L&H 学生編(本編)
名前変更
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「あら、轟ちゃん。どこかに行くの?」
教室に忘れてしまった宿題を取りに行くために、玄関で靴を履こうとするとクラスメイトたちが揃って帰ってきた。
「教室に忘れ物した」
短く言うと何人かが顔を見合わせた。その中に緑谷はいない。
「今行くのは止めたほうがいいぜ」
砂藤が困ったように言うので、轟は怪訝そうに眉を寄せた。
「なんでだ?」
それは、とその場にいたクラスメイトたちが言い淀んだ。
「…泉がさ、教室で泣き出しちゃったのよ」
瀬呂が言いにくそうに切り出した。
「泉が?」
驚いて聞き返す。
泣いているのを見たことがない訳ではないが、泣き出したからといってクラスメイトたちが揃って出てくるとはどういう訳だろう。
「私たち、見てたの。泉ちゃん、教室に来た時から元気なくて、緑谷ちゃんが駆け寄ったら、泣き崩れちゃったの。みんなびっくりしてたわ。泉ちゃん、まるで子供のように声をあげて泣いてて…、それでみんなで急いで教室を出てきたのよ。只事じゃないって思って」
蛙吹はとても心配そうに言った。だから、まだ教室に行かない方がいいんじゃないかしら。
最後の言葉を聞かずに、轟は寮の玄関扉を押し開けて行ってしまった。
「…轟ってさ、妹ちゃんのことどう思ってんだろうね」
ぱたりと音を立てて閉まった扉を全員が見つめる中、上鳴がぽつりと呟いた。
「他人が口を出すようなものじゃないわ、上鳴ちゃん」
蛙吹に窘められるが、納得いかないように顔を歪めた。
「や、でもみんなも気になるっしょ?!あんだけ好きって言ってんのに、何の進展もねぇじゃん!」
脱いだ靴をしまいながら、上鳴が続けた。
「俺、けっこー泉ちゃんが好きなんだよ。可愛いし、良い子だし。肝が据わってるとこなんか見習いたいって思うしさ」
「それはマジで見習った方がいい」
耳郎の言葉に、ひでぇと涙目になった。
「俺はさ!ただ泉ちゃんに、幸せになって欲しいなって思うわけ!」
「…そうですわね。私も泉さんには幸せになってほしいと思います。あんなに真っ直ぐに想いを伝えているんですもの」
意外な援護射撃に、上鳴は目を輝かせて振り返った。
「だしょ!?」
「でも、泉はその先を別に望んでる訳じゃないっぽいよな」
瀬呂の意見に同意するように何人かが頷いた。
「泉ちゃんが入学して1年経つんだよなぁ」
「そりゃ、俺らも3年生になるわけだ」
「あまりにも馴染みすぎて、1つ下だって忘れることがあるわ」
「わかるー。あたしもさ、授業中に泉はどうする?って振り返って聞こうとしたことあるんだよね…!いるはずないのに!」
「うち、今日泉が泣き出したとき、轟となんかあったのかと思っちゃったよ」
「俺も」
「でも、轟のあの感じじゃ違うっぽいよね?」
「そうなんだよなー…」
「梅雨ちゃんの忠告聞かずに行っちゃったけど、どうすんだろうね」
耳郎の言葉に、その場にいた全員が扉を振り返った。
教室に向かう途中で自販機が目に入った。「元気がないときには、好きなもの食べるのがいちばんだよ!」と以前姉が言っていたのを思い出して、立ち止まる。
泉の好きなものが親子丼だとつい先日聞いたが、今すぐに用意できるものではない。轟の知っている泉の好きなものは、親子丼といちごミルクだけだ。
