最後の教室
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卒業
三月の風は、校舎の隙間を抜けるたびに、どこか別れを含んでいた。
最後のホームルーム。
神楽や妙、近藤くん達の笑い声もどこか普段より少し浮かれている様に感じる。
机の上にある卒業記念品、細長い箱に入っている万年筆。
きっと今後どういう場で取り出しても大丈夫そうな高級感と品のあるデザイン。
窓から差し込む光がうっすらと万年筆に影を落としていて、先生を見れずにいた私はその影の境界をぼんやり見つめていた。
「んじゃぁお前ら卒業前の最後の行事だ、今までで一番ちゃんとしてろよ」
いつもと変わらない声音で、いつもと変わらない調子で。
これから卒業式だっていうのに、いつも通りの先生とみんな。
最後のテストが終わってから少しずつ胸の中で大きくなり始めてた小さな穴みたいなものがあった。
卒業が近づくにつれて大きくなって、気付くとどんどん膨れていって。
でも、いつも通りの先生とみんなを見てると、もしかしてこのモヤモヤとしたものって私だけが感じてるものなんじゃ?って不安になる。
その時、ほんの少し開けてた窓の隙間から強い風が流れ込んできて、つい顔を反らした私は先生の方を見てしまった。
ほんの一瞬、きっと一秒もないくらいの一瞬、先生と目があった。
スーツなんか着ちゃって、ほんと、今までで一番かっこいいはずなのに、普段通りの白衣を願ってしまう。
そんな恰好の先生を直視出来ずに私の方からすぐ目線を外しちゃったけど、こんな小さなことでも私の胸はバクバク煩くなる。
こんな時まで馬鹿みたいに普通じゃいられなくなる私は一体いつからこうだったんだろう、いくら考えても答えが出ないまま迎えた卒業式。
ほぼ毎日この教室で顔を合わせていたのも今日で終わり。
卒業式なんて頭の端っこにあるくらいで、私の頭の中はほとんど先生だけだった。
⋮
卒業式が終わった後の教室。
最後の放課後。
最後の一人になった私は荷物をまとめてた。
「お前ほんっと放課後好きね」
開いたままの扉から先生が入ってきた。
「忘れ物したって俺ぁ届けねえからな」
着慣れない服装が嫌だったのかボタン全部開けちゃったりして。
「先生こそ何か忘れ⋯」
忘れ物でもしたの?と聞こうとしたら、教壇に行くことなく真っすぐ私の方に歩いてきた先生はいつかの放課後みたいに私の一つ前の席にある椅子に跨った。
前の日までに持って帰れって言われてたのに全部ロッカーに入れたままだった教科書。
机の上に積んだそれを一冊ずつゆっくり鞄に詰めていく私と、それを黙って見つめる先生。
硬い紙が鞄の内側に擦れて小さい音が聞こえるくらい静かな教室。
「なんだかんだあったけどよ、三年なんてあっという間なんだな」
息苦しさなんて感じない、むしろ居心地の良ささえ感じた静けさを終わらせたのは先生だった。
「ほんと、あっという間」
もっと先生と過ごしたかったし、もっと先生を見ていたかった。
こんな複雑な感情を私に芽生えさせた先生をもっと、もっと知りたかった。
「お前あれ覚えてっか?ほら一年の運動会で」
「先生」
最後の教科書を鞄に入れ終えた私は多分初めて先生の言葉を遮った。
「私、先生の⋯」
明日からはもう会うことも無い。
最後に一言伝えたかった言葉すら、先生の顔を見てしまうと喉を詰まらせる。
「⋯⋯⋯先生の⋯先生の生徒でよかった」
精一杯の気持ちを込めた言葉。
すき、だなんて言葉を最後ですら言えない私は意気地なし。
「本当はもっと⋯言いたい事⋯」
先生がもっと不器用で、私がもっと無鉄砲だったら。
こみ上げてくるものが目元を潤ませてきてまた喉が詰まる。
結局この三年間、言いたい事のどれだけをしっかり言えたんだろう。
