Rの証明
琴子とらあらは窺い知ることしかできなかったが、【九之山】の一族に生まれた瀧本綾也にとって依頼を達成することは当然のことであり、絶対の目標でもあった。退魔士として大成することこそが、自分自身を認めてもらう手段に他ならなかったからだ。これまでは若さゆえになかなか大きな依頼を任せてもらえなかったが、ようやくこの佐々熊市の連続殺人事件を担当できるようになったのだ。絶対に失敗するわけにはいかないし、手柄を横取りされるわけにもいかない。だからこそ先日対峙した弱小事務所の、それも二人しかいないチームには釘を刺したのだが。
「何の用ですの、【九之山】」
「つれないことを言いますね。琴子お姉さまと、先日僕にとんでもない無礼を働いてくれたそちらのお嬢さんにとってはいいお話を持ってきたんですよ?」
「あなたの話し方が、明らかに脅迫の類だから警戒していますのよ」
琴子に冷たくあしらわれるが、綾也は気にせず笑顔で話しかける。対象を取り逃して動揺しているのは琴子とらあらだが、綾也としてもここで交渉決裂するのは避けたい。
「ああ、それは僕の話し方が至らないからです。本当にいいお話なんですよ? もちろんお姉さま方に後から何かを要求したりしません。僕の要求はたった一つですから」
琴子はじっと綾也の目を見る。綾也もじっと琴子を見つめ返す。沈黙を割ったのはずかずかというオノマトペがこの上なく似合う足音を立てながら近づいてきたらあらだった。彼女はそのままの勢いでガラス戸のロックを外すと、顔を上げた綾也に話しかける。
「確かに自分たちは今この上なく困ってる。それを君は解決できるんだろ。で、要求は?」
自分で持ちかけた交渉ながら、琴子ではなくらあらにそれを受けられたことに綾也は若干面食らう。それを察したのだろう、らあらは琴子に目線を向けた。彼女の意を察した琴子は綾也に向き直り大げさに肩をすくめて見せる。
「ですって。わたしたちは二人しかいないチームですから、相方の意見はなるべく尊重するように決めてますの。まあ、確かに現状手詰まりですしね。要求が余程のものでなければ飲むほうが賢いでしょう」
「そうそう。自分が自力で探せりゃいいんだけど、まあもともと探知に特化してるわけじゃないし、何より市内を全力で逃げられたら無理だ。その点、君は自由に動かせる手ごまもあるんだろ?」
「……ええ。ですが、驚きました。僕の協力を得るということは、お姉さま方が独力でこの依頼を解決したことにならないんですよ? お姉さま方がそんなにあっさりプライドをお捨てになると思っていなかったので」
綾也の言葉に琴子とらあらは顔を見合わせ、そして数秒の沈黙ののち、二人は同時に笑い始めた。呆気に取られていた綾也は我に返り、尋ねる。何がおかしいのか、と。それに対して二人は何もおかしくないと前置きをしたうえで、彼女たちの答えを返した。
「自分たちのプライドは、誰が依頼を解決するかなんてところにはないのさ」
「わたしたちのプライドは、“依頼人の依頼が正しく達成されること”にしかありませんわ」
そうして悪戯っぽく笑う。
「今回の依頼はあの妖魔をさつきさんから引きはがし、退治すること。現状わたしたち二人ではそれを達成することが難しい。それなら他者の……それも、優秀だと分かっている人間の力を借りるのは当然のことでしょう」
琴子の言葉に、綾也は少し考え込む。彼が初め二人に要求しようとしていたのは“この事件を解決したのは【九之山】の力だということにすること”だった。両親に、他の親族に、十家の面々に、世間に。【九之山】の綾也ありと示すためにはそれが必要不可欠だ。それは彼が最も求めることであり、この二人が同じ事件に関する依頼を受けている限りどこかで話をつけなければならないことでもある。今の二人の返事を聞いている限りでは、二人がこの要求を拒むことはないだろう。
しかし綾也の心の中に何かもやりとしたものが広がる。怒りとも悲しみとも異なる、言葉にするのが難しい不快感に近いもの。目の前の二人の退魔士としての在り方と、居間の自分の在り方を比較すると胸に沸き立つその感情じみたものは、綾也の言葉を変えさせるには十分だった。
「……わかりました。試すような真似をしてすみません」
居住まいを正した綾也に琴子とらあらの表情が真剣みを帯びる。綾也は二人の目を見つめて言葉を続けた。
「探知は僕と、僕が連れてきたメンバーで行います。お姉さま方には位置情報をお伝えしますから、共に妖魔を叩いていただければ……」
「心得た。じゃあ、あとは君の言う要求とやらだけだね」
らあらの言葉に綾也は少し動きを止める。
「僕は……僕の要求は、どうやらもう半分ほど叶ったようなので。もう半分はこの依頼を無事に終えてから叶えてもらうことにします」
そして彼は眉尻を下げてふにゃりと笑う。琴子も久方ぶりに見る、年相応の少年の笑顔だった。
