親から虐待されていた。
裕也が産まれてすぐは、とても幸せな夫婦だったのに、色々なストレスが重なり、夫婦揃って危険な“薬物”と出会ってしまった。

薬物が切れた際の錯乱状態、そして、薬物を摂取した後のハイになった状態での虐待だった。

身体中、傷とアザだらけ。
でも、裕也は明るく、元気な子だった。
学校でも、周りに人が絶えずいるような、いわゆる人気者だった。

毎日楽しそうで、家族の話もたくさんしていた。虐待児だとは誰も思わないほど、幸せそうに見せていた。

その頃は、ほとんど交代人格が表に出ることもなく、裕也が一人のとき、イマジナリーフレンドのように話をしたり遊んだりしただけ。

家では暴力を振るわれ苦しい思いをしても、学校には居場所がある状態が中学まで続いた。

さすがに中学で新しく出会った同級生たちからは、身体にある傷やアザを心配され、影で噂をされることも増えてきた。

精神的にも肉体的にもツラくなった裕也は、家を出るために、高校は全寮制の学校に進学することにした。ちょうど部活動であるバスケットボールで活躍をし、スポーツ推薦ももらえたからだ。

やっと苦しみから解放されると思っていた、高校に入学する前の春休み。事件は起きた。

両親が違法薬物で揃って逮捕された。そして、取り調べ中に殺人事件にも関与してたことが発覚し、再逮捕されたのだ。

裕也は親戚がとりあえず引き取り、無事に高校に通えることになった。
しかし進学早々、学校中に両親の噂が広まっていて、裕也は同級生からイジメを受けるようになってしまった。

それでも裕也は、親戚の厚意で進学できた学校を辞めることはできず、必死で3年間我慢した。

そして、卒業式の数日前。
大体の同級生は里帰りをしてた春休み。
寮に残っていたのは、裕也とあと他に3人。

裕也はその3人に寮の部屋に監禁され、数日間に渡りリンチに遭った。自分が男であることを忘れるほどの、激しい集団レイプだった。


「そこで裕也は完全に意識を閉じて、今も眠り続けてる。…わかってくれた?」


次に言うであろう言葉を先読みするのが癖だった。
そんな新名が先読みなどできないほど、総てが衝撃の連続で、言葉を失う。

作り話など、していないだろう。
大切に大切にしてきた主人格の尊厳を、作り話で踏み躙るわけがないから。

でも、作り話であってほしいと願ってしまう。
あまりにも、残酷で、苦しい現実だ。


「虐待に、イジメ…そんでレイプ…か……」
「うん…」
「…話してくれて有難うな。そんな話、本人には聞きづらいし」


憔悴しきった様子で目も合わない新名を、雛石は見つめる。

裕也の過去と本気で向き合い、時には疑似体験をするかのように苦しい顔で聞いている様子に、雛石は驚いていた。
自分の知っている新名は、いつだって気が張っているようなイメージ。強気で、そして、強くあろうとしているような顔付き。

こんな表情を見せたことは一度もなかった。

それだけ真剣に、本気で、裕也と向き合うつもりでいてくれているんだ、と。


「………ほんまに、解散する気ないん?」


思わず聞いた雛石に、新名はハッといつもの顔に戻って「当たり前やろ」と答えた。


「そんなん言うなら、何でお前は俺と組んだん?解散したいと思いながら、なんで今まで解散しようって言わんかったん?」
「……」


黙り込む雛石に、いつものケンカのときのように、血液が沸騰するような感覚がする。

知らんねん。なんで解散せなあかんねん。8年やぞ、8年。そんな簡単に、じゃあ解散で、なんてなるわけないやろ。

毎日感情をぶつけ合うケンカをしていたのだから、何でも言い合える関係だと個人的には思っていた。

もっと早く、傷が浅いうちに解散と言ってくれたら…。


「俺は……解散なんかしたない!俺の相方はお前や!交代人格か何か知らんけど、俺が組むって決めたんはお前や!何で消えなあかんねん!……これからも傍おってや…ずっとお前と漫才してたいのに……」


新名の頬を、一筋涙が流れた。
それをキッカケに、一粒、もう一粒と涙が溢れる。

ギュッと心臓を掴まれる感覚に、雛石も耐えきれず、一粒、また一粒。


「………俺もしてたいよ」


Tシャツの裾をギュッと握りしめながら、涙と一緒に溢れた、雛石の本音。

誰とも組まないつもりだった。
裕也が起きないなら、勉強だけして、静かに辞めていくつもりだった。
なのに……


「お前とする漫才、楽しすぎんねん。ずっと、コイツと漫才してたいって思ってしもうた。消えたない…って…思ってしもうた…」


こんなに苦しいなら、新名となんて、最初から出会わなければよかった。

新名のことなど知らずに生きていけたら、何も迷わず裕也に身体返せるのに。


「新名なんて、腹立つことしか言わんし、毎日毎日ケンカばっかで、大っ嫌いやのに、何でっ…何でこんなに、」


感情が、想いが溢れる。
持ってはいけないと思い続けた、想い。

主人格のために存在するという交代人格としてのプライドを、誇りを、一人の人間として存在してしまった感情が塗りつぶす。

一緒にいたい。離れたくない。
楽しい漫才。誰かに選ばれる幸せ。一つのものを作り、そして、同じものを夢見て共有する喜び。苛立ち。怒り。気持ちが繋がらなかった悲しさ虚しさまで、全て、すべてが、今は愛しくて、手放したくない。

