彼は誰時の菫空
名前設定
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「名前殿、晋助が呼んでいるでござる」
「⋯⋯えっ私?」
燎さんへ言葉をかけるとばかり思っていたからまさか私が呼ばれるとは少しも思ってなくて、つい気の抜けた声で言葉を返してしまった。
「⋯だってさ、行ってきなよ」
目の前にいる燎さんは私を振り返ると、手首を掴んでいた手を私の背中に回しながらそう言ってくる。
いろいろな思考と感情が入り交じっている中、なんとなく少し空気が張り詰めているような気がして燎さんに軽く頭を下げてから少しでも早くここから離れるように足を進め、万斉さんへも軽く会釈をして座敷へと向かった。
***
名前がいなくなった場で万斉は、その考えの読めない表情で微笑み目を細めている燎を見つめていた。
「僕に用があったんじゃないの?」
何も言わないとわかっていたのか、燎の方から口を開き言葉をかけても口元を動かそうとしない万斉。
「僕はただ好きな子と話してただけなんだけど、いつから見てたの?」
意外と盗み見する趣味でもある?と言葉を続けた燎に対し一向に言葉を発しようとしない万斉を見て、短く笑った燎は眉を下げながら両手を上げていた。
***
「⋯失礼します⋯⋯」
「名前さん!!」
座敷の襖を開けると、すぐ近くにいたまた子ちゃんが私を見るなり可愛らしい笑顔を向けてきた。
「料理どれもめっちゃ美味いっス!」
「それなら良かった」
ありがとうと伝えてから、少し控えめに晋助がいるか尋ねると「晋助様なら⋯」と中庭の方へ視線を向けるまた子ちゃん。
同じように視線を向けると、閉めていたガラス戸を少し開け縁側に腰を下ろし外を眺めている晋助の後ろ姿が見えた。
再度お礼を伝えて静かに晋助の隣へと近付き「隣いい?」と同じように腰を下ろしながら声をかけると、私だと確認した晋助は少しだけ驚いたような顔をして「あぁ」と短く返事をくれた。
「万斉さん?から、晋助が呼んでるって言われて」
「万斉?」
万斉さんの名前を口にしてもいまいちわからないといった様子の晋助。違ったかな⋯と少し悩んで、サングラスの方、と伝えると「万斉だな」と短く肯定されてしまい、じゃあ違ってないよね?とますます晋助の反応に疑問が浮かんだ。
「何かあった⋯?」
私を呼ぶ理由に心当たりが無く、そう聞くと数秒私を見つめた晋助は空のお猪口を私へ向けてきたので、傍にある徳利を手に取りお酒を注ぐと静かに口へ運んでいた。
「傷はもういいのか」
「うん、大丈夫」
特に何かがある訳でもないごく普通の空を眺める晋助を見つめながら、ガラス戸の間から流れ込む夜風を少しだけ心地よく感じていた。
月明かりに照らされながら夜風に前髪を揺らす綺麗な横顔に、昔の記憶がぽつぽつと浮かんでくる。
「⋯前もこうやって、空見たりしてたよね」
「ンな昔のこと覚えてねぇ」
「覚えてるくせに」
そういえばクツクツと喉を鳴らして「さぁな」と笑う晋助。
笑うとほんのり細められる綺麗な目元も向こうから見ることは出来ないと思うと、あの時私にはどうする事も出来なかったのにもし他に選べる道があったならと胸が痛んだ。
「酷ぇ面して、いい女が台無しだな」
笑いながら言われた言葉にハッとして顔を上げると、私を見ているその綺麗な目元に捕まった。
いつも全てを見透かしているような気がしてしまう深い緑色の瞳から目を逸らせずにいると「誘ってんのか?」と目を細め意地悪な顔と声音で笑う晋助。
「何言っ⋯」
さらりと流そうとした瞬間、よりによって今驚くほど鮮明に蘇ってくる記憶のせいで一気に熱が集まり、思いきり顔を逸らせば「昔はあんなに可愛かったのになァ」と変わらぬ声音で続けられた言葉にますます顔が熱くなった。
こんな顔絶対に見られたくなくて、早く冷めてと願いながら俯き両手で顔を隠した。
「⋯そんな昔のこと覚えてない」
小さな嘘。なにもかも覚えてるからこそ顔を上げられずにいるのに、そんなわかりきった嘘を聞いた晋助は「覚えてんだろ」とまた低く喉を鳴らして笑っている。
さっきと立場が真逆じゃない、もう何も言い返せなくなってばくばくと煩い胸が落ち着くのを静かに待った。
「名前」
それなのに、そんな私の気持ちもきっと全部わかってて昔みたいに名前を呼んでくる晋助は、いつからこんなに狡くなったんだろう。
そんなの昔から何も変わっていないのに、その狡さに翻弄される私も昔と何一つ変わってないんだと否応無しに気付かされてしまう。
「名前」
何十何百と呼ばれた名前にゆっくりと顔を上げると、いつか見た優しさがたっぷりと纏われた瞳に見つめられていた。
そっと伸びてきた晋助の手が頬に触れて、もうそこには傷一つ残っていない左瞼の上を優しくなぞった。
***
「⋯晋助様と名前さん、めちゃくちゃお似合いっスね!」
「お二人は随分長い仲だとお聞きしましたが⋯」
「なんかあったんスかね?」
あまり詮索するものではありませんよ、という武市の言葉を聞きつつも「気になるじゃないっスか!」と言葉を返すまた子。
「何が気になるの?」
いつの間にか武市の隣へ戻ってきていた間宮がまた子へ言葉の意味を尋ねると、つんつんと二人のいる方を指すまた子。
そこには、高杉が名前の頬へ手を添え何やら言葉を交わしている二人の姿があった。
「間宮はどう思うっスか?あの二人」
「どうって、僕も名前ちゃん独り占めしたいなってくらいかな」
ごく自然に言葉を続けると酒の入ったグラスを口へ運んだ間宮。
間宮の一言に「え!?」と驚くまた子と「おや」と零す武市の声が重なった。