夜の虹
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あの男は起きただろうか?
朝日がカーテンの隙間から溢れているのにぼんやりとした頭で認識する。
あれ?俺寝る時カーテン閉めたかな?
そっと音を立てないようにソファから起き上がる。
男が寝ているであろう俺の寝室に向かう。
昨日突然現れた得体の知れない男。
妙な話し方に、見たこともない服を纏い、聞いたこともない術式を操る男。
俺の部下を一撃で倒すほどの術者に、最初は教団に勧誘したいと思ったが…
悪魔…それも神に近いほどの力と因果を持った者によって強引にこの世界に連れてこられたということを知って諦めた。
落ち込む男を前に何故だか元の世界に帰してやらねばと同情心を掻き立てられた。
ベッドに近づくと、人のベッドで呑気にスヤスヤと眠る男の横顔が見えた。
俺は溜息をつく。
何故これほどまでにこの男に肩入れしてしまっているのだろうか。
確かにこの術者の能力には非常に興味がある。
かと言って、この教団でも責任ある立場の俺が部屋にまで連れてきてしまうとは…自分でもこの軽率な行動に理解ができなくて頭を抱えた。
再び男の横顔に視線を戻す。
とても美しい顔をしている。
さぞ自分の世界では女に不自由なく暮らしているのだろう。
昨日の軽薄な冗談ばかり言う態度から何となく偏見を持つ。
そういえば元の世界に俺と同じ名前で姿形も一緒の男と暮らしいていると言っていたことを思い出した。
その男に妙に執着しているようだったが…。
昨日急に熱の篭った視線を向けられて強い力で両肩を掴まれた夜を思い出した。思わず投げ飛ばしてしまったが。
…俺はそいつの代わりにされようとしているのだろうか?
そこまで考えた時、胃の辺りがチクリと痛んだ気がした。
はっ、あほらし。
何考えてんだか。
「おい、そろそろ起きろ」
自分の考えを振り払うように男に声をかけた。
その声は思ってた以上に棘のある声になって自分でも驚いた。
俺の声に男は薄らと目を開ける。
「はぁ…。もっと優しゅう起こしてや。どんなふうに起こしてくれるかと思て期待して待っとったんやで?」
コイツ…、寝たふりしてやがったのか…。
「起きてシャワー使え。その間に着替えと朝食を用意させておく」
風呂場はあっちだと指で簡単に説明すると俺は従者に着替えを用意させるためさっさと部屋を出た。
一緒に入らんのー?
とか言ってる男の声は無視した。
△
「なんやこれぇ、全身白なんて嫌やわぁ」
「ここにいる間は我慢しろ。お前の世界のその…着物?だったか?そんな物はこちらにはないのでな」
教団の隊員と同じ服を男に着させてやった。
あの服装では嫌でも目立ってしまうので我慢してもらうしかない。
本人はダサいと文句を今も言い続けている。だがその容姿とスタイルの良さのおかげで悔しいがなかなか似合っている。
本人には言ってやらないが。
俺は朝食と一緒に運ばれた紅茶を飲みながら今日の予定を整理していた。
午前の演習は部下に任せて直哉の術式を見せてもらおうか。午後からは最近悪魔が多く出没していると言う街に向かった調査団が帰ってくるだろうから会議を…
そこまで考えた時、部屋をノックする音が聞こえた。俺が返事をする前に部下は扉の外で声を上げた。
「緊急事態です!西の平原に悪魔が大量発生!帰還中だった調査団が襲われているとのことです!」
俺はすぐさま立ち上がると剣を取って扉を開けた。
「1番近くに駐屯している教団は」
「既に向かって応戦中です!ですが数が多いと増援要請が…っ」
「俺の隊で出る。すぐに支度を」
「はい!」
急いで駆け出そうとしたところで肩を掴まれた。
「わっ!」
「俺も行くー」
振り返ると先程まで教団の服に文句ばかり垂れていた男が立っていた。この状況がわかっていないのか、サンドイッチ片手に笑顔でついてくるなどと言う。
「数が多すぎる。お前も相当の手練れなようだがお前の世界の術式がこの世界の悪魔にも通用するのかわからない。今は連れて行けない。部屋にいろ」
「なぁ、そろそろお前やのうて直哉って…」
俺はそれだけ言うとまだ何か言っていた男を無視して走り出した。
男は追いかけてこなかった。
素直に言うことを聞いてくれたようだ。
△
「…っそんな…」
増援要請のあった平原へ俺の部隊で馬に乗れる奴は全員連れてきた。
しかしたどり着いた光景に唖然とした。
調査団はおろか、先に駆けつけていた隊員も全員血の海に沈んでいた。彼らはかなりの精鋭たちだったのに…まさかこんな…。
「う、うぁ」
あまりに陰惨な光景に隊員たちの一部に動揺と恐怖が広がる。
悪魔は…?どこへ?
