L&H 学生編(本編)
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昼間は刺すような暑い日も、夜は少し暑さが和らぐ。そんな夏のある夜のこと。
クラスメイトたちよりも少し早めに夜ご飯を食べてから、今日の授業の復習と宿題をさっと片付けて20時過ぎに日課のランニングをするために寮を出た。
今年の梅雨も雨がたっぷりと降って、毎朝部屋のカーテンを開けるたびに口を尖らせた。私は雨があんまり好きじゃない。運が悪いと、悪夢を見てしまう。大抵の悪夢は大丈夫、なんてことない、ただの夢と笑い飛ばした。
唯一笑い飛ばすことが出来なかった轟さんから一方的になじられるという夢を見て以来、私は決意を新たにしていた。好きなんだから、たくさん好きと言いたい。たくさん好きだと、後悔しないくらい言うんだ。
日は落ちているのに、やけに明るく感じた。走りながら、空を見上げるとまんまるの大きなお月様が浮かんでいた。
「わぁ…大きいなぁ!」
今日がこんなに明るく綺麗な月が出ていることを、轟さんは知っているだろうか。教えたらどんな顔をするだろうか。考えていたら、会いたくなった。自然と3-A寮に足が向かっていた。
「こんばんはー!」
靴を履いたまま、玄関から身を乗り出して室内を覗き込んだ。奥の時計は、20時40分を指していた。共有スペースには、砂藤さんと障子さんだけだった。
「妹ちゃん?どうした、こんな時間に」
エプロンを身につけた砂藤さんが声をかけてくれたので、また挨拶をした。
「こんばんは。夜分遅くにすみません、轟さんいますか?」
遅くはないだろ、と言われたので、そうですか?と首を傾げた。
「俺は見てないけど」
振り返って、ソファに座っていた障子さんに呼びかけた。
「障子ー。轟見てねぇ?」
砂藤さんに呼びかけられた障子さんが振り返ったので、再びぱっと笑顔を作って挨拶をする。
「こんばんは!轟さんに会いに来たんです、どこにいるかご存知ですか?」
「さっき風呂一緒だったが、部屋に戻るって言ってたな」
「ありがとうございます!行ってきます!」
私は靴を脱いで、スリッパをつっかけ、階段を駆け上がった。5階まで一気に走り、轟さんの部屋の前まできてひと呼吸。
扉をノックして、挨拶をする。
「こんばんは!夜分遅くにすみません!泉です!」
すぐに扉が開いて、轟さんが出てきた。湯上がりの濡れた髪の毛だった。肩にタオルをかけていた。エアコンが付いているのか、部屋の中から心地が良い冷たい空気が流れ込んできた。
「こんな時間にどうした?」
「月が綺麗なんです!」
「月?」
「そうです!空にぽっかり浮かんでる、あの月です」
月くらい分かる、と言いたげに怪訝そうに眉を寄せた。
「大きくて、とっても綺麗に見えるんですよ。一緒に、」
言いかけて、突き当たりの窓が視界に入って、轟さんの部屋に来るのが初めてだということに気がついた。途端に緊張で声が詰まってしまった。
一緒に月を見たいと言おうとした自分に驚いた。
視線を轟さんに戻すと、ばっちり目が合った。
私は体温が上がるばかりだった。胸に手を当てて、深呼吸をしてみるが、うまく言葉が出ない。轟さんは待ってくれているみたいだったが、途中で何かに気がついたように、体を逸らすとドアを押さえているのと反対の手で部屋の中を指し示した。
「…中、涼しいぞ」
入ったらどうだ、と言われて一歩踏み出した。部屋に入ると、畳が敷かれていることに気がついた。畳の上にスリッパは良くないかな、とスリッパを脱いで入り口の端に寄せ置いた。
「部屋、畳なんですね」
思ったことがすんなりと言えたので、言葉を発せたことに少しだけほっとした。
「…頑張った」
靴下を履いているからわからないが、きっと裸足だとひんやりして気持ちがいいのだろう。
裸足の轟さんは部屋の奥まで行ってしまった。机の上には、書きかけの手紙が置いてあった。
「…手紙…」
「あぁ、今書いてたんだ」
事もなげな返事だったので、邪魔をしてしまったのかと言おうとしたのをやめた。私がそうやって聞いても、轟さんは邪魔してないって言う優しい人だと知っている。
轟さんがからからと音を立てる窓を開けると、風が部屋の中に流れ込んできた。気温はずいぶん下がっていたので、外からの風は涼しかった。
「涼しいな」
そう言って轟さんは机の上にあったリモコンを手にすると、エアコンの電源を切ってしまった。リモコンを机に置き直して、網戸を開けて空を見上げた。私が付いて行くことを少しも疑わずに網戸を開けっぱなしにして、ベランダに出て行ってしまったので、慌てて私も外に出て網戸を閉めた。
「今日は満月だったのか。ずいぶん大きく見えるな」
見上げると私がさっきランニングしながら見たのと同じ、大きなお月様がぽっかりと浮かんでいた。
「ランニング中に明るいなって思って空を見上げたら、月が大きくて綺麗だったんです!轟さんに教えなくっちゃ!って思って、何にも考えずにここまで来てて…!突然押しかけてすみません!」
早口に謝罪をして頭を下げた。轟さんが振り返ったのが、足元だけでも分かった。
「泉はいつも突然だから、大丈夫だ」
何が大丈夫なのだろう。顔を上げると、轟さんはいつもと変わらない表情で私を見ていたが、すぐに視線を逸らして、再び空を見上げてしまった。
「それで、月が綺麗だと言うだけなら、メッセージでも良かっただろ。何か話でもあるのか?」
「あっ!?メッセージ…!」
言われて、左腕に巻きつけていたスマホケースを思い出した。右手でスマホを触った。
「そうだ…それがあったの忘れてました…!」
文明の力の存在を忘れてどうする!?こんなときに使わなくてどうするんだ!
