夜の虹
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「え……」
「……」
僕は言葉を失う。
直哉様は黙って僕の顔を見ていた。
それは残暑の残る暑い日の朝だった。
今日も無理難題なお申し付けをされるかと、直哉様から呼び出されて部屋に向かった。
お仕えしてもうすぐ一年になるが……日々は慌ただしく過ぎていった。
僕も学校に通いながら直哉様のお世話役の仕事を日々こなしている。
また直哉様はとても天真爛漫というか、唯我独尊というか……。
なかなか要望が多くて僕は混乱する毎日だ。
だけれどもそれだけだ。
別に失敗することがあっても直哉様は笑って僕を見ているだけだ。暴力や暴言なんて一度もない。
何より僕に居場所をくれた直哉様には感謝している。
いつか、直哉様が満足できるような従者になりたい。
部屋の前で声をかけると中から気だるそうに返事が聞こえた。
障子戸をあける。
部屋で寝転がっているであろう主人は、予想に反して縁側で正座して、難しい顔をしていた。
あ、何か僕は言いつけ通りにできなかったんだろうか。
今朝買ってくるよう頼まれた茶菓子がお気に召さなかっただろうか。
「名前。お前の祖母が亡くなられたぞ」
僕の思考は停止した。
正直信じられなかった。
祖母は引退したにしろとても腕の立つ呪術師で、体力もあり姿勢も良く、年配とはいえとても若々しかった。
そんなおばあ様が……。
しかしいつになく真面目な口調の直哉様が僕に、これが真実であることを実感させる。
――「……許して」
最後の言葉が思い出された。
あの日庭で、僕に弟が産まれると告げた時から祖母は明らかに僕を避け、今日まで会おうとしなかった。
……悲しい。
もちろん祖母の事は好きだった。
あの家の中では唯一の家族だと思っていた。
だからこそ、拒絶された事を「許せない」僕がいた。
しかしその祖母は死んでしまった。
いつか祖母に僕が居場所を見つけて、幸せに過ごしている姿を見せたかった。
この家で優秀な従者として主人に必要とされる姿を。
僕は祖母がいなくても立派に生きていけると……。
今思えばそれが何になるのだろう。
祖母が死んだと聞いた今もそんなことしか考えられない自分が悲しい。
「……そう、ですか」
それだけ呟く僕を直哉様が怪訝そうに見る。
「今夜やって、通夜」
「……」
「行かへんのか」
黙る僕にさらに変なものを見るような目で見る。
正直あの家には戻りたくない。
名前すら知らされていない弟も既に産まれているだろう。
「……はぁぁー」
押し黙る僕に直哉様は何故か盛大なため息を吐いた。
……通夜くらい行けと言うことだろうか。
直哉様は立ち上がって自身の机の方へ歩かれていった。
引き出しから真っ白な封筒を一つ出す。
それを僕の前に突き出す。
「これは?」
「……見せんな言われたけど、それ見せてほしいってことやろ」
「え?」
話の見えない直哉様の言葉に、僕はその封筒を受け取っていいのかどうか悩んだ。
「お前のばあさんからや」
「!」
見かねて発せられたその言葉に、僕は慌ててその封筒を受け取る。
中からは封筒と同様に、上等な和紙で作られた便箋が出てきた。
開くと祖母の字が並んでいた。
綺麗な文字。
家を出る前は祖母が僕に筆を握らせて文字を教えてくれたっけ。
そんな思い出が頭をよぎった。
手紙は、僕に宛てたものではものではなかった。
直哉様に宛てて書かれたものであった。
内容は、突然の手紙に対する詫びと、僕のことについてだった。
それは……祖母が僕を、何故禪院家に寄こしたのかについて書かれていた。
読み進めていくうちに手紙を持つ手に力が入る。
「……じゃあ、最初からずっと。祖母は僕を、」
「……禪院家に売るつもり、なかったみたいやな」
僕に弟が産まれる。
それを知ったとき、祖母は僕にいよいよこの家では居場所がなくなると悟った。
