日照雨
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早朝。
名前と悟はそれぞれの任務のため早々に家を出る支度をしていた。
「いい?何かあればすぐに補佐監督なり傑に連絡するんだよ?いざとなれば僕…」
「もう、心配しすぎ!お兄ちゃんは自分の任務があるでしょ?大丈夫。みんながついてるから!それに絶対に無理しない」
玄関から出ようとする名前を捕まえて、最後の確認をする。
それを2人でも問題ない任務を4人で行くのだからと、名前は心配するなと返した。
いつものやりとりだった。
「お兄ちゃんも早く出なよ!お土産よろしくね!」
颯爽と玄関から出て行く名前を見送った悟は、やれやれと肩をすくめると自分も家を後にした。
その日、夕日が空を燃やすように赤く染まる頃。任務ももう少しでひと段落しそうなタイミングだった。姿を隠すのが巧妙な呪霊に、思いの外翻弄されてしまった。
あと少しだろうという時に、悟のスマホに着信を知らせるアラームが鳴った。
画面を見れば見慣れた親友の名が表示された。
迷わず電話に出る。
「や、傑。どうした?」
「悟。虎杖たちから何か連絡は?」
意気揚々と電話に出れば、緊迫した友人の声が耳に届いた。
「何があった?」
「やられたよ。恐らくこっちの呪霊はダミーだ」
「!」
「虎杖達と任務に向かった補佐監督とも連絡が取れない。伊地知に連絡したら虎杖達との任務の担当が急遽外されて別の補佐監督がついたって。そいつはきっと上層部とグルだね」
「わかった。祓ってすぐ戻る。何かわかれば連絡くれ」
電話を切る。
間に合うか?
向こうは今どういう状況なんだ?
みんな、ーーー名前。
五条家直系の出身である名前が一緒なら、虎杖にも下手に手出しできないと思っていた。
今回その裏をかかれた。
まさかここまでするとは思っていなかった。
また悟の上着のポケットの中で、着信を知らせるアラームが鳴る。
今度は画面を確認せずに出る。
「傑、何かわかっ…」
「虎杖たちが戻ってきた。名前の意識が戻らない。外傷はないがどんどん弱ってる」
電話の主は呪術高専東京校の専任医師、家入硝子だった。
端的に要件だけを告げる声がただの電子音のように悟の耳を震わせる。
淡々と、しかしながら焦りを感じるその声色に息を呑む。
「何か知らないか?伏黒が見たこともない術式を使っていたと言っていたぞ」
「…大丈夫。すぐに何とか出来るやつそっちに呼ぶから。とにかく名前のことは口外しないで。恵たちにもそう伝えて」
それだけ伝えると悟は電話を切る。
…なんて失態だ。
昨日は屈託なく笑っていた名前の姿が過ぎる。
悟の中をグルグルと不快な感情が渦巻く。
焦燥、疑心、憎悪。
その時、その負の感情に反応したかのように追っていた呪霊が悟の背後に現れた。
「失せろよ…」
蒼く、凍てついた瞳がそれを射抜いた。
△
「こんな田舎の山に、本当に呪霊がいるのー?」
車を降りた釘崎の第一声だった。
「うっす!麓の集落の人達の話では妖が出るって最近噂になってます!」
「具体的な被害は…畑を荒らされた。山菜採りの際に何か黒いものに襲われた」
今回初めて引率している補佐監督、高本が元気に説明する。
それに補足するように伏黒が報告書を読み上げる。
「…絶対猪だよ。俺の地元にもいたもん」
虎杖が呆れたようにため息をつく。
初めての一年生全員の任務が猪調査になるとは、張り切ってきた分ガッカリする気持ちが大きかった。
「まぁ、今回はその調査も兼ねた任務です!野生動物による被害もこれ以上深刻になりそうと判断した場合は捕獲までが任務っす!」
「えぇ?!」
釘崎が心底嫌そうな声を出す。
「大丈夫!猪とかだったら鵺に捕まえてもらおう!」
名前の一言に、皆が片手を挙げて「さんせー」と言う。
「おい。式神を猪狩りに使うんじゃねぇ。…ところで、高本さん。急遽代理できたって言ってましたけど…伊地知さんに何かあったんですか?」
呆れた表情から一転して、帳を下ろす準備をしているスーツ姿の男に伏黒が鋭い視線を送る。
「え?伊地知さんっすか?さぁ…俺はただ代わりに行けって急に言われただけでよくは知らないんすけど…」