「でも、轟さんに会いたかったんです」
ベランダの入り口に立ったままの私を振り返って、轟さんは首を傾げた。
「何つっ立ってるんだ。一緒に見んじゃないのか?」
「えっ!?…その、いいんですか?」
「さっき、そう言おうとしなかったか?」
そっと近づいて、手を伸ばせば触れてしまえるほどの距離を空けて並んだ。今この空間に、私と轟さんだけ。2人だけで空を見上げて、同じ月を見てる。
「…綺麗だな」
「はい」
「教えてくれて、ありがとな」
私は月を見上げている轟さんを見ていた。
「月が、綺麗ですね」
私の言葉に轟さんが振り向いて、私を見た。
「…今、月。見てなかっただろ」
「み、見ましたよ!ちょっとだけ!」
「ちょっとだけ?」
「だって轟さんの横に並んでたら、なんか…緊張しちゃって…月見てる場合じゃないんですよ…!」
轟さんが微かに笑った。なんで笑うんですか、と思ったのに、出てきた言葉はいつもと同じだった。
「好きです」
轟さんはじっと私を見つめて、口を開けた。何か言いたそうにしながら、口を閉じた。
「…俺は…」
再び口を開いて掠れるような小さな声でつぶやいたが、その先は続かない。口を閉じてしまった。
言葉が見つからなかったようで、首を振った。視線を逸らして、いつものようにそうか、と言った。
何か、轟さんの中で何かが起きている。
いつもと違う様子に、私は漠然と思った。苦しそうに顔を歪めていた轟さんに、どうしたらいいのか分からなくて、努めて明るくそうなんです、と笑った。
腕のポケットからスマホを取り出して、びっくりした。
「大変です。21時10分です」
そろそろ寝る準備をしなくちゃいけない。うっかりどこかで行き倒れてしまったら大変だ。
「…22時に眠くなる、だったか?もう時間ねぇな」
覚えていてくれたことにびっくりした。いつも私が一方的にたくさん喋るから、あまり覚えていないんじゃないかって勝手に思っていた。
「そうなんです!」
返事をしながら、ニヤけてしまった。
「そんな些細なことを覚えていてくれて、嬉しいです。この間のいちごミルクのことも覚えていてくれて、嬉しかったです」
「…そうか」
轟さんが優しそうな目をして微かに笑っていたので、私は思わず顔を覆った。だめだ、きゅんとしすぎて心臓が痛い。
「何してんだ?」
「轟さんが好きすぎて直視出来なくて、視界を塞いでます」
「なんだそれ。…時間大丈夫か?」
ハッとしてスマホを確認すると、5分すぎていた。
「時間結構大丈夫じゃなさそうです…!」
「送っていく」
「えっ!?」
感情のジェットコースターのようだ。びっくりしすぎて大きな声が出てしまった。
スマホをしまっていると、轟さんは網戸を開けて部屋に引き返そうとしていた。
「そんな‥送ってもらうなんて、おそれおおいです…!ひとりで帰れます!」
「俺がそうしたいんだ」
振り向いた強い瞳に、これ以上の拒否はできなかった。さっきは轟さんが目を逸らしたのに。今度は私が目を逸らした。
「…お願い、します」
「妹ちゃんもう帰るのか?さっきシフォンケーキ焼きあがったんだけど、食べていくか?焼き立て美味いの知ってる?」
共有スペースに降りると、甘くていい匂いがしていた。
「ありがとうございます!焼き立て食べたことないので、食べてみたいんですが、帰ります!私22時になると寝てしまうので…どこかで行き倒れる前にお暇します」
「寝てしまうって大袈裟な」
「それが…!大袈裟でもないんですよ。本当に寝ちゃうんです。お兄ちゃんに聞いてみてください」
「じゃあ、また今度作ってやるから、食べにきなね」
「はい!是非食べさせてください!」
「泉送ってくる。行くぞ、泉」
「は、はい!」
「あれ?泉、来てたの?」
扉が開いて、ジャージ姿のお兄ちゃんが顔を出した。
「お兄ちゃん!」
お兄ちゃんに飛びつこうとすると、汗かいてるから汚いよ!?と手を前に出して拒否されてしまった。
「別に、泉は気にしないけど」
「僕は気にするの!」
「まあ、いいや。あのね!月が綺麗だったから、轟さんに教えてあげたくてきたんだよ。お兄ちゃんも見た?眠くなる前に帰ろうと思って帰る前にお兄ちゃんにも会えるなんて嬉しい!」
「そうだったんだ。じゃあ、寮まで一緒に行くよ」
「…じゃあよろしく頼む」
さっき送りたいって言ってくれたのに、と思いながら振り返ると、轟さんはすごくほっとした顔をしていた。何も言えなかった。驚きが顔に出てしまったが、気づいたことに気づかれる前に私はにっこりと笑った。
「では、また!お邪魔しました!」
ペコッとお辞儀をして顔を上げると、轟さんはまた苦しそうな顔をしていた。今度は見ないふりをして、お兄ちゃんと並んで外に出た。
「さっきね、轟さんが送ってくれるって言ってたの」
歩きながらそんなことを言ってみると、お兄ちゃんは驚いていた。
「えっ!?ごめん、余計なことしちゃったね…!」
「ううん、大丈夫」
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月が大きくて綺麗だなーと夜の散歩中に思ったので、書き始めたらなんか長くなりました。
また少し時が経ちました。私の文章力では、小さな変化を表現するのに限界がありました。うーん難しい。
まだまだ続きます。
2021.08.06