日照雨
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俺が10歳の時、名前が産まれた。
歳の離れた妹は、それはそれは小さくて。いとも簡単に死んでしまう、儚い存在に見えた。
ベビーベッドの中でスヤスヤと眠る妹をこの六眼で視る。
俺と同じ白髪だけど、相伝も継いでいないようだ。
女児であることもあり、この五条家に産まれたからには適度に保護されて、ある程度の年頃になれば良い家柄に嫁ぎ、幸せに暮らせるだろう。
その小さな掌を興味本位に人差し指で突つく。
その柔らかくて小さな手は俺の指先を握り返してくる。
「…お前はいいな」
部屋に俺の独り言が静かに響く。
もし術式も持っていなければ呪術師に無理になる必要もないだろう。
それよりも子を産み、育てる役目を重視されるだろう。
簡単に女の幸せとやらを手に入れられるだろう。
変わらず俺の指先を握る妹が、薄くその瞼を開いた。
「!」
俺とは正反対の黒い瞳。
それを見たと同時にこの子の術式も見えた。
「…なんか使いにくそうな…不憫な術式だな」
戦闘にはあまり向かないだろう。
だが傷を負うことを前提とするなら確実に相手を祓えるだろう。
それに、身代わりに立てるならこれ以上ない逸材だろう。
だけど、なんだ?
術式はそれだけだが、何か別のものが見える。
瞳の奥、揺らいでいる。
何かが、燃えているような…。
「悟」
「!」
振り返るといつの間にかそこには父が立っていた。
俺と同じ白髪。和服に身を包んで威厳を含んだ佇まい。
俺はよく、母に似ていると言われるが…髪色は父譲りだ。
「どうだ?お前の六眼ならこの子の術式も見えるか?」
期待を含んだ声色だった。
俺は包み隠さず伝えた。
「…相伝は継いでないね」
「ーーそうか。まぁ継いでいたとしても、無下限は六眼がなければ使いこなすのは難しいからな」
足音も立たずに歩み寄り、俺の横に父は立った。
「術式は?持っているんだろ?」
「自分の傷を敵に転嫁できる、その逆も」
小さな手は、握っていた俺の指を離した。
「転嫁術式か…確か母さんの家に同じ術式を使う者がいたな」
若くして亡くなったそうだが。
と、何の躊躇いもなく言った。
亡くなった理由は、何となく聞かなかった。
「…どうするの?呪術師にするの?」
俺は変な詮索無しに単刀直入に聞いた。
「当然だ。五条家に産まれたからにはな。だが、ある程度の年齢になればどこかに嫁いで呪術師は辞めてもいいだろう」
そしてニッコリ笑って言った。
「お前がこの家に居るなら何でもいい」
「あー、うぁ」
妹はまだ喋れないながらも、意思表示をしているようで俺の膝の上に乗ってきては何かを訴えてくる。
そのうち歩けるようになって、俺の後ばかりついてきた。
「おにいー」
そのうち少し話せるようになって、俺の姿を見つけては呼び止めて遊んでほしいとせがんできた。
俺も既に呪術師として呪霊を祓っている身として忙しく、あまり家にいることもなくなった。
妹は妹で幼いながらも呪術師としての英才教育も始まり、一緒に過ごす時間はほとんどなくなった。
「あれが五条家の嫡男」
「無下限と六眼の抱き合わせか。あの目…気味が悪いな」
「子供のくせに、見下した目をしてやがる」
任務に出ると、
他の呪術師達と遭遇するこはよくあった。
力では叶わないからと、妬み、嫉妬、疎ましく思う視線や言葉に晒されることはよくあった。この歳で賞金までかかっているくらいだ。
「馬鹿だろ。ガキ相手に笑える」
そいつらに圧倒的な力の差を見せつけて見下すのも、もはや飽きてきた。
