夜の虹
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ここは……ひどく寒い。
「全く呪力の気配がありませんね」
「こんなことならいっそのこと女だったらよかったのに……」
ここに、僕の居場所はなかった。
僕は禪院家でも分家のまた分家の生まれだ。
権力も衰えつつあり、何とか本家から来る依頼を受けては禪院家との縁を繋いでいた。
両親だけでなく、家のものは皆そのうち用はないと見放され、地位を追われることに酷く怯えていた。
その恐怖に拍車をかけたのが僕だった。
「一人息子の名前様が呪力ないんじゃ……この家どうなるのかしら」
女中の人達がそんなふうに話しているのを何度か聞いたことがある。
暇をもらって里に帰ろうかと話している者もいる有様だった。
「名前」
そんな僕にもたった一人だけ味方がいた。
「おばあ様」
庭に一人蹲って膝を抱えている僕に低く、だが凛とした声が届いた。
振り返るとそこには祖母がいた。
祖母は別段僕にだけ甘いとか、そんな人ではない。
家の風習やしきたりも守る、規律を遵守する人だった。ただいつも堂々としていて、曲がったことが嫌いで、孫の僕を対等に扱ってくれる人だった。
姿勢はいつもまっすぐ伸び、いつも威厳のある姿が好きだった。
僕を禪院家の下働きとして迎え入れてもらうのはどうだろうかと、両親や周りの親族も話している時も祖母は……
「己の家の者を、他所に押し付けるような真似は許さない」
と、頑なに拒絶していた。
僕がこの家にいられるのは、祖母のおかげだ。
だけど最近は、この家にいたいのかもよくわからなくなっていた。
「おばあ様」
呼ばれた僕はすぐに祖母に駆け寄った。
いつになく険しい顔をしているのが少し気になった。
「名前、貴方に弟が産まれます」
「えっ」
僕が側までくると、祖母は躊躇いなくそう告げた。
祖母の顔を見上げる。
険しい表情はそのままに、声からは確固たる意志を感じた。
「お腹の中の子からは既に呪力を感じます」
僕には呪力のこととかはよくわからなかった。
ただ、
「許して――」
ただ一つ分かったのは
唯一の味方の祖母も、僕をこの家には必要ないと判断したようだ。
僕の居場所は、本当にもうどこにもないのだ。
祖母はそれだけ言うと踵を返し、母家に姿を消した。
「今日は禪院家の御当主とその御子息の方々に会う」
「失礼のないようにね。貴方の将来がかかってるんだから」
僕の将来とは何なのだろう?
居場所のない僕はどこに向かえばいいのか、どうすればいいのか。
ただ、ここで禪院家の方々にも不要だと言われてしまったら……?帰る家など無いに等しい僕にとっては、それこそ絶望としか言いようがなかった。
「……」
誰でもいい。
誰か、一人でいい。
僕を、必要として欲しい。
僕の居場所になってほしい。
必死だった。
だから禪院家の御当主に断られそうになった時、必死で頼み込んだ。
しかし禪院家に初めて足を踏み入れた時、僕のような人間が必要で無いことはすぐに分かった。
既に経歴も長い女中さんが多く働いているし、御当主一家を前にしては僕のような存在がいかにちっぽけか思い知らされる。
一眼見ただけで下心も全て見抜かれているのが幼い僕でもわかった。1番幼いであろう末弟の方もこちらを正しく品定めするように見ていた。
鋭い眼光。
氷のような澄んだ瞳。
格の違いを思い知る。
父や母も同じだろう。言葉は尻込みしてバツが悪そうな顔をしている。
それでも後には引けない。
助けてくれていた祖母ももはや頼れない。
祖母は僕に「許して」と言ったあの日から今日まで、僕に会うことはなかった。
白か黒しかない祖母の、明らかな僕への拒絶。
呪力を持った弟が産まれる。
それは、祖母や両親のどれほどの希望と安寧になっただろう。
――お前の家はもうここじゃない。
そう誰かが囁く。
「ご、ご当主様!僕なんでも致します!どうかこちらでお仕事をさせていただけないでしょうか」
自分でも驚くほど声が震えた。
半分ヤケクソ。
半分は復讐のつもりだった。
これまで少しでも僕を有効活用する事しか考えてなかった両親、あっさり見捨てた祖母へ……
最後は僕から離れてやる。
とても子供じみた考えだった。本当に子供の僕にはこんな事くらいしか出来なかったから。
「……ぶっ、っはは!なんや君、男か!」
突然笑い声が響いた。
ハッとして顔を上げた。
笑い声の主は、禪院家御当主である直毘人様の息子であらせられる“禪院直哉”様だった。
その笑い転げる姿は、先程氷のような人だと思っていた人物からは想像できなかった。
だが、見た目が女のようと言うのは、よく言われていた……。
自分でももっと男児らしくなりたいと思っており、見た目が女のようだという自覚も無きにしも非ず。
何も言い返すつもりはない。
直哉様がその場の雰囲気をぶち壊すように無遠慮に笑う声は続いた。
それが何故だか興味を持ってもらえたような気持ちになって僕は背中を押された。
直哉様のおかげで周りの雰囲気も少し先ほどより和んだ気がする。
――もう一度頼み込むなら今だ。
深々と頭を下げる。
神に祈るような気持ちだった。
お願い。
僕を、僕をどうか……。
もう捨てられたくない――
「ええやん親父。この子賢そうやし、何より身分わきまえとる」
――え?
