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短編

「なぁ、ヒーニアス」
結婚式をあげないか。
そんな言葉が聞こえてきてヒーニアスは視線を手元の本から隣に移す。
「ふざけているのか」と一蹴しようとしていたヒーニアスは、しかしそのまま口を噤んだ。
──軽い口調でそんなことを口にしたエフラムが、それとは裏腹にひどく真面目な顔をしていたから。
「……そうだな」
ヒーニアスは思わずそう返してしまったのだ。

「で、結婚式って何をすればいいんだ?」
「言い出したのは貴様だろう」
はあ、とヒーニアスは隣に並ぶエフラムに聞こえるようにため息をつくが、彼にそれを気にする様子は全くない。
分かってはいたことだがなんとなく気に食わないと、ヒーニアスはエフラムを軽く睨みつけた。
「どうした?」
「……いや、何でもない」
エフラムとヒーニアスは、アスクの城下町に来ていた。
大通りは活気に溢れていて、並ぶ店や屋台から人を呼び込もうとする声が聞こえてくる。ヒーニアスたちが召喚されて以来、この国には戦が絶えなかったが、街行く顔は皆晴れやかだ。人々はたくましいな、とヒーニアスは眩しいものを見た気分になった。
そういえば自分たちは特務機関内で生活していたし、扉の先の世界に出陣するばかりで、アスクの城下町を見て回ることもなかった気がする。中には城下町で買い物を楽しむ英雄もいたそうだが、ヒーニアスはそういったことをしてこなかった。
自分たちの世界では見たことないものが並び、人々の楽しげな声が聞こえてくる。こんな時間も悪くないなとヒーニアスはそっと微笑んだ。……隣にいるエフラムには絶対に言ってやらないが。
「あっヒーニアス、ドレスが売ってるぞ」
何でもない会話をしながら通りを進んでいると、ふとエフラムがとある店を指差した。豪華な装飾が施されたウエディングドレスが数着並んでいて、小さな女の子がキラキラした顔でそれを眺めている。
形が少し違うが、何故かウエディングドレスを着て召喚された英雄に特務機関が慌てふためいていたのも既に懐かしい記憶だ。
「なぁヒーニアス、ちょっと着てみないか」
ニヤリと笑みを浮かべてエフラムが並べられたドレスを指差す。
「そうだな、貴様も着るというのなら考えてやらないこともないぞ」
「よし、じゃあ俺の分はお前が選べよ」
「おい待てエフラム冗談だ、やめろ、店に入ろうとするな!」 
ガラス越しに目が合った店員と女の子に怪訝な顔をされながらも、ヒーニアスはエフラムを引きずって店から離れる。こんな時間も悪くないと思った直後だが前言撤回だ、とヒーニアスは頭を抱えた。
隣のエフラムはというとにこやかに笑みさえ浮かべている。一発蹴りを入れたくなった自分は悪くない、まぁしないが。
「きっと似合うぞ」
「思ってもいないことを言うな、貴様が大笑いするのがオチだろう」
「そうだな、笑ったあとに抱きしめてやるよ」
「…………ほざいていろ」
くだらない言い合いをしながら歩き続け、時々目についた店に入る。普段はわざわざ入らないような店でも、少し覗いてみようかなんて誘いに素直に乗った。
古本屋に入りたいと言ったときも、エフラムはなんの興味もないだろうに特に文句も言われなかった。
アスクの文字は残念ながら読めないので、絵や図からなんとなく意味を読み取っていく。その範囲でも文化の違いがよく分かり楽しかったが、隣のエフラムは意味が分からないという顔をしていた。
時間さえあればアルフォンス王子にこの世界の文字の読み書きでも習いたかったものだ。そんなことを考えていたヒーニアスは、ふと隣から視線を感じ本から顔を上げる。エフラムがこちらをじっと見ていた。
「…………なんだ」
「本に向ける笑顔の3割でも、素直に俺に向けてくれと考えていた」
少し拗ねた様子のエフラムがそう零した。
本を読んでいるとき、時々視線を感じていたのはそういうことだったのかと合点がいった。本に集中できなくなることもあり、一体何を考えているのかと困惑していたが聞いてみれば大したことではなかった。
「嫉妬か?見苦しいぞ」
「見苦しくてもいい。俺にとっては死活問題だ」

「うん、美味いな。2つくれ」
「はいよ、毎度あり!」
屋台で試食を勧められたエフラムが歓声をあげる。もとの世界では見覚えのない果実だ。アスク王国は他の世界と繋がっているその性質からか、食材一つとっても多種多様だった。
「ほら、ヒーニアス。美味いぞ」
品物を受け取ったエフラムに、口に果実を突っ込まれる。
いきなり何をする、と文句を言いたいが口に物を含んでいる状態ではそれもできない。
せめてもの抵抗でエフラムを睨みつけるが、本人は何も気にせず同じように果実をほうばっている。
「……美味いな」
「だろう?」
「何故貴様が得意気なんだ」

二人は町外れの協会に来ていた。正確には、その跡地に。
人が居なくなってからそれなりの年月は経っていると思われるその協会は、いたる所がぼろぼろだった。什器は全体的に埃を被っていて、朽ちた天井の隙間からは夕日が差し込んでいる。
もう日が陰る時間か、とヒーニアスは割れた窓から外を眺める。遠くに見える町並みは、今も喧騒に包まれていることだろう。つい先程までエフラムとともにあるいていたはずのそこは、とても遠くに感じられた。
それはこの協会が静けさに包まれているからか、それとも──。
「……最初から分かっていた結末だとしても、受け入れられるかは別だな」
ぽつりと呟いたその言葉は、エフラムの耳には届かなかったようだ。それに何故か安堵を覚える。
「ヒーニアス」
呼ばれ、振り返る。夕日に照らされながら、朽ちた協会のなかで、エフラムが佇んでいた。
──彼にここは似合わない。
ほとんど直感的に、ヒーニアスはそう感じた。彼はもっと陽のあたる場所で、王として在るのがふさわしい。
自分だってそうだ。美しい故郷、自分が継ぐべき国。いずれ王となる者として相応しくあることが、ヒーニアスにとって一番大切なことだった。
そう、だからこれは幻想だ。
在るべきところへ戻る前の、夢のようなものだ。
これから起こることは、そこで感じた全ては、自分の心のうちに留めておくべきことではない──。
「……また難しい顔をしているな。眉間のシワが取れなくなるぞ?」
「うるさい。貴様の戯言に付き合ってこんなところまで来たのだ。用ならさっさと済ませろ」
エフラムは笑って、こちらへ近づいて来る。本心から出た言葉でないことを見透かされているような、この笑顔が苦手だった。
苦手だが、ここで目を逸らせば負けた気がする。それだけは許せるわけがない、とエフラムを見つめかえす。
「……ヒーニアス」
エフラムが手に持っていた布を広げる。──聞くのを避けていたが、それはどう見ても小さなベールだった。
ふわり、とそれをヒーニアスの頭に被せる。朽ちた教会も、柔らかなベールも、戦装束に身を包んだままの自分たちも……全てがひどく不釣り合いで不揃いで、なんだか無性に悲しくなってしまう。
「ヒーニアス、そんな顔するな」
「……どんな顔をしているというんだ」
認めるのが嫌で、ヒーニアスは聞き返す。その声と表情があべこべで、エフラムは苦笑する。
本当はヒーニアスだって分かっている。
不揃いなそれを戻さねばならないと考えるのがとても嫌で──そんなことを考えてしまう自分がもっと嫌だった。
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