「お兄ちゃん」
「ん?」
珍しく妹が俺の部屋を訪ねてきた。
俺はニコリと作り笑いを浮かべて妹を歓迎した。
「どうした?お前も稽古はもう終わったのか?」
「お兄ちゃん遊ぼう?」
「俺、またすぐ出ないと」
妹はまだ5歳だ。
この家には歳の近い遊び相手もいないし退屈なのだろう。
俺もそうだった。
しかもこの目を恐れて女中や乳母も必要以上に近づいてくることはなかった。
「…お兄ちゃん、これ痛い?」
「は?」
突然妹が俺の胸に手を当てて意味のわからないことを言った。
俺はどこも怪我などしていない。
いや無下限の壁がある以上、怪我のしようがない。
「大丈夫。私がお兄ちゃんの痛いの全部もらうからね」
「!」
「もう大丈夫だよ」
名前が術式を使おうとしているのがわかった。
俺はその手を握って止める。
「?、怖くないよ?」
俺が転嫁呪法を使われるのを怖がったと思ったのか、不思議そうに名前は俺を見上げた。
「お兄ちゃん、もう1人で戦わなくていいからね。もう少し大きくなったら私が一緒ににんむに行くからね」
「…」
「もう、痛い思いしなくていいからね」
幼いから、よくわからずに言っているのだろうと思った。
それでも、なんの躊躇いもなく俺の痛みを受けようと術式を発動した名前に言葉を失った。
この子は自分の術式について既に理解している。そのための鍛錬だって既にしている。
痛みを自分が受けるとはどう言うことか、わかっているはずだ。
「…大丈夫どこも怪我なんかしてないから」
「嘘!泣くほど痛いんでしょ?私に任せて!」
名前が必死な様子で俺の腕を掴み返して訴える。
そうか。
俺は今泣いているのか。
ずっと1人だ。
誰かを助ければその目は化け物を見るような目で見られる。
誰かが死ねば、俺が全ての任務をこなせば誰も死ななくて済むのにと言われる。
同じ血を分けた唯一の兄妹すら、俺と違って自由な身であることを妬んだ。
そうだ、俺は疎ましかった。
弱くて、誰からも愛され、誰かに守ってもらえる存在が。
俺はそんな醜い感情を向けていたのに、名前は俺のために痛みを抱える覚悟をしてくれていた。
その気持ちを考えると俺は情けなかった。
俺は、たった1人の兄なのに。
「…ありがとう、名前」
初めて、ちゃんと名前の名前を呼んだ気がした。
「本当にどこも怪我してないよ。もう、痛くもない。名前のおかげで」
「…本当に?」
名前が首を傾げてこちらを見ている。
そんな可愛らしい仕草に自然と笑顔になれた。今度は作り笑いなんかじゃない。
「…じゃあこっちね」
「え?」
それでも名前は俺の胸に手を当てる。
無下限は切ってない。だからどっちにしろ術式は無効になる。
そう思っていたが、
胸に当てられた名前の掌からは赤い、紅い炎がふわりと燃え上がった。
「‼︎」
俺は咄嗟に後退りしたが、炎は既に俺の胸に燃え移っていた。
「っーーー‼︎燃えっ…」
咄嗟に炎を手で払った。
だが、全く熱くない。
それどころか暖かい。
目の前では名前が屈託のない笑顔でこちらを見ている。
何故か、涙がまた溢れる。
「…何で」
「あったかくなるよ」
炎は静かに揺らめいて、燃え続けて、しばらくすると音もなく俺の胸に吸い込まれるように消えていった。
何だ今のは?
無下限は切っていないのに。
この炎は何だ?
どこにも異常はない。
それどころか任務続きで疲れた体が嘘のように軽かった。
「名前今何し…、っ名前‼︎」
名前の顔色が悪いことに気がついた。
そのすぐ後に目眩を起こしたかのように膝をついてその場に座り込んでしまった。
俺は慌てて屈んでその小さな肩を支えた。
どうなってる?