「落ち着け!お前たちは生存者を探せ。残りは俺と悪魔の痕跡を追う」
生存者なんていないのは一目瞭然だった。大切な仲間がこうも一瞬で塩辛のようにされてしまった…。手綱を握る力を強くして移動しようとしたその時だった。
死んだ仲間たちから流れたであろう血の池から黒くドロドロとした腕のようなものが無数に伸びてきた。
「あ、ああっ…悪魔だ!!」
誰かが叫んだと同時にそれは飛び出してきた。猿くらいの大きさで腐敗臭を撒き散らしながら次から次へと血の海から現れてきた。
全員が武器を構えた時、俺は叫んだ。
「全員俺より後ろに下がれ!!!」
数が多すぎる。全ての個体に等級もそこそこの魔力を感じる。今もなお溢れ出している悪魔とまともに戦っていたらこちらの戦力をすぐに削られてしまうと判断した。
術式を発動する。
俺の術式に巻き込まれないよう後ろでは副隊長が全員に指令を行き渡らせている。
「天牢氷獄」
眼前一帯の空気が凍てついたと思った時には悪魔たちは全て一瞬で凍りついた。
俺が拳を握ると同時にそれは全て弾けた。
目の前の何十体という悪魔が砕けていく音は凄まじく、耳を塞ぎたくなった。
砕くことまではなかったが、倒れていた仲間の亡骸までも一緒に凍りついてしまった…
辺りは静かになった。
教団の誰も何も言わなかった。
俺は馬から降りて亡骸に近づく。
広範囲に最大出力で放った術式に、流石に足元がフラフラとした。
「…すまない」
凍った血の上で呟いた。
苦しみに表情を歪めたまま死んだ仲間たちの亡骸を見つめた。
その時視界の端で何かがキラリと光った。
足元に倒れた隊員に握られた小さな黒い水晶を見つけた。
「悪魔の欠片だな…」
古の黒魔道士が呪いを込めて作った遺物。
これが悪魔を引き寄せていたのだろう。
調査団はこれを持ち帰ろうとしたところを襲われてしまったようだ。
それに手を伸ばした時、その水晶が割れていることに気がついた。
「た、隊長‼︎」
副隊長が叫ぶ声がした。
油断した。
振り向き様に剣を振るったが、俺のその腕は爪のようなものに切り付けられた。
剣は遠くへ吹き飛んだ。
「…‼︎」
パキパキっと音を立てて凍りついた血の海を割いて腐敗臭とともに悪魔が現れた。
先程の悪魔とは違う。
S級だ。
あの悪魔の欠片は、呪いが込められていたのではない。悪魔を封印していたものだったのだ。
俺に向かってその鋭い爪が伸びる。
僅かな力を絞り出して術式を発動する。
地面から突き出した氷柱に悪魔の腕が突き刺さる。
悪魔の動きが一瞬止まったところで叫んだ。
「全員退避‼︎」
隊長クラスの術式でなくてはコイツは祓えない!
俺が足止めしている間に別の隊長を…
氷が割れる音がした。
慌てて次の術式を発動した。
「氷雨」
割れた氷柱が悪魔に突き刺さる。
鬱陶しいと言わんばかりに悪魔が体を大きく震わせた。
ダメだ、こんな物では止められない。
視界が霞む。
隊員が何か叫んでいるのが聞こえる。
不味い…完全に俺のミスだ。
何とか隊員だけでも…
「えぇタイミングで王子様の登場やなぁ。ピンチのお姫様はこれで俺にゾッコンやな」
「…は…?」
急に体が浮いた。
先程まで俺が立っていた地面は悪魔の爪が突き刺さり大きく抉れた。
ゾッとした。
誰かに抱えられている?
「ん?これやと両方王子様か?」
この緊張感のない声を聞いて何故こうもほっとしてしまっているのか…
△
あー、はよ戦う名前見てみたいわー。
名前たちの後こっそりついてこ思って下っ端みたいなやつに馬貸せゆうたらあっさり断ってきよるし。
まぁちょっと脅したら結局貸してくれたんやけど。
「ほないこかぁ♪」
遠足に行くかのような気分で先に出発したであろう名前たちの馬の足跡を辿る。
正直言ってこの世界の呪術師の力量には不安を感じる。
隊長クラスの奴らはともかく、初日で俺が一撃で倒してしまった名前の部下には拍子抜けした。
あれなら真希ちゃんのがよっぽど使えるわ。
大した術式なく呪具に頼っとる感じの連中ばっかりや。
案の定、目的地での陰惨な状況を前に尻込みする腑抜けばっかし…こりゃ名前も大変やな。
どんどん這い出る不っ細工な呪霊相手に名前に負んぶに抱っこや。
せやけど名前の術式は美しかったわぁ。砕ける氷の中に1人佇む名前は絵画か何かやと思った。
圧倒的な呪力に思わず鳥肌立ったわ。いや、勃った?