綾也は照れくさそうに笑った後、「さて」と声を出して自分の頬を軽くたたく。次に顔を上げた時、そこにあったのは先ほどまでの子供らしい笑みではなく、最初に会ったときのような退魔士としての顔だった。
「寺岡、光永! 捜査対象を妖魔からリストDの大和さつきにシフト、位置情報を通達しなさい。僕は別行動を取ります!」
インカムに必要事項だけを通知し、綾也は「先に出て別隊に指示を出してきます。それが終わったら移動しながら互いの情報を共有しましょう」とだけ言うとすたすたと庭のほうから出て行ってしまう。
「なんなんでしょうね、あの子の願いって……。終わってからとんでもないものを要求されたらどうしましょう」
困惑しきった様子の琴子とは対照的に、らあらはにまにまと口の端が上がっていくのを感じていた。それはない、と根拠はないが確信めいたものがある。もしかしたらそれは、かつてのらあらが抱いていたものと綾也が抱いていたものが似ていたからかもしれなかった。琴子の肩にぽんと手を置き、先ほどよりも幾分か砕けた口調で言う。
「いい、いい。気にすることはないさ。それよりも合流しよう。偉そうなことを言ったんだから、自分のプライドくらいは通さないとね」
居間で未だ放心している春正に形式上「退魔の依頼を続行します」とだけ声をかけ、大和宅を出る。先ほどの宣言通り綾也は家の前に大人しく佇んでいた。
「別隊全体に大和さつきの捜索指示を出しました。別の退魔士の依頼人にあたるためむやみに手を出さないようにとも伝えています」
綾也の言葉に琴子は僅かに胸を撫でおろす。血の気の多い退魔士には妖魔が取り憑いた対象ごと退魔を行おうとする者もいる。手を出してはいけないことを明文化しておくに越したことはない。その様子を見た綾也は「こちらのほうで似た背格好の人物の目撃情報があるそうですから、探しましょう」と言いながら早足で進み始めた。
「……お姉さま方はいつから、大和さつきが怪しいと思っていたんです? 僕も初めこそ怪しいと思いましたが、僕と行動を共にしている退魔士たちも彼女からは時折しか妖魔の気配を感じなかった。なるなら雛岸湊の次の犠牲者くらいだろうと高をくくっていたのですが……」
歩きながら綾也は問いかける。琴子はそれに一つ頷いて答えた。
「わたしたちは二人しかいないチームですから、探知を専門に行うことができません。なので早々に能力を使った調査には見切りをつけて、徹底的に事件にかかわった人物を洗うことにしたんです」
「昔の刑事ドラマかって感じだよね。ココが足で稼ぐって言ったとき正気かって思ったもん。んでそれがまた、本当に文字通りなんだからまいっちゃうよ」
「……ヒアリングをして断られていたあたりまでは僕らも動きを見ていましたが、それで何かわかったんですか?」
「ヒアリングはもちろんですが、それがすべてではありませんから……依頼の際にいただく情報を一から徹底的に洗いなおしました。そのうえで気になった人物や場所に調査をかけました」
口で言うのは簡単だが、実際の行動量はすさまじい。らあらは少々げっそりとした様子で笑ったが、綾也はそれを笑えなかった。実地での調査は、地の能力が高ければ高いほど疎かにしがちになる。事実それで大和さつきという危険分子を見落としていたのだから、世話なかった。
「もちろんさつきさんを最初に怪しいと思ったのはあなたが言ったように妖魔の気配があったからですし、最初と直近の被害者に縁がある人物だったというのもあります。でもそれより気になったのが、被害者の状況でした」
状況、と綾也は首をかしげる。死因は様々だが皆一様に“赤いもの”——正確には形状も含めて“赤くて丸みを帯びているもの”を身に着けており、腹を裂かれて中に石を詰め込まれている。そこまでは綾也でなくとも、ある程度この事件にかかわっている人間なら容易にたどり着けるだろう。妖魔が好みそうな猟奇的なイタズラだ、というのが当面の見解だった。
琴子は綾也の様子を見て小さく首を横に振る。
「なまじ有名になって“赤ずきん”と名前が付けられたために見落としていました。あの妖魔の力をもってすれば並大抵の人間が殺せるのに、被害者が女性、しかも比較的若い女性に限定されているのはなぜだと思いますか?」
琴子の言葉に綾也は考え込む。人間の犯行であれば自分でも殺せそうな相手を見作ろうということがあるだろうが、相手は妖魔である。常識も力も通用しないような存在がなぜ女性を限定的に狙ったのか。そこで綾也は思考を次々に切り替える。
若い女性に対しての怨恨か? しかしそれだけでは腹を裂き石を詰め、縫合までするだろうか。もっと無残な殺し方がありそうだ。
では執着か。さつきに取り憑いたように自身の器にしようとして合わなかったから殺した? いや、先ほどと同様に遺体に施した様々な処置の説明がつきづらい。腹を裂くだけならまだしも、なぜ石などを詰める必要がある?