術式は使ってなかった。
そもそも今のは…
「ちょっと眠くなっちゃった…」
「…」
ふにゃりと笑う名前に安堵の息を吐く。
「… 名前、さっきの…他の人には見せちゃダメだ」
「え?なんで?」
「なんでも。兎に角、俺以外には見せるな」
真剣な様子の俺に名前は少し躊躇いながらも返事をする。
「…もう見せちゃったよぉ?直哉君すごいねって、褒めてくれた!」
「は?!」
そういえばやたらと名前は禪院家に行きたがった。
歳の近い真希や真依がいるからだと思っていたが…。
まさか年の離れた直哉とそこまで仲良くなっていたとは。
確かにあいつ、妙に名前には優しく接していた。あの女子供だけでなくすべてを見下したような男に限って、意外で驚いたものだ。
「…そういえば直哉君も他の人には絶対内緒だって言ってた」
でもお兄ちゃんは特別だよね?と首を傾げて笑う。
俺はその小さな小さな体を抱きしめる。
「苦しいよぉ」
くすぐったそうに名前が笑う。
「お前は、俺が絶対に守るから。だから約束して…その術式は名前が本当に危なくなった時以外使わないで」
俺は祈るように名前に言った。
俺の深刻さなんか気にも留めず、ぎゅうぎゅう抱きついて「わかったわかった」と返事をしてはカラカラと笑っている。
俺はこの日決めたんだ。
このたった1人の俺の味方を、どんな事があっても守ると。
呪霊からももちろん、この力を利用しようとする者からも。
俺は、もっと強くなると。
△
「つれないなぁ。名前、昔は僕にくっついてばっかりでさぁ、一緒に寝てあげたりお風呂も入ってたのにさぁ」
「いったい何歳の時の話をしてるのよ!?」
珍しく今日は名前が僕のマンションに泊まりにきていた。
女子寮の給湯器が壊れたというラッキーな理由で風呂を借りにきたわけである。
名前が作ってくれた夕食を一緒に食べて、2人でゆっくりしていた。
こんな穏やかな日は本当に久しぶりだった。
「お風呂一緒に入ってあげようか?」なんて冗談から、そんな昔のことを1人思い出していた。
名前はあの日のこと覚えているのかな?
「お兄ちゃん、明日は朝から東北の方に出張なんでしょ?早くお風呂入って寝ないと」
名前が風呂に入る支度をしながら俺に言う。
「名前こそ明日は一年生4人で任務でしょ?初めてだねー。悠仁と野薔薇も一緒に行くの」
「うん。最初私と野薔薇、恵と悠仁の二手に分かれて別々の任務だったんだけど…変更になってみんなで1つの任務に向かうことになったよ」
「そいえばそうだったねぇ」
俺はソファの上で寝転がりながら相槌を打つ。
「…お兄ちゃんでしょ。急に変更させたの」
「あ、バレてたの?」
振り向けばソファの後ろから背もたれに両肘をついて名前がこちらを見ていた。
「…どうしてそんなことしたの?」
何故か少し寂しそうに言っている気がするのは、気のせいじゃなさそうだ。
「別に名前と野薔薇だけじゃ心配だったからじゃないよ」
「悠仁のため?」
「あら?知ってるの?」
そう。どうも悠仁と恵に当てられた任務はきな臭かった。
