夜の虹
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
直哉と名前が初めて会ったのは、直哉が12歳で、名前がまだ7歳の頃だった。
その日は青い空が普段よりさらに高く見える秋の頃だった。
その日は禪院家で年に数回はある顔合わせの日だった。
禪院家に関わる家柄の者たちが多く集まっていた。
直哉は現当主の子息であり、幼いころからその集まりには必ず出席させられていた。
「だりィわ……」
何度目かの欠伸を嚙み殺した。
皆恭しく自分や父、兄達に挨拶や他愛もない話をしている。
顔もよく覚えていない分家の末端の者も来ていた。
「あれは始めて見よるな――」
その中で一人、見たこともない少女がいることに気が付いた。
自分よりさらに幼く、雪のように白い肌と大きな黒真珠のような瞳が印象的だった。
禪院家の人間は目つきが鋭いものが多い中、たれ目でいかにも幼い顔立ちであった。
そんなことを考えているとその少女が今まさに両親に引き連れられてこちらに向かってきた。
両親の方は見覚えがあった。
禪院家の分家の人間だった。
少女の両親も他の者達と同じように丁寧に直哉達に挨拶をする。
少女も両親に倣ってぎこちなくも挨拶を交わした。
「御当主様、これが以前ご相談したうちの……」
父親が歯切れ悪く話し始めた。
少女の顔に影が落ちる。
「おお、話は聞いておる。しかし、呪力がない人間をうちではどうすることもできんぞ」
「?」
なんとなくそのやり取りだけで状況の予測がついた。
こんな場面は今まで何度も見てきた。
大事な一人娘は残念ながら呪術師の家系としては不良品で、ここで給仕として働かせて本家に繋がりを作っておきたい。
そんなところだろうと思った。
そんな人間は女中の中に溢れるほどいた。
つまり、悪く言ってしまえば売られるのだ。
しかし、今日の当主の返答は消極的なものであった。
直哉は首を傾げる。
何故この娘はダメなのだろうか?
閉鎖的なこの家は簡単に他所から女中を雇ったりなんかしない。
分家の人間なら好都合だろうに。
顔も悪くない、自身が売られるかどうかという瀬戸際に何とか平常心を保とうとする健気さも好感が持てた。
話は平行線を辿るだろうと思われた時、少女が意を決したように口を開いた。
「ご、ご当主様!僕なんでも致します!どうかこちらでお仕事をさせていただけないでしょうか」
「ん?」
直哉は思わず声が出た。
そして顔ばかり見ていたその少女の首から下を見た。
着物は男児のものであった。
こんなバカなことがあるだろうか。
「……ぶっ、っはは!なんや君男か!」
突然笑い出した直哉に全員の視線が集まる。
「そかそか、男なら呪力ないんじゃ使いもんにならへんなぁ……っはは!」
皆が驚いている視線など気にも留めず、直哉は笑いが止まらなかった。
「直哉。失礼だぞ」
形だけの忠告が当主から発せられた。
しかし、兄らもこの状況を少し楽しんでいるのか、口元に笑みが見える。
意図せず場が和んだように見えた。
これが最後のチャンスと、少年は再度口を開いた。
「お、お願いします。精一杯お仕えいたします。どうか僕をここに置いていただけないでしょうか」
深々と頭を下げる。
「ん――……」
直哉は考えた。
どこか自分を頼りにされている雰囲気に珍しく悪くない気持ちになった。
幼いながらになかなか聡く、勘も悪くない。
自分の言うことを素直に何でも聞きそうだ。
なにより家の女中は最近は年配の者が多く退屈だった。
「ええやん親父。この子賢そうやし、何より身分わきまえとる」
「直哉。勝手に…」
「俺の専属にしてやってもええで」
「!」
直哉は少年の顔がぱっと明るくなったのを見て、さらに気分がよくなった。
「……お前がそこまで言うのならよかろう」
直毘人は息子たちの傍若無人ぶりに女中たちがほとほと手を焼いているのを知っていた。
年の近い少年が良い話し相手になり、少しでも落ち着いてくれればと承諾した。
少年の両親も感嘆の声を漏らした。
「ほな、今日からこのままおいで」
