夜の虹
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ギシギシと床材が軋む音を控えめに立てながら、中庭に面した廊下を1人の少年が歩いている。
ここは呪術師界隈で知らぬものはおらぬ御三家の一つ、禪院家。
この広大な敷地に立ち並ぶ屋敷の中の一つ、代々禪院家の直系のものだけが住うことが許される母家はその中でも際立って大きく、荘厳な雰囲気を感じる。
「今日も寒いなぁ……」
中庭越しに見える灰色の空からは、今も深々と雪が降り続けていた。
少年は両手に水の張った桶とその縁に引っ掛けてある雑巾といった掃除道具を抱えて足速に廊下を進む。
彼だけでなく家中の女中達が先程から普段より一層忙しなく動き回っていた。
時期はもうすぐ年の瀬へと迫っていた。
年越しの為の準備、年が明ければ挨拶に来る来客の為の準備に世話、やることは山積みだ。
「名前ー、ちょお来てー」
ちょうど通りかかった部屋の障子戸越しに声がかかる。
忙しさも無視したように、飄々とした声が少年の耳に届いた。まるで足音が近づいてくるのを待っていたようなタイミングであった。
「はい。直哉様」
名前と呼ばれた少年は忙しそうにしていた足を止めて、にこりと笑いながら返事をした。
すぐに手に持っていた桶は床に下ろし、脇に寄せた。
膝をついて、
「失礼いたします」
「ん」
一声かけて返事を確認すると両手で障子戸を開けた。
「直哉様。何か御用でしょうか?」
「まだ掃除しよるんか?」
「えぇ。年末のお掃除は念入りに致しますから」
自分はなぜ呼ばれたのだろうと思いながらも返事をする。
この部屋の中の主人…"禪院直哉"は、その返事にたいして興味もないようで、話終わる前に手招きをして名前を部屋の中に入るように促した。
「何しとんねん。部屋寒ぅなるやろ。はよこっちきて」
掃除をしなくてはと一瞬躊躇ったのを見抜かれたのか、さらに催促される。
名前はいそいそと障子戸を閉め、中へと進む。
火鉢の横で寝転がっている直哉のそばに正座する。
本を読んでいたのか、そばに何やら古めかしく、難解な文字で書かれた本が置かれている。
「どうかされたんですか?」
「んー……」
直哉は気だるそうに上体を起こして、起きるのかと思いきや、そのまま正座した名前の膝の上に頭を預けてまた寝転がってしまった。
「……お疲れなんですね。直哉様。何かお飲み物お持ちしましょうか?」
「んー、……えぇ。しばらく横になっとる」
膝の上で頭をゴソゴソと動かしながら、直哉はまた間延びした返事をした。
名前はそんな猫のような主が可愛く思えて仕方がなかった。最近染められたその金色の髪はまさに猫のようだった。
気高く、強さを求める姿には一切の妥協も容赦もない。時に傍若無人なその態度に彼の敵は多い。
そんな主人の、こんな姿、きっと専任の世話役である自分しか知るものはいないだろうと。
何とも言えぬ愉悦と幸福感を感じていた。
その頭を撫でて差し上げたいという欲求をひた隠しにし、
「はい。かしこまりました」
と、なんてこともないように返事をする。
縁側に面した大きなガラス戸からは白く染められた世界が見える。
降り続ける雪をただ2人でひとつ、またひとつと眺めた。
この部屋の中では雪が全ての音を吸い込んでしまったように静かだった。
聞こえるのは火鉢の中の炭がぱちぱちと小さな音を鳴らす音が聞こえるのみ。
「年明けの休暇……どこぉ行きたい」
「……どこか連れていってくださるんですか?」
名前は驚いて雪景色から、膝の上でくつろぐ主人の横顔に視線を移した。
長いまつげがふらふらと揺れている。
「そーゆうてるやろ」
直哉は窓に視線を向けたままぶっきらぼうに答える。
途端に名前の心には雪解けの季節が訪れたのかのような高揚感を感じた。
「……嬉しいです。直哉様」
思わず、ずっと我慢していた右手が、直哉の頭を撫でつけていた。
「あ、」
すみません。
と、言葉を続けようとすると、その前に直哉にその右手は掴まれていた。
名前は先程までの春のような心地から、荒廃とした雪原に取り残されたような気分になった。