消えたくない。消えたく、ない…。

薄れ始める意識の中、自分を抱きしめる新名の存在に気づき、目を閉じた。


「雛石?!大丈夫か?!」


一瞬雛石の身体は眠ったようにだらりと力が抜け、抱きしめる新名の腕に重みがかかる。
そして次の瞬間、瞼が少し痙攣し、長い睫毛の奥から瞳が覗いた。


「雛石…?」


少し緊張しながら新名が呼びかけると、雛石の瞳がようやく新名の存在を捕え、覚醒した。
「…うわっ!」と叫び、雛石は新名の腕を振り払い、そして突き飛ばした。


「誰やお前!!何やねん!気っ色悪い!!」
「いや、同一人物やん!!」
「あぁ?!何やねん!!」


目を覚ました主人格は、先ほどまでいた雛石と何も変わらない。

イメージとして、気弱な感じの男が出てくるものだと思っていた新名は、思わず本域でツッコミを入れてしまった。

雛石が主人格に性格を寄せていたのだろうか?
戻ってきた時、違和感ないように。


「と、とりあえず、落ち着け!」


パニック状態の雛石は、「誰?!ココ何処やねん!?」と、新名から距離をとりながら涙目で騒いでいる。

どのように伝えたら、雛石は落ち着いてくれるのか。

いつものようにグルグル思考したいところだが、このまま放っておいたら殴られそうな雰囲気で、なんなら机を投げつけられる可能性すら見えた。
考える時間などない。


「落ち着けって!とりあえず落ち着け!ココはお前ん家や!」
「俺んち?!」


とにかく落ち着かせることが優先と判断し、必死で宥める言葉を投げかける。

騒いでいるわりに、自分の言葉をきちんと聞いて反応を返してくる様子を見て、とりあえず話せば通じると判断した新名は、状況を整理するために「お前、雛石裕也やな?」と、質問を投げかけた。


「!!…な、何で俺の名前…?!」


目をパチクリさせ驚いた様子の雛石だったが、新名は説明はせず、「年齢はいくつや?」と次の質問に移る。


「年齢?……18歳…?」
「18で記憶は止まってるんやな?」


交代人格が表に出ている間、主人格は目に映るものも見えていない、耳に入ってくる音も聞こえない、記憶も一切残らない、本当に眠りについている状況だということか。


「さっきから何言うてんねん!そういうお前は誰やねん!」
「俺は新名将継。今、お前の最後の記憶から、8年経ってる。お前は今26歳やねん」
「…は?」


まずは、理解できるかは別として、事実を伝えようと決めた新名は、淡々と事実を並べる。

お前の中には、もう一つの人格がいる。
その人格は、諸々あって眠ってたお前の代わりに8年間生きてきた。
高校卒業後、お前が行くはずだった香風のお笑い養成所で勉強して、香風笑業に所属した。
お前は今、“最強バディ”っていうコンビでお笑い芸人をやっている。

雛石は、ズラリと並んだ事柄を、眉根を寄せながら一つ一つ聞いていたが、最後の項目で脳みそがパンクした。


「何言うてんねん!さっきから!てか、最強バディ!?だっさ!」
「おい!!」


あまりのダサさにひっくり返りそうになった。

もしこの男が言っていることが全て本当だとしたら、せめてその名前だけは冗談であってほしいと思うほどだ。

もしも、本当だとしたら、だ。

確かに長く寝ていたという感覚はある。
だが、8年と言われるとさすがに話を盛りすぎだろうと感じる。


「証拠は?8年経ってるとか、芸人やってるとか、お前が相方とか、何か証拠あるん?」


雛石が少し冷静さを取り戻し、深呼吸の後新名に尋ねると、新名はスマートフォンを少し触ってから「ほら」と画面を見せた。

そこには、自分と、目の前の男が映った写真。
コンビ名は最強バディ。香風笑業に所属するお笑いコンビ。メンバーは新名将継、雛石裕也と書いてある。
そして、自分が思っている現在の西暦の2年後に結成したことになっている。