僕は冗談を言われたのではないかと勢いよく顔を上げた。
目の前では直哉様が口の端を釣り上げて楽しそうにこちらを見ている。
「俺の専属にしてやってもええで」
「!」
そんな僕に、嘘じゃないと言わんばかりにそんな条件までつけてくださった。
「……お前がそこまで言うのならよかろう」
直毘人様が半分諦めたように承諾したのを聞いて僕は胸がいっぱいになった。
直哉様が僕を、拾ってくれた。
僕がお仕えする方。
誰かに必要としてもらえる未来に、冷え切っていた心臓が初めて鼓動を始めたようだった。
横では両親も思わず「よかった」と声を漏らしていた。
「ほな、今日からこのままおいで」
直哉様が優しく僕に語りかけた。
すぐにでも頷いて縋りそうになるのを両親の声が止めた。
「えっ、い…今からでしょうか?」
両親はこれから禪院家、しかも直系の御子息の側で仕えることになった僕に、お勤めが始まる前に色々教え込みたかったのだろう。
正直そんな上の方の世話役を任されるとは両親も思っていなかっただろう。
2人からすればこの状況は棚からぼた餅。
事が自分たちに少しでも有利に進むよう。得が出来るよう、僕に吹き込みたいことは沢山あっただろう。
「ん?何か問題あるん?」
そんな下心も直哉様は見抜いているようで、その瞳にはまた冷たい光が宿っていた。
はっとした。
主を不快にさせてはいけない。
それに両親にはこれ以上恥をかく前に帰ってほしかった。
少しの情が僕の中に残っているうちは。
両親が動揺しながらも何か言いかけようとした時、僕は遮るように思わず口を開いた。
「直哉様。ありがとうございます。只今より貴方様にお仕えさせていただきます。名前と申します。どうかよろしくお願い致します」
頭を下げているためお顔は見えない。
でもその声でなんとなく直哉様の雰囲気が和らいだように感じた。
「えらいお利口さんやん。ええね。気に入ったわ」
そういうと直哉様は何か一瞬考えるように黙った。
が、すぐに僕のもとに近づいてきて手をとってくださると、顔を上げるよう促してくださった。
「ほな、こっちおいで」
ゆっくりと僕は顔をあげて直哉様を見る。
とても整ったお顔が、どこか冷めた表情にみえる。
でもその中に強い意志を感じる。
自身の家の中でもただ凍えて震えていることしかできなかった僕に、あっさりと居場所を作ってくださったこの方が、僕にはまるで雲の上の人のように偉大な存在に感じた。
この方のことがもっと知りたい。
この方に尽くしたい。
僕は何があってもこの人のために仕えようとその日誓った。
「よろしくお願いいたします。直哉様――」
△
「あれから3年かあ……」
自室で掃除をしながらそんなことを思い出していた。
3年過ごした自室の中はいまだに物も少なく、実に簡素だ。
実家からは本当に何も持ってはこなかったなという考えから、直哉様に初めてお会いした時の日まで回想は及んだ。
仕えたばかりの頃は仕事を覚えるのに必死だった。
直哉様は今思えば、してほしくもないような用事をあえて僕に頼んでは僕の働きぶりを試しているような節があった。
(例えば掃除したところをもう一度しろとかそんなのだ)
主から頼まれたことは全力で取り組んだが、どこかいつも直哉様はつまらなさそうに僕をみていたっけ。
どうしたら直哉様が喜んでくれるのかわからなくて、ずっと直哉様を見ていた。
どんな時に笑うのか。
どんなものが好きなのか。
ちょっとした表情の変化とか、仕草とか、そんなことをずっと見ていた。
視線に気づいた直哉様に「キショいわ」と言われてショックだったのが懐かしい。
直哉様は作り笑いが多かった。
でも本当は感情豊かな方だと接しているうちにわかった。
自身では気づかれていないようだけど。