どこも人手不足っすから、とにこやかに高本は返した。
「…そうですか」
どこか腑に落ちない様子の伏黒を見てクラスメイト達は首を傾げる。
「さ!帳下ろしますんで!準備はいいっすか?何かあればすぐご連絡を!」
高本がスマホを片手にヒラヒラと手を振る。
「はぁー、何よ猪って。捕まえたら牡丹鍋にして食ってやるんだから」
「ダメだよ野薔薇。素人が野生動物の処理するなんて危ないよ」
ズンズンと女性陣は山道を入って行く。
それに続いて虎杖と伏黒も獣道のような山道に入って行った。
「なぁ、高本さんがどうかしたのか?」
「…いや、別に。何となくだ」
虎杖が伏黒の様子を不思議がって声をかける。
伏黒も明確な理由があるわけではないが、任務と補佐監督の急な変更に違和感を感じた。
「猪どころか、鳥の鳴き声ひとつしないわねーこの山」
ほとんど誰も踏み込まなくなり、山道も雑草ばかりになった頃。
「…呪霊の気配もなさそうだけど」
釘崎のぼやきに名前も反応する。
ただ歩き回り、時間だけが過ぎていた。
「なぁ。これ、このまま何も見つからなかったらどうなんのかな?」
顔にかかりそうな蔦を虎杖が払いながら、後ろにいる伏黒に問いかける。
伏黒は知らねぇよ。とため息混じりに返す。
「…だが、釘崎の言う通り何もなさすぎておかしいくらいだな」
「あ、ねぇ。何か建物があるわよ」
釘崎が木々が鬱蒼と生い茂る薮の向こうを指差した。
全員の視線がそちらに向く。
木々の隙間から赤色の柱のようなものが見える。この山の中にその色ははっきりと見え、明らかな人口物であることがわかった。
4人は文句を言いながら草をかき分けそちらに向かう。
「…神社の跡…か?」
先頭を自ら進んで買って出た伏黒がその姿を見て呟く。
人が1人潜れるだけの本当に小さな鳥居がそこにはあった。
朱色のそれは風化して色褪せ、所々腐って塗装が剥がれ落ちて裸の柱が剥き出しになっている。
今にも崩れ落ちそうであった。
「…鳥居はあるのに神社も何もないわね」
草むらから抜け出した釘崎も首を傾げる。
4人とも周りを警戒しつつその様子を観察した、
取り壊されたが、この鳥居だけ残されてしまったのだろうか。
境内があったのか石段の基礎やそれに続くまでの石畳がよく見ればそのまま残っていた。
あまりにお粗末な解体の仕方であった。
「…」
「ん?大丈夫か名前?何か顔色悪くないか」
伏黒はふと横に立っている名前の様子がおかしいことに気がついた。
「あ、ううん!何か気味が悪いなぁと思って。お化けでも出そうだね、はは…」
「お化けって…あんた呪術師でしょうが」
努めて明るく返す名前に釘崎が呆れたように返す。
伏黒は周囲にも問題がないか確認する。
そして言った。
「…何の気配も感じないが、こういう場所は気をつけた方がいい」
もともとは神の領域。
祀られていた神が粗雑な扱いを受けたり、人から忘れられて呪いと転じるケースが今までにも何件かあったと聞く。
この八百万の神を信仰する日本には人知れずそういう場所は沢山あると。
そしてその神やその眷属神が呪いに転じた場合は、必然的に等級の高い呪霊となることが多いと伏黒は説明した。
「げ、じゃあ呪いになってたらやべぇじゃん。五条先生に相談する?」
「お兄ちゃん今東北だしなぁ。とりあえず高本さんに連絡しよう、場合によっては1番近くにいる呪術師に相談なり応援かけてくれるかも」
そう言って名前は車の中で交換した連絡先に電話をかけた。
コール音が鳴る。
しかし、何度コール音が繰り返されても電話に出るものがいなかった。
「…、何でだろ。出ない」
「は?!何してんのよあの補助監督!サボってんじゃないの?!」
伏黒の表情が険しくなる。
「念のため、いったんここから離れるぞ」
変わらず辺りは静かで呪霊の気配もないが、皆伏黒の意見に賛成した。
4人が鳥居に背を向けた時、
『…ください…どうか、待って…』
「!」
名前は鳥居を振り返る。
そこには先程と変わらぬ鳥居が佇んでいる。
他の3人には聞こえなかったのか、急に足を止めて振り返った名前を不思議そうに見ていた。
