0.妹の原点
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お兄ちゃんが変わったのは、中3の春。ヴィランと遭遇してすぐのことだった。
「2人に話があるんだけど…」
ある夜、ご飯を食べ終えて箸を置いたお兄ちゃんは、緊張した口調で切り出した。
「どうしたの?」
お母さんは心配そうに、不安そうに言葉を発した。私もつられて、緊張で体を硬くした。口に入っていたごはんを素早く咀嚼して飲み込む。
「雄英、受験しようと思ってるんだ」
お兄ちゃんは最初に言葉を発してから一度も目を逸らすことなく、お母さんにそう告げた。ちらりと隣に座るお兄ちゃんを見ると、真剣な表情だった。
いつだったかお兄ちゃんは鼻息を荒くして、オールマイトの出身校が雄英であることを教えてくれた。たくさんの逸話を話してくれた後で、伏し目がちに憧れちゃうねと笑った。お兄ちゃんも憧れのヒーローと同じ学校で学びたいんだなって思った。そうだね、って相槌を打つのが精一杯だったけど。
お母さんは少し表情を硬くして、お兄ちゃんを見つめていた。
「ヒーロー科?」
「うん」
私はただ黙っていた。お兄ちゃんが雄英のヒーロー科を受験する?個性がなくちゃヒーローになれないって、お兄ちゃんが一番わかっているのに何で?受かるはずがない。落ちて悲しむお兄ちゃんを見たくないよ。
「分かった。頑張りなさい」
絶対に反対すると思っていたお母さんは、あっさり認めてしまった。お兄ちゃんが安堵して脱力したのが分かった。
「それで、お願いがあるんだけど…」
お兄ちゃんはポケットの中から小さく畳まれた紙を取り出して、お母さんに何やら説明を始めた。
なんで、が止まらなくなって、私はぼんやりと話をしている2人を眺めていた。
「泉?」
いつの間にかお兄ちゃんが心配そうに顔を覗き込んでいた。なんでもないよ、と目を逸らす。
「…ごちそうさま。お風呂先入るね」
お兄ちゃんが何か言おうとしているのが分かったけど、気がついてないふりをして俯いたまま、食器を片付けてリビングを出た。
それからお兄ちゃんは、前だけを見て突き進んでいった。受験勉強とトレーニングで、私に構ってくれる時間はめっきり減った。お兄ちゃんが私を置いてどこか遠くに行っちゃうんじゃないかと、寂しくて怖くなった。大丈夫って言ってほしくて、寝る時間に枕を抱えてお兄ちゃんの部屋に行った。お兄ちゃんはいつも机に向かっていた。
「お兄ちゃんの部屋で寝ていい?」
「いいよ。だけど、まだ勉強するから先に寝てて」
欲しい言葉を言ってくれるわけじゃなかったけど、必ず振り返って私の顔を見て笑いかけてくれた。その度に、ちゃんと泉のお兄ちゃんだと安心できた。大丈夫、お兄ちゃんはここにいる、と目を閉じる前にお兄ちゃんの後ろ姿を焼き付けた。
朝、目を覚ますと、お兄ちゃんも一緒に起き出して、早朝のジョギングに揃って出かけた。僕のことは気にしないでいつものように走って、と言うのでそうすると、私を追いかけて走っていたお兄ちゃんは、走り終えた後で死にそうな顔をしていた。
冬が近づいてきた。お兄ちゃんは相変わらず、毎日勉強とトレーニングばかりだ。段々筋トレの回数と、ご飯を食べる量が増えた。一緒に走っていても、息が上がることがなくなった。お兄ちゃんは変わっていっている。
なのに、お兄ちゃんは日に日にフラフラになっていく。もうやめてと言いたかった。無個性のお兄ちゃんは受かりっこない。努力した分だけ、辛くなるだけなのに。
「じゃあ、行ってきます」
「いってらっしゃい」
トレーニングに出かけていったお兄ちゃんを見送って、お母さんは朝ごはんの片付けを始めた。食卓の上の食器を下げてから、椅子に座って洗い物をするお母さんをじっと見ていた。
「泉は今日どうするの?」
「特に予定ないよ」
「あとで買い物行くけど、一緒に行く?」
「行く!」
「最近、出久の食べる量が増えたから、買い物に行くのも作るのも大変だわ」
大変そうな口ぶりとは裏腹に、お母さんは楽しそうに言った。雄英受験に向けて走り出したお兄ちゃんを、お母さんは応援してる。
「お母さんは、どうしてお兄ちゃんの受験に反対しないの?」