上層部は隙あらば宿儺の器である悠仁を始末したがっている。
ぱっと見は経験値もそこそこある恵がいれば問題のない任務に見えるけど、裏で何者かがコソコソ動いている気配が気になった。
急遽そっちにはイレギュラーなケースだが傑に向かってもらい。
元々名前達が行く予定だった任務に、4人で向かってもらうことにした。
「大丈夫。名前たちは面倒な事考えずに、任務に集中して」
「…」
「ん?」
返事のない名前を不思議に思って振り向こうとした。
「うりゃ!」
「え?」
突然そばに置いてあったブランケットを後ろから被せられた。
六眼があるから視界を塞がれることはない。
ひとまずされるがままになっていると、後ろからブランケットごと名前に抱きしめられた。
突然のことに驚いて何も言えなかった。
「…またお兄ちゃん1人で抱え込んでない?」
「名前?」
「悠仁の事も、私の事も、お兄ちゃん何でも1人で守ろうとするから」
少し拗ねた声で名前が言う。
「昔言ったじゃない。1人で戦わないでって」
5歳の頃の幼い名前の屈託のない笑顔が浮かんだ。
自然と口元が緩む。
「…もちろん。忘れてないよ」
そういえばこうやって毛布とかブランケットで僕が後ろから包んで、小さい頃の名前をよく慰めてたっけ。
呪霊に遭遇してしまって怯えていた時、鍛錬で失敗して父に叱られた時、僕が任務で留守ばっかりで久しぶりに帰ってきた時。
あの日から僕は出来るだけ名前のそばにいようとした。
誰よりも近くに居られるように。
ずっと2人で寄り添って生きてきた。
「名前は僕の味方でしょ?」
被せられたブランケットから頭だけ出す。
「それに、今は傑も硝子も、頼りになる生徒達もいる」
後ろにいる名前が安心したようにニッコリと笑う。
そうだ。
この笑顔を、俺はずっと守り続ける。
名前が俺を守ってくれているように。
歳の離れた妹は、それはそれは小さくて。いとも簡単に死んでしまう、儚い存在に見えた。
ベビーベッドの中でスヤスヤと眠る妹をこの六眼で視る。
俺と同じ白髪だけど、相伝も継いでいないようだ。
女児であることもあり、この五条家に産まれたからには適度に保護されて、ある程度の年頃になれば良い家柄に嫁ぎ、幸せに暮らせるだろう。
その小さな掌を興味本位に人差し指で突つく。
その柔らかくて小さな手は俺の指先を握り返してくる。
「…お前はいいな」
部屋に俺の独り言が静かに響く。
もし術式も持っていなければ呪術師に無理になる必要もないだろう。
それよりも子を産み、育てる役目を重視されるだろう。
簡単に女の幸せとやらを手に入れられるだろう。
変わらず俺の指先を握る妹が、薄くその瞼を開いた。
「!」
俺とは正反対の黒い瞳。
それを見たと同時にこの子の術式も見えた。
「…なんか使いにくそうな…不憫な術式だな」
戦闘にはあまり向かないだろう。
だが傷を負うことを前提とするなら確実に相手を祓えるだろう。
それに、身代わりに立てるならこれ以上ない逸材だろう。
だけど、なんだ?