男のような女のような、子供のような老人のような…その声は肌をすぅと逆撫でられるような寒気が走った。
でも誰もいない。
だが、確かに聞こえた。
「どうした名前、」
「っみんな!走っ…」
叫んだ名前の体を何かが掴んだ。
巨大な手。土のような色の肌。赤黒く汚れた長い爪だけが見えた。
鳥居から先の景色は歪み、その中からその巨大な腕は伸びていた。
そのままあっという間に強い力で鳥居に引き込まれた。
名前は抜け出そうとするが腹部をしっかり握られまるで人形のようになすがままだった。
仲間が彼女を呼ぶ声が急に途切れ、辺りは山の中の景色とは変わり果てていた。
壊れた鳥居があちこちに上下左右を無視して仄暗い沼のような闇から伸び、首のない動物の石像がゴロゴロ転がっている。
合わせ鏡の中にいるようにそれが無限に広がっている。
「こっ、ここってもしかして…呪霊の生得領域」
『あぁ…お前は…あるじではない、どこに行ってしまったのですか?…あぁ、おいたわしや…だがその力、欲しい』
「え?」
意味を持たぬ声がこの空気にこだまする。
そして沼のような底が山のように盛り上がったと思えば巨大な口が現れる。
牙は爪と同じく赤黒く染まっている。
名前の体を掴んでいる腕の本体のようだった。
『少しだけで…欲しい…もう一度、分けてください…』
「い、いや…!なんなのっ」
口が大きく開かれる。
名前の右脚にその牙が当たる。
がりっーーーーー
「え」
一瞬だった。
「あ、あぁあぁああ゛!!!!」
右下肢、膝から下を文字通り"食べられた"。
言葉にできぬ激痛が名前を襲う。
パキパキと、飴玉でも齧るような音が巨大な口から聞こえる。
『あぁ。懐かしい…この力』
ぼとっ!
呪霊の手から解放された名前は沼のような地面に落とされた。
「うぁ゛!!」
脚からは鮮血が見たこともないほどの量で流れ出る。
「あ、脚がぁ…‼︎うっぅ゛」
悪寒が体中を走る。
呼吸が浅く、早く、胃を圧迫する不快感。
意識が朦朧とした。
(ダメだ、意識をとばしちゃ…!!)
何とか意識だけは飛ばさないよう息を大きく吸う。
「…って、"転嫁呪法"!!」
何とか術式を発動する。
『っう゛ぁあああぁ゛!!!!』
地の底を這うような声が聞こえた。
同じダメージが呪霊に移ったはずだ。
「っは…」
脚を見る。
靴や衣服は破り取られてしまっているが、そこには裸足で、いつも見慣れている自分の右脚が存在した。
術式は成功した。
だが震えが止まらなかった。
「ぅっ、…うぅ」
泣いてる場合ではないとわかっているが涙が止まらない。
震える体を叱咤して立ち上がり呪霊と距離を取ろうとする。
『何故だ‼︎何故拒む‼︎主もっ…何故私をお見捨てになる…‼︎お前も…お前も消してやる‼︎』
呪霊は先程より明らかに流暢に発話できるようになっていた。どうやら名前の呪力を喰らったためか、力を増していた。
何とかしてこの生得領域からでなくてはと名前は走った。
しかし同じような景色で出口らしいものを見つけられない。
「あ!」
振り返るとまた呪霊の手が先程とは形を変えて剣山のような姿で迫ってきていた。
避けようとするが、
間に合いそうになかった。
目の前が赤く染まる。
体が大きく弾き飛ばされた。
宙に舞った体は赤い鳥居に叩きつけられる。
「…ぇ」
叩きつけられた痛みにみじろくと、思いの外痛みがないことに気がついた。
そして誰かが自分を抱きしめていることに気がついた。
「…ゆ、悠二‼︎悠仁‼︎」
血は自分のものではなかった。
流れる血が暖かく名前の身体を這った。
「起きて!悠仁!悠仁ぃ!!」
「馬鹿野郎!何もわからず飛び込みやがって…‼︎」
名前が顔を上げると伏黒と釘崎が走ってこちらに向かってきていた。
「釘崎!虎杖頼む!俺が呪霊を引き寄せる!」
「わかった!」
釘崎が名前と虎杖の横にしゃがみ込み傷を見る。避けきれずに受けた腹部の刺し傷からの出血が酷かった。
「兎に角、止血を…」
「う、うん!」
名前は震える手で持っていたハンカチで傷口を直接圧迫する。ハンカチは一瞬で血に濡れ、出血の多さを物語った。
それを見て頭の中はさらに混乱した。
何を間違えた?