「えっ、い…今からでしょうか?」
「ん?何か問題あるん?」
少年の両親が突然の話に目を見開いた。
直哉は今更何を躊躇うようなことを言っているのだとあっけらかんと返した。
まさか半端な気持ちで我が子を家から追い出そうとしたのではないだろうと。
これには直毘人も口を挟むことはなかった。
両親が動揺しながらも何か言いかけようとした時。
「直哉様。ありがとうございます。只今より貴方様にお仕えさせていただきます。名前と申します。どうかよろしくお願い致します」
名前と名乗った少年はその場に三つ指を立てて、まだ7歳とは思えぬ美しい所作で深々と頭を下げた。
それを見て直哉は満足気に口角を上げて笑った。
「えらいお利口さんやん。ええね。気に入ったわ」
親よりずっと物事を分かっとる。
と、直哉は続けそうになったが…こんな状況でも親を最後に守り抜こうとした名前のためにも、ここは黙っておくことにした。
「ほな、こっちおいで」
直哉は未だに頭を下げている名前の手を取り立ち上がらせた。
ゆっくりと名前は顔をあげて直哉を見る。
先程挨拶に来た時は暗い顔をしていたが、今は何か決意と信念を感じる。
潔くて良い。
直哉はこの少年が気に入った。
何よりこの会合から抜け出せる立派な理由もできて今日は良い日だと思った。
「よろしゅう。名前」
「直哉様……、直哉様」
遠くで、
先程までは近くで聴こえていたはずの声が聞こえた。
「直哉様」
「――うおっ、」
突然直哉の意識が浮上した。
「す、すみません。起こして申し訳ありません。ですがこのまま寝ては風邪をひきますよ」
「……?名前――」
直哉の目の前には名前が心配そうに上から覗き込んでいる顔があった。
そして「ああ、懐かしい夢を見ていたのだ」と思い出した。
目の前にいる名前は幼い綺麗な顔のままで相変わらず女のようだが、いくらか背も伸び、さらに品格のある少年へと成長していた。
そして自分は何故こんなところで寝ていたのかと考えた。直哉は父である直毘人から頼まれていた用事を終えて疲れて帰ってきたところだった。そして当然のように名前を呼びつけて最近お気に入りの膝枕なるものをしてもらった。
庭の木々が落葉し出した過ごしやすい時期であった。
中庭が見渡せる縁側で、直哉は名前の膝の上で寝てしまった。
名前は毛布や羽織など、主人の身体に掛けてあげられるものも取りに行くことができず、仕方なく気持ちよさそうに眠る主人を起こした。
「少し冷えてきましたので……起こして申し訳ありません。中に入りましょう」
「んーっ、……ほなそうしよかぁー」
一つ、欠伸をして。直哉はのそのそと起き上がると当然のように名前の腕を引っ張って室内へと移動した。
「僕、そろそろお夕食の準備手伝ってきますね」
「、ん」
直哉はもう少し膝枕を堪能しようと思ったが、どうやら名前も忙しいようだと思い直した。
その腕を解放してやる。
「お夕食の後お茶お持ちしますね。お湯の準備もしておきますので」
その身を禪院家に置くと決めた日から、名前は自分で宣言した通りよく働いていた。というより、直哉にとにかく尽くしている。
直哉はその名前の忠誠心を試すように、最初の頃は無理難題やわがままを言っては振り回していた。他人から見れば当主の坊が女中に嫌がらせをしているのと変わりなく見えたに違いなかった。
だけど決してこの少年は弱音も吐かずにずっと自分に仕えていてくれる。それどころか何故か自分を甚く慕ってくれている。
今では実の兄弟や、親よりも近い存在となった。
昔の夢を見たからであろうか。
直哉は昔名前に意地の悪いことばかりした事が、今になって居た堪れない気持ちを生んだ。
「名前ー、飯食い終わったらまた部屋来てや」
「?、はい」
「そんで風呂行くよって背中流してー」
今もわがままを言うのは変わりない。
だがそんな甘えを名前は嫌がるどころか、にこりと笑って嬉しそうにするものだから、直哉はついついこのままで良いかと思っていた。
「ふふ、わかりました」
名前が部屋から出るのを見送った後そんなことをぼんやりと考えていた。