何が起きているのか、悪い夢を見ているような感覚。目の前の景色がぐにゃぐにゃと歪んでいくような気がした。


「まぁ正直、そんなすぐには信じられんよな…」


これ以上、どう説明するのがいいだろう?
新名は、思考するために黙り込む。

すると、雛石は俯いたまま、小さな声で、「ここ、俺んちなんやんな?」と新名に投げかける。
新名は、信じてくれたのだと思い、その通りやと頷いて、次の言葉を待った。


「ほんなら、もう帰って。ちょっと一人にしてほしい…」


待った言葉は、期待したものではなかったため、「でも」と食い下がろうとするが、腕を掴んで立たされ、出口まで腕を引っ張られ、帰れの一点張り。

このままでは埒が明かない上に、いつか殴られそうな気さえしたため、おとなしく従うことにした。


「……わかった。そこにあるの、お前の携帯やから、なんかあったら俺に電話してや。夜中でも何時でも対応するから」
「……」


扉を開けられ、部屋の外に追い出されながらも、机の上に置いてあるスマートフォンを指差し新名は優しく伝えることに努めたが、雛石は無言で扉を閉めた。


「…一人にしてええもんか?」


固く閉じられた扉の前に、新名はもたれかかりながらずるずると座り込み、小さな声で自分に尋ねる。

今は起きたてでぼんやりしていても、色々思い出したらパニックなるのでは?
かといって、追い出されてしまった以上、これからどうすればいいというのか。

頭を抱えながら、思考する。

このまま一人にすることがベストな選択ではないということだけが、ぐるぐると頭を駆け巡る。
殴られてでも、あの場に留まるほうが、よほど後悔は少なかったかもしれない。後味がとにかく悪い。

中の様子はわからない。雛石は無事なのだろうか?


………


新名がまだ扉の前にいることなど知らない雛石は、その扉の前で、鍵を閉めた格好のまま立ち尽くす。

景色は相変わらずぐにゃぐにゃと歪む。
自分が自分ではないような感覚。
自分が二重人格?まさか。そんな自覚もない。
かといって、あの新名という男が徒に嘘をつく人間にも見えない。

気持ち悪さを覚えながら、玄関の床に座り込み、扉にもたれかかる。


「………携帯」


新名が、机の上にあるのが自分の携帯だと言っていたことを思い出した雛石は座り込んだまま顔を上げ、机に目を移す。

何か自分が眠っていた間のことがわかるかもしれないと重い腰を上げると、机までフラフラとした足取りで向かう。

スマートフォン。
学生の頃、周りはほぼ全員が携帯電話を持っていた中、自分は持っていなかった。これがあの頃ほしかった携帯。

ドキドキしながら画面に触るも、灯りはつかず暗いまま。どうしたらいいのか分からないが、外側にボタンがあることに気づき押してみる。


「うぉっ…点いた……ん?」


ロックのかかっていないスマートフォンの画面が一気に明るくなり、待受画面が映る。
驚きながらそっと覗き込むと、真っ白の背景にポツンと一つだけフォルダが貼り付けられている。

フォルダの中には、メモ、マップアプリ、電話帳など、いくつかのアプリが入っている。

『裕也へ』と名前がつけられたメモを開くと『今どこにいる?マップアプリを開き、自宅を検索しろ』と書かれていた。

メモの画面の閉じ方も分からないまま、あたふたしていると、何かのボタンを押したようで、偶然にも最初の待受画面に戻った。

おそらく、画面下部にあるのが、この画面に戻るボタンなんだろう。ゲームのレベルアップした時のSEが脳内で聞こえた気がした。


「えっと、何やっけ……マップ?」


とりあえずもう一度フォルダを開くと、メモの隣にマップと書かれたアイコンが貼り付けられている。

自宅の検索はどうしたらいい?
これを残した人物は、スマホを初めて触る人間の気持ちなど何もわかっていないようだ。

とりあえずマップアプリを開くと、地図のような画面が広がる。上の方にある『ここで検索』と書かれたところがきっと検索ワードを入れるところだろう。

雛石は震える指でそこを押すと、『自宅』の文字が目に入る。

なんて親切なんだろうか。
感動すら覚えながら、自宅と書かれた場所を触ると、どうやら今いる場所を指しているようだ。


「アイツの言う通り…」


だったら何だというのか。
これが本当の情報かもわからないというのに。
これを残したのも、新名自身かもしれないじゃないか。
いいように手のひらの上で転がされているような感覚。気分が悪い。

先ほど見ていたメモの下に、まだ何か書かれていた気がして、雛石はもう一度メモを開く。

自宅を検索しろ、の後には、『自宅にいる場合、収納の中を見ろ』と書かれていた。


「収納?」


家具らしい家具は何もない部屋である。
収納とは、壁にある扉だろうか?

雛石は恐る恐る取手を掴み、手前に引いて開けた。


「うわ…何やコレ…!」


そこには大量のダンボール箱、ルーズリーフが挟まれたバインダー、そして、裕也へと書かれた封筒が置かれていた。

封筒を開くと、中には手紙が入っていた。


「これを読んでるってことは、無事に目を覚ましたってことやんな?お疲れ様。ゆっくり休めたか?」


そんな言葉で始まった手紙の内容は、高校の卒業式が無事に終わり、自分が行きたかった香風の養成所に入ったということ。
毎日あったことを日記に記録しておくということ。
授業の内容を書いたノートは、日記とは別の箱に入っているということ。
バインダーは、関わった人間のことが記してある対人メモで、一番最初に目を通してほしいということが書かれていた。


「何度も書き直すのは面倒やから、これが最初で最後の手紙にする。早めに目を覚ましてくれることを祈る」


一通り音読した雛石は、『裕也』という差出人の名前を見て、手紙を閉じた。


「そうか…」



* * *
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