後ろで見惚れとるアホどもは後で何人かしめたろ。
名前が仲間の死体に近づく。
その顔は見えんけどきっと悲しみで歪んでいるんやろうな。俺が後でうんと慰めてやるからな。
そや、名前の勇姿も見れたところで今登場して慰めたろ。
かなりの呪力使ってもうフラフラやもんな♪俺の馬に乗せたろ…
そこまで考えたところで名前の後ろに突然巨大な蜘蛛の脚のようなものが現れた。
そいつは名前の腕を傷つけた。
「あ゛?」
俺の名前に傷付けよって。
特級やからって調子こいとんやないわ。
すぐに助けに行こうと思ったが少し考えた。
狼狽えて助けにも入らない隊員を見て思った。
ちょいと教育が必要やな。
自分の大切な隊長が追い込まれていくのに何もできないと無力な自分らを呪った辺りで俺が華麗に名前を助けよう。
なんて無力感と劣等感に打ちひしがれることだろう。
幸い名前は何とか持ち堪えてくれている。
あぁ。あとちょっとやで名前。
もう少しで俺が助けたるからな。
…お、そろそろ出番やな♪
△
「ん…」
一定の揺れと音を感じて目を覚ました。
「お、起きたんか?」
「!」
腰に回された腕に驚いて、次は後ろを見る。
「な、直哉!」
「お♪やっと名前呼んでくれたやんー」
緊張感のない声とあの飄々とした笑顔がそこにはあった。直哉は俺を後ろから抱きかかえたまま馬に乗っていた。
一体何がどうなって…
「み、みんなは?!」
「えぇー、こんなおいしいシチュエーションで他人の心配かいな」
振り向くと同時に馬が一頭横に並んだ。
俺の隊の副隊長だった。
「隊長!お目覚めですか?!隊員は皆無事です!この男のおかげです」
「え?」
どう言うことだ?
副隊長の言葉に安堵するの半分、直哉のおかげとはどう言う事だと混乱した。
後ろでは直哉が得意げに笑っているのが何となくわかった。
「この者があの悪魔を祓ったのです!」
「う、嘘だろ?1人でか?」
振り返ると予想通りのドヤ顔で直哉が笑っていた。
「特別一級呪術師様が名前のためにがんばっちゃったわ♪褒めて♪」
そんな、あれはS級だぞ?
直哉ってそんなに強いのか…。
しかしふと見れば服はところどころ血や砂埃がついていた。本当にあの悪魔と戦ってくれたのか…あ。
「お、お前!肩怪我してるじゃないか…」
そこは衣服が破れ、その中の皮膚も裂けて出血しているのが見えた。
「こんなん擦り傷や。それより俺の名前の腕に傷が残らんかだけが心配や」
「…」
何という男だろう。
あんな悪魔と戦ったあとだというのに一切の動揺も感じない。
「…すまなかったな。いや、助けてくれて…ありがとう」
「えらい素直やん」
直哉の少し揶揄うような言葉にも今は笑ってやれない。俺の判断ミスで、全員を危険な目に合わせた。
「特級倒す俺の勇姿を見せたかったんやけどなぁ。まぁまた次の悪魔祓いんときにでも見せたるわ」
俺の贖罪の気持ちなど気づいていないふりをしてそんな事を言う直哉に今は救われた。
そして次の時もそばにいてくれるのか…と、期待している自分がいた。
すると馬が突然止まった。
もう少しで王国の入り口というところだった。ここは…直哉と出会った場所だった。
「ん?」
直哉が前方を睨んでいる。
顔をそちらに向けると、そこだけ景色が歪んで、次の瞬間には人より遥かに背の高い、人の形のような影がゆらゆらと揺れて現れた。
「…悪魔?!」
全員に緊張が走る。なんてタイミングだ。もう俺は術式が使えない。首筋に冷や汗が流れる。
しかしその影は攻撃してくる気配が一向にない。
そして陽炎のように揺れていたその姿が徐々にはっきりとしてきて、そいつが何者か気がついた。
「なんや、ホンマに悪魔の気まぐれに巻き込まれただけやったみたいやなぁ」
帰るんはもうちょっと遊んでからにしたかったんやけど。
その直哉の独り言から、この悪魔の正体に彼も気付いたのだなと悟った。
悪魔はその手を直哉に向かって差し出す。
…どうやら、お別れのようだ。
俺は一つ息を吐くと諦めたような気持ちで直哉に振り返った。
直哉は頷くと俺の腰に回していた腕をそっと離した。
後ろで狼狽える隊員たちに、大丈夫だと合図を送ると俺と直哉は馬から降りて悪魔に近づく。