それでも自分だけは我が孫を、責任をもって育て上げる覚悟でいた。
そのためならこの家を捨ててもいいとまで。
だけど、祖母にはそれが出来なかった。
「どうして……言ってくれなかったんだ」
祖母は自身の余命が少ないことを知っていた。
もうどうにもならない運命を知ったとき、
祖母は僕をこの家に置いたままにするよりはと、最後の賭けに出た。
「全く、肝の据わった婆さんやわ。こないな手紙寄こしておいてお前には何も言うな言うんやから」
「……」
――許して。
祖母の声がした。
あれは、全てを語らずに突き放す自分を許してほしいということだったのだろうか。
「……言ってくだされば、僕はおばあ様の言うとおりにしたのに」
ぽつりと溢す。
同時にぽつりと、真っ白だった便箋に一点の滲みが落ちる。
「お前、言われたってどうせ婆さんが死ぬまでは居座ったやろ」
直哉様がため息をついて立ち上がる。
「その間にも弟が産まれてそいつの世話係にさせられて、結局家に縛られるんが目に見えるわ」
座り込む僕の横に直哉様が立つ。
言われてみるとそうかもしれないと思った。
あの頃の僕は、誰にでもいいから必要としてほしかった。たとえ生まれたばかりの赤子にでもきっと。
むしろ与えられた役割を懸命に果たそうとしたかもしれない。
「ま、お前を縛り付けようとするのは”この家”でも同じかもしれんけどな」
「?」
直哉様がいった意味がよくわからなくて、そのお顔を見上げようとした。
その前に直哉様が僕の脇の下に手を入れたと思ったら、そのまま引っ張り上げられた。
無理やり立たされるようになって手紙を落としてしまった。
「あ」
「もうお前の居るべきところはここなんや」
落ちた手紙を拾おうとしたが直哉様がさらに僕の腕を強く掴んだ。
掴まれた腕が少し傷んでどきりとした。
「直哉様?」
なんだか様子のおかしい直哉様を不思議に思って、やっと僕は直哉様の顔を見る。
それは少し怒っているような、いや。
何かを……恐れているような…
しかし次の瞬間にはふっと笑っていた。
「ほな、早よ支度しや」
そう言って屈むと落ちた手紙を拾ってくださった。
そして僕の手にそれを戻すと、流れるような所作で目尻に浮かぶ涙を指で払ってくださった。
その指はとても優しく、先ほどの少し荒々しい雰囲気はすっかり消えていた。
その優しい手に縋り付きたくなる。
「……支度?」
直哉様が言ったことをぼおっと考える。
そんな僕を見て直哉様は呆れた顔をする。
「……はあ。通夜に決まってんやろ、この禪院直哉様も一緒に行ったる」
「え?……ええ!?」
「そしたらあの家でも大きい顔しておれるやろ。一年働いただけの従者の身内の葬儀に、直系のもんが来るなんて前代未聞や。どんな顔されるかちょっと面白そうやん」
#柊#様はさぞかし鼻が高いのー。なんてのんきな事を言う直哉様はなぜか楽しそうだ。
そんなことをされたら、もはや本家に繋がりはないに等しい分家のさらに末端の僕の実家は卒倒してしまう。
制止しようとする僕を無視して、直哉様は「喪服出してー」と、今着ている羽織をバサリと脱ぎだした。
通夜にそんなテンションで行かないでくれとも思った。
しかし、僕も偉そうなことは言えない。
直哉様が一緒に来てくださると聞いてから、僕は明らかに先ほどまでの重く苦しい気持ちが晴れている。
やはりあの家に一人で行くのは怖かった。
「……ありがとうございます」
僕は素直に直哉様に頭を下げた。
「ええから。はよ」
なんてこともないように返す直哉様に笑みがこぼれる。
――「許して」
僕は、おばあ様に捨てられてなどいなかった。
愛されていた。
僕に最後まで何も語らぬことを贖罪としようとしたのだろうか。
この先僕はあの家に産まれたことを嘆くことはないだろう。
僕は、愛されていた。
もう十分だ。
支度を終えて直哉様がこちらを振り返った。
「……行こか」
「はい」
直哉様が差し出してくれた手を取る。