落葉のかすかな音を聞きながら、出会った頃にまた思いを巡らせた。
その日は青い空が普段よりさらに高く見える秋の頃だった。
その日は禪院家で年に数回はある顔合わせの日だった。
禪院家に関わる家柄の者たちが多く集まっていた。
直哉は現当主の子息であり、幼いころからその集まりには必ず出席させられていた。
「だりィわ……」
何度目かの欠伸を嚙み殺した。
皆恭しく自分や父、兄達に挨拶や他愛もない話をしている。
顔もよく覚えていない分家の末端の者も来ていた。
「あれは始めて見よるな――」
その中で一人、見たこともない少女がいることに気が付いた。
自分よりさらに幼く、雪のように白い肌と大きな黒真珠のような瞳が印象的だった。
禪院家の人間は目つきが鋭いものが多い中、たれ目でいかにも幼い顔立ちであった。
そんなことを考えているとその少女が今まさに両親に引き連れられてこちらに向かってきた。
両親の方は見覚えがあった。
禪院家の分家の人間だった。
少女の両親も他の者達と同じように丁寧に直哉達に挨拶をする。
少女も両親に倣ってぎこちなくも挨拶を交わした。
「御当主様、これが以前ご相談したうちの……」
父親が歯切れ悪く話し始めた。
少女の顔に影が落ちる。
「おお、話は聞いておる。しかし、呪力がない人間をうちではどうすることもできんぞ」
「?」
なんとなくそのやり取りだけで状況の予測がついた。
こんな場面は今まで何度も見てきた。
大事な一人娘は残念ながら呪術師の家系としては不良品で、ここで給仕として働かせて本家に繋がりを作っておきたい。
そんなところだろうと思った。
そんな人間は女中の中に溢れるほどいた。
つまり、悪く言ってしまえば売られるのだ。
しかし、今日の当主の返答は消極的なものであった。
直哉は首を傾げる。
何故この娘はダメなのだろうか?
閉鎖的なこの家は簡単に他所から女中を雇ったりなんかしない。
分家の人間なら好都合だろうに。
顔も悪くない、自身が売られるかどうかという瀬戸際に何とか平常心を保とうとする健気さも好感が持てた。
話は平行線を辿るだろうと思われた時、少女が意を決したように口を開いた。
「ご、ご当主様!僕なんでも致します!どうかこちらでお仕事をさせていただけないでしょうか」
「ん?」
直哉は思わず声が出た。
そして顔ばかり見ていたその少女の首から下を見た。
着物は男児のものであった。
こんなバカなことがあるだろうか。
「……ぶっ、っはは!なんや君男か!」
突然笑い出した直哉に全員の視線が集まる。
「そかそか、男なら呪力ないんじゃ使いもんにならへんなぁ……っはは!」
皆が驚いている視線など気にも留めず、直哉は笑いが止まらなかった。
「直哉。失礼だぞ」
形だけの忠告が当主から発せられた。
しかし、兄らもこの状況を少し楽しんでいるのか、口元に笑みが見える。
意図せず場が和んだように見えた。
これが最後のチャンスと、少年は再度口を開いた。
「お、お願いします。精一杯お仕えいたします。どうか僕をここに置いていただけないでしょうか」
深々と頭を下げる。
「ん――……」
直哉は考えた。
どこか自分を頼りにされている雰囲気に珍しく悪くない気持ちになった。
幼いながらになかなか聡く、勘も悪くない。
自分の言うことを素直に何でも聞きそうだ。
なにより家の女中は最近は年配の者が多く退屈だった。
「ええやん親父。この子賢そうやし、何より身分わきまえとる」
「直哉。勝手に…」
「俺の専属にしてやってもええで」
「!」
直哉は少年の顔がぱっと明るくなったのを見て、さらに気分がよくなった。
「……お前がそこまで言うのならよかろう」
直毘人は息子たちの傍若無人ぶりに女中たちがほとほと手を焼いているのを知っていた。
年の近い少年が良い話し相手になり、少しでも落ち着いてくれればと承諾した。
少年の両親も感嘆の声を漏らした。
「ほな、今日からこのままおいで」
「えっ、い…今からでしょうか?」
「ん?何か問題あるん?」
少年の両親が突然の話に目を見開いた。