どうすればよかった?
悠仁の傷を自身に転嫁しようか?
どうしたらいい?
もし自分のせいで仲間が死んだら…
黒い思考に呼吸が浅くなり、視界が狭くなる。
伏黒は玉犬を呼び出し、広い生得領域の中を出口を探しながら呪霊を遇らう。
目の前を動くものをひたすらその大きな口で喰らおうと呪霊はなりふり構わず襲い掛かる。
『あぁああ゛…力が…溢れてくる』
「?!」
呪霊は突然攻撃を止めた。
山のようなその姿が突然溶け出す。
それと同時に周囲の様子が変わり出した。
鳥居が自分達を丸く囲むように次々と現れ出した。
「…まさか!っ不味いぞ!領域展開する気だ‼︎」
「‼︎」
領域を完全に展開されればそこから抜け出すのはほぼ不可能。
術式は封じられ、全員この呪いの中に閉じ込められる。
「…‼︎野薔薇、恵!悠仁の周りに固まって!私に考えがある!」
名前が立ち上がる。
震えている場合ではない。
脚は元に戻った。
大切な友人は自分を庇って倒れた。
何をすべきかは決まっている。
伏黒も言われた通り虎杖のそばに駆け寄る。
「どうする気だ?!」
「全部燃やす!みんなは火が燃え移っても燃えないからそのまま動かないで!」
「は?!何それどういうこと?!」
伏黒、釘崎は突然の提案に目を丸くする。
しかし次の瞬間、いつもは黒真珠のような名前の瞳が深紅の色に変わり、炎のように揺らめいた気がした。
両手を領域の中心に向けた。
「…"冥炎"」
名前が何か呟いた瞬間。
あちこちで何も火種の無かったところから火の手が上がり出した。
「?!」
「ぎゃぁ!?ちょ!もえ、燃えてる!虎杖が‼︎伏黒‼︎」
虎杖の体を炎が包み込む。
釘崎が慌ててその炎を払おうとする。
「待て、この火…全く熱くない。虎杖の出血も止まってる」
「え?」
「釘崎。お前も燃えてる」
「え?!嘘?!」
気づけば釘崎自身の身体も炎に包まれていた。
横にいる伏黒も炎に包まれる。
あたたかい。
身体は火傷を負うどころか心地よかった。
『うぁあぁああ゛‼︎』
呪霊の唸り声に2人ハッとする。
辺りはもう火の海だった。
緋色の炎は波のようにありとあらゆるものを燃やし尽くそうとしていた。
地獄のような景色だった。
『貴様ぁ‼︎人間風情がぁぁ‼︎何故…‼︎』
ぴしっーーーーー
呪いの言葉と共に空間に亀裂が入る。
パキパキとガラスに少しずつ亀裂が入っていくような音がした。
「あと…少し」
炎はさらに雄叫びを上げながら畝り、燃え上がった。
「…‼︎名前もうよせ‼︎」
飛び散る火の粉と炎でよく見えないが、名前の鼻から一筋の血が流れて、目頭からは血が滲んでいることに伏黒は気がついた。
「名前‼︎」
「もう…少し…っ」
仲間の声が聞こえないのか。
名前はそのまま領域を中から焼き尽くそうとした。
ガンッ!!!
