雨下
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目の見えない女性との出会い
突然降り出してきた雨は高杉の眉間に皺を生んだ。
あとは出先から帰るところ、という時にぽつりぽつりと降り出してきた雨は次第に激しさを増していき高杉の足を止めた。
笠だけで帰路を進むにはあまりに頼りなく、高杉は皺を深めながら人通りの無い小道に入ると閉まっている店の軒下へ身を寄せ雨宿りをすることにした。
激しい音を立て地面に落ちては水滴を弾けさせ、周囲へ水を散らしている雨。
弱まってさえくれれば多少濡れるとしても帰れるというのに。
高杉はさすがにこの雨の中では帰る気にもなれず、薄暗い中で懐に腕を入れ暗く重たい雲を見上げていると目の前を通りかかった一人の女性に目がいった。
両目を伏せ、雨に打たれながら細長い杖で前方の地面を確認し少しずつ前に進んでいる女性。手に持つ紙袋や鞄は水分を含み色が所々濃く染まっており、髪や着物も同様に雨を吸い込みぺたりと肌に張り付いている。
身内にも一人似たような目元の人物がいる高杉は、目の前を通る女性が手に持つ杖や仕草から目に何かしらの障害があると直ぐにわかった。
どうするべきかなど考える事もなく、気付くと軒下から身を出し自然と声をかけ女性の元へと歩み寄っていた高杉。
「おい」
「⋯はい?私でしょうか?」
雨の音で掻き消されそうな高杉の声が耳に届いた女性は、声のした方、高杉の方へと僅かに顔を動かしながら声を返した。
「腕掴むぞ」
高杉は、一言添えてから優しく女性の腕を引くと転ばぬようゆっくりと足を進め先程身を寄せていた軒下まで連れ歩き手を離した。
「すみません⋯ありがとうございます」
落ち着いた声音で感謝の言葉を口にする女性は、手探りに鞄からハンカチを取り出すと「よければどうぞ」と前へ向け差し出した。
「⋯俺ァいい、それよりテメェの髪でも拭いとけ」
まずは水が滴るほど濡れている自身の身を優先するだろうに、ただでさえずぶ濡れといっていいほど全身で水を浴びている女性は高杉を案じハンカチを差し出したのだ。
高杉の言葉を聞いた女性は「でも」と声を続けるも、それ以上高杉からの言葉が続くことはなく、控えめに手元を引くとそのままハンカチで前髪や顔に浴びた雨を軽く押さえつけるよう丁寧に拭き始めた。
それから暫く経っても雨が止む気配はない。
ザアザアと雨が地面へぶつかる音やボツボツと軒へぶつかり不規則なリズムで響く低く重たい音が二人の間に流れていた。
「⋯⋯まだ、いらっしゃいますか?」
女性の言葉を最後に互いに何も話さず時間だけが過ぎていった中、先に口を開いたのは女性の方だった。
目で確認することの出来ない女性は、もしまだいるならと声を発したが、高杉は女性の言葉へ返事をせず無言を貫いている。
「なかなか止まないですね」
高杉からは言葉が返ってくることは無かったが、盲目だからこその感覚なのかそれともただの勘なのか、隣にはまだ高杉がいると感じていた女性は答えを求めずただぽつりぽつりと独り言のように言葉を零し始めた。
私は苗字名前といいます。普段は子供達に本の読み聞かせをしていたり、歌を教えたりしています。
雨はお好きですか?私は好きなんです、音で見えてくる景色もあるというか。
でも実は生まれた時から目が見えていなくて。雨雲がどういった形なのか、どんな色をしているのか、わからないんですけどね。
可笑しいでしょう?と控えめに笑いながら紙袋を抱え直している女性、名前は「もし宜しければ貴方の事、教えて頂けませんか?」と真っ直ぐと前を向いたまま呟いた。
「知らねえ方がいい」
たった一言。さすがにここにいるとわかっていて話しかけてきていると理解していた高杉は、互いのためにと名乗ることも詮索される事も避けるため一番当たり障りのない言葉で名前との間に一線を引いた。
街中にある手配書を目にしていないにしろ名前くらいはどこかで聞いていてもおかしくはない。
そう思った高杉なりの言葉だったのだが、名前は怖いもの知らずなのかただのお人好しなのか高杉の言葉を聞いた上で「私は知りたいです」と言葉を返した。
「なんせお顔を拝見する事ができませんので、何か小さなことでも知れたらなと⋯」