荒い言葉を吐き捨てる時もあるかと思えば所作はとても美しい。
意外に甘いものが好きだ。
勤勉で読書も好きだ。
自室の窓からみる四季の変化を見るのが好きだ。
そんな発見が積み重なっていくうちに、直哉様からの変な雑用はいつの間にか頼まれなくなった。
そのかわり、
「名前!」
突然声掛けもなしに誰かが自室の襖を開けた。
ここに来る方は一人しかいない。
「直哉様!どうされました?」
「ちょ、おま、なにしとん。掃除終わったんならはよ来て」
「は、はい!申し訳ありません」
特に用もなく……というのは変わらないのだが、よく直哉様のお部屋に呼ばれることが多くなった。
仕事も言いつけられず、とりあえずここにいてのんびりしてろと言われて最初は戸惑ったものだ。
手持ち無沙汰で落ち着かず、せめてお茶を持ってきたり肩や脚を揉んで差し上げたらそれはそれで喜んでくださった。
それ以外は別に何をするわけでもなく、直哉様が中等部でこんなことがあったとか、こんな呪霊に出くわしたとか、色んな話を聞かせてくださった。
特に会話もない時は2人で庭を眺めたりしていた。
雪のひとひらを数えたり、
梅の蕾を見てはいつ咲くのかと呟いたり、
蜩の声を遠くで聴いたり、
緑から赤に色付く楓を見守った。
主人との、僕の最も愛おしい時間。
「すぐに行きます」
急かす直哉様を見て温かい気持ちになる。
何笑っとんや!
と、すぐに怒られたけど。
「全く呪力の気配がありませんね」
「こんなことならいっそのこと女だったらよかったのに……」
ここに、僕の居場所はなかった。
僕は禪院家でも分家のまた分家の生まれだ。
権力も衰えつつあり、何とか本家から来る依頼を受けては禪院家との縁を繋いでいた。
両親だけでなく、家のものは皆そのうち用はないと見放され、地位を追われることに酷く怯えていた。
その恐怖に拍車をかけたのが僕だった。
「一人息子の名前様が呪力ないんじゃ……この家どうなるのかしら」
女中の人達がそんなふうに話しているのを何度か聞いたことがある。
暇をもらって里に帰ろうかと話している者もいる有様だった。
「名前」
そんな僕にもたった一人だけ味方がいた。
「おばあ様」
庭に一人蹲って膝を抱えている僕に低く、だが凛とした声が届いた。
振り返るとそこには祖母がいた。
祖母は別段僕にだけ甘いとか、そんな人ではない。
家の風習やしきたりも守る、規律を遵守する人だった。ただいつも堂々としていて、曲がったことが嫌いで、孫の僕を対等に扱ってくれる人だった。
姿勢はいつもまっすぐ伸び、いつも威厳のある姿が好きだった。
僕を禪院家の下働きとして迎え入れてもらうのはどうだろうかと、両親や周りの親族も話している時も祖母は……
「己の家の者を、他所に押し付けるような真似は許さない」
と、頑なに拒絶していた。
僕がこの家にいられるのは、祖母のおかげだ。
だけど最近は、この家にいたいのかもよくわからなくなっていた。
「おばあ様」
呼ばれた僕はすぐに祖母に駆け寄った。
いつになく険しい顔をしているのが少し気になった。
「名前、貴方に弟が産まれます」
「えっ」
僕が側までくると、祖母は躊躇いなくそう告げた。
祖母の顔を見上げる。
険しい表情はそのままに、声からは確固たる意志を感じた。
「お腹の中の子からは既に呪力を感じます」
僕には呪力のこととかはよくわからなかった。
ただ、
「許して――」
ただ一つ分かったのは
唯一の味方の祖母も、僕をこの家には必要ないと判断したようだ。
僕の居場所は、本当にもうどこにもないのだ。
祖母はそれだけ言うと踵を返し、母家に姿を消した。
「今日は禪院家の御当主とその御子息の方々に会う」
「失礼のないようにね。貴方の将来がかかってるんだから」
僕の将来とは何なのだろう?
