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暁月編

 今まで二十年近く生きてきて、一度たりとも自分の容姿を嫌だと思ったことはない。夜明けの空のような色合いの髪も、朝と夕を閉じ込めた瞳も、自身の生まれ育った広大な自然を生き抜くために必要な漆黒の鱗や角や尾も、どれも自身を構成する重要な要素であり、異邦人と指さされようが気にしたことはなかった。

「……うーん……」

 そんなニーナだったが、今日ばかりは困り果てている。冒険者という職業柄、手持ちの服の数は少なく、その中でさらにフォーマルな印象のものとなるとよりいっそう少ない。かろうじて白魔導士として活動するとき、ミラージュプリズム上に投影させているスプリングドレスがあるくらいだろうか。いやしかし、白色のワンピースというとあまりにもかわいらしすぎる。カララントでも使って表面上だけ色を付けたほうがいいだろうか。上品な雰囲気にするなら深い紫色もよいかもしれないが……。
 うんうん唸っていると借りている部屋―オールド・シャーレアンにあるバルデシオン分館のナップルーム―の戸が叩かれる。

「私よ。入っていい?」

 アリゼーの声にニーナは短くいいよ、と答える。扉を開けたアリゼーは服を持ったまま唸るニーナを見て困ったように笑った。

「まだ悩んでるの?」
「……そりゃ、悩むよ」
「大丈夫よ。別に公の場に出ようってわけじゃないんだから、いつも通りのあなたでもいいくらい」

 そういうわけには、という言葉を飲み込む。ニーナにとってはそれなりに大それたイベントなのだが、アリゼーにそれを理解してくれとはなかなか言い難いのだ。なにせ、今ニーナが悩んでいるのは彼女の生家に訪問する際の服装についてなのだから。彼女に言わせれば、「エオルゼア全土の重鎮たちが揃う会合やその後のパーティーで臆した様子もないのに何故いち家庭への訪問でそんなにも過敏になるのか……」というわけだ。
 無論、ニーナの側にも言い分はある。エオルゼアの重鎮たちは肩書を見れば立派なものだが、彼女にとってみればそのほとんどが大きな戦いを共に乗り切ったり、一時とはいえ生活を共にしたりした友人のようなもの。イシュガルドの代表を務めるアイメリクにせよドマの国主たるヒエンにせよ、家を行き来するような仲だ。もはやそれぞれの土地における第二第三の実家のようになっている。彼らに関しては友人よりむしろ親戚のような感覚のほうが強い。そんな間柄の人間しかいない会合と比べて、アリゼーの生家であるルヴェユール家はまだまだ付き合いの浅い家であり、緊張するなと言われた方が無理な話である。

「第一あなた、お母様とは結構頻繁に会ってるんでしょう? 家の方に顔出してる機会だって、下手すれば私たちより多いじゃない」
「それは……あれは、なんというか仕事の一環だから」

 確かにルヴェユール家の奥方であるアメリアンスとニーナは終末の一件が片付いて以来、比較的よく会っている。しかしそれは友人同士の付き合いというわけではなく、彼女が支援している留学生受け入れ活動に材料や物資の支援要員として関係しているだけのこと。まだそこまで込み入った話ができているわけでもないし、先に出たボーレル子爵邸や帰燕館、フォルタン伯爵邸の中にいるときほど気を抜いているわけでもない。アメリアンス自身はそれを寂しがっているような言動も多かったが……ニーナにはどうしても彼女の朗らかな人づきあいを受け入れる決心がつかなかった。と、いうのも。

「いまさら、どのツラ下げて訪問しろって感じも、あるし……」

――ニーナ!