私の気持ちとは関係なしにどんどん溢れてくる涙を制服の袖で押さえながら、最後になんて姿を晒してるんだろうと自分が嫌になってくる。
「ごめ⋯ちょっと、待っ⋯て」
うざいくらい止まらない涙できっと不細工に赤くなってる顔を隠すため卒業証書を顔の前に立てて隠した。
のに。
「名前」
こんな時にそんな優しく名前なんか呼んで卒業証書を取り上げた先生。
「あー⋯ほんとはこういうの生徒に許可取らねえとなんだけど。
まあお前もう生徒じゃねえし、俺も先生じゃねえしな」
先生がそう言うとぼやける視界に影が落ちて、すぐ頭に大きな手がふわりと乗せられた。
他でもない先生の手。
「お前さ、お前が思ってる以上に立派よ?まじで。
俺ぁ胸張れるほど出来た大人じゃねえし、これでも悪ぃなって思ってんの」
最後くらい、と思って綺麗に整えた髪の上を先生の手が少しがさつに行き来する。
「けどお前が⋯⋯おい、おい名前、これやるよほら」
頭の上から先生の手が無くなって、少しすると目の前に紺色のハンカチを持った先生の手が見えた。
「⋯⋯だい」
「じょうぶじゃねえだろ、ほら、俺が泣かせたみたいじゃねえか」
ハンカチを持ったままの手で鼻を抓まれ、つい目元から手を離して先生のハンカチを受け取ってしまった。
それに、俺が泣かせたみたいっていうけどこれ先生のせいじゃん、って言いたくて顔を上げると、今まで見た中で一番優しい顔した先生がそこにいた。
「なんだよ」
あまりに先生の顔が優しくて、目が離せなかった。
「⋯⋯」
さすがの先生も無言になっちゃって、次第にいつも通りの顔に戻っていく。
何考えてるのかわかんない顔。
今度は先生の方から顔を逸らすと後頭部を搔きながら下を向いた。
「お前さ」
「⋯なんですか」
「⋯⋯いやなんでもねえわ。
つーかお前ら写真撮るんじゃねえの?」
「⋯⋯⋯⋯あ」
すっかり忘れてた写真のことを教えてくれて、急いで携帯の時間を見るとちょっと遅れたどころの話じゃないくらい時間が過ぎていた。
「そういうとこあるよな、お前」
「⋯なに、そういうとこって」
「んな事ぁどうでもいーんだよ、俺先に行ってっから」
「ちょ⋯ちょっと!」
立ち上がり際、思いっきり私の髪をぼさぼさにした先生はそのまま振り返らずに教室を出ていった。
まだ聞きたいことはいっぱいあった。
先生が悪いなって思ってる事って何だろう、とか。
先生が先生じゃないなら何になったの、とか。
けどそんなのどうでもいいかなって思えるくらい、胸のつっかえがスッと無くなった気がした。
鞄の中からしまったばかりのノートを取り出して一枚破り取った。
貰ったばかりの万年筆で、先生へ、と書き始めた一行目。
言いたかったことを全部書こうとすれば、きっと一枚じゃ足りなくなっちゃうから
三年間に貰ったいろんな気持ちと想いを込めて、一言だけ書き残した。
書き終えた頃には涙も止まってて、手元にあるハンカチが腹立つくらい良い匂いだってことにも気が付いて。
たった二行しか書いてない一枚の紙を半分に割いて今年の文化祭で覚えたばかりの折り方で一輪の花を折った。
ハンカチを鞄に入れてぼさぼさの髪のまま立ち上がって椅子を机の下に押し入れた。
「⋯不格好すぎ」
教壇の上に置いた、罫線が引かれただけの紙で作るにはあまりにしょぼくれた白いチューリップ。
届けられることがないとわかっているから置いていける忘れ物。
鞄に挿していた小さな花束から白くて小さい花をいくつも咲かせているカスミソウを一本取り出して、紙で出来たチューリップの上に重ねた。
重しとしては頼りないけど、私達が三年間を終え祝われるなら先生だって同じであるべき。
誰もいない教室を出て思うのは濃すぎる三年間の事。
友達も出来て、これからの進路も決まって、本当に充実してたと思う。
先生に出会ってから始まった三年間は、先生にさよならをして終わった。