「頭を柔らかくしなよ、【九之山】の。とはいっても君には縁遠いものだから、思い当たらないかもしれないな」
「縁遠い?」
「うん。性別的にも、それから今まで受けてきた依頼的にもね。自分たちなんかはもともと小さな家とかを中心に依頼を受けてるから、気分のいいものじゃないけどそういうのに近しい依頼を受けたことがあったよ」
らあらの言葉に再び考えを巡らせる。性別、家で起こる妖魔にまつわる依頼、腹を裂き、石を詰める。
「……腹の、中?」
口にした瞬間、それまであいまいだった情報たちが徐々につながりを見せる。綾也の言葉に琴子は頷き、しかし苦い顔で言った。
「性別によって備わっている内臓は異なりますが、今回の被害者に共通する十代から四十代という年齢では活発に働きやすい臓器がありますわ」
「卵巣……いえ遺体の状況を鑑みれば子宮、ですか。石を詰めて膨らませているのは、妊娠を意味している?」
「おそらくは。そして子宮に執着しているのであれば、腹部に詰められた石は腹を膨らませる道具以外の意味を持つのではないかと考えたのです」
赤ずきん連続殺人事件という名称の要因にもなった、石を詰められた腹。手近には被害者たちの所持品などが散乱しており、腹を膨らませるだけならそれらを使えば事足りたはずだ。わざわざ石だけを選んで詰めたのには確かに理由がありそうだ。
しかし綾也にはそこから先がピンとこなかった。先ほどのらあらの言葉が何かしらのヒントになっているのだと察しはついたが、小規模な依頼にとんと縁がなかったので一般人が依頼するような家にまつわる依頼から連想できるものがほとんどなかったのだ。
綾也が言葉に詰まったのを見かねてらあらが口を開く。
「君は、賽の河原を知っているかい」
「親より先に死んだ子どもが石を積まなければならないという……そういう信仰があるのだというのは知っています」
民間信仰だけどね、とらあらは器用に片目を閉じる。まだ幼い綾也が知らなくても不思議はない。らあらにしても琴子にしても、それを知っていたのは今までの依頼があったからだ。小規模な——一対一の恨み言などに起因する妖魔の暴走で最も多いものは、痴情のもつれであり、その中には子供が絡むようなものもあるのだ。幼いという言葉すら使えないような子供がかかわるような事件が。
「いかなる理由があったとしても、親より先に亡くなった子供は親不孝の罪を償うために賽の河原で懸命に石を積みます。石の塔が完成したら親の供養が済んだとみなされるのですが、それより早く鬼が来て塔を崩してしまうのです」
琴子は説明を引き継ぐ。
「それが罰になる、ということですか? 随分と大人というのは勝手ですね」
「それはわたしも概ね同意しますわね。幼子に積んでも積んでも終わらない永遠の責め苦を与えるなど……。ですが、鬼にも崩せない石の塔があるのですよ」
ぴたり、歩いていた琴子の足が止まる。らあらと、二人を追うように歩いていた綾也の足も止まった。びりびりと震えるような寒気があたりに満ちてくる。綾也のインカム越しに「発見しました」という硬質な声も聞こえてくる。
「親がね、亡くした子供のことを思って積んだ石は鬼にも崩せないのですって。だから余計に思ったのです、さつきさんは……妖魔に取り憑かれて殺人を行っているだけでなく、ご自身のお子さんを亡くされて、それを弔いたいという気持ちから、あんなことをしていたのではないかと」
三人の十数メートル先で、ずっと聞こえていた人のものではない足音が止まる。歯の根が震えるような寒気のその先には、白刃をきらめかせながら大和さつきが幽鬼の如く微笑んでいた。
「何の用ですの、【九之山】」
「つれないことを言いますね。琴子お姉さまと、先日僕にとんでもない無礼を働いてくれたそちらのお嬢さんにとってはいいお話を持ってきたんですよ?」
「あなたの話し方が、明らかに脅迫の類だから警戒していますのよ」
琴子に冷たくあしらわれるが、綾也は気にせず笑顔で話しかける。対象を取り逃して動揺しているのは琴子とらあらだが、綾也としてもここで交渉決裂するのは避けたい。
「ああ、それは僕の話し方が至らないからです。本当にいいお話なんですよ? もちろんお姉さま方に後から何かを要求したりしません。僕の要求はたった一つですから」