居場所のない僕はどこに向かえばいいのか、どうすればいいのか。
ただ、ここで禪院家の方々にも不要だと言われてしまったら……?帰る家など無いに等しい僕にとっては、それこそ絶望としか言いようがなかった。
「……」
誰でもいい。
誰か、一人でいい。
僕を、必要として欲しい。
僕の居場所になってほしい。
必死だった。
だから禪院家の御当主に断られそうになった時、必死で頼み込んだ。
しかし禪院家に初めて足を踏み入れた時、僕のような人間が必要で無いことはすぐに分かった。
既に経歴も長い女中さんが多く働いているし、御当主一家を前にしては僕のような存在がいかにちっぽけか思い知らされる。
一眼見ただけで下心も全て見抜かれているのが幼い僕でもわかった。1番幼いであろう末弟の方もこちらを正しく品定めするように見ていた。
鋭い眼光。
氷のような澄んだ瞳。
格の違いを思い知る。
父や母も同じだろう。言葉は尻込みしてバツが悪そうな顔をしている。
それでも後には引けない。
助けてくれていた祖母ももはや頼れない。
祖母は僕に「許して」と言ったあの日から今日まで、僕に会うことはなかった。
白か黒しかない祖母の、明らかな僕への拒絶。
呪力を持った弟が産まれる。
それは、祖母や両親のどれほどの希望と安寧になっただろう。
――お前の家はもうここじゃない。
そう誰かが囁く。
「ご、ご当主様!僕なんでも致します!どうかこちらでお仕事をさせていただけないでしょうか」
自分でも驚くほど声が震えた。
半分ヤケクソ。
半分は復讐のつもりだった。
これまで少しでも僕を有効活用する事しか考えてなかった両親、あっさり見捨てた祖母へ……
最後は僕から離れてやる。
とても子供じみた考えだった。本当に子供の僕にはこんな事くらいしか出来なかったから。
「……ぶっ、っはは!なんや君、男か!」
突然笑い声が響いた。
ハッとして顔を上げた。
笑い声の主は、禪院家御当主である直毘人様の息子であらせられる“禪院直哉”様だった。
その笑い転げる姿は、先程氷のような人だと思っていた人物からは想像できなかった。
だが、見た目が女のようと言うのは、よく言われていた……。
自分でももっと男児らしくなりたいと思っており、見た目が女のようだという自覚も無きにしも非ず。
何も言い返すつもりはない。
直哉様がその場の雰囲気をぶち壊すように無遠慮に笑う声は続いた。
それが何故だか興味を持ってもらえたような気持ちになって僕は背中を押された。
直哉様のおかげで周りの雰囲気も少し先ほどより和んだ気がする。
――もう一度頼み込むなら今だ。
深々と頭を下げる。
神に祈るような気持ちだった。
お願い。
僕を、僕をどうか……。
もう捨てられたくない――
「ええやん親父。この子賢そうやし、何より身分わきまえとる」
――え?