そう言うと、お母さんは顔を曇らせた。まずかったかなと思ったけど、個性を持たないお兄ちゃんがヒーロー科を受験するのを、お母さんが応援する理由を知りたい。私はそんなふうに応援できないから。
「…最後かもしれないから」
洗い物をしながら、お母さんは呟いた。
「本気で頑張っているのを応援するのが母の務めだと思う」
「これ以上お兄ちゃんを傷つけてもいいの?無個性の人は、絶対受かんないんだよ?ヒーローは個性がなくちゃいけないんだよ!?」
「やるだけやらせてあげたいの」
「諦めさせるのも、親の役目なんじゃないの?」
「出久はまだ諦めてない」
「でも」
「あなたには個性があるんだから、良いじゃない!」
私の言葉を遮って、お母さんが怒鳴った。水が流れる音だけが聞こえ続けた。私が何も言わないので、お母さんが顔を上げた。
涙が私の意思に関係なくポロポロ溢れだした。お母さんが小さく息を呑んだ。取り返しのつかないことを言ってしまった、と顔に書いてあった。だけど、もう遅い。
「違うの…違うのよ、泉…」
水道を止めるのも忘れて、お母さんが近づいてきた。小刻みに震える手は泡だらけでびしょびしょだ。床に水滴が落ちた。
「来ないでッ!!」
私が拒絶すると、お母さんも瞳に涙を浮かべていた。人を傷つけておいて、自分も傷つかないでよ。好きで個性があるわけじゃない。私は望んでなかった。私はお兄ちゃんと同じが良かった。
「お母さんは私のことそんなふうに思ってたんだね。私が私は個性があるから良かったって思ってる、と思ってたんだね」
「違うの、ほんとじゃないの」
「でも、本心でしょ。泉じゃなくて、お兄ちゃんに個性が…」
「泉!!」
お母さんが叫んで遮った。お母さんだって思ってるくせに。お兄ちゃんに個性があれば良かったって。
「…個性があっても!お母さんは私がヒーローを目指して良いなんて絶対言ってくれないくせに!……泉は個性なんていらなかった」
溢れ出す涙を乱暴に拭って、お母さんに背を向けて、玄関に早足で行った。
「どこ行くの!?」
「走ってくるだけ!」
泣きそうな母の声に怒鳴り返して、家を出た。私も個性がなければ良かったのに。全部お兄ちゃんと一緒がよかったのに。
涙を拭きながら走り続けていたら、いつのまにか普段来ない場所に来ていた。
足を止めて、辺りを見回していると、お兄ちゃんがガイコツみたいなおじさんと一緒に走っているのを見つけた。ガイコツおじさんは乗り物に乗っていたけど。しばらく見ていると、お兄ちゃんが倒れ込んだ。
「ヘイヘイどうした!?あと3ヶ月だぞー!!」
倒れたお兄ちゃんに向かっておじさんは、檄を飛ばす。お兄ちゃんは起き上がれないほどで、地面を這っていた。
「君、プラン守ってないだろ!?」
お兄ちゃんのあのスケジュールや食事メニューはこのおじさんが作ったものだったの?
「合格したくないのか!?」
「合格したいですよ…」
もう諦めようよ、と入っていきたかった。なのに、動けなかったのは拳を握りしめたお兄ちゃんは諦めていないように見えたから。
「僕はあなたみたいになりたいんだ…!あなたみたいな最高のヒーローに」
顔を上げたお兄ちゃんは涙を浮かべて、立ち上がることを諦めなかった。
次の瞬間、ガイコツみたいなおじさんは、オールマイトの姿になった。
「この………!!行動派オタクめ!!そういうの嫌いじゃないよ!!?」
軽々お兄ちゃんを持ち上げて、画風の違うナンバーワンヒーローによく似たおじさんは、プランを調整する!と笑った。
そしてお兄ちゃんは、そのおじさんをオールマイトと呼んだ。
私には訳がわからなかったオールマイトがお兄ちゃんの雄英合格のためのプランを考えているのもそうだし、お兄ちゃんがヒーローになるために必死になっているのも。
気がついたら、いつ帰ってきたのだろうか、自室のベッドに座り込んでいた。
本気で雄英に入るために。本気でヒーローになるために。お兄ちゃんは死に物狂いで、頑張っている。
なんで。どうして、諦めないの?
無個性のお兄ちゃんがどうやってヒーローになるの?
お兄ちゃんがヒーローになりたいのは、知ってる。諦めてないのも、知ってる。
でも、全部無駄なんだよ。
憧れのオールマイトは、無個性の少年に夢を見させているだけなんだよ。
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