術式はそれだけだが、何か別のものが見える。
瞳の奥、揺らいでいる。
何かが、燃えているような…。
「悟」
「!」
振り返るといつの間にかそこには父が立っていた。
俺と同じ白髪。和服に身を包んで威厳を含んだ佇まい。
俺はよく、母に似ていると言われるが…髪色は父譲りだ。
「どうだ?お前の六眼ならこの子の術式も見えるか?」
期待を含んだ声色だった。
俺は包み隠さず伝えた。
「…相伝は継いでないね」
「ーーそうか。まぁ継いでいたとしても、無下限は六眼がなければ使いこなすのは難しいからな」
足音も立たずに歩み寄り、俺の横に父は立った。
「術式は?持っているんだろ?」
「自分の傷を敵に転嫁できる、その逆も」
小さな手は、握っていた俺の指を離した。
「転嫁術式か…確か母さんの家に同じ術式を使う者がいたな」
若くして亡くなったそうだが。
と、何の躊躇いもなく言った。
亡くなった理由は、何となく聞かなかった。
「…どうするの?呪術師にするの?」
俺は変な詮索無しに単刀直入に聞いた。
「当然だ。五条家に産まれたからにはな。だが、ある程度の年齢になればどこかに嫁いで呪術師は辞めてもいいだろう」
そしてニッコリ笑って言った。
「お前がこの家に居るなら何でもいい」
「あー、うぁ」
妹はまだ喋れないながらも、意思表示をしているようで俺の膝の上に乗ってきては何かを訴えてくる。
そのうち歩けるようになって、俺の後ばかりついてきた。
「おにいー」
そのうち少し話せるようになって、俺の姿を見つけては呼び止めて遊んでほしいとせがんできた。
俺も既に呪術師として呪霊を祓っている身として忙しく、あまり家にいることもなくなった。
妹は妹で幼いながらも呪術師としての英才教育も始まり、一緒に過ごす時間はほとんどなくなった。
「あれが五条家の嫡男」
「無下限と六眼の抱き合わせか。あの目…気味が悪いな」
「子供のくせに、見下した目をしてやがる」
任務に出ると、
他の呪術師達と遭遇するこはよくあった。
力では叶わないからと、妬み、嫉妬、疎ましく思う視線や言葉に晒されることはよくあった。この歳で賞金までかかっているくらいだ。
「馬鹿だろ。ガキ相手に笑える」
そいつらに圧倒的な力の差を見せつけて見下すのも、もはや飽きてきた。
「お兄ちゃん」
「ん?」
珍しく妹が俺の部屋を訪ねてきた。
俺はニコリと作り笑いを浮かべて妹を歓迎した。
「どうした?お前も稽古はもう終わったのか?」
「お兄ちゃん遊ぼう?」
「俺、またすぐ出ないと」
妹はまだ5歳だ。
この家には歳の近い遊び相手もいないし退屈なのだろう。
俺もそうだった。
しかもこの目を恐れて女中や乳母も必要以上に近づいてくることはなかった。
「…お兄ちゃん、これ痛い?」
「は?」
突然妹が俺の胸に手を当てて意味のわからないことを言った。
俺はどこも怪我などしていない。
いや無下限の壁がある以上、怪我のしようがない。
「大丈夫。私がお兄ちゃんの痛いの全部もらうからね」
「!」
「もう大丈夫だよ」
名前が術式を使おうとしているのがわかった。
俺はその手を握って止める。
「?、怖くないよ?」
俺が転嫁呪法を使われるのを怖がったと思ったのか、不思議そうに名前は俺を見上げた。
「お兄ちゃん、もう1人で戦わなくていいからね。もう少し大きくなったら私が一緒ににんむに行くからね」
「…」
「もう、痛い思いしなくていいからね」
幼いから、よくわからずに言っているのだろうと思った。
それでも、なんの躊躇いもなく俺の痛みを受けようと術式を発動した名前に言葉を失った。
この子は自分の術式について既に理解している。そのための鍛錬だって既にしている。
痛みを自分が受けるとはどう言うことか、わかっているはずだ。
「…大丈夫どこも怪我なんかしてないから」
「嘘!泣くほど痛いんでしょ?私に任せて!」
名前が必死な様子で俺の腕を掴み返して訴える。
そうか。
俺は今泣いているのか。
ずっと1人だ。
誰かを助ければその目は化け物を見るような目で見られる。
誰かが死ねば、俺が全ての任務をこなせば誰も死ななくて済むのにと言われる。
同じ血を分けた唯一の兄妹すら、俺と違って自由な身であることを妬んだ。
そうだ、俺は疎ましかった。
弱くて、誰からも愛され、誰かに守ってもらえる存在が。
俺はそんな醜い感情を向けていたのに、名前は俺のために痛みを抱える覚悟をしてくれていた。
その気持ちを考えると俺は情けなかった。
俺は、たった1人の兄なのに。
「…ありがとう、名前」
初めて、ちゃんと名前の名前を呼んだ気がした。
「本当にどこも怪我してないよ。もう、痛くもない。名前のおかげで」
「…本当に?」
名前が首を傾げてこちらを見ている。
そんな可愛らしい仕草に自然と笑顔になれた。今度は作り笑いなんかじゃない。
「…じゃあこっちね」
「え?」
それでも名前は俺の胸に手を当てる。
無下限は切ってない。だからどっちにしろ術式は無効になる。
そう思っていたが、
胸に当てられた名前の掌からは赤い、紅い炎がふわりと燃え上がった。
「‼︎」
俺は咄嗟に後退りしたが、炎は既に俺の胸に燃え移っていた。
「っーーー‼︎燃えっ…」
咄嗟に炎を手で払った。
だが、全く熱くない。
それどころか暖かい。
目の前では名前が屈託のない笑顔でこちらを見ている。
何故か、涙がまた溢れる。
「…何で」
「あったかくなるよ」
炎は静かに揺らめいて、燃え続けて、しばらくすると音もなく俺の胸に吸い込まれるように消えていった。
何だ今のは?
無下限は切っていないのに。
この炎は何だ?
どこにも異常はない。
それどころか任務続きで疲れた体が嘘のように軽かった。
「名前今何し…、っ名前‼︎」
名前の顔色が悪いことに気がついた。
そのすぐ後に目眩を起こしたかのように膝をついてその場に座り込んでしまった。
俺は慌てて屈んでその小さな肩を支えた。
どうなってる?