琴子はじっと綾也の目を見る。綾也もじっと琴子を見つめ返す。沈黙を割ったのはずかずかというオノマトペがこの上なく似合う足音を立てながら近づいてきたらあらだった。彼女はそのままの勢いでガラス戸のロックを外すと、顔を上げた綾也に話しかける。
「確かに自分たちは今この上なく困ってる。それを君は解決できるんだろ。で、要求は?」
自分で持ちかけた交渉ながら、琴子ではなくらあらにそれを受けられたことに綾也は若干面食らう。それを察したのだろう、らあらは琴子に目線を向けた。彼女の意を察した琴子は綾也に向き直り大げさに肩をすくめて見せる。
「ですって。わたしたちは二人しかいないチームですから、相方の意見はなるべく尊重するように決めてますの。まあ、確かに現状手詰まりですしね。要求が余程のものでなければ飲むほうが賢いでしょう」
「そうそう。自分が自力で探せりゃいいんだけど、まあもともと探知に特化してるわけじゃないし、何より市内を全力で逃げられたら無理だ。その点、君は自由に動かせる手ごまもあるんだろ?」
「……ええ。ですが、驚きました。僕の協力を得るということは、お姉さま方が独力でこの依頼を解決したことにならないんですよ? お姉さま方がそんなにあっさりプライドをお捨てになると思っていなかったので」
綾也の言葉に琴子とらあらは顔を見合わせ、そして数秒の沈黙ののち、二人は同時に笑い始めた。呆気に取られていた綾也は我に返り、尋ねる。何がおかしいのか、と。それに対して二人は何もおかしくないと前置きをしたうえで、彼女たちの答えを返した。
「自分たちのプライドは、誰が依頼を解決するかなんてところにはないのさ」
「わたしたちのプライドは、“依頼人の依頼が正しく達成されること”にしかありませんわ」
そうして悪戯っぽく笑う。
「今回の依頼はあの妖魔をさつきさんから引きはがし、退治すること。現状わたしたち二人ではそれを達成することが難しい。それなら他者の……それも、優秀だと分かっている人間の力を借りるのは当然のことでしょう」
琴子の言葉に、綾也は少し考え込む。彼が初め二人に要求しようとしていたのは“この事件を解決したのは【九之山】の力だということにすること”だった。両親に、他の親族に、十家の面々に、世間に。【九之山】の綾也ありと示すためにはそれが必要不可欠だ。それは彼が最も求めることであり、この二人が同じ事件に関する依頼を受けている限りどこかで話をつけなければならないことでもある。今の二人の返事を聞いている限りでは、二人がこの要求を拒むことはないだろう。
しかし綾也の心の中に何かもやりとしたものが広がる。怒りとも悲しみとも異なる、言葉にするのが難しい不快感に近いもの。目の前の二人の退魔士としての在り方と、居間の自分の在り方を比較すると胸に沸き立つその感情じみたものは、綾也の言葉を変えさせるには十分だった。
「……わかりました。試すような真似をしてすみません」
居住まいを正した綾也に琴子とらあらの表情が真剣みを帯びる。綾也は二人の目を見つめて言葉を続けた。
「探知は僕と、僕が連れてきたメンバーで行います。お姉さま方には位置情報をお伝えしますから、共に妖魔を叩いていただければ……」
「心得た。じゃあ、あとは君の言う要求とやらだけだね」
らあらの言葉に綾也は少し動きを止める。
「僕は……僕の要求は、どうやらもう半分ほど叶ったようなので。もう半分はこの依頼を無事に終えてから叶えてもらうことにします」
そして彼は眉尻を下げてふにゃりと笑う。琴子も久方ぶりに見る、年相応の少年の笑顔だった。
綾也は照れくさそうに笑った後、「さて」と声を出して自分の頬を軽くたたく。次に顔を上げた時、そこにあったのは先ほどまでの子供らしい笑みではなく、最初に会ったときのような退魔士としての顔だった。
「寺岡、光永! 捜査対象を妖魔からリストDの大和さつきにシフト、位置情報を通達しなさい。僕は別行動を取ります!」
インカムに必要事項だけを通知し、綾也は「先に出て別隊に指示を出してきます。それが終わったら移動しながら互いの情報を共有しましょう」とだけ言うとすたすたと庭のほうから出て行ってしまう。