分厚いガラスが割れるように嫌な音がしたと思った後は、辺りは白い光で包まれた。
その瞬間呪霊の生得領域も炎も嘘のように消えた。
名前の体は大きく揺れてそのまま倒れた。
名前と悟はそれぞれの任務のため早々に家を出る支度をしていた。
「いい?何かあればすぐに補佐監督なり傑に連絡するんだよ?いざとなれば僕…」
「もう、心配しすぎ!お兄ちゃんは自分の任務があるでしょ?大丈夫。みんながついてるから!それに絶対に無理しない」
玄関から出ようとする名前を捕まえて、最後の確認をする。
それを2人でも問題ない任務を4人で行くのだからと、名前は心配するなと返した。
いつものやりとりだった。
「お兄ちゃんも早く出なよ!お土産よろしくね!」
颯爽と玄関から出て行く名前を見送った悟は、やれやれと肩をすくめると自分も家を後にした。
その日、夕日が空を燃やすように赤く染まる頃。任務ももう少しでひと段落しそうなタイミングだった。姿を隠すのが巧妙な呪霊に、思いの外翻弄されてしまった。
あと少しだろうという時に、悟のスマホに着信を知らせるアラームが鳴った。
画面を見れば見慣れた親友の名が表示された。
迷わず電話に出る。
「や、傑。どうした?」
「悟。虎杖たちから何か連絡は?」
意気揚々と電話に出れば、緊迫した友人の声が耳に届いた。
「何があった?」
「やられたよ。恐らくこっちの呪霊はダミーだ」
「!」
「虎杖達と任務に向かった補佐監督とも連絡が取れない。伊地知に連絡したら虎杖達との任務の担当が急遽外されて別の補佐監督がついたって。そいつはきっと上層部とグルだね」
「わかった。祓ってすぐ戻る。何かわかれば連絡くれ」
電話を切る。
間に合うか?
向こうは今どういう状況なんだ?
みんな、ーーー名前。
五条家直系の出身である名前が一緒なら、虎杖にも下手に手出しできないと思っていた。
今回その裏をかかれた。
まさかここまでするとは思っていなかった。
また悟の上着のポケットの中で、着信を知らせるアラームが鳴る。
今度は画面を確認せずに出る。
「傑、何かわかっ…」
「虎杖たちが戻ってきた。名前の意識が戻らない。外傷はないがどんどん弱ってる」
電話の主は呪術高専東京校の専任医師、家入硝子だった。
端的に要件だけを告げる声がただの電子音のように悟の耳を震わせる。
淡々と、しかしながら焦りを感じるその声色に息を呑む。
「何か知らないか?伏黒が見たこともない術式を使っていたと言っていたぞ」
「…大丈夫。すぐに何とか出来るやつそっちに呼ぶから。とにかく名前のことは口外しないで。恵たちにもそう伝えて」
それだけ伝えると悟は電話を切る。
…なんて失態だ。
昨日は屈託なく笑っていた名前の姿が過ぎる。
悟の中をグルグルと不快な感情が渦巻く。
焦燥、疑心、憎悪。
その時、その負の感情に反応したかのように追っていた呪霊が悟の背後に現れた。
「失せろよ…」
蒼く、凍てついた瞳がそれを射抜いた。
△
「こんな田舎の山に、本当に呪霊がいるのー?」
車を降りた釘崎の第一声だった。
「うっす!麓の集落の人達の話では妖が出るって最近噂になってます!」
「具体的な被害は…畑を荒らされた。山菜採りの際に何か黒いものに襲われた」
今回初めて引率している補佐監督、高本が元気に説明する。
それに補足するように伏黒が報告書を読み上げる。
「…絶対猪だよ。俺の地元にもいたもん」
虎杖が呆れたようにため息をつく。
初めての一年生全員の任務が猪調査になるとは、張り切ってきた分ガッカリする気持ちが大きかった。
「まぁ、今回はその調査も兼ねた任務です!野生動物による被害もこれ以上深刻になりそうと判断した場合は捕獲までが任務っす!」
「えぇ?!」
釘崎が心底嫌そうな声を出す。
「大丈夫!猪とかだったら鵺に捕まえてもらおう!」
名前の一言に、皆が片手を挙げて「さんせー」と言う。
「おい。式神を猪狩りに使うんじゃねぇ。…ところで、高本さん。急遽代理できたって言ってましたけど…伊地知さんに何かあったんですか?」
呆れた表情から一転して、帳を下ろす準備をしているスーツ姿の男に伏黒が鋭い視線を送る。