術式は使ってなかった。
そもそも今のは…
「ちょっと眠くなっちゃった…」
「…」
ふにゃりと笑う名前に安堵の息を吐く。
「… 名前、さっきの…他の人には見せちゃダメだ」
「え?なんで?」
「なんでも。兎に角、俺以外には見せるな」
真剣な様子の俺に名前は少し躊躇いながらも返事をする。
「…もう見せちゃったよぉ?直哉君すごいねって、褒めてくれた!」
「は?!」
そういえばやたらと名前は禪院家に行きたがった。
歳の近い真希や真依がいるからだと思っていたが…。
まさか年の離れた直哉とそこまで仲良くなっていたとは。
確かにあいつ、妙に名前には優しく接していた。あの女子供だけでなくすべてを見下したような男に限って、意外で驚いたものだ。
「…そういえば直哉君も他の人には絶対内緒だって言ってた」
でもお兄ちゃんは特別だよね?と首を傾げて笑う。
俺はその小さな小さな体を抱きしめる。
「苦しいよぉ」
くすぐったそうに名前が笑う。
「お前は、俺が絶対に守るから。だから約束して…その術式は名前が本当に危なくなった時以外使わないで」
俺は祈るように名前に言った。
俺の深刻さなんか気にも留めず、ぎゅうぎゅう抱きついて「わかったわかった」と返事をしてはカラカラと笑っている。
俺はこの日決めたんだ。
このたった1人の俺の味方を、どんな事があっても守ると。
呪霊からももちろん、この力を利用しようとする者からも。
俺は、もっと強くなると。
△
「つれないなぁ。名前、昔は僕にくっついてばっかりでさぁ、一緒に寝てあげたりお風呂も入ってたのにさぁ」
「いったい何歳の時の話をしてるのよ!?」
珍しく今日は名前が僕のマンションに泊まりにきていた。
女子寮の給湯器が壊れたというラッキーな理由で風呂を借りにきたわけである。
名前が作ってくれた夕食を一緒に食べて、2人でゆっくりしていた。
こんな穏やかな日は本当に久しぶりだった。
「お風呂一緒に入ってあげようか?」なんて冗談から、そんな昔のことを1人思い出していた。
名前はあの日のこと覚えているのかな?
「お兄ちゃん、明日は朝から東北の方に出張なんでしょ?早くお風呂入って寝ないと」
名前が風呂に入る支度をしながら俺に言う。
「名前こそ明日は一年生4人で任務でしょ?初めてだねー。悠仁と野薔薇も一緒に行くの」
「うん。最初私と野薔薇、恵と悠仁の二手に分かれて別々の任務だったんだけど…変更になってみんなで1つの任務に向かうことになったよ」
「そいえばそうだったねぇ」
俺はソファの上で寝転がりながら相槌を打つ。
「…お兄ちゃんでしょ。急に変更させたの」
「あ、バレてたの?」
振り向けばソファの後ろから背もたれに両肘をついて名前がこちらを見ていた。
「…どうしてそんなことしたの?」
何故か少し寂しそうに言っている気がするのは、気のせいじゃなさそうだ。
「別に名前と野薔薇だけじゃ心配だったからじゃないよ」
「悠仁のため?」
「あら?知ってるの?」
そう。どうも悠仁と恵に当てられた任務はきな臭かった。
上層部は隙あらば宿儺の器である悠仁を始末したがっている。
ぱっと見は経験値もそこそこある恵がいれば問題のない任務に見えるけど、裏で何者かがコソコソ動いている気配が気になった。
急遽そっちにはイレギュラーなケースだが傑に向かってもらい。
元々名前達が行く予定だった任務に、4人で向かってもらうことにした。
「大丈夫。名前たちは面倒な事考えずに、任務に集中して」
「…」
「ん?」
返事のない名前を不思議に思って振り向こうとした。
「うりゃ!」
「え?」
突然そばに置いてあったブランケットを後ろから被せられた。
六眼があるから視界を塞がれることはない。
ひとまずされるがままになっていると、後ろからブランケットごと名前に抱きしめられた。
突然のことに驚いて何も言えなかった。
「…またお兄ちゃん1人で抱え込んでない?」
「名前?」
「悠仁の事も、私の事も、お兄ちゃん何でも1人で守ろうとするから」
少し拗ねた声で名前が言う。
「昔言ったじゃない。1人で戦わないでって」
5歳の頃の幼い名前の屈託のない笑顔が浮かんだ。
自然と口元が緩む。
「…もちろん。忘れてないよ」
そういえばこうやって毛布とかブランケットで僕が後ろから包んで、小さい頃の名前をよく慰めてたっけ。
呪霊に遭遇してしまって怯えていた時、鍛錬で失敗して父に叱られた時、僕が任務で留守ばっかりで久しぶりに帰ってきた時。
あの日から僕は出来るだけ名前のそばにいようとした。
誰よりも近くに居られるように。
ずっと2人で寄り添って生きてきた。
「名前は僕の味方でしょ?」
被せられたブランケットから頭だけ出す。
「それに、今は傑も硝子も、頼りになる生徒達もいる」
後ろにいる名前が安心したようにニッコリと笑う。
そうだ。
この笑顔を、俺はずっと守り続ける。
名前が俺を守ってくれているように。