「…よかったな。これで元の世界に戻れるといいな」
「…なんや。寂しないわけ?」
「冗談。ベッドを占領されるのは困るんでな」
早く行けと視線で促す。
何となく、この機会を逃したら悪魔はもう直哉の前に二度と姿を現さない気がした。
直哉は俺の方を見て何か言いたそうにしていた。
俺もこんなにすぐ別れが来るとは思ってなかった。何て言っていいかわからずしばらくお互い見つめ合う時間が流れた。
「…最後くらいここに残ってぇとか可愛い事言ってくれへんの?」
やっと口を開いたかと思えばまたそんな馬鹿なことを言う。
「ぶっ…、ははっ。誰がそんなこと言うか。向こうの名前によろしくな」
俺は直哉の背中を押した。
直哉はそのまま悪魔の手を取った。
最後に振り向いてヒラヒラと片手を振ると俺に笑いかけた。
「名前、死ぬんやないで…」
「…お前も、元気でな」
直哉を悪魔が大きな影で覆ったと思ったらすぐに消えてしまった。
しばらく景色が水面のように揺らいでいたが、それもすぐなくなってしまった。
「…全く、残って欲しいなどと言われて1番困るのはお前だろうが」
もう二度と会えない男に俺は呟いた。
何故直哉はあの悪魔に呼ばれてしまったのだろう。
何もわからないまま、ただこの二日間を…夢でも見ていたような日を、俺は永遠に忘れないだろう。
その後妙に黙り込んでしまった俺を隊員たちは傷がさぞ痛むのだろうと気遣いながら城まで連れ帰ってくれた。
「隊長、後は私がやりますので傷の手当てを」
「そうだな。すまない」
副隊長の申し出に甘えて俺は治療室へと足を向けた。
その途中で突然後ろから声をかけられた。
「名前じゃーん!お疲れー!ねぇねぇ昨日新しい隊員を名前がわざわざ異国からスカウトしたってホントー?」
「サトル…、お前もう雪の国から帰ってきたのか。相変わらず仕事が早いな」
1番隊の隊長に声をかけられる。サトルはちょっとうるさいヤツだがNo.1の座として相応しい実力の持ち主だ。
というかこの世界にこいつに勝てる悪魔祓いはいないだろう。
そのせいで色んな国から引っ張りだこだ。
「もうあんな殺風景な国つまんなくてさっさと祓ってきちゃったよ。ねーそれよりそいつ強いの?俺の代わりに隊長やってくれたりしないかな?」
たぶん直哉の噂を誰かから聞いたのだろう。
俺はハァとため息をついて首を振った。
「いや。そいつならもう自分の生国に帰った。ここにはもう二度と来ないよ」
何だか自分に言い聞かせるように言ってしまった。
そんな俺を不思議そうにサトルが見ていた。
「ふーん…そっかぁ。じゃあちょうどいいや!僕が雪の国からスカウトしてきた奴に会ってみてよ!名前は強いけどさぁ、部下を甘やかしがちでしょ?代わりに厳しく見てくれそうな助っ人連れてきたから名前の下につけてみたら?おーいこっちだよー!」
「は?!おい!何勝手に話進めたんだ!」
サトルはお構いなしに後方に振り返ると大声で誰かを呼んだ。
今俺怪我してんだけど?
嫌がらせ?
あ、こいつ連れてきたはいいけど世話すんの面倒臭くて俺にさっさと押し付けようとしてきてんな?
コツコツと足音が近づいてきて反射的にその人物を見た。
そして俺は目を見開く。
金色の髪に、琥珀色の瞳。
「な、直哉…何で」
「え?知り合い?」
さっき別れの挨拶を済ませたばかりの直哉がそこにはいた。
何で?まさか、帰れなかったのか?
「いや。初対面やけど…このちっこいのホンマに隊長なん?サトルくん」
絶対直哉だ!
「そうだよー。こう見えて怖いとこあるから凍らされないように気をつけてね」
「へー!そら下につくなら可愛い子ちゃんの方がええわ。よろしゅうな、隊長はん♪」
そいつはやはりナオヤだと名乗った。
でも全くの別人なのだと話していて実感した。
だが…
「ほら、隊長命令だ。治療室まで連れてけ」
「えー、えらいいきなり気に入られてしもたわ。了解ぃ名前隊長♪」
「…今度はいなくならないでくれよ」
隣を歩く男に聞こえぬようそっと呟いた。
朝日がカーテンの隙間から溢れているのにぼんやりとした頭で認識する。
あれ?俺寝る時カーテン閉めたかな?