去年の春に、同じこの自販機でいちごミルクを買ってしまったことがあった。声をかけてきた泉にいちごミルクが好きかと尋ねると、好きです!と元気よく返事が返ってきた。楽しそうだった。
いつも元気で笑顔。少なくとも轟の前ではそうだった。
自販機の前でしばらく考えてから、いちごミルクを買うことにした。
落ちてきたいちごミルクを取り出して眺める。ピンク色のパッケージには、苺と牛乳瓶の絵が描かれていた。
これを渡して、泉があのときのように、笑ってくれたら。ただそれだけを願っていた。
上着のポケットにいちごミルクを無造作に突っ込むと、轟は歩き出した。
1年前の春と、今の自分たちは何も変わらない。好きですと言う泉に、そうかと答えると、顔を綻ばせてそうなんですと笑った。それはいつの間にか、2人の挨拶のようになっていた。なんの変哲もない、普通の日常の一部。
泣いてる、と聞いたとき心配になった。何かしてやれることはないだろうか、それだけを考えながら教室へ向かった。
緑谷がいるなら、自分が来ても何もできることはないと気がついたのは、3-Aと書かれた教室札が見えたときだった。
立ち止まって気配を窺っていると、緑谷兄妹と思われる声が途切れ途切れに聞こえてきた。鼻声だったが、泉の声だとわかった。
少し待つと会話が終わったのか、静かになったので、教室の扉を開けて中を覗き込んだ。
「緑谷?泉?」
「轟くん!?わ!?」
緑谷が驚いて立ち上がった瞬間に、ぱっとこちらを振り向いた泉と一瞬目が合った。目の周りが赤くなっていた。たくさん泣いたに違いない。
慌てて横にいた兄を引っ張ると、背中に隠れてしまった。
「話終わってなかったか?出直す」
寮を出たときに、蛙吹が今はまだ行かない方がいい、と言った言葉がようやく今になって頭に届いた。何も考えずに声をかけてしまったが、どうすればいいのか。
「もう終わりますから、大丈夫です!」
ひどくガサガサした泉の声がそう言った。思ったよりも元気そうで安心した。
「…明日までの宿題忘れて取りに来たんだ」
いちごミルクをいつ渡せば良いのだろう、と考えながら自分の席まで歩いていく。そわそわして気持ちが落ち着かない。
「忘れるなんて珍しいね」
緑谷に話しかけられるが、どうやって渡すかばかりを考えていて、聞こえているはずなのに言葉が出てこなかった。
「轟くん?」
緑谷の心配そうな声に我に返り、声を出した。
「泉、大丈夫か?」
「えっ」
泉の驚いた声に、弁解するように蛙吹から泉が泣いてたって聞いたと言った。
「大丈夫です!ご心配ありがとうございます」
まだ緑谷の後ろに隠れているせいで、少しくぐもった声だった。
机の中に手を入れるが、何を探すのか忘れてしまった。変に思われないように、中に入っている教科書やノートを1冊づつずらしながら考える。
何を言っているのか分からないが、泉は兄に怒って文句を言っているようだった。
やっと思い出して、目的のノートを取り出した。泉のいる方に顔を向けると、兄の後ろからそっと顔を出していた。目が合うと、驚いて顔を引っ込めてしまった。
「わっ!?」
引っ張られた緑谷が驚く。
帰るまでに渡さなくてはいけない。ポケットに軽く触れて、緑谷の元まで行った。緑谷は困ったように笑っていた。
「泉」
「はい」
呼びかけると、返事があった。
「…これ、やる」
いちごミルクを取り出した。
ややあってから、顔を覗かせた泉はぎこちない動きで受け取る。片手はまだ兄の制服のジャケットをしっかりと握りしめていた。
いちごミルク?