「なんなんでしょうね、あの子の願いって……。終わってからとんでもないものを要求されたらどうしましょう」
困惑しきった様子の琴子とは対照的に、らあらはにまにまと口の端が上がっていくのを感じていた。それはない、と根拠はないが確信めいたものがある。もしかしたらそれは、かつてのらあらが抱いていたものと綾也が抱いていたものが似ていたからかもしれなかった。琴子の肩にぽんと手を置き、先ほどよりも幾分か砕けた口調で言う。
「いい、いい。気にすることはないさ。それよりも合流しよう。偉そうなことを言ったんだから、自分のプライドくらいは通さないとね」
居間で未だ放心している春正に形式上「退魔の依頼を続行します」とだけ声をかけ、大和宅を出る。先ほどの宣言通り綾也は家の前に大人しく佇んでいた。
「別隊全体に大和さつきの捜索指示を出しました。別の退魔士の依頼人にあたるためむやみに手を出さないようにとも伝えています」
綾也の言葉に琴子は僅かに胸を撫でおろす。血の気の多い退魔士には妖魔が取り憑いた対象ごと退魔を行おうとする者もいる。手を出してはいけないことを明文化しておくに越したことはない。その様子を見た綾也は「こちらのほうで似た背格好の人物の目撃情報があるそうですから、探しましょう」と言いながら早足で進み始めた。
「……お姉さま方はいつから、大和さつきが怪しいと思っていたんです? 僕も初めこそ怪しいと思いましたが、僕と行動を共にしている退魔士たちも彼女からは時折しか妖魔の気配を感じなかった。なるなら雛岸湊の次の犠牲者くらいだろうと高をくくっていたのですが……」
歩きながら綾也は問いかける。琴子はそれに一つ頷いて答えた。
「わたしたちは二人しかいないチームですから、探知を専門に行うことができません。なので早々に能力を使った調査には見切りをつけて、徹底的に事件にかかわった人物を洗うことにしたんです」
「昔の刑事ドラマかって感じだよね。ココが足で稼ぐって言ったとき正気かって思ったもん。んでそれがまた、本当に文字通りなんだからまいっちゃうよ」
「……ヒアリングをして断られていたあたりまでは僕らも動きを見ていましたが、それで何かわかったんですか?」
「ヒアリングはもちろんですが、それがすべてではありませんから……依頼の際にいただく情報を一から徹底的に洗いなおしました。そのうえで気になった人物や場所に調査をかけました」
口で言うのは簡単だが、実際の行動量はすさまじい。らあらは少々げっそりとした様子で笑ったが、綾也はそれを笑えなかった。実地での調査は、地の能力が高ければ高いほど疎かにしがちになる。事実それで大和さつきという危険分子を見落としていたのだから、世話なかった。
「もちろんさつきさんを最初に怪しいと思ったのはあなたが言ったように妖魔の気配があったからですし、最初と直近の被害者に縁がある人物だったというのもあります。でもそれより気になったのが、被害者の状況でした」
状況、と綾也は首をかしげる。死因は様々だが皆一様に“赤いもの”——正確には形状も含めて“赤くて丸みを帯びているもの”を身に着けており、腹を裂かれて中に石を詰め込まれている。そこまでは綾也でなくとも、ある程度この事件にかかわっている人間なら容易にたどり着けるだろう。妖魔が好みそうな猟奇的なイタズラだ、というのが当面の見解だった。
琴子は綾也の様子を見て小さく首を横に振る。
「なまじ有名になって“赤ずきん”と名前が付けられたために見落としていました。あの妖魔の力をもってすれば並大抵の人間が殺せるのに、被害者が女性、しかも比較的若い女性に限定されているのはなぜだと思いますか?」
琴子の言葉に綾也は考え込む。人間の犯行であれば自分でも殺せそうな相手を見作ろうということがあるだろうが、相手は妖魔である。常識も力も通用しないような存在がなぜ女性を限定的に狙ったのか。そこで綾也は思考を次々に切り替える。
若い女性に対しての怨恨か? しかしそれだけでは腹を裂き石を詰め、縫合までするだろうか。もっと無残な殺し方がありそうだ。
では執着か。さつきに取り憑いたように自身の器にしようとして合わなかったから殺した? いや、先ほどと同様に遺体に施した様々な処置の説明がつきづらい。腹を裂くだけならまだしも、なぜ石などを詰める必要がある?