そっと音を立てないようにソファから起き上がる。
男が寝ているであろう俺の寝室に向かう。
昨日突然現れた得体の知れない男。
妙な話し方に、見たこともない服を纏い、聞いたこともない術式を操る男。
俺の部下を一撃で倒すほどの術者に、最初は教団に勧誘したいと思ったが…
悪魔…それも神に近いほどの力と因果を持った者によって強引にこの世界に連れてこられたということを知って諦めた。
落ち込む男を前に何故だか元の世界に帰してやらねばと同情心を掻き立てられた。
ベッドに近づくと、人のベッドで呑気にスヤスヤと眠る男の横顔が見えた。
俺は溜息をつく。
何故これほどまでにこの男に肩入れしてしまっているのだろうか。
確かにこの術者の能力には非常に興味がある。
かと言って、この教団でも責任ある立場の俺が部屋にまで連れてきてしまうとは…自分でもこの軽率な行動に理解ができなくて頭を抱えた。
再び男の横顔に視線を戻す。
とても美しい顔をしている。
さぞ自分の世界では女に不自由なく暮らしているのだろう。
昨日の軽薄な冗談ばかり言う態度から何となく偏見を持つ。
そういえば元の世界に俺と同じ名前で姿形も一緒の男と暮らしいていると言っていたことを思い出した。
その男に妙に執着しているようだったが…。
昨日急に熱の篭った視線を向けられて強い力で両肩を掴まれた夜を思い出した。思わず投げ飛ばしてしまったが。
…俺はそいつの代わりにされようとしているのだろうか?
そこまで考えた時、胃の辺りがチクリと痛んだ気がした。
はっ、あほらし。
何考えてんだか。
「おい、そろそろ起きろ」
自分の考えを振り払うように男に声をかけた。
その声は思ってた以上に棘のある声になって自分でも驚いた。
俺の声に男は薄らと目を開ける。
「はぁ…。もっと優しゅう起こしてや。どんなふうに起こしてくれるかと思て期待して待っとったんやで?」
コイツ…、寝たふりしてやがったのか…。
「起きてシャワー使え。その間に着替えと朝食を用意させておく」
風呂場はあっちだと指で簡単に説明すると俺は従者に着替えを用意させるためさっさと部屋を出た。
一緒に入らんのー?
とか言ってる男の声は無視した。
△
「なんやこれぇ、全身白なんて嫌やわぁ」
「ここにいる間は我慢しろ。お前の世界のその…着物?だったか?そんな物はこちらにはないのでな」
教団の隊員と同じ服を男に着させてやった。
あの服装では嫌でも目立ってしまうので我慢してもらうしかない。
本人はダサいと文句を今も言い続けている。だがその容姿とスタイルの良さのおかげで悔しいがなかなか似合っている。
本人には言ってやらないが。
俺は朝食と一緒に運ばれた紅茶を飲みながら今日の予定を整理していた。
午前の演習は部下に任せて直哉の術式を見せてもらおうか。午後からは最近悪魔が多く出没していると言う街に向かった調査団が帰ってくるだろうから会議を…
そこまで考えた時、部屋をノックする音が聞こえた。俺が返事をする前に部下は扉の外で声を上げた。
「緊急事態です!西の平原に悪魔が大量発生!帰還中だった調査団が襲われているとのことです!」
俺はすぐさま立ち上がると剣を取って扉を開けた。
「1番近くに駐屯している教団は」
「既に向かって応戦中です!ですが数が多いと増援要請が…っ」
「俺の隊で出る。すぐに支度を」
「はい!」
急いで駆け出そうとしたところで肩を掴まれた。
「わっ!」
「俺も行くー」
振り返ると先程まで教団の服に文句ばかり垂れていた男が立っていた。この状況がわかっていないのか、サンドイッチ片手に笑顔でついてくるなどと言う。
「数が多すぎる。お前も相当の手練れなようだがお前の世界の術式がこの世界の悪魔にも通用するのかわからない。今は連れて行けない。部屋にいろ」
「なぁ、そろそろお前やのうて直哉って…」
俺はそれだけ言うとまだ何か言っていた男を無視して走り出した。
男は追いかけてこなかった。
素直に言うことを聞いてくれたようだ。
△
「…っそんな…」
増援要請のあった平原へ俺の部隊で馬に乗れる奴は全員連れてきた。
しかしたどり着いた光景に唖然とした。
調査団はおろか、先に駆けつけていた隊員も全員血の海に沈んでいた。彼らはかなりの精鋭たちだったのに…まさかこんな…。
「う、うぁ」
あまりに陰惨な光景に隊員たちの一部に動揺と恐怖が広がる。
悪魔は…?どこへ?