 嬉しそうにニーナを呼ぶ声が角の奥で響く。すっかり大人びてきた声は、ニーナを呼ぶときだけほんの少し明るく甘く響く。

 つまり、そういうことだった。

「どのツラって……そんなに気にすることでもないじゃない。“今までは職人とか暁の人間として出入りしてたけど、これからはアルフィノの恋人としてよろしく”ってだけでしょ?」
「わああ!」

 恋人、という単語に反応してニーナはその顔を真っ赤に染める。ぶわぁ、と持ち上がった尾にアリゼーも多少驚いたのか声をあげた。

「な、なによ急に大きな声出して!」
「そ、それが問題なんじゃない……!」

 スプリングドレスを握りしめたままニーナはしゃがみ込んだ。ケスティル族のアウラにしては多弁な、しかしそれでも他部族や他種族の人々と比べれば寡黙な彼女にしては珍しく弾丸のように言葉を放つ。

「だって、暁の英雄だの留学生支援の物資担当だの、いろんな面で関わらせてもらったけど、今まで一度だってアルフィノとの関係なんて口にしてないのよ? 今までなんの挨拶もなかったのに何でいまさら、ってなりそうじゃない!ただでさえも他種族だし年上だし、フルシュノさんに至っては、終末問題が差し迫っていたとはいえ結構正面切って失礼なことも言ってるし……印象いいわけがないよう……」
「あら、久しぶりに出たわね、うじうじニーナ」

 アリゼーは半ばパニックを起こしているニーナを見てけらけらと笑う。
 蛮神を退け、人と竜との争いに終止符を打ち、圧政に苦しむ国を救い、異なる世界の統一を防ぎ、星の存亡をかけた戦いに勝利することができるような文字通りの“英雄”であるものの、彼女は時折こうして自信を地の底まで落とすことがあった。初めて彼女のこの姿を見た時、アリゼーはたいそう驚いたものだ。もっとも、彼女のこの姿を以前から知っていたアリゼーの兄に言わせれば「彼女だって普通の女の子だからね」ということなのだが。

「ほぉら、顔上げなさいよ。泣いたって喚いたって約束の時間は待ってくれないわ」
「うぅぅううえぇぇ」
「変な声上げてないで、ほら、ニーナ立って! 服が着替えられたらクルルが簡単なメイクをしてくれるって言ってたわ。家の前までは私も一緒に行ってあげるから」

 ほとんど泣き顔になっているニーナを急き立てる。ニーナはぐずぐずと何やら声にならない声―後で聞くと、ケスティル族がよく使う不平不満を表す音らしかった―をあげていたものの、のろのろと着替え始めた。色味は白のままでいいらしい。鍛えられた体に浮かぶいくつもの傷跡は、やがて柔らかなシフォン地のワンピースドレスによって見えなくなる。

「第一ねえ、あなたとアルフィノが恋人になったのはウルティマ・トゥーレから帰った後でしょう? お父様に食って掛かったのはそれより前だし、そのあとは私たちがガレマルドのほうに行っちゃって、なかなか紹介する時間が取れなかっただけじゃない」
「そうだけど……でもやっぱり礼儀知らずって思われるんじゃないかって……。そもそもこっちが伝える前になんかばれちゃってる形だし……」

 あー、とアリゼーは何とも言えない声をあげる。二人の恋仲は親しい知り合いには通達済みだったが、ルヴェユール家に関しては“ばれた”という言い方が正しい。ルヴェユール家に出入りする商人が、二人をリムサ・ロミンサで見かけたときの話をしてしまったのだ。使用人たち曰くアメリアンスもフルシュノも否定的な反応ではなかったらしいが……当事者からすれば気が気ではなかろう。アリゼー自身は気にしていないとはいっても、やはりルヴェユール家は名家である。ましてその跡取りとなるであろう息子の恋人ならばなおのこと。
 着替え終わり、崩れた髪型を整えて鏡を確認したニーナは力なく頭を振る。

「おなかいたいきがする」
「子どもじゃないんだから……」
「どうしよう、納品の時に見るアメリアンスさんの普段着ですらあんなに上質なものなのに……やっぱり、一張羅がこんな普通のワンピースだとまずいんじゃないかな……ああでもあとフォーマルなやつってなったらイシュガルドのドレスしかない……」
「お母様から私たちのと似たデザインの服もらったんでしょ? それじゃダメなの?」