25.5.7
三月の風は、校舎の隙間を抜けるたびに、どこか別れを含んでいた。
最後のホームルーム。
神楽や妙、近藤くん達の笑い声もどこか普段より少し浮かれている様に感じる。
机の上にある卒業記念品、細長い箱に入っている万年筆。
きっと今後どういう場で取り出しても大丈夫そうな高級感と品のあるデザイン。
窓から差し込む光がうっすらと万年筆に影を落としていて、先生を見れずにいた私はその影の境界をぼんやり見つめていた。
「んじゃぁお前ら卒業前の最後の行事だ、今までで一番ちゃんとしてろよ」
いつもと変わらない声音で、いつもと変わらない調子で。
これから卒業式だっていうのに、いつも通りの先生とみんな。
最後のテストが終わってから少しずつ胸の中で大きくなり始めてた小さな穴みたいなものがあった。
卒業が近づくにつれて大きくなって、気付くとどんどん膨れていって。
でも、いつも通りの先生とみんなを見てると、もしかしてこのモヤモヤとしたものって私だけが感じてるものなんじゃ?って不安になる。
その時、ほんの少し開けてた窓の隙間から強い風が流れ込んできて、つい顔を反らした私は先生の方を見てしまった。
ほんの一瞬、きっと一秒もないくらいの一瞬、先生と目があった。
スーツなんか着ちゃって、ほんと、今までで一番かっこいいはずなのに、普段通りの白衣を願ってしまう。
そんな恰好の先生を直視出来ずに私の方からすぐ目線を外しちゃったけど、こんな小さなことでも私の胸はバクバク煩くなる。
こんな時まで馬鹿みたいに普通じゃいられなくなる私は一体いつからこうだったんだろう、いくら考えても答えが出ないまま迎えた卒業式。
ほぼ毎日この教室で顔を合わせていたのも今日で終わり。
卒業式なんて頭の端っこにあるくらいで、私の頭の中はほとんど先生だけだった。
⋮
卒業式が終わった後の教室。
最後の放課後。
最後の一人になった私は荷物をまとめてた。
「お前ほんっと放課後好きね」
開いたままの扉から先生が入ってきた。
「忘れ物したって俺ぁ届けねえからな」
着慣れない服装が嫌だったのかボタン全部開けちゃったりして。
「先生こそ何か忘れ⋯」
忘れ物でもしたの?と聞こうとしたら、教壇に行くことなく真っすぐ私の方に歩いてきた先生はいつかの放課後みたいに私の一つ前の席にある椅子に跨った。
前の日までに持って帰れって言われてたのに全部ロッカーに入れたままだった教科書。
机の上に積んだそれを一冊ずつゆっくり鞄に詰めていく私と、それを黙って見つめる先生。
硬い紙が鞄の内側に擦れて小さい音が聞こえるくらい静かな教室。
「なんだかんだあったけどよ、三年なんてあっという間なんだな」
息苦しさなんて感じない、むしろ居心地の良ささえ感じた静けさを終わらせたのは先生だった。
「ほんと、あっという間」
もっと先生と過ごしたかったし、もっと先生を見ていたかった。
こんな複雑な感情を私に芽生えさせた先生をもっと、もっと知りたかった。
「お前あれ覚えてっか?ほら一年の運動会で」
「先生」
最後の教科書を鞄に入れ終えた私は多分初めて先生の言葉を遮った。
「私、先生の⋯」
明日からはもう会うことも無い。
最後に一言伝えたかった言葉すら、先生の顔を見てしまうと喉を詰まらせる。
「⋯⋯⋯先生の⋯先生の生徒でよかった」
精一杯の気持ちを込めた言葉。
すき、だなんて言葉を最後ですら言えない私は意気地なし。
「本当はもっと⋯言いたい事⋯」
先生がもっと不器用で、私がもっと無鉄砲だったら。
こみ上げてくるものが目元を潤ませてきてまた喉が詰まる。
結局この三年間、言いたい事のどれだけをしっかり言えたんだろう。
私の気持ちとは関係なしにどんどん溢れてくる涙を制服の袖で押さえながら、最後になんて姿を晒してるんだろうと自分が嫌になってくる。