「落ち着け!お前たちは生存者を探せ。残りは俺と悪魔の痕跡を追う」
生存者なんていないのは一目瞭然だった。大切な仲間がこうも一瞬で塩辛のようにされてしまった…。手綱を握る力を強くして移動しようとしたその時だった。
死んだ仲間たちから流れたであろう血の池から黒くドロドロとした腕のようなものが無数に伸びてきた。
「あ、ああっ…悪魔だ!!」
誰かが叫んだと同時にそれは飛び出してきた。猿くらいの大きさで腐敗臭を撒き散らしながら次から次へと血の海から現れてきた。
全員が武器を構えた時、俺は叫んだ。
「全員俺より後ろに下がれ!!!」
数が多すぎる。全ての個体に等級もそこそこの魔力を感じる。今もなお溢れ出している悪魔とまともに戦っていたらこちらの戦力をすぐに削られてしまうと判断した。
術式を発動する。
俺の術式に巻き込まれないよう後ろでは副隊長が全員に指令を行き渡らせている。
「天牢氷獄」
眼前一帯の空気が凍てついたと思った時には悪魔たちは全て一瞬で凍りついた。
俺が拳を握ると同時にそれは全て弾けた。
目の前の何十体という悪魔が砕けていく音は凄まじく、耳を塞ぎたくなった。
砕くことまではなかったが、倒れていた仲間の亡骸までも一緒に凍りついてしまった…
辺りは静かになった。
教団の誰も何も言わなかった。
俺は馬から降りて亡骸に近づく。
広範囲に最大出力で放った術式に、流石に足元がフラフラとした。
「…すまない」
凍った血の上で呟いた。
苦しみに表情を歪めたまま死んだ仲間たちの亡骸を見つめた。
その時視界の端で何かがキラリと光った。
足元に倒れた隊員に握られた小さな黒い水晶を見つけた。
「悪魔の欠片だな…」
古の黒魔道士が呪いを込めて作った遺物。
これが悪魔を引き寄せていたのだろう。
調査団はこれを持ち帰ろうとしたところを襲われてしまったようだ。
それに手を伸ばした時、その水晶が割れていることに気がついた。
「た、隊長‼︎」
副隊長が叫ぶ声がした。
油断した。
振り向き様に剣を振るったが、俺のその腕は爪のようなものに切り付けられた。
剣は遠くへ吹き飛んだ。
「…‼︎」
パキパキっと音を立てて凍りついた血の海を割いて腐敗臭とともに悪魔が現れた。
先程の悪魔とは違う。
S級だ。
あの悪魔の欠片は、呪いが込められていたのではない。悪魔を封印していたものだったのだ。
俺に向かってその鋭い爪が伸びる。
僅かな力を絞り出して術式を発動する。
地面から突き出した氷柱に悪魔の腕が突き刺さる。
悪魔の動きが一瞬止まったところで叫んだ。
「全員退避‼︎」
隊長クラスの術式でなくてはコイツは祓えない!
俺が足止めしている間に別の隊長を…
氷が割れる音がした。
慌てて次の術式を発動した。
「氷雨」
割れた氷柱が悪魔に突き刺さる。
鬱陶しいと言わんばかりに悪魔が体を大きく震わせた。
ダメだ、こんな物では止められない。
視界が霞む。
隊員が何か叫んでいるのが聞こえる。
不味い…完全に俺のミスだ。
何とか隊員だけでも…
「えぇタイミングで王子様の登場やなぁ。ピンチのお姫様はこれで俺にゾッコンやな」
「…は…?」
急に体が浮いた。
先程まで俺が立っていた地面は悪魔の爪が突き刺さり大きく抉れた。
ゾッとした。
誰かに抱えられている?
「ん?これやと両方王子様か?」
この緊張感のない声を聞いて何故こうもほっとしてしまっているのか…
△
あー、はよ戦う名前見てみたいわー。
名前たちの後こっそりついてこ思って下っ端みたいなやつに馬貸せゆうたらあっさり断ってきよるし。
まぁちょっと脅したら結局貸してくれたんやけど。
「ほないこかぁ♪」
遠足に行くかのような気分で先に出発したであろう名前たちの馬の足跡を辿る。
正直言ってこの世界の呪術師の力量には不安を感じる。
隊長クラスの奴らはともかく、初日で俺が一撃で倒してしまった名前の部下には拍子抜けした。
あれなら真希ちゃんのがよっぽど使えるわ。
大した術式なく呪具に頼っとる感じの連中ばっかりや。
案の定、目的地での陰惨な状況を前に尻込みする腑抜けばっかし…こりゃ名前も大変やな。
どんどん這い出る不っ細工な呪霊相手に名前に負んぶに抱っこや。
せやけど名前の術式は美しかったわぁ。砕ける氷の中に1人佇む名前は絵画か何かやと思った。
圧倒的な呪力に思わず鳥肌立ったわ。いや、勃った?