きょとんとしながら泉が呟いた。
「…落ち込んだときは、好きなものを食べると良いって、姉さんが言ってた。前に好きだって言ってただろ」
「え!?」
泉が素っ頓狂に驚いていたので、首を傾げた。
「いちごミルク。…違ったか?」
「…覚えててくれたんですね」
忘れていると思われていたことが少し残念だったが、間違っていなかったことにほっとした。
「泉は笑ってる方がいい」
励ますつもりで言った。
表情をころころと変えて、感情をストレートに表に出すのが、泉の魅力の1つだ。泉が笑っていると、周りの人間もつられて笑顔になる。
泣きたいときももちろんあるだろうが、泉には笑顔が1番似合うと轟は思っていた。
兄の制服から片手を外し、いちごミルクを両手で握りしめた。顔を上げた泉が自分を見つめて、好きですと言った。
泉がいつもの言葉を待っているのが分かっているのに、声が出なかった。身動きすら取れないので、ただじっと泉を見つめる。目が、逸らせない。
今までだって何度も正面から泉の告白を聞いたが、あまりにもはっきりと真っ直ぐに言うので、息が詰まってしまったのだ。
泉が差し出した感情を自分は知らない。言葉では知っていたのに、理解できていなかった。
間に緑谷が恥ずかしそうに目を逸らしながら立っていたが、存在すら轟は忘れていた。
「轟さんが、好きです」
意味を理解していないと思ったらしく、泉はもう一度言葉に自分の気持ちを込めて丁寧に告げた。
いつもの言葉には何の意味もないのに、なんでそんなに真っ直ぐに待つのだろう。たった一言そうかと言うだけなのに、どうして言えないのだろう。苦しくなるばかりだった。
「…そうか」
やっとの思いでなんとか返事をすると、泉の口元が緩んで笑顔になった。泉の笑顔を願っていたはずなのに、苦しい。
「そうなんです、轟さんが好きなんです!」
嬉しそうに言う。
今までも適当に扱ってきた訳ではないが、初めて泉の感情に真っ直ぐに向き合った気がした。
「3回目だぞ」
これ以上目を合わせていたくなかったのに、嬉しそうに笑う泉から目が離せないでいた。
「何回でも言います。私は轟さんが好きなので」
「…元気そうだな」
早く視線をずらしてくれ。俺を見ないでくれ。そう祈った。
「今元気になりました。いちごミルクありがとうございます。お兄ちゃんもありがとう」
泉が兄に抱きついたので、やっと顔を逸らすことが出来て、ほっと胸を撫で下ろした。自分に向けられる泉の感情があまりにもまっすぐすぎて、轟は少し怖くなった。自分は何も理解できていなかった。
「お兄ちゃん、私カバン取りに行かなくっちゃ!」
泉は立ち上がって、笑いながら言うと駆け出した。
「玄関で待ってるね!」
去っていく後ろ姿に緑谷が慌てて呼びかけた。泉は振り返らずに、はーい!と元気よく答えた。
「…轟くん、大丈夫?」
振り返った緑谷が心配そうに聞くので、轟は驚いて少し目を丸くした。
「あっ!えっと、ごめん。…なんか…そのさ…」
ごにょごにょと口の中で何かを呟いている。困惑…違うな、苦しそう…違うな。
「なんて言うんだろ…なんか困ったような顔してた気がして…」
そう言われて表情に出ていたのかと顔を顰めた。緑谷が慌てて謝る。
「や!ほんとごめん!僕の気のせいだったかも。…帰ろっか」
緑谷はごめんね、ともう一度謝ると鞄を取りに行った。
口に出してしまうと、何かが壊れてしまう気がした。考えないように耳を塞いだ。
「…そうだな」
振り返った緑谷は、やっぱり困ったように笑っていた。
----------
産みの苦しみを味わいました。
何気に轟くん視点で書いたの初な気がする。これは轟視点というのか…?いや誰がなんと言おうときっとそうなんだ。たぶん。
超難しくて、もうやけくそです。2週間も行ったり来たりしました。『プロポーズ大作戦(仮)』以来です。
冒頭には、砂藤、瀬呂、上鳴、耳郎、芦戸、八百万、蛙吹がいます。なんとなくこのメンバーでした。
2021.07.22