「え?伊地知さんっすか?さぁ…俺はただ代わりに行けって急に言われただけでよくは知らないんすけど…」
どこも人手不足っすから、とにこやかに高本は返した。
「…そうですか」
どこか腑に落ちない様子の伏黒を見てクラスメイト達は首を傾げる。
「さ!帳下ろしますんで!準備はいいっすか?何かあればすぐご連絡を!」
高本がスマホを片手にヒラヒラと手を振る。
「はぁー、何よ猪って。捕まえたら牡丹鍋にして食ってやるんだから」
「ダメだよ野薔薇。素人が野生動物の処理するなんて危ないよ」
ズンズンと女性陣は山道を入って行く。
それに続いて虎杖と伏黒も獣道のような山道に入って行った。
「なぁ、高本さんがどうかしたのか?」
「…いや、別に。何となくだ」
虎杖が伏黒の様子を不思議がって声をかける。
伏黒も明確な理由があるわけではないが、任務と補佐監督の急な変更に違和感を感じた。
「猪どころか、鳥の鳴き声ひとつしないわねーこの山」
ほとんど誰も踏み込まなくなり、山道も雑草ばかりになった頃。
「…呪霊の気配もなさそうだけど」
釘崎のぼやきに名前も反応する。
ただ歩き回り、時間だけが過ぎていた。
「なぁ。これ、このまま何も見つからなかったらどうなんのかな?」
顔にかかりそうな蔦を虎杖が払いながら、後ろにいる伏黒に問いかける。
伏黒は知らねぇよ。とため息混じりに返す。
「…だが、釘崎の言う通り何もなさすぎておかしいくらいだな」
「あ、ねぇ。何か建物があるわよ」
釘崎が木々が鬱蒼と生い茂る薮の向こうを指差した。
全員の視線がそちらに向く。
木々の隙間から赤色の柱のようなものが見える。この山の中にその色ははっきりと見え、明らかな人口物であることがわかった。
4人は文句を言いながら草をかき分けそちらに向かう。
「…神社の跡…か?」
先頭を自ら進んで買って出た伏黒がその姿を見て呟く。
人が1人潜れるだけの本当に小さな鳥居がそこにはあった。
朱色のそれは風化して色褪せ、所々腐って塗装が剥がれ落ちて裸の柱が剥き出しになっている。
今にも崩れ落ちそうであった。
「…鳥居はあるのに神社も何もないわね」
草むらから抜け出した釘崎も首を傾げる。
4人とも周りを警戒しつつその様子を観察した、
取り壊されたが、この鳥居だけ残されてしまったのだろうか。
境内があったのか石段の基礎やそれに続くまでの石畳がよく見ればそのまま残っていた。
あまりにお粗末な解体の仕方であった。
「…」
「ん?大丈夫か名前?何か顔色悪くないか」
伏黒はふと横に立っている名前の様子がおかしいことに気がついた。
「あ、ううん!何か気味が悪いなぁと思って。お化けでも出そうだね、はは…」
「お化けって…あんた呪術師でしょうが」
努めて明るく返す名前に釘崎が呆れたように返す。
伏黒は周囲にも問題がないか確認する。
そして言った。
「…何の気配も感じないが、こういう場所は気をつけた方がいい」
もともとは神の領域。
祀られていた神が粗雑な扱いを受けたり、人から忘れられて呪いと転じるケースが今までにも何件かあったと聞く。
この八百万の神を信仰する日本には人知れずそういう場所は沢山あると。
そしてその神やその眷属神が呪いに転じた場合は、必然的に等級の高い呪霊となることが多いと伏黒は説明した。
「げ、じゃあ呪いになってたらやべぇじゃん。五条先生に相談する?」
「お兄ちゃん今東北だしなぁ。とりあえず高本さんに連絡しよう、場合によっては1番近くにいる呪術師に相談なり応援かけてくれるかも」
そう言って名前は車の中で交換した連絡先に電話をかけた。
コール音が鳴る。
しかし、何度コール音が繰り返されても電話に出るものがいなかった。
「…、何でだろ。出ない」
「は?!何してんのよあの補助監督!サボってんじゃないの?!」
伏黒の表情が険しくなる。
「念のため、いったんここから離れるぞ」
変わらず辺りは静かで呪霊の気配もないが、皆伏黒の意見に賛成した。
4人が鳥居に背を向けた時、
『…ください…どうか、待って…』
「!」
名前は鳥居を振り返る。
そこには先程と変わらぬ鳥居が佇んでいる。
他の3人には聞こえなかったのか、急に足を止めて振り返った名前を不思議そうに見ていた。