後ろで見惚れとるアホどもは後で何人かしめたろ。
名前が仲間の死体に近づく。
その顔は見えんけどきっと悲しみで歪んでいるんやろうな。俺が後でうんと慰めてやるからな。
そや、名前の勇姿も見れたところで今登場して慰めたろ。
かなりの呪力使ってもうフラフラやもんな♪俺の馬に乗せたろ…
そこまで考えたところで名前の後ろに突然巨大な蜘蛛の脚のようなものが現れた。
そいつは名前の腕を傷つけた。
「あ゛?」
俺の名前に傷付けよって。
特級やからって調子こいとんやないわ。
すぐに助けに行こうと思ったが少し考えた。
狼狽えて助けにも入らない隊員を見て思った。
ちょいと教育が必要やな。
自分の大切な隊長が追い込まれていくのに何もできないと無力な自分らを呪った辺りで俺が華麗に名前を助けよう。
なんて無力感と劣等感に打ちひしがれることだろう。
幸い名前は何とか持ち堪えてくれている。
あぁ。あとちょっとやで名前。
もう少しで俺が助けたるからな。
…お、そろそろ出番やな♪
△
「ん…」
一定の揺れと音を感じて目を覚ました。
「お、起きたんか?」
「!」
腰に回された腕に驚いて、次は後ろを見る。
「な、直哉!」
「お♪やっと名前呼んでくれたやんー」
緊張感のない声とあの飄々とした笑顔がそこにはあった。直哉は俺を後ろから抱きかかえたまま馬に乗っていた。
一体何がどうなって…
「み、みんなは?!」
「えぇー、こんなおいしいシチュエーションで他人の心配かいな」
振り向くと同時に馬が一頭横に並んだ。
俺の隊の副隊長だった。
「隊長!お目覚めですか?!隊員は皆無事です!この男のおかげです」
「え?」
どう言うことだ?
副隊長の言葉に安堵するの半分、直哉のおかげとはどう言う事だと混乱した。
後ろでは直哉が得意げに笑っているのが何となくわかった。
「この者があの悪魔を祓ったのです!」
「う、嘘だろ?1人でか?」
振り返ると予想通りのドヤ顔で直哉が笑っていた。
「特別一級呪術師様が名前のためにがんばっちゃったわ♪褒めて♪」
そんな、あれはS級だぞ?
直哉ってそんなに強いのか…。
しかしふと見れば服はところどころ血や砂埃がついていた。本当にあの悪魔と戦ってくれたのか…あ。
「お、お前!肩怪我してるじゃないか…」
そこは衣服が破れ、その中の皮膚も裂けて出血しているのが見えた。
「こんなん擦り傷や。それより俺の名前の腕に傷が残らんかだけが心配や」
「…」
何という男だろう。
あんな悪魔と戦ったあとだというのに一切の動揺も感じない。
「…すまなかったな。いや、助けてくれて…ありがとう」
「えらい素直やん」
直哉の少し揶揄うような言葉にも今は笑ってやれない。俺の判断ミスで、全員を危険な目に合わせた。
「特級倒す俺の勇姿を見せたかったんやけどなぁ。まぁまた次の悪魔祓いんときにでも見せたるわ」
俺の贖罪の気持ちなど気づいていないふりをしてそんな事を言う直哉に今は救われた。
そして次の時もそばにいてくれるのか…と、期待している自分がいた。
すると馬が突然止まった。
もう少しで王国の入り口というところだった。ここは…直哉と出会った場所だった。
「ん?」
直哉が前方を睨んでいる。
顔をそちらに向けると、そこだけ景色が歪んで、次の瞬間には人より遥かに背の高い、人の形のような影がゆらゆらと揺れて現れた。
「…悪魔?!」
全員に緊張が走る。なんてタイミングだ。もう俺は術式が使えない。首筋に冷や汗が流れる。
しかしその影は攻撃してくる気配が一向にない。
そして陽炎のように揺れていたその姿が徐々にはっきりとしてきて、そいつが何者か気がついた。
「なんや、ホンマに悪魔の気まぐれに巻き込まれただけやったみたいやなぁ」
帰るんはもうちょっと遊んでからにしたかったんやけど。
その直哉の独り言から、この悪魔の正体に彼も気付いたのだなと悟った。
悪魔はその手を直哉に向かって差し出す。
…どうやら、お別れのようだ。
俺は一つ息を吐くと諦めたような気持ちで直哉に振り返った。
直哉は頷くと俺の腰に回していた腕をそっと離した。
