彼は誰時の菫空②
名前設定
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あれから数日。
お昼や見回りの時間帯に様子を見に来てくれるようになった土方さんや総悟くんの影響もあってか、まだ届いてから日は浅いにしろ次の写真が届くことは無かった。
それからまた数日、一週間と日が開くともう写真のことなんてほとんど頭から離れてしまい、今まで通りの暮らしを送っていた。
確かに外へ出る時はそれとなく周りを気にするようにはしていたけれど、それくらいの変化だけ。
土方さんに勧めらたカメラの設置は気が進まず結局設置せずにいた。
そして今日、まだお昼には早い時間。
お店を開けず頂いた大根に火を通しながら夜に出す料理をどうしようかと考えていた時、裏口の扉が軽く叩かれた。
「はーい!」
火を弱め裏口へと向かい扉を開けると、最近よく見る人物が立っていた。
「今日寒いですね」
「ですね、朝方特に冷えてましたよね?びっくりしました」
おかげで目が覚めちゃって、と言うと「僕もですよ」と笑ってくれる男性。
二日おきくらいに届けてもらっている新鮮なお魚。
最近よく届けてくれるようになった目の前にいる男性は息子さんで、魚を運んでくれている間に伝票にサインをしていると「そういえば」と声を掛けてきた。
「今日この他にもあと一箱分持ってきてて」
「え、そうなんですか!嬉しいです」
「ちょっとその⋯荷台のすぐ手前にある小さい箱なんですけど」
見ると開けられている荷台の扉から、他のに比べ比較的小さな白い箱がちらりと見えていた。
あれくらいならわざわざ往復してもらうよりも私が取りに行った方が早いのでは、と思い、良ければ取ってきましょうか?と聞くと承諾してくれたのでキシキシと雪を踏みながら荷台へ近付き扉に触れた。
外気と大差がないほど冷えている扉を開けて手前に置かれた小さな箱を手に持つと、すぐ小さな違和感を感じた。
確かに他の箱に比べるとだいぶ小さい箱。
でも何故か異様に軽く感じた。
箱以外の重みを何も感じないくらい、まるで何も入ってないのではと思うくらい。
「あの⋯これで合っ」
別の箱だったかもしれないと確認のために後ろを振り返った私は、突然の息苦しさと荷台へ突き倒された衝撃で声が出せなくなり、手にしていた小さな箱も落としてしまった。
「ん゛ッ⋯んん゛⋯⋯!」
布か何かを押し付けられている口や鼻からどれだけ空気を求めようと、口を覆うそれは勿論、大きな手をどけることが出来ない。
衝撃や息苦しさで閉じていた目蓋を持ち上げると、目の前にはいつも優しそうに魚を届けてくれていた男性の姿。
普段より随分と焦っているような表情で私を見下ろしながら段々と私に被さる手に力が込められていく。
酸素が薄くなり次第に全身から力が抜けるような感覚に襲われ、視界もぼやけていき、一瞬頭がふわふわとした感覚に包まれ指先の感覚が無くなると視界が暗転し意識が遠のいていった。
***
「今日の昼は何ですかぃ」
まだ昼にすらなっていない、なんなら店すら開いていない時間なんてのは重々理解しつつ名前さんの店の扉を開けた。
この近くを見回ってたついで。
別にサボろうだなんてこれっぽっちも考えちゃあいない。
名前さんの顔が頭をよぎった訳でもない。
あくまでついで。
名前さんの様子を確認しつつ今日の昼飯は何が出んのかなーつって。
「⋯名前さん?」
でも、いつも一番に聞こえてくるあの明るい声が聞こえてくることは無かった。
なんなら人がいる気配もない。
カタカタと音が鳴っているカウンター裏のキッチンへ行き中を覗けば、火がつけっぱなしになっている鍋の蓋が小さく震えていた。
少し離れてるだけか?と思いながら火を止め、再度名前さんの名前を呼んでみても一向に返事がない。
店の奥にある座敷や、普段生活している方へと声をかけてみても反応がない。
明らかに様子がおかしい。
再度キッチンへ戻りそれとなく辺りを見回してみたが、やっぱり名前さんの姿はどこにもない。
火がつけっぱなしになっていた鍋や途中まで切られそのままになっている野菜、すぐに調理するつもりだったのか常温に放置されている魚。
あの名前さんがこのままの状態でここを離れるとは思えなかった。
だとすれば名前さんはどこへ行ってしまったのか。
食材を放置してまで優先すべき急用だったのか?
いや、たとえ急用だったとしても店の鍵を閉めずに留守にするなんて事、名前さんはするだろうか。
一度カウンター側へ戻り色々と考えてはみたが、嫌な雰囲気がプンプンと漂い始めていた時、ガラガラと店の扉が開き
「⋯お前何してんの?」
最近やたら顔を見ることの多い旦那がやってきた。
「旦那ァ、名前さん知りやせんか」
「⋯⋯は?」
***
何言ってんのコイツ?はじめはそう思った。
知りませんかってココ名前の店だろーが、そう思いながら話を聞けば、なんかすげぇ嫌な予感がした。
「こんな粗末な事しやすかね」
出しっぱなしの魚や野菜、少なくとも俺が知る限り名前はそんな事するようなやつじゃない。
それはきっとコイツもそう思っててわざと聞いてきてる。
かといってじゃあ店ん中に名前がいるのかっつーとそんな感じは無い。
いよいよ不気味な静けさの中でキッチンを眺めていると、足元から小さな鳴き声が聞こえてきた。
「みゃ」
部屋から出てきたのかいつものクッションの上で身を丸めていた猫。
猫の元へ行き脇の下へ手を入れ持ち上げながら「お前の飼い主知らね?」と聞けば、ふるふると体を揺らし俺の手から逃げ出した猫は静かに裏口の方へ行き「みゃふ」と鳴くと、その場に座り込んだ。
何故か締まり切ってない裏口の扉。
隙間から入り込む風のせいで床には浅く雪が積もり始めていた。
「おいオメーここ開けたなら閉めとけよ」
「何言ってんでさぁ、俺ぁそのドアなんて開けちゃいねえですぜ」
「んじゃ誰が⋯⋯」
そんなの一人しかいない。
慌てて外へ出てみても、まあ当たり前だが名前がいるわけでもなく。
「旦那、どうやらついさっき配達があったみてぇですぜ」
「あ?配達だ?」
裏口を閉めながら猫を抱え上げると、すぐ横の台を見ながら無気力な声を上げている沖田くん。
目線の先にあるのは確かに今日の日付が記されていた伝票で、内容はいくつかの魚。
魚。
最近どっかで聞いたことあるような気がして頭を回しまくった俺は、思い当たる節が一つあった。
「⋯ちょ、旦那!」
その答えが頭に浮かんだ時にはもう、猫を台へ下ろし伝票を握り裏口から飛び出していた。