男のような女のような、子供のような老人のような…その声は肌をすぅと逆撫でられるような寒気が走った。
でも誰もいない。
だが、確かに聞こえた。
「どうした名前、」
「っみんな!走っ…」
叫んだ名前の体を何かが掴んだ。
巨大な手。土のような色の肌。赤黒く汚れた長い爪だけが見えた。
鳥居から先の景色は歪み、その中からその巨大な腕は伸びていた。
そのままあっという間に強い力で鳥居に引き込まれた。
名前は抜け出そうとするが腹部をしっかり握られまるで人形のようになすがままだった。
仲間が彼女を呼ぶ声が急に途切れ、辺りは山の中の景色とは変わり果てていた。
壊れた鳥居があちこちに上下左右を無視して仄暗い沼のような闇から伸び、首のない動物の石像がゴロゴロ転がっている。
合わせ鏡の中にいるようにそれが無限に広がっている。
「こっ、ここってもしかして…呪霊の生得領域」
『あぁ…お前は…あるじではない、どこに行ってしまったのですか?…あぁ、おいたわしや…だがその力、欲しい』
「え?」
意味を持たぬ声がこの空気にこだまする。
そして沼のような底が山のように盛り上がったと思えば巨大な口が現れる。
牙は爪と同じく赤黒く染まっている。
名前の体を掴んでいる腕の本体のようだった。
『少しだけで…欲しい…もう一度、分けてください…』
「い、いや…!なんなのっ」
口が大きく開かれる。
名前の右脚にその牙が当たる。
がりっーーーーー
「え」
一瞬だった。
「あ、あぁあぁああ゛!!!!」
右下肢、膝から下を文字通り"食べられた"。
言葉にできぬ激痛が名前を襲う。
パキパキと、飴玉でも齧るような音が巨大な口から聞こえる。
『あぁ。懐かしい…この力』
ぼとっ!
呪霊の手から解放された名前は沼のような地面に落とされた。
「うぁ゛!!」
脚からは鮮血が見たこともないほどの量で流れ出る。
「あ、脚がぁ…‼︎うっぅ゛」
悪寒が体中を走る。
呼吸が浅く、早く、胃を圧迫する不快感。
意識が朦朧とした。
(ダメだ、意識をとばしちゃ…!!)
何とか意識だけは飛ばさないよう息を大きく吸う。
「…って、"転嫁呪法"!!」
何とか術式を発動する。
『っう゛ぁあああぁ゛!!!!』
地の底を這うような声が聞こえた。
同じダメージが呪霊に移ったはずだ。
「っは…」
脚を見る。
靴や衣服は破り取られてしまっているが、そこには裸足で、いつも見慣れている自分の右脚が存在した。
術式は成功した。
だが震えが止まらなかった。
「ぅっ、…うぅ」
泣いてる場合ではないとわかっているが涙が止まらない。
震える体を叱咤して立ち上がり呪霊と距離を取ろうとする。
『何故だ‼︎何故拒む‼︎主もっ…何故私をお見捨てになる…‼︎お前も…お前も消してやる‼︎』
呪霊は先程より明らかに流暢に発話できるようになっていた。どうやら名前の呪力を喰らったためか、力を増していた。
何とかしてこの生得領域からでなくてはと名前は走った。
しかし同じような景色で出口らしいものを見つけられない。
「あ!」
振り返るとまた呪霊の手が先程とは形を変えて剣山のような姿で迫ってきていた。
避けようとするが、
間に合いそうになかった。
目の前が赤く染まる。
体が大きく弾き飛ばされた。
宙に舞った体は赤い鳥居に叩きつけられる。
「…ぇ」
叩きつけられた痛みにみじろくと、思いの外痛みがないことに気がついた。
そして誰かが自分を抱きしめていることに気がついた。
「…ゆ、悠二‼︎悠仁‼︎」
血は自分のものではなかった。
流れる血が暖かく名前の身体を這った。
「起きて!悠仁!悠仁ぃ!!」
「馬鹿野郎!何もわからず飛び込みやがって…‼︎」
名前が顔を上げると伏黒と釘崎が走ってこちらに向かってきていた。
「釘崎!虎杖頼む!俺が呪霊を引き寄せる!」
「わかった!」
釘崎が名前と虎杖の横にしゃがみ込み傷を見る。避けきれずに受けた腹部の刺し傷からの出血が酷かった。
「兎に角、止血を…」
「う、うん!」
名前は震える手で持っていたハンカチで傷口を直接圧迫する。ハンカチは一瞬で血に濡れ、出血の多さを物語った。
それを見て頭の中はさらに混乱した。
何を間違えた?
