まだまだもやもや
名前変更
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「呼び出してごめんなさい!…私、経営科の射野と言います」
「そうか」
何度目かの呼び出しで、何が始まるのかはもう心得ている。
「轟くんは覚えてないと思うんだけど…」
そう言われて改めて目の前の女子の顔を見るが、さっぱり覚えていない。
射野は何やら一生懸命話しているが、轟の言うことは決まっていた。
「轟くん、好きです。付き合ってください」
好きですと言われて、泉の顔が思い浮かんでしまって口元が緩んだ。それを隠すように、断るべく体を折った。そういうのはよく分からない。
「…うん、そう言われるんじゃないかなって思ってた」
顔を上げると、射野が目に涙を溜めていたので、狼狽えてしまった。
「轟くん、今全然違うこと考えてたでしょう?」
本当のことだがどう答えるべきか考える間もなく、彼女が先に口を開いた。
「ねぇ、あの子は轟くんにとって何なの?」
「……泉は…」
轟は答えられなかった。
長い沈黙のあと、絞り出すような声がした。
「…私、名前言ってないんだけどなぁ…」
確かに名指しされたわけではないのに、あの子と言われてすぐ泉のことが思い浮かんだ。
「話を聞いてくれて、ありがとう」
一筋溢れた涙を拭って、彼女はくるりと走り去っていった。
多少の居心地の悪さから解放され、息を吐き出した。何気なく顔を上に向けたそのとき、3階の窓からこちらを見下ろす人物が見えた。
泉と瀬呂だ。呼び出されたときから今日は会えそうにない、と思っていたが、会えた。
見られた、とは微塵も考えていなかった。
隣の瀬呂が手を振ってきたので、片手を上げて答える。
「そこで何してんだ?」
瀬呂が窓を開けたので、少し声を張り上げて訊ねてみる。
「たまたま会ったから、人生相談してんの」
笑いながら、瀬呂が答えた。隣にいる泉は驚いた顔で瀬呂を見ていた。
「また何か悩んでんのか?」
心配になって泉に向かって問いかけると、瀬呂さんのです、と返ってきた。
「そうか、それなら良かった」
ほっとして手を上げてから、校舎に入るために2人に背を向けた。
泉は自分にとって、何なんだろう。
「あら、轟ちゃん。どこかへ行っていたの?」
靴箱から中履きを出していると、声をかけられた。振り返らずとも、クラスメイトの蛙吹梅雨だとすぐに分かる。
「あぁ…呼び出されて」
同じく靴を替えながら、蛙吹は肩をすくめた。
「私もよ。最近多いわね。丁重にお断りしているけれど…」
履き替えた靴をしまいながら、考える。
「なんでよく知らねぇやつが、急に好きだのなんだの、言ってくんだ?」
蛙吹はほんの少し間を開けた。靴箱を閉める音がした。
「卒業しちゃったら、会えなくなってしまうからじゃないかしら」
轟はまだ腑に落ちない顔をしていた。そもそも、全く接点のない人間を好きになるものだろうか。
いや、泉もそうだった。初対面での勢いのある告白を思い出して、また口元が緩んだ。
「泉ちゃんとも会えなくなっちゃうわね」
見透かしたかのように、蛙吹は言った。
一度浮き上がった気持ちがまた沈んだ。
それは分かっている。わかっていて、あまり考えないようにしていた。
蛙吹は、それ以上その件については何も言わずに、戻りましょうと穏やかに笑った。
次の日、食堂で泉とばったり会った。昨日会ってはいたが、面と向かって会うのは久しぶりだった。
「泉」
「と、轟さん…」
いつもならぱっと花が咲くような笑顔を見せるのに、今日は動揺しているのか目を泳がせた。
「もう出るか?」
空の食器を持っていたので、当然、このあとにいつもの場所へ行くのだろうと思った。食器を下げてから、一緒に行けば少しでも長く一緒にいられると思った。
「そう、なんです、けど…」
いつもハキハキ話す泉にしては、歯切れが悪い。会えたら会おうという約束で、お互いにいつ会えるかは約束していない。今日は用事があって、来られないのかもしれない。
「何か用があるのか?都合も聞かずに悪かった」
「ち、違うんです…!あ、いえ、そうなんですけど……。今日も行くつもりでいたんです…あの、でも…」
半分泣きそうな顔で泉は、どう伝えるか思案しているようだった。
「今日はたぶん、行けないと思います…ごめんなさい」
そんなに気にすることではない。轟はお互いに忙しい分、会える時に会えたら良い、会えたらたくさん話しをしたい。そう思っての提案だった。
早口に言い切って、泉は食器を下げに早足に行ってしまった。しばらく泉の後ろ姿を目で追う。
「泉はどうしたんだ」
残された泉の幼なじみに問いかけるが、舌打ちをされて睨まれた。
「泉が言わないことをあたしが言うわけないだろ」
「そうか…」
気になる。轟も食器を下げて、泉が向かった方へ歩き出した。
「あっぶな〜!ちょっと轟ィ!ちゃんと前見なきゃ危ないじゃん」
曲がり角で芦戸にぶつかりそうになった。
「悪い」
「どしたの、そんな急いで」
「泉を探してる」
「泉?」
「見てないか?」
「見たっちゃ見たけど…」
「どこ行ったのか、わかるか」
「…分かるよ」
芦戸は静かな目で轟を見つめたまま、何も言わない。
「芦戸?」
尋ねられて、一度視線を逸らすと首を振った。
「外、行ったよ」
「ありがとな」
「…ん」
早口に礼を告げて、外へと向かう。
泉はどこだ?