僕は冗談を言われたのではないかと勢いよく顔を上げた。
目の前では直哉様が口の端を釣り上げて楽しそうにこちらを見ている。
「俺の専属にしてやってもええで」
「!」
そんな僕に、嘘じゃないと言わんばかりにそんな条件までつけてくださった。
「……お前がそこまで言うのならよかろう」
直毘人様が半分諦めたように承諾したのを聞いて僕は胸がいっぱいになった。
直哉様が僕を、拾ってくれた。
僕がお仕えする方。
誰かに必要としてもらえる未来に、冷え切っていた心臓が初めて鼓動を始めたようだった。
横では両親も思わず「よかった」と声を漏らしていた。
「ほな、今日からこのままおいで」
直哉様が優しく僕に語りかけた。
すぐにでも頷いて縋りそうになるのを両親の声が止めた。
「えっ、い…今からでしょうか?」
両親はこれから禪院家、しかも直系の御子息の側で仕えることになった僕に、お勤めが始まる前に色々教え込みたかったのだろう。
正直そんな上の方の世話役を任されるとは両親も思っていなかっただろう。
2人からすればこの状況は棚からぼた餅。
事が自分たちに少しでも有利に進むよう。得が出来るよう、僕に吹き込みたいことは沢山あっただろう。
「ん?何か問題あるん?」
そんな下心も直哉様は見抜いているようで、その瞳にはまた冷たい光が宿っていた。
はっとした。
主を不快にさせてはいけない。
それに両親にはこれ以上恥をかく前に帰ってほしかった。
少しの情が僕の中に残っているうちは。
両親が動揺しながらも何か言いかけようとした時、僕は遮るように思わず口を開いた。
「直哉様。ありがとうございます。只今より貴方様にお仕えさせていただきます。名前と申します。どうかよろしくお願い致します」
頭を下げているためお顔は見えない。
でもその声でなんとなく直哉様の雰囲気が和らいだように感じた。
「えらいお利口さんやん。ええね。気に入ったわ」
そういうと直哉様は何か一瞬考えるように黙った。
が、すぐに僕のもとに近づいてきて手をとってくださると、顔を上げるよう促してくださった。
「ほな、こっちおいで」
ゆっくりと僕は顔をあげて直哉様を見る。
とても整ったお顔が、どこか冷めた表情にみえる。
でもその中に強い意志を感じる。
自身の家の中でもただ凍えて震えていることしかできなかった僕に、あっさりと居場所を作ってくださったこの方が、僕にはまるで雲の上の人のように偉大な存在に感じた。
この方のことがもっと知りたい。
この方に尽くしたい。
僕は何があってもこの人のために仕えようとその日誓った。
「よろしくお願いいたします。直哉様――」
△
「あれから3年かあ……」
自室で掃除をしながらそんなことを思い出していた。
3年過ごした自室の中はいまだに物も少なく、実に簡素だ。
実家からは本当に何も持ってはこなかったなという考えから、直哉様に初めてお会いした時の日まで回想は及んだ。
仕えたばかりの頃は仕事を覚えるのに必死だった。
直哉様は今思えば、してほしくもないような用事をあえて僕に頼んでは僕の働きぶりを試しているような節があった。
(例えば掃除したところをもう一度しろとかそんなのだ)
主から頼まれたことは全力で取り組んだが、どこかいつも直哉様はつまらなさそうに僕をみていたっけ。
どうしたら直哉様が喜んでくれるのかわからなくて、ずっと直哉様を見ていた。
どんな時に笑うのか。
どんなものが好きなのか。
ちょっとした表情の変化とか、仕草とか、そんなことをずっと見ていた。
視線に気づいた直哉様に「キショいわ」と言われてショックだったのが懐かしい。
直哉様は作り笑いが多かった。
でも本当は感情豊かな方だと接しているうちにわかった。
自身では気づかれていないようだけど。
荒い言葉を吐き捨てる時もあるかと思えば所作はとても美しい。
意外に甘いものが好きだ。
勤勉で読書も好きだ。
自室の窓からみる四季の変化を見るのが好きだ。
そんな発見が積み重なっていくうちに、直哉様からの変な雑用はいつの間にか頼まれなくなった。
そのかわり、
「名前!」
突然声掛けもなしに誰かが自室の襖を開けた。
ここに来る方は一人しかいない。
「直哉様!どうされました?」
「ちょ、おま、なにしとん。掃除終わったんならはよ来て」
「は、はい!申し訳ありません」
特に用もなく……というのは変わらないのだが、よく直哉様のお部屋に呼ばれることが多くなった。
仕事も言いつけられず、とりあえずここにいてのんびりしてろと言われて最初は戸惑ったものだ。
手持ち無沙汰で落ち着かず、せめてお茶を持ってきたり肩や脚を揉んで差し上げたらそれはそれで喜んでくださった。
それ以外は別に何をするわけでもなく、直哉様が中等部でこんなことがあったとか、こんな呪霊に出くわしたとか、色んな話を聞かせてくださった。
特に会話もない時は2人で庭を眺めたりしていた。
雪のひとひらを数えたり、
梅の蕾を見てはいつ咲くのかと呟いたり、
蜩の声を遠くで聴いたり、
緑から赤に色付く楓を見守った。
主人との、僕の最も愛おしい時間。
「すぐに行きます」
急かす直哉様を見て温かい気持ちになる。
何笑っとんや!
と、すぐに怒られたけど。