主の頭に気安く触れるなどあってはならない。
気分を悪くさせたのではと戦慄した。
しかしその掴んだ手の甲を、直哉は親指の腹で何度も何度も摩るように、優しく触れた。
「手ェ冷たっ。もう掃除は明日でえぇやろ」
「いえ、そういうわけには」
全く怒っている様子のない直哉に、名前は安心しつつもそこはちゃんと仕事をしなくてはと自分を鼓舞した。
このまま主人と雪をこうして見ているのは実に趣があって愛おしい時間だ。
だが甘んじてばかりはいられない。
「どうせ後は俺の部屋くらいやろ?」
そう言うと直哉は名前の膝の上で首の角度を変えて、困惑している柊の顔を下から見上げた。
一方直哉の表情は少し唇を尖らせ、不満を露わにしていた。
「名前は俺の世話役やろ?俺がええ言うたらええんや」
「…ふふ、はい。直哉様」
名前の中の小さな決心は簡単に折れた。
思わずこぼれる笑み。自身の情けなさ半分、やはりこの主には勝てないと諦めが半分。
(この方にそんな拗ねたような顔されたら、何でも言うことを聞いてしまう)
直哉はその返事を聞くと満足したように、ふんと鼻を鳴らして笑うとまた先ほどのように窓の外へと顔を向けた。
「行くとこ考えとき」
それが今日のお前の仕事だ、
とでも言わんばかりに直哉は名前に言いつけた。
それを聞いて名前は素直に考えた。
どこがいいだろうか。
禪院家でお世話になるようになってからは自分の行きたい場所なんて考えたことがなかった。
そこでふと気づく。
自分はこの家から出たいと思ったことはない。
古より続く呪術師の家系。家の戒律は厳しく、実の肉親にもそれは容赦のない牙となって向く。そんなこの家を、呪われた一族なんていう人もいる。
だけど自分はこの場所が何より愛おしい。
大切な主 のそばが自分の居場所であることが、これ以上ない幸せだ。
この屋敷の中がいくら狭く、混沌としていようと。外がどんなに広い世界で美しかろうと。
いつだって……
(あなたのお傍にいたいです…)
そんな風に伝えてしまったら、この雪景色はどう変わってしまうのだろう。
どうか長い時を主 と過ごせるよう、名前はその真っ白な雪に想いを込めた。
ここは呪術師界隈で知らぬものはおらぬ御三家の一つ、禪院家。
この広大な敷地に立ち並ぶ屋敷の中の一つ、代々禪院家の直系のものだけが住うことが許される母家はその中でも際立って大きく、荘厳な雰囲気を感じる。
「今日も寒いなぁ……」
中庭越しに見える灰色の空からは、今も深々と雪が降り続けていた。
少年は両手に水の張った桶とその縁に引っ掛けてある雑巾といった掃除道具を抱えて足速に廊下を進む。
彼だけでなく家中の女中達が先程から普段より一層忙しなく動き回っていた。
時期はもうすぐ年の瀬へと迫っていた。
年越しの為の準備、年が明ければ挨拶に来る来客の為の準備に世話、やることは山積みだ。
「名前ー、ちょお来てー」
ちょうど通りかかった部屋の障子戸越しに声がかかる。
忙しさも無視したように、飄々とした声が少年の耳に届いた。まるで足音が近づいてくるのを待っていたようなタイミングであった。
「はい。直哉様」
名前と呼ばれた少年は忙しそうにしていた足を止めて、にこりと笑いながら返事をした。
すぐに手に持っていた桶は床に下ろし、脇に寄せた。
膝をついて、
「失礼いたします」
「ん」
一声かけて返事を確認すると両手で障子戸を開けた。
「直哉様。何か御用でしょうか?」
「まだ掃除しよるんか?」
「えぇ。年末のお掃除は念入りに致しますから」
自分はなぜ呼ばれたのだろうと思いながらも返事をする。
この部屋の中の主人…"禪院直哉"は、その返事にたいして興味もないようで、話終わる前に手招きをして名前を部屋の中に入るように促した。
「何しとんねん。部屋寒ぅなるやろ。はよこっちきて」
掃除をしなくてはと一瞬躊躇ったのを見抜かれたのか、さらに催促される。
名前はいそいそと障子戸を閉め、中へと進む。
火鉢の横で寝転がっている直哉のそばに正座する。
本を読んでいたのか、そばに何やら古めかしく、難解な文字で書かれた本が置かれている。