直哉は今更何を躊躇うようなことを言っているのだとあっけらかんと返した。
まさか半端な気持ちで我が子を家から追い出そうとしたのではないだろうと。
これには直毘人も口を挟むことはなかった。
両親が動揺しながらも何か言いかけようとした時。
「直哉様。ありがとうございます。只今より貴方様にお仕えさせていただきます。名前と申します。どうかよろしくお願い致します」
名前と名乗った少年はその場に三つ指を立てて、まだ7歳とは思えぬ美しい所作で深々と頭を下げた。
それを見て直哉は満足気に口角を上げて笑った。
「えらいお利口さんやん。ええね。気に入ったわ」
親よりずっと物事を分かっとる。
と、直哉は続けそうになったが…こんな状況でも親を最後に守り抜こうとした名前のためにも、ここは黙っておくことにした。
「ほな、こっちおいで」
直哉は未だに頭を下げている名前の手を取り立ち上がらせた。
ゆっくりと名前は顔をあげて直哉を見る。
先程挨拶に来た時は暗い顔をしていたが、今は何か決意と信念を感じる。
潔くて良い。
直哉はこの少年が気に入った。
何よりこの会合から抜け出せる立派な理由もできて今日は良い日だと思った。
「よろしゅう。名前」
「直哉様……、直哉様」
遠くで、
先程までは近くで聴こえていたはずの声が聞こえた。
「直哉様」
「――うおっ、」
突然直哉の意識が浮上した。
「す、すみません。起こして申し訳ありません。ですがこのまま寝ては風邪をひきますよ」
「……?名前――」
直哉の目の前には名前が心配そうに上から覗き込んでいる顔があった。
そして「ああ、懐かしい夢を見ていたのだ」と思い出した。
目の前にいる名前は幼い綺麗な顔のままで相変わらず女のようだが、いくらか背も伸び、さらに品格のある少年へと成長していた。
そして自分は何故こんなところで寝ていたのかと考えた。直哉は父である直毘人から頼まれていた用事を終えて疲れて帰ってきたところだった。そして当然のように名前を呼びつけて最近お気に入りの膝枕なるものをしてもらった。
庭の木々が落葉し出した過ごしやすい時期であった。
中庭が見渡せる縁側で、直哉は名前の膝の上で寝てしまった。
名前は毛布や羽織など、主人の身体に掛けてあげられるものも取りに行くことができず、仕方なく気持ちよさそうに眠る主人を起こした。
「少し冷えてきましたので……起こして申し訳ありません。中に入りましょう」
「んーっ、……ほなそうしよかぁー」
一つ、欠伸をして。直哉はのそのそと起き上がると当然のように名前の腕を引っ張って室内へと移動した。
「僕、そろそろお夕食の準備手伝ってきますね」
「、ん」
直哉はもう少し膝枕を堪能しようと思ったが、どうやら名前も忙しいようだと思い直した。
その腕を解放してやる。
「お夕食の後お茶お持ちしますね。お湯の準備もしておきますので」
その身を禪院家に置くと決めた日から、名前は自分で宣言した通りよく働いていた。というより、直哉にとにかく尽くしている。
直哉はその名前の忠誠心を試すように、最初の頃は無理難題やわがままを言っては振り回していた。他人から見れば当主の坊が女中に嫌がらせをしているのと変わりなく見えたに違いなかった。
だけど決してこの少年は弱音も吐かずにずっと自分に仕えていてくれる。それどころか何故か自分を甚く慕ってくれている。
今では実の兄弟や、親よりも近い存在となった。
昔の夢を見たからであろうか。
直哉は昔名前に意地の悪いことばかりした事が、今になって居た堪れない気持ちを生んだ。
「名前ー、飯食い終わったらまた部屋来てや」
「?、はい」
「そんで風呂行くよって背中流してー」
今もわがままを言うのは変わりない。
だがそんな甘えを名前は嫌がるどころか、にこりと笑って嬉しそうにするものだから、直哉はついついこのままで良いかと思っていた。
「ふふ、わかりました」
名前が部屋から出るのを見送った後そんなことをぼんやりと考えていた。
落葉のかすかな音を聞きながら、出会った頃にまた思いを巡らせた。