後ろで狼狽える隊員たちに、大丈夫だと合図を送ると俺と直哉は馬から降りて悪魔に近づく。
「…よかったな。これで元の世界に戻れるといいな」
「…なんや。寂しないわけ?」
「冗談。ベッドを占領されるのは困るんでな」
早く行けと視線で促す。
何となく、この機会を逃したら悪魔はもう直哉の前に二度と姿を現さない気がした。
直哉は俺の方を見て何か言いたそうにしていた。
俺もこんなにすぐ別れが来るとは思ってなかった。何て言っていいかわからずしばらくお互い見つめ合う時間が流れた。
「…最後くらいここに残ってぇとか可愛い事言ってくれへんの?」
やっと口を開いたかと思えばまたそんな馬鹿なことを言う。
「ぶっ…、ははっ。誰がそんなこと言うか。向こうの名前によろしくな」
俺は直哉の背中を押した。
直哉はそのまま悪魔の手を取った。
最後に振り向いてヒラヒラと片手を振ると俺に笑いかけた。
「名前、死ぬんやないで…」
「…お前も、元気でな」
直哉を悪魔が大きな影で覆ったと思ったらすぐに消えてしまった。
しばらく景色が水面のように揺らいでいたが、それもすぐなくなってしまった。
「…全く、残って欲しいなどと言われて1番困るのはお前だろうが」
もう二度と会えない男に俺は呟いた。
何故直哉はあの悪魔に呼ばれてしまったのだろう。
何もわからないまま、ただこの二日間を…夢でも見ていたような日を、俺は永遠に忘れないだろう。
その後妙に黙り込んでしまった俺を隊員たちは傷がさぞ痛むのだろうと気遣いながら城まで連れ帰ってくれた。
「隊長、後は私がやりますので傷の手当てを」
「そうだな。すまない」
副隊長の申し出に甘えて俺は治療室へと足を向けた。
その途中で突然後ろから声をかけられた。
「名前じゃーん!お疲れー!ねぇねぇ昨日新しい隊員を名前がわざわざ異国からスカウトしたってホントー?」
「サトル…、お前もう雪の国から帰ってきたのか。相変わらず仕事が早いな」
1番隊の隊長に声をかけられる。サトルはちょっとうるさいヤツだがNo.1の座として相応しい実力の持ち主だ。
というかこの世界にこいつに勝てる悪魔祓いはいないだろう。
そのせいで色んな国から引っ張りだこだ。
「もうあんな殺風景な国つまんなくてさっさと祓ってきちゃったよ。ねーそれよりそいつ強いの?俺の代わりに隊長やってくれたりしないかな?」
たぶん直哉の噂を誰かから聞いたのだろう。
俺はハァとため息をついて首を振った。
「いや。そいつならもう自分の生国に帰った。ここにはもう二度と来ないよ」
何だか自分に言い聞かせるように言ってしまった。
そんな俺を不思議そうにサトルが見ていた。
「ふーん…そっかぁ。じゃあちょうどいいや!僕が雪の国からスカウトしてきた奴に会ってみてよ!名前は強いけどさぁ、部下を甘やかしがちでしょ?代わりに厳しく見てくれそうな助っ人連れてきたから名前の下につけてみたら?おーいこっちだよー!」
「は?!おい!何勝手に話進めたんだ!」
サトルはお構いなしに後方に振り返ると大声で誰かを呼んだ。
今俺怪我してんだけど?
嫌がらせ?
あ、こいつ連れてきたはいいけど世話すんの面倒臭くて俺にさっさと押し付けようとしてきてんな?
コツコツと足音が近づいてきて反射的にその人物を見た。
そして俺は目を見開く。
金色の髪に、琥珀色の瞳。
「な、直哉…何で」
「え?知り合い?」
さっき別れの挨拶を済ませたばかりの直哉がそこにはいた。
何で?まさか、帰れなかったのか?
「いや。初対面やけど…このちっこいのホンマに隊長なん?サトルくん」
絶対直哉だ!
「そうだよー。こう見えて怖いとこあるから凍らされないように気をつけてね」
「へー!そら下につくなら可愛い子ちゃんの方がええわ。よろしゅうな、隊長はん♪」
そいつはやはりナオヤだと名乗った。
でも全くの別人なのだと話していて実感した。
だが…
「ほら、隊長命令だ。治療室まで連れてけ」
「えー、えらいいきなり気に入られてしもたわ。了解ぃ名前隊長♪」
「…今度はいなくならないでくれよ」
隣を歩く男に聞こえぬようそっと呟いた。