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朝朗けの君へ

 夜野は夢を見ていた。夢だ、と自分で分かる夢である。

(まずいですね)

 自身が刺された記憶はある。致命傷になるには十分すぎる怪我だった。自身の体格や元々の体力を思えば今こうして夢を見ている、と分かる状態であることが奇跡のようなものである。とはいえ、これが死後の世界でないという保証もどこにもないのだが。
 かぶりを振った夜野の目の前には窓も何もない真っ白な空間があり、ぽつんと小さなブラウン管テレビのようなものが置いてある。そこではひっきりなしに映像と音が流れていた。


『やだ、いやです、おにいちゃあん』場面が切り替わる。『浅倉のお兄ちゃんね、刑事さんになるんですって』場面が切り替わる。『うたちゃん』場面が切り替わる。『歌姫、本気なの?』場面が切り替わる。『それでは、異能警察第一課。突入開始だ…ッ!』場面が切り替わる。『私、刑事になりたい』場面が切り替わる。『いいね〜顔がいいと楽できて〜』場面が切り替わる。『夜野、お前も社会人なんだから……』場面が切り替わる。『行きます。その異動、受けさせてください』場面が切り替わる。『チーフ!』場面が切り替わる。

 くるくると切り替わる映像はどれも自分にまつわるものだ。主観だったり俯瞰だったり、多少の違いはあったけれど。


『や……』
 自分が浅倉を庇った時の、彼の顔が映る。ひどく傷ついた、青ざめた顔をしていた。


 そんな顔をさせたかったわけじゃなかったな、と夜野は思う。本当は怪我なく凶刃を排し、浅倉の背は自分が守るのだと示したかっただけだ。ただ思いの外突撃の速度が速く、身を割り込ませるのが精一杯だった。結果として夜野は致命傷を負い、守りたかったはずの、誇らしげに笑ってくれたはずの、憧れて焦がれてやまないひとを傷つけてしまった。これでは意味がない。

(一刻も早くここを出なくては)
(でも、どうやって?)

 だだっ広い真っ白な空間は、どこに果てがあるのかわからない。かろうじて自分が立っていて、テレビが置いてあるからここに床があるのだろうと推測されるのみだ。それ以外のヒントは何もなく、現実味の薄い、冗談のような白だけが広がっている。

(脱出の糸口を探さないと)

 テレビの映像と音は止まない。夜野の転機や不快の思い出を中心に流しているらしいそれは、スキル犯罪に立ちむかった時の映像も繰り返し示している。事件を調べ、戦い、傷つき、頽れそうになる体と心に鞭打って走ったあの数カ月の記憶。常人には想像もつかないような異能は、幾度となく夜野や仲間たちを救ってきた。
 そこで、はた、と気づく。夜野は自分の手のひらを見た。
 ぱちり。手のひらの中心から指先に向かって、懐かしい白みがかった橙の閃光が弾ける。


『異能は、その人の中に眠る九十パーセント近い未知の可能性を引き出したもので』


 あの事件の後聞いた言葉がテレビから流れる。あれは誰に聞いたのだったか。


『つまり、窮地の時に生じる火事場の馬鹿力みたいなものを、異能薬を使用することで無理やり引き出していた状態なんですよ』


 夜野の口角が上がった。
 テレビの映像はいつしか切り替わり、病室で眠る自分自身を俯瞰するような映像に切り替わっている。化粧っけのない顔と小柄な体格。口元からはしゅーっ、しゅーっ、と規則正しく空気が体内に押し込まれている。どこからどう見ても、死に直面した窮地にあるように見えた。

(異能が、窮地を打破するためにある自分の隠された能力であるならば)

 夜野は自分の体に意識を集中させる。血管の一つ一つを開き、細胞単位で体を動かすことを想像する。
 ここに天はない。あの時のように雨雲を呼び出し、自然の力を借りることはできない。使えるのは、自分の体ひとつだ。だから夜野はあの時よりも丁寧に自分の体を把握する。
 血液を変換する感覚。酸素を変換する感覚。身体中がじわじわと力を帯びていく。それは、ばちばちと音を立てながら夜野の体を駆け巡る。

(死にかけるなんていう特大の窮地で、使えないはずがない)

 それは光、あるいは熱。膨大な量の電気は夜野の全身を包み、轟、と音を立てた。
 あれ以降使うことができなくなっていた夜野の異能は、この窮地を打破するための力になるだろう。
 夜野は静かに狙いを定めた。無尽蔵に広がる世界で、唯一外に繋がっていそうなもの。ここにきた時からずっと、夜野に何かを示し続けてきたもの。拳を構え、テレビへ直進する。右腕を振りかぶれば、雷はその意を得たりと言わんばかりに拳の周りに集まった。そのまま、力いっぱい打ちつける。硬い盤面に突き当たった拳が痛むのを無視してさらに力を込めた。ばちん、という爆音と共にテレビがショートする。


『……!!』


 映像の映らなくなったテレビから、音だけが聞こえる。複数の人間が自分の名を呼ぶ声。ぼやけて聞こえるようなそれも、夜野には誰の声かわかる。
 見守るような、励ますような、力付けるような、揶揄うような、彼らの声。
 それから、それから。
 電圧が増していくのを感じる。一度拳に集中したはずの雷撃たちは、その圧を増しながら全身に広がっていく。ばちばち、ばりばり。DAP時代に慣れ親しんだ感覚は、きっと彼の声に呼び起こされたのだろう。


「……雷光、石火!」


 かつての異能名を叫び、夜野は攻撃を続けた。ぶすぶすと何かが焦げる音と、鼻につく焦げる匂いがあがってくる。構うものか。とどめだ、夜野は体をテレビに捩じ込むように体当たりした。

 ばつん!!

 ブレーカーが落ちるのに似た音と共に夜野の周りの空間が暗転する。黒一面に変わった世界で夜野は自身の何かが破壊したテレビに吸われていくのを感じた。
 帰れるのだろうな、と思う。明確な根拠はないが、こういう経験が多いだけに妙な確信があった。体の力を抜いて、謎の力に身を任せる。

『夜野!』

 帰らなければ、と思う。夜野は自分から、テレビの方へ飛び込んでいく。
 チーフで、憧れの人で、恋する相手でもある浅倉が自分を呼ぶのであれば、できる限り早急に向かわなければと思ったので。


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