恋人編
名前変更
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その日の夜。
緑谷は妹の荷物を取りに、轟宅のインターホンを押した。
「…緑谷」
出てきた家主は暗い顔をしていた。覇気がなく、萎れていた。泉が出て行ったことが堪えているらしいことが見て取れた。
「泉の荷物を取りに来たんだけど、入っていい?」
黙って頷いた轟に心配したい気持ちよりも、自業自得だと思う気持ちが勝った。ほんの少し良心が痛んだが、妹の気持ちを無下にするのが悪いと緑谷は思った。
「…話は全部聞いた。その上で言わせてもらうけど、泉を大事にしないなら手を引いてくれよ」
「大事にして…!」
友人の怒りの言葉に反論しようと顔を上げたが、緑谷が冷めた目で轟を見ていたので続きを言えなかった。
「どこが?曖昧な態度を取り続けてさ。…大事にされてないって思ったから、泉は光ちゃんと出てったんだろ」
冷たく言い放つと、靴を脱いで轟の前を通り過ぎていった。泉の愛情表現がストレートで分かりやすいだけで、兄も相当妹を大事にしているのだ。感情任せに怒鳴らないのは、友人に対してのほんの少しの優しさだ。
携帯、着替え、妹から持ってきてと頼まれたものを緑谷は無言でカバンに詰め込んでいく。場所は泉から聞いていた。
友人である彼を嫌いになったわけではない。だが妹のプロポーズを受けないのに、大事に扱う轟に心底怒っていた。曖昧な態度は泉を少しずつ傷つけていた。
緑谷の良く知る妹は生半可な覚悟で「結婚してほしい」と言わない。いつかはにかみながら口にしていた「家族になりたいんだよ」と言う泉の言葉に嘘はない。妹は轟に恋をした時からずっと本気だ。
轟のことを本気で好いていて、幸せにしたいのだ。少し妬けてしまうくらいに。
「じゃあ、必要なもの取ったから…」
緑谷の言葉を遮って轟は問いかけた。
「…泉は今どこにいるんだ?」
「光ちゃんのとこだけど?」
「…泉は本気で爆豪の妹と結婚する気なのか?」
「追いかけて泉に聞けば良かっただろ」
轟は反論できずに俯いた。
追いかけたかったのに、足が動かなかった。
昨晩プロポーズを逸らしたときの泉の表情を思い出す。悲しそうに諦めた顔をしていた。何か呟いていたが、聞き返すことができなかった。
今朝泉は振り返らずに、幼馴染に手を引かれて出て行った。
「うれしい、もちろんだよ」
嬉しそうに言った彼女の声が、耳に残っている。あのとき、轟は後頭部を思いきり殴られた気がした。
「何言ってるんだ」
「行かないでくれ」
そう言いたかったが、喉が渇いて言葉が出てこなかった。
何度も言われたプロポーズを聞かないふりしていたのは自分だ。
どの口がそんなことを言える?
「あたしは泉の言葉を全部大事にする」
光の言葉が頭の中で何度も繰り返される。確かに幼なじみの彼女なら、泉を大切にするだろう。勝てる気がしない、と一瞬でも思ってしまった。
何も言い出せないうちに泉は扉の向こうに消えてしまった。
緑谷は深呼吸した。
泉への曖昧な態度に腹を立てている。けれど、怒って轟を責め立てるだけでは今回の計画はうまくいかない。光からの呼び出しで話を聞いた時には驚いた。幼なじみの光は怒っていたが、泉の幸せを願って立てた「轟にプロポーズさせる」計画を手伝って欲しいと言ってきた。
「兄ちゃんには式場関係の色々をお願いしてる。いずくんは轟をどうにかして」
「どうにかってそんな大雑把な…僕も式場関係を手伝うよ」
「兄ちゃんのがセンスあるから、いずくんはいらない」
暗にセンスがないとバッサリ切られて、緑谷はガクッと肩を落とした。
「どうにかってのは言わばチャンスだな。いずくんはあいつの友達だから」
「…今回のこと、僕だって怒ってる」
「うん、ごめん。でもいずくんじゃなきゃ」
「…全く光ちゃんは無茶言うなぁ…」
「根っからのお節介さんなら出来るでしょ」
「泉のためだからね、頑張るよ」
「あたしの指示ってのはバレないようにしてね」
「頑張ります…」
光は式場と日時を渡すように言った。あとは任せると。
「轟くん」
緑谷が優しく呼びかけたので、轟は驚いて顔を上げた。先程までの態度を詫びるかのように、少し申し訳なさそうにしていた。
「今までは兄としての気持ち。本当のことだから謝らないけど…」
「え?」
「…それで君はどうしたい? 今度は友達として君の気持ちを聞きたいな」
轟は泣きそうになった。
自分がどうしたいのか、しばらく考えて出てきた答えはシンプルだ。
「…泉といたい」
「そっか。…泉のこと好きなんだね」
「当たり前だ」
「じゃあなんでちゃんと向き合わなかったの?」
つい棘のあるような言い方をしてしまって、緑谷は失敗したとすぐに謝った。今は友人として轟の話を聞く番だ。
「ごめん、間違えた」
「それは…」
それでも轟が答えようとしたので、緑谷は友人の言葉を待った。
「…上手く言葉に出来なくて」
轟は苦しそうに言った。
「…思ったことを言えば良いんだよ。泉はいつもそうしてる。だから泉の言葉はストレートなんだ。僕からのアドバイス。…それと…」
緑谷はショルダーバッグの口を開けると、二つ折りの小さいメッセージカードを取り出した。
「君の言葉が必ず泉に届く、なんて無責任なことは言わない。光ちゃんはもの凄く怒ってるからね。邪魔されるかも。…でも、チャンスをあげることは出来る」
緑谷はメッセージカードを轟に差し出した。轟が受け取ろうとして掴むが、緑谷は離さない。
「泉と光ちゃんの結婚式場。3日後だよ」
「…怒ってるんじゃないのか?」
「怒ってるよ」
「じゃあ何で」
「だって可愛い妹には笑っていて欲しいじゃないか。僕は泉の笑顔が好きなんだ。だからこれは君のためじゃなくて、妹のため」
緑谷は手を離した。
残念ながら泉にとって1番笑顔になれる場所はもう自分の隣ではない。それを緑谷はよく分かっていた。
「どうするかは君次第。よく考えて」
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