 アメリアンスから、『ニーナさんにも二人とおそろいの服を渡したのよ』と嬉しそうな手紙が送られてきたのは記憶に新しい。しかし、よく考えれば彼女がそれに袖を通しているのは見たことがなかった。気に入らなかったのかしら、という一抹の不安とともにアリゼーは尋ねる。
 ニーナは再び頭を振ると、小さな声で「だって、アルフィノもそれ着てくるでしょ」と呟く。

「お付き合いしてます、って挨拶に行くのにおそろいの服着てたら、なんか……ちょっと気まずいことない?」
「……まあ、分からないでもないわね」

 アリゼーも頷く。見た目が俗にいうバカップルになってしまいかねない。たしかに、親にあいさつに行くのにわざわざ着るものでもあるまい。
 話している間に腹が決まったのか―はたまた諦めたのか―、ニーナは伸びをしたあと、長く息を吐いた。それを聞いてアリゼーは「あら」と思う。彼女が戦いに赴く前、精神統一を終えた時と似た息遣いだったからだ。どうやら先ほどの推察は、前者が正解だったらしい。

「仕方ない。選択肢はこれしかないもんね」

 スカートの裾をつまみ、その場でふわりと一回りしてみる。見慣れない服ではあるが、なるほど、着てみればやはり様になるものである。

「やあ、支度はできたかい?」

 ――と、半開きだった扉の向こうからそんな声がする。もう一人の当事者の登場にニーナは一瞬固まる。アリゼーは何でもないような様子で「ええ、あとはクルルにメイクをお願いするくらいよ」よ答えた。その返事を聞いて、部屋の内側に男が一人入ってくる。話題の片割れ、アルフィノだ。
 彼はニーナの方に目線をやると、傍目で見ているアリゼーが気まずくなるほど、とろりと目尻を下げる。ともすれば幼子を見るような、愛おしさが内からあふれるような顔のままアルフィノは言葉を続けた。

「いつもの君も素敵だが、そうした服を着ているといっそう可憐さが増すね。隣を譲る気はないが、正面からその姿を見られないことに勿体なさも感じるよ」
「ひぃえ」
「アルフィノ、やりすぎ、やりすぎ。あなたはあなたで照れすぎよ」

 流れるように口説くアルフィノに、照れて膝から崩れ落ちるニーナ。カオスな空間に頭を抱えながら、アリゼーはため息を一つ。

「もう……ほら! アルフィノ、外にクルルがいたでしょ?」
「ああ、クルルさんからニーナが出てこないから呼んできてほしいと言われてね。たしかにそろそろ時間だし」

 ニーナがびくりと一瞬体を震わせたのがアリゼーの視界の端に映った。仕方がないわね、と握ろうとした彼女の手がアリゼーの手の届く範囲から消える。理由は単純で、目の前にいたアルフィノがアリゼーよりも早くニーナの手を取っていたからだ。

「あ、アルフィノ?」

 怪訝そうな顔をしたニーナをじっと見つめたアルフィノは、陽光を思わせる笑みを浮かべる。そうして、噛みしめるように、幸福で仕方がないというように口を開いた。

「いや、待ち遠しくてね。やっと、“書面じゃなくて”正式にお父様にもお母様にも報告ができる」
「……?」
「……え、ちょっと、アルフィノ?」

 完全に固まってしまったニーナと、理解が追い付かないアリゼー。当のアルフィノはなぜ二人がそんな反応をしているのかわからないといった様子で、相も変わらず幸福そうに笑いながら言葉を続けた。


「うん? 私は何かおかしなことを言ったかな。
ニーナと恋人になって少しした頃に、二人では手紙で報告をしていてね。ただ、めでたいことだしきちんと顔を合わせて報告すべきだろう? 休暇ももらったし、これは幸いだと思ってね」


 ああ……とアリゼーはため息手前の声を漏らした。この後の展開が、手に取るようにわかる。

 そうだった、彼女の兄でありニーナの恋人でもある彼は神童と呼ばれるほどの頭脳を持つのに、時折とんでもなくデリカシーに欠けたことをするのだった。

 ニーナの尾がぶわりと上がる。わなわなと震える口元がだんだん大きく開いていき――


「やっぱり行かない!」


 絶叫がバルデシオン分館のナップルームを揺らしたのだった。
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