外を見回しながら、泉を探してみる。
「好きだ!」
男の声だ。
好意を告げるのは、何も女子だけではない。さすがに邪魔をしてはいけないだろうと思い、その場から離れようとした轟は耳を疑った。
「付き合ってほしい!泉ちゃん!」
たった今探していた人がすぐそこにいる。しかも、告白を受けている。
足が動かなくなってしまった。今日は会えそうにない、と言った理由はこれだったのか。
「ごめんなさい!」
即座に泉の断る声が聞こえて、轟はほっと胸を撫で下ろした。
そして、すぐに安堵した自分に驚いた。
「私には好きな人がいます」
「知ってる。でも、付き合ってない」
付き合うってなんだ。今まで告白をしてきた女子はみんな、付き合ってくれと言ったが、自分にはよくわからないことだし、泉が付き合ってくれ、と言ってきたこともない。
「そうですね」
「泉ちゃんはずっと思いを伝えてるのに、叶わない。なのに、なんで思い続けられるんだ」
轟はどきりとした。
泉からもらうばかりで自分は何も返せていない。こんな自分を好きでいる泉のことを理解できない、とすら感じていた。
「今君を見ている、俺と試してみてもいいんじゃないか?」
ごめんなさい、ともう一度泉が言った。
「私は、私の好きな人をずっと好きで有り続けるんです。先輩がどれだけ気持ちを伝えてくれようとも、どんなことが起きようとも、絶対に変わりません。…だから、ごめんなさい。何を言われても、決して私の思いは変わりません」
ただまっすぐな、凛と澄んだ声で泉は言葉を発した。
「いつか他の人を好きになるかもしれないだろ」
「ありえません」
先ほどとは違う、朗らかな声だった。轟は、泉がいつものように笑っている気がした。
しかし、いくら本人がその可能性を否定しても、あり得ないことではないはずだ。
「今はそう言っても、人の気持ちなんてわからないもんだ。諦めた方が幸せになれる!」
いつか自分以外の誰かを愛し、他の誰かに愛され、生きていくのかもしれない。
心地よく、温かな居場所は、彼女が与えてくれているもので、自ら手に入れたものではない。
「私を想ってくれて、ありがとうございます。嬉しいです」
「じゃあ!」
「でも…何が幸せかを決めるのは私です」
長い沈黙が流れた。
聞いていてはいけない。早く立ち去らなきゃいけないのに、轟は一歩も動くことが出来なかった。
「……ごめん。泉ちゃんを困らせるつもりはなかったんだ」
「自分を好きでいてくれる人がいるのが、どんなに幸せか、よく知ってます。好きと言う気持ちを簡単に諦めたりできないことも、よく分かっています。でも、本当に…気持ちに応えることはできないんです…。ごめんなさい」
「俺のほうこそ、ごめん。……向き合ってくれてありがとう」
向き合う。
その言葉が胸に刺さった。
先に行く、と男が歩き出した。
残された泉はしばらくの間、動き出す気配がなかった。
予鈴が鳴って気がつくと、泉はその場にいなかった。
.