どうすればよかった?
悠仁の傷を自身に転嫁しようか?
どうしたらいい?
もし自分のせいで仲間が死んだら…
黒い思考に呼吸が浅くなり、視界が狭くなる。
伏黒は玉犬を呼び出し、広い生得領域の中を出口を探しながら呪霊を遇らう。
目の前を動くものをひたすらその大きな口で喰らおうと呪霊はなりふり構わず襲い掛かる。
『あぁああ゛…力が…溢れてくる』
「?!」
呪霊は突然攻撃を止めた。
山のようなその姿が突然溶け出す。
それと同時に周囲の様子が変わり出した。
鳥居が自分達を丸く囲むように次々と現れ出した。
「…まさか!っ不味いぞ!領域展開する気だ‼︎」
「‼︎」
領域を完全に展開されればそこから抜け出すのはほぼ不可能。
術式は封じられ、全員この呪いの中に閉じ込められる。
「…‼︎野薔薇、恵!悠仁の周りに固まって!私に考えがある!」
名前が立ち上がる。
震えている場合ではない。
脚は元に戻った。
大切な友人は自分を庇って倒れた。
何をすべきかは決まっている。
伏黒も言われた通り虎杖のそばに駆け寄る。
「どうする気だ?!」
「全部燃やす!みんなは火が燃え移っても燃えないからそのまま動かないで!」
「は?!何それどういうこと?!」
伏黒、釘崎は突然の提案に目を丸くする。
しかし次の瞬間、いつもは黒真珠のような名前の瞳が深紅の色に変わり、炎のように揺らめいた気がした。
両手を領域の中心に向けた。
「…"冥炎"」
名前が何か呟いた瞬間。
あちこちで何も火種の無かったところから火の手が上がり出した。
「?!」
「ぎゃぁ!?ちょ!もえ、燃えてる!虎杖が‼︎伏黒‼︎」
虎杖の体を炎が包み込む。
釘崎が慌ててその炎を払おうとする。
「待て、この火…全く熱くない。虎杖の出血も止まってる」
「え?」
「釘崎。お前も燃えてる」
「え?!嘘?!」
気づけば釘崎自身の身体も炎に包まれていた。
横にいる伏黒も炎に包まれる。
あたたかい。
身体は火傷を負うどころか心地よかった。
『うぁあぁああ゛‼︎』
呪霊の唸り声に2人ハッとする。
辺りはもう火の海だった。
緋色の炎は波のようにありとあらゆるものを燃やし尽くそうとしていた。
地獄のような景色だった。
『貴様ぁ‼︎人間風情がぁぁ‼︎何故…‼︎』
ぴしっーーーーー
呪いの言葉と共に空間に亀裂が入る。
パキパキとガラスに少しずつ亀裂が入っていくような音がした。
「あと…少し」
炎はさらに雄叫びを上げながら畝り、燃え上がった。
「…‼︎名前もうよせ‼︎」
飛び散る火の粉と炎でよく見えないが、名前の鼻から一筋の血が流れて、目頭からは血が滲んでいることに伏黒は気がついた。
「名前‼︎」
「もう…少し…っ」
仲間の声が聞こえないのか。
名前はそのまま領域を中から焼き尽くそうとした。
ガンッ!!!
分厚いガラスが割れるように嫌な音がしたと思った後は、辺りは白い光で包まれた。
その瞬間呪霊の生得領域も炎も嘘のように消えた。
名前の体は大きく揺れてそのまま倒れた。