「知ってどうする」
「どうする⋯そうですね、少なからずお話が広がります」
いけませんか?その一言を聞きちらりと名前の方へ視線を向けた高杉の隻眼には、目を伏せたまま僅かに高杉の方を向き小さく口角を上げ微笑んでいる名前の顔が写った。
生まれた時からと先程名前が言っていた。
産声を上げたその時から光を通すことの無い両目では、両親は勿論一度も世界を見たことがないのだろう。
重たく空を覆う雲、地面に溜まった水が映し出す周りの景色、雨に濡れ水を滴らせている草花やいずれ雲の切れ間から覗く太陽の何もかもを、きっと名前は知らないのだろう。
なら何を思い何を視ながら生きているのか、気になった。
「雨は嫌いだ」
だからこそ、この雨が止むまでもう少し名前の事を知りたいと思った高杉。
先程名前が呟いていた言葉への答を口にすると「あら」と顔を動かした名前。その僅かな動きで前髪に留まっていた雫が一粒滴るのが見えた。
「じゃあ晴れはお好きですか?」
「嫌いじゃねえ」
「雪はどうです?」
「寒ぃ」
「それじゃあ好きか嫌いかわかりませんよ」
可笑しな方、と小さく笑う名前はまた腕に抱えた紙袋を抱え直した。
日に焼けていない色白な肌は紅も引かれていないというのに、名前の横顔からは女性らしい気品のある雰囲気が漂っている。
伏せられたままの目元は水気を含み束になった黒く艶のある睫毛が綺麗に縁取られていて、まるで今にもその長さのある睫毛を持ち上げこちらを見つめてきそうだと高杉は思っていた。
「きっと貴方は優しいお顔をされているんでしょうね」
唐突に聞こえた言葉。
自分に向けた言葉なのか単に独り言なのかすらもわからないその言葉を聞きほんの少し眉を動かした高杉は、名前の言う〝優しいお顔〟がどういうものなのか気になった。
「どんな顔だ」
「⋯温かくて儚げで、笑顔が似合うお顔、ですかね」
いつか見せてくださいね。
どうやって見ようというのか、高杉には疑問が浮かんだが、次第に雨も弱まり気付けばポタポタと軒を伝い地面へ落ちる雫が雨が上がった事を知らせていた。
22.11.3
突然降り出してきた雨は高杉の眉間に皺を生んだ。
あとは出先から帰るところ、という時にぽつりぽつりと降り出してきた雨は次第に激しさを増していき高杉の足を止めた。
笠だけで帰路を進むにはあまりに頼りなく、高杉は皺を深めながら人通りの無い小道に入ると閉まっている店の軒下へ身を寄せ雨宿りをすることにした。
激しい音を立て地面に落ちては水滴を弾けさせ、周囲へ水を散らしている雨。
弱まってさえくれれば多少濡れるとしても帰れるというのに。
高杉はさすがにこの雨の中では帰る気にもなれず、薄暗い中で懐に腕を入れ暗く重たい雲を見上げていると目の前を通りかかった一人の女性に目がいった。
両目を伏せ、雨に打たれながら細長い杖で前方の地面を確認し少しずつ前に進んでいる女性。手に持つ紙袋や鞄は水分を含み色が所々濃く染まっており、髪や着物も同様に雨を吸い込みぺたりと肌に張り付いている。
身内にも一人似たような目元の人物がいる高杉は、目の前を通る女性が手に持つ杖や仕草から目に何かしらの障害があると直ぐにわかった。
どうするべきかなど考える事もなく、気付くと軒下から身を出し自然と声をかけ女性の元へと歩み寄っていた高杉。
「おい」
「⋯はい?私でしょうか?」
雨の音で掻き消されそうな高杉の声が耳に届いた女性は、声のした方、高杉の方へと僅かに顔を動かしながら声を返した。
「腕掴むぞ」
高杉は、一言添えてから優しく女性の腕を引くと転ばぬようゆっくりと足を進め先程身を寄せていた軒下まで連れ歩き手を離した。
「すみません⋯ありがとうございます」
落ち着いた声音で感謝の言葉を口にする女性は、手探りに鞄からハンカチを取り出すと「よければどうぞ」と前へ向け差し出した。
「⋯俺ァいい、それよりテメェの髪でも拭いとけ」
まずは水が滴るほど濡れている自身の身を優先するだろうに、ただでさえずぶ濡れといっていいほど全身で水を浴びている女性は高杉を案じハンカチを差し出したのだ。