僕を直哉様のもとに導いてくれたおばあ様に、最後の別れを。
「……」
僕は言葉を失う。
直哉様は黙って僕の顔を見ていた。
それは残暑の残る暑い日の朝だった。
今日も無理難題なお申し付けをされるかと、直哉様から呼び出されて部屋に向かった。
お仕えしてもうすぐ一年になるが……日々は慌ただしく過ぎていった。
僕も学校に通いながら直哉様のお世話役の仕事を日々こなしている。
また直哉様はとても天真爛漫というか、唯我独尊というか……。
なかなか要望が多くて僕は混乱する毎日だ。
だけれどもそれだけだ。
別に失敗することがあっても直哉様は笑って僕を見ているだけだ。暴力や暴言なんて一度もない。
何より僕に居場所をくれた直哉様には感謝している。
いつか、直哉様が満足できるような従者になりたい。
部屋の前で声をかけると中から気だるそうに返事が聞こえた。
障子戸をあける。
部屋で寝転がっているであろう主人は、予想に反して縁側で正座して、難しい顔をしていた。
あ、何か僕は言いつけ通りにできなかったんだろうか。
今朝買ってくるよう頼まれた茶菓子がお気に召さなかっただろうか。
「名前。お前の祖母が亡くなられたぞ」
僕の思考は停止した。
正直信じられなかった。
祖母は引退したにしろとても腕の立つ呪術師で、体力もあり姿勢も良く、年配とはいえとても若々しかった。
そんなおばあ様が……。
しかしいつになく真面目な口調の直哉様が僕に、これが真実であることを実感させる。
――「……許して」
最後の言葉が思い出された。
あの日庭で、僕に弟が産まれると告げた時から祖母は明らかに僕を避け、今日まで会おうとしなかった。
……悲しい。
もちろん祖母の事は好きだった。
あの家の中では唯一の家族だと思っていた。
だからこそ、拒絶された事を「許せない」僕がいた。
しかしその祖母は死んでしまった。
いつか祖母に僕が居場所を見つけて、幸せに過ごしている姿を見せたかった。
この家で優秀な従者として主人に必要とされる姿を。
僕は祖母がいなくても立派に生きていけると……。
今思えばそれが何になるのだろう。
祖母が死んだと聞いた今もそんなことしか考えられない自分が悲しい。
「……そう、ですか」
それだけ呟く僕を直哉様が怪訝そうに見る。
「今夜やって、通夜」
「……」
「行かへんのか」
黙る僕にさらに変なものを見るような目で見る。
正直あの家には戻りたくない。
名前すら知らされていない弟も既に産まれているだろう。
「……はぁぁー」
押し黙る僕に直哉様は何故か盛大なため息を吐いた。
……通夜くらい行けと言うことだろうか。
直哉様は立ち上がって自身の机の方へ歩かれていった。
引き出しから真っ白な封筒を一つ出す。
それを僕の前に突き出す。
「これは?」
「……見せんな言われたけど、それ見せてほしいってことやろ」
「え?」
話の見えない直哉様の言葉に、僕はその封筒を受け取っていいのかどうか悩んだ。
「お前のばあさんからや」
「!」
見かねて発せられたその言葉に、僕は慌ててその封筒を受け取る。
中からは封筒と同様に、上等な和紙で作られた便箋が出てきた。
開くと祖母の字が並んでいた。
綺麗な文字。
家を出る前は祖母が僕に筆を握らせて文字を教えてくれたっけ。
そんな思い出が頭をよぎった。
手紙は、僕に宛てたものではものではなかった。
直哉様に宛てて書かれたものであった。
内容は、突然の手紙に対する詫びと、僕のことについてだった。
それは……祖母が僕を、何故禪院家に寄こしたのかについて書かれていた。
読み進めていくうちに手紙を持つ手に力が入る。
「……じゃあ、最初からずっと。祖母は僕を、」
「……禪院家に売るつもり、なかったみたいやな」
僕に弟が産まれる。
それを知ったとき、祖母は僕にいよいよこの家では居場所がなくなると悟った。
それでも自分だけは我が孫を、責任をもって育て上げる覚悟でいた。