「頭を柔らかくしなよ、【九之山】の。とはいっても君には縁遠いものだから、思い当たらないかもしれないな」
「縁遠い?」
「うん。性別的にも、それから今まで受けてきた依頼的にもね。自分たちなんかはもともと小さな家とかを中心に依頼を受けてるから、気分のいいものじゃないけどそういうのに近しい依頼を受けたことがあったよ」
らあらの言葉に再び考えを巡らせる。性別、家で起こる妖魔にまつわる依頼、腹を裂き、石を詰める。
「……腹の、中?」
口にした瞬間、それまであいまいだった情報たちが徐々につながりを見せる。綾也の言葉に琴子は頷き、しかし苦い顔で言った。
「性別によって備わっている内臓は異なりますが、今回の被害者に共通する十代から四十代という年齢では活発に働きやすい臓器がありますわ」
「卵巣……いえ遺体の状況を鑑みれば子宮、ですか。石を詰めて膨らませているのは、妊娠を意味している?」
「おそらくは。そして子宮に執着しているのであれば、腹部に詰められた石は腹を膨らませる道具以外の意味を持つのではないかと考えたのです」
赤ずきん連続殺人事件という名称の要因にもなった、石を詰められた腹。手近には被害者たちの所持品などが散乱しており、腹を膨らませるだけならそれらを使えば事足りたはずだ。わざわざ石だけを選んで詰めたのには確かに理由がありそうだ。
しかし綾也にはそこから先がピンとこなかった。先ほどのらあらの言葉が何かしらのヒントになっているのだと察しはついたが、小規模な依頼にとんと縁がなかったので一般人が依頼するような家にまつわる依頼から連想できるものがほとんどなかったのだ。
綾也が言葉に詰まったのを見かねてらあらが口を開く。
「君は、賽の河原を知っているかい」
「親より先に死んだ子どもが石を積まなければならないという……そういう信仰があるのだというのは知っています」
民間信仰だけどね、とらあらは器用に片目を閉じる。まだ幼い綾也が知らなくても不思議はない。らあらにしても琴子にしても、それを知っていたのは今までの依頼があったからだ。小規模な——一対一の恨み言などに起因する妖魔の暴走で最も多いものは、痴情のもつれであり、その中には子供が絡むようなものもあるのだ。幼いという言葉すら使えないような子供がかかわるような事件が。
「いかなる理由があったとしても、親より先に亡くなった子供は親不孝の罪を償うために賽の河原で懸命に石を積みます。石の塔が完成したら親の供養が済んだとみなされるのですが、それより早く鬼が来て塔を崩してしまうのです」
琴子は説明を引き継ぐ。
「それが罰になる、ということですか? 随分と大人というのは勝手ですね」
「それはわたしも概ね同意しますわね。幼子に積んでも積んでも終わらない永遠の責め苦を与えるなど……。ですが、鬼にも崩せない石の塔があるのですよ」
ぴたり、歩いていた琴子の足が止まる。らあらと、二人を追うように歩いていた綾也の足も止まった。びりびりと震えるような寒気があたりに満ちてくる。綾也のインカム越しに「発見しました」という硬質な声も聞こえてくる。
「親がね、亡くした子供のことを思って積んだ石は鬼にも崩せないのですって。だから余計に思ったのです、さつきさんは……妖魔に取り憑かれて殺人を行っているだけでなく、ご自身のお子さんを亡くされて、それを弔いたいという気持ちから、あんなことをしていたのではないかと」
三人の十数メートル先で、ずっと聞こえていた人のものではない足音が止まる。歯の根が震えるような寒気のその先には、白刃をきらめかせながら大和さつきが幽鬼の如く微笑んでいた。