高杉の言葉を聞いた女性は「でも」と声を続けるも、それ以上高杉からの言葉が続くことはなく、控えめに手元を引くとそのままハンカチで前髪や顔に浴びた雨を軽く押さえつけるよう丁寧に拭き始めた。
それから暫く経っても雨が止む気配はない。
ザアザアと雨が地面へぶつかる音やボツボツと軒へぶつかり不規則なリズムで響く低く重たい音が二人の間に流れていた。
「⋯⋯まだ、いらっしゃいますか?」
女性の言葉を最後に互いに何も話さず時間だけが過ぎていった中、先に口を開いたのは女性の方だった。
目で確認することの出来ない女性は、もしまだいるならと声を発したが、高杉は女性の言葉へ返事をせず無言を貫いている。
「なかなか止まないですね」
高杉からは言葉が返ってくることは無かったが、盲目だからこその感覚なのかそれともただの勘なのか、隣にはまだ高杉がいると感じていた女性は答えを求めずただぽつりぽつりと独り言のように言葉を零し始めた。
私は苗字名前といいます。普段は子供達に本の読み聞かせをしていたり、歌を教えたりしています。
雨はお好きですか?私は好きなんです、音で見えてくる景色もあるというか。
でも実は生まれた時から目が見えていなくて。雨雲がどういった形なのか、どんな色をしているのか、わからないんですけどね。
可笑しいでしょう?と控えめに笑いながら紙袋を抱え直している女性、名前は「もし宜しければ貴方の事、教えて頂けませんか?」と真っ直ぐと前を向いたまま呟いた。
「知らねえ方がいい」
たった一言。さすがにここにいるとわかっていて話しかけてきていると理解していた高杉は、互いのためにと名乗ることも詮索される事も避けるため一番当たり障りのない言葉で名前との間に一線を引いた。
街中にある手配書を目にしていないにしろ名前くらいはどこかで聞いていてもおかしくはない。
そう思った高杉なりの言葉だったのだが、名前は怖いもの知らずなのかただのお人好しなのか高杉の言葉を聞いた上で「私は知りたいです」と言葉を返した。
「なんせお顔を拝見する事ができませんので、何か小さなことでも知れたらなと⋯」
「知ってどうする」
「どうする⋯そうですね、少なからずお話が広がります」
いけませんか?その一言を聞きちらりと名前の方へ視線を向けた高杉の隻眼には、目を伏せたまま僅かに高杉の方を向き小さく口角を上げ微笑んでいる名前の顔が写った。
生まれた時からと先程名前が言っていた。
産声を上げたその時から光を通すことの無い両目では、両親は勿論一度も世界を見たことがないのだろう。
重たく空を覆う雲、地面に溜まった水が映し出す周りの景色、雨に濡れ水を滴らせている草花やいずれ雲の切れ間から覗く太陽の何もかもを、きっと名前は知らないのだろう。
なら何を思い何を視ながら生きているのか、気になった。
「雨は嫌いだ」
だからこそ、この雨が止むまでもう少し名前の事を知りたいと思った高杉。
先程名前が呟いていた言葉への答を口にすると「あら」と顔を動かした名前。その僅かな動きで前髪に留まっていた雫が一粒滴るのが見えた。
「じゃあ晴れはお好きですか?」
「嫌いじゃねえ」
「雪はどうです?」
「寒ぃ」
「それじゃあ好きか嫌いかわかりませんよ」
可笑しな方、と小さく笑う名前はまた腕に抱えた紙袋を抱え直した。
日に焼けていない色白な肌は紅も引かれていないというのに、名前の横顔からは女性らしい気品のある雰囲気が漂っている。
伏せられたままの目元は水気を含み束になった黒く艶のある睫毛が綺麗に縁取られていて、まるで今にもその長さのある睫毛を持ち上げこちらを見つめてきそうだと高杉は思っていた。
「きっと貴方は優しいお顔をされているんでしょうね」
唐突に聞こえた言葉。
自分に向けた言葉なのか単に独り言なのかすらもわからないその言葉を聞きほんの少し眉を動かした高杉は、名前の言う〝優しいお顔〟がどういうものなのか気になった。
「どんな顔だ」
「⋯温かくて儚げで、笑顔が似合うお顔、ですかね」
いつか見せてくださいね。
どうやって見ようというのか、高杉には疑問が浮かんだが、次第に雨も弱まり気付けばポタポタと軒を伝い地面へ落ちる雫が雨が上がった事を知らせていた。
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