そのためならこの家を捨ててもいいとまで。
だけど、祖母にはそれが出来なかった。
「どうして……言ってくれなかったんだ」
祖母は自身の余命が少ないことを知っていた。
もうどうにもならない運命を知ったとき、
祖母は僕をこの家に置いたままにするよりはと、最後の賭けに出た。
「全く、肝の据わった婆さんやわ。こないな手紙寄こしておいてお前には何も言うな言うんやから」
「……」
――許して。
祖母の声がした。
あれは、全てを語らずに突き放す自分を許してほしいということだったのだろうか。
「……言ってくだされば、僕はおばあ様の言うとおりにしたのに」
ぽつりと溢す。
同時にぽつりと、真っ白だった便箋に一点の滲みが落ちる。
「お前、言われたってどうせ婆さんが死ぬまでは居座ったやろ」
直哉様がため息をついて立ち上がる。
「その間にも弟が産まれてそいつの世話係にさせられて、結局家に縛られるんが目に見えるわ」
座り込む僕の横に直哉様が立つ。
言われてみるとそうかもしれないと思った。
あの頃の僕は、誰にでもいいから必要としてほしかった。たとえ生まれたばかりの赤子にでもきっと。
むしろ与えられた役割を懸命に果たそうとしたかもしれない。
「ま、お前を縛り付けようとするのは”この家”でも同じかもしれんけどな」
「?」
直哉様がいった意味がよくわからなくて、そのお顔を見上げようとした。
その前に直哉様が僕の脇の下に手を入れたと思ったら、そのまま引っ張り上げられた。
無理やり立たされるようになって手紙を落としてしまった。
「あ」
「もうお前の居るべきところはここなんや」
落ちた手紙を拾おうとしたが直哉様がさらに僕の腕を強く掴んだ。
掴まれた腕が少し傷んでどきりとした。
「直哉様?」
なんだか様子のおかしい直哉様を不思議に思って、やっと僕は直哉様の顔を見る。
それは少し怒っているような、いや。
何かを……恐れているような…
しかし次の瞬間にはふっと笑っていた。
「ほな、早よ支度しや」
そう言って屈むと落ちた手紙を拾ってくださった。
そして僕の手にそれを戻すと、流れるような所作で目尻に浮かぶ涙を指で払ってくださった。
その指はとても優しく、先ほどの少し荒々しい雰囲気はすっかり消えていた。
その優しい手に縋り付きたくなる。
「……支度?」
直哉様が言ったことをぼおっと考える。
そんな僕を見て直哉様は呆れた顔をする。
「……はあ。通夜に決まってんやろ、この禪院直哉様も一緒に行ったる」
「え?……ええ!?」
「そしたらあの家でも大きい顔しておれるやろ。一年働いただけの従者の身内の葬儀に、直系のもんが来るなんて前代未聞や。どんな顔されるかちょっと面白そうやん」
#柊#様はさぞかし鼻が高いのー。なんてのんきな事を言う直哉様はなぜか楽しそうだ。
そんなことをされたら、もはや本家に繋がりはないに等しい分家のさらに末端の僕の実家は卒倒してしまう。
制止しようとする僕を無視して、直哉様は「喪服出してー」と、今着ている羽織をバサリと脱ぎだした。
通夜にそんなテンションで行かないでくれとも思った。
しかし、僕も偉そうなことは言えない。
直哉様が一緒に来てくださると聞いてから、僕は明らかに先ほどまでの重く苦しい気持ちが晴れている。
やはりあの家に一人で行くのは怖かった。
「……ありがとうございます」
僕は素直に直哉様に頭を下げた。
「ええから。はよ」
なんてこともないように返す直哉様に笑みがこぼれる。
――「許して」
僕は、おばあ様に捨てられてなどいなかった。
愛されていた。
僕に最後まで何も語らぬことを贖罪としようとしたのだろうか。
この先僕はあの家に産まれたことを嘆くことはないだろう。
僕は、愛されていた。
もう十分だ。
支度を終えて直哉様がこちらを振り返った。
「……行こか」
「はい」
直哉様が差し出してくれた手を取る。
僕を直哉様のもとに導いてくれたおばあ様に、最後の別れを。