「どうかされたんですか?」
「んー……」
直哉は気だるそうに上体を起こして、起きるのかと思いきや、そのまま正座した名前の膝の上に頭を預けてまた寝転がってしまった。
「……お疲れなんですね。直哉様。何かお飲み物お持ちしましょうか?」
「んー、……えぇ。しばらく横になっとる」
膝の上で頭をゴソゴソと動かしながら、直哉はまた間延びした返事をした。
名前はそんな猫のような主が可愛く思えて仕方がなかった。最近染められたその金色の髪はまさに猫のようだった。
気高く、強さを求める姿には一切の妥協も容赦もない。時に傍若無人なその態度に彼の敵は多い。
そんな主人の、こんな姿、きっと専任の世話役である自分しか知るものはいないだろうと。
何とも言えぬ愉悦と幸福感を感じていた。
その頭を撫でて差し上げたいという欲求をひた隠しにし、
「はい。かしこまりました」
と、なんてこともないように返事をする。
縁側に面した大きなガラス戸からは白く染められた世界が見える。
降り続ける雪をただ2人でひとつ、またひとつと眺めた。
この部屋の中では雪が全ての音を吸い込んでしまったように静かだった。
聞こえるのは火鉢の中の炭がぱちぱちと小さな音を鳴らす音が聞こえるのみ。
「年明けの休暇……どこぉ行きたい」
「……どこか連れていってくださるんですか?」
名前は驚いて雪景色から、膝の上でくつろぐ主人の横顔に視線を移した。
長いまつげがふらふらと揺れている。
「そーゆうてるやろ」
直哉は窓に視線を向けたままぶっきらぼうに答える。
途端に名前の心には雪解けの季節が訪れたのかのような高揚感を感じた。
「……嬉しいです。直哉様」
思わず、ずっと我慢していた右手が、直哉の頭を撫でつけていた。
「あ、」
すみません。
と、言葉を続けようとすると、その前に直哉にその右手は掴まれていた。
名前は先程までの春のような心地から、荒廃とした雪原に取り残されたような気分になった。
主の頭に気安く触れるなどあってはならない。
気分を悪くさせたのではと戦慄した。
しかしその掴んだ手の甲を、直哉は親指の腹で何度も何度も摩るように、優しく触れた。
「手ェ冷たっ。もう掃除は明日でえぇやろ」
「いえ、そういうわけには」
全く怒っている様子のない直哉に、名前は安心しつつもそこはちゃんと仕事をしなくてはと自分を鼓舞した。
このまま主人と雪をこうして見ているのは実に趣があって愛おしい時間だ。
だが甘んじてばかりはいられない。
「どうせ後は俺の部屋くらいやろ?」
そう言うと直哉は名前の膝の上で首の角度を変えて、困惑している柊の顔を下から見上げた。
一方直哉の表情は少し唇を尖らせ、不満を露わにしていた。
「名前は俺の世話役やろ?俺がええ言うたらええんや」
「…ふふ、はい。直哉様」
名前の中の小さな決心は簡単に折れた。
思わずこぼれる笑み。自身の情けなさ半分、やはりこの主には勝てないと諦めが半分。
(この方にそんな拗ねたような顔されたら、何でも言うことを聞いてしまう)
直哉はその返事を聞くと満足したように、ふんと鼻を鳴らして笑うとまた先ほどのように窓の外へと顔を向けた。
「行くとこ考えとき」
それが今日のお前の仕事だ、
とでも言わんばかりに直哉は名前に言いつけた。
それを聞いて名前は素直に考えた。
どこがいいだろうか。
禪院家でお世話になるようになってからは自分の行きたい場所なんて考えたことがなかった。
そこでふと気づく。
自分はこの家から出たいと思ったことはない。
古より続く呪術師の家系。家の戒律は厳しく、実の肉親にもそれは容赦のない牙となって向く。そんなこの家を、呪われた一族なんていう人もいる。
だけど自分はこの場所が何より愛おしい。
大切な
この屋敷の中がいくら狭く、混沌としていようと。外がどんなに広い世界で美しかろうと。
いつだって……
(あなたのお傍にいたいです…)
そんな風に伝えてしまったら、この雪景色はどう変わってしまうのだろう。
どうか長い時を
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