「ごめ⋯ちょっと、待っ⋯て」
うざいくらい止まらない涙できっと不細工に赤くなってる顔を隠すため卒業証書を顔の前に立てて隠した。
のに。
「名前」
こんな時にそんな優しく名前なんか呼んで卒業証書を取り上げた先生。
「あー⋯ほんとはこういうの生徒に許可取らねえとなんだけど。
まあお前もう生徒じゃねえし、俺も先生じゃねえしな」
先生がそう言うとぼやける視界に影が落ちて、すぐ頭に大きな手がふわりと乗せられた。
他でもない先生の手。
「お前さ、お前が思ってる以上に立派よ?まじで。
俺ぁ胸張れるほど出来た大人じゃねえし、これでも悪ぃなって思ってんの」
最後くらい、と思って綺麗に整えた髪の上を先生の手が少しがさつに行き来する。
「けどお前が⋯⋯おい、おい名前、これやるよほら」
頭の上から先生の手が無くなって、少しすると目の前に紺色のハンカチを持った先生の手が見えた。
「⋯⋯だい」
「じょうぶじゃねえだろ、ほら、俺が泣かせたみたいじゃねえか」
ハンカチを持ったままの手で鼻を抓まれ、つい目元から手を離して先生のハンカチを受け取ってしまった。
それに、俺が泣かせたみたいっていうけどこれ先生のせいじゃん、って言いたくて顔を上げると、今まで見た中で一番優しい顔した先生がそこにいた。
「なんだよ」
あまりに先生の顔が優しくて、目が離せなかった。
「⋯⋯」
さすがの先生も無言になっちゃって、次第にいつも通りの顔に戻っていく。
何考えてるのかわかんない顔。
今度は先生の方から顔を逸らすと後頭部を搔きながら下を向いた。
「お前さ」
「⋯なんですか」
「⋯⋯いやなんでもねえわ。
つーかお前ら写真撮るんじゃねえの?」
「⋯⋯⋯⋯あ」
すっかり忘れてた写真のことを教えてくれて、急いで携帯の時間を見るとちょっと遅れたどころの話じゃないくらい時間が過ぎていた。
「そういうとこあるよな、お前」
「⋯なに、そういうとこって」
「んな事ぁどうでもいーんだよ、俺先に行ってっから」
「ちょ⋯ちょっと!」
立ち上がり際、思いっきり私の髪をぼさぼさにした先生はそのまま振り返らずに教室を出ていった。
まだ聞きたいことはいっぱいあった。
先生が悪いなって思ってる事って何だろう、とか。
先生が先生じゃないなら何になったの、とか。
けどそんなのどうでもいいかなって思えるくらい、胸のつっかえがスッと無くなった気がした。
鞄の中からしまったばかりのノートを取り出して一枚破り取った。
貰ったばかりの万年筆で、先生へ、と書き始めた一行目。
言いたかったことを全部書こうとすれば、きっと一枚じゃ足りなくなっちゃうから
三年間に貰ったいろんな気持ちと想いを込めて、一言だけ書き残した。
書き終えた頃には涙も止まってて、手元にあるハンカチが腹立つくらい良い匂いだってことにも気が付いて。
たった二行しか書いてない一枚の紙を半分に割いて今年の文化祭で覚えたばかりの折り方で一輪の花を折った。
ハンカチを鞄に入れてぼさぼさの髪のまま立ち上がって椅子を机の下に押し入れた。
「⋯不格好すぎ」
教壇の上に置いた、罫線が引かれただけの紙で作るにはあまりにしょぼくれた白いチューリップ。
届けられることがないとわかっているから置いていける忘れ物。
鞄に挿していた小さな花束から白くて小さい花をいくつも咲かせているカスミソウを一本取り出して、紙で出来たチューリップの上に重ねた。
重しとしては頼りないけど、私達が三年間を終え祝われるなら先生だって同じであるべき。
誰もいない教室を出て思うのは濃すぎる三年間の事。
友達も出来て、これからの進路も決まって、本当に充実してたと思う。
先生に出会ってから始まった三年間は、先生にさよならをして終わった。
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