彼は誰時の菫空
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「大丈夫?⋯って熱でもある?」
頭上から降ってきた声に振り向きながら顔を上げると、眼鏡をかけた背の高い男性がこちらを見下ろしていた。
「⋯すみません、ありが」
「すごい熱」
転ばずに済んだ事へのお礼を伝えると、それを遮るようにおでこに手が添えられ「熱いね」と言葉を続けた男性は自身が着ていた長羽織を脱ぐと私の肩へそれをかけてくれた。
「⋯あ、あのすみません本当、ありがとうございます」
「いやいいよ。本当はどこか静かなとこに行けたらいいんだけど、僕まだここ慣れてなくてさ」
「最近入られたんですか⋯?」
「晋助くんに乗せてもらってるだけで隊員じゃないんだ」
親しげな呼び方で晋助の名前を口にしたこの男性はどんな人なんだろう、と思いながら様子を眺めていると「まだこの船乗ってからそんなに時間経ってなくて」と言いながら少し屈んだ男性は私にかけてくれた羽織の前が開かないようにと紐を結んでくれた。
再度お礼を伝えながら、その言葉で初めてどこかの建物とばかり思っていたここは建物じゃなく船だとわかった。
「⋯お名前お伺いしても?」
「ああ、燎でいいよ」
どう呼べばいいのかわからなくて名前を聞くと、男性はスーツの上着を脱いでシャツの袖を緩めながら落ち着いた声で返事をくれた。
「君は?」
熱のせいか少し肌寒くさえ感じているのに目の前にいる燎さんは暑いのかシャツの袖を左右どちらも肘まで捲り上げながら名前を聞いてきて、苗字名前ですと伝えながら様子を眺めていると「ちょっとごめんね」とこちらを向いた燎さんは私との距離を詰め、燎さんが身を屈めると背中と脚裏に手を添えられた感覚があり次の瞬間には身体がふわりと浮いた。
「ちょっ⋯あの!」
「また転びかけるよりはね」
傷も治ってないのに熱まであるし、と言葉を続けた燎さんは普通に歩き出してしまった。
歩くくらいなら自分で!と伝えてみたけれど、また揺れたら耐えれる?と笑顔を向けられてしまい何も返せなくなってしまった。
「左肩に当てないようにしてるけど、もし傷が痛むなら言って」
いい?と念を押されほぼ反射的にはいと言葉を返すと、暫くはカツカツと燎さんの歩く音が無機質な廊下で静かに響いていた。
傷が酷い左肩が触れないように外側に向けて抱えてくれているんだとその言葉で気付いて、羽織の事もあって、相当優しい方なんだなと感じた。
同時に、普通この腕を見れば肩というより腕を怪我しているように見えるのに何の疑いもなく傷だと言った燎さん。
何故知っているのかと少し疑問に思ってしまった。
そして、一度気になってしまうとどうしても気になってしまう。
「⋯あの、傷のことなんで」
「ああ、名前ちゃんを川辺からここに連れてきたの僕なんだ」
尋ねてみると初めて聞く事実に少し驚いた。
確かに、晋助やまた子ちゃんにはどうして私はここにいるのかと経緯を聞いていなかったなと思い出して、もしこの人がいなければ今頃⋯と考えるだけで背筋が凍る感覚がした。
「本当にありがとうございます、助けて頂いて」
「生きててよかったよ、すごい可愛いんだからさ」
自然と顔を見上げるように視線を向けていると不意にこちらを見下ろす視線とぶつかり「ほら可愛い」と目を細めて微笑む眼鏡越しの赤い目元。普段見慣れている別の赤い目元を思い出して少しだけドキリとした。
頭痛がギンギンと酷くなりあのまま歩いていれば今頃どうしていたんだろうと思っていると、前方にある扉から漏れる光と共に随分と大きな音が耳に届き始めていた。
「ここと違って明るいだろうから目閉じてる方がいいよ」
小さく返事をして素直に目を閉じたものの、長らく薄暗い屋内⋯船内?にいたせいか目蓋を照らす日の光は目蓋越しからも眩しく感じるほどに明るいものだった。
外に出ると耳に届く音はより鮮明になり、それはただの爆発音だけではなかった。建物の壊れる音や大砲を打つような音、刃物同士がぶつかる音や人々の声、様々な騒音が溢れていた。
日の光に目が慣れ始めたからゆっくりと目蓋を上げると耳に届いた音が示す通りの惨状が広がっていて、思わず息を呑んだ。
「思ってたよりまずいね」
そこまで驚くことなく静かにそう呟いた燎さんはそのままどこかへ歩き続けると、一人の男性がこちらの船へ渡ってきているのが見えた。
「ちょっとお願いがあるんだけど」
「⋯間宮、お主ここにいたでござるか」
独特な言葉とヘッドホンにサングラスというあまり見かけたことの無い姿の男性は燎さんのことを間宮と呼び、ほんの一瞬サングラス越しに目が合ったような気がした。
「晋助くんの友達なんだけど病院連れていきたくて、人貸してくれない?」
ここよりは安全でしょ、と淡々と言葉を続ける燎さん。
人に抱えられている状態で挨拶をするのも気が引けて静かに二人のやり取りを眺めていると、サングラスの男性は近くにいた隊員へ声をかけてすぐ燎さんに続けて「ついていけ」と一言伝えた。
「万斉くんから晋助くんに伝えといて」
万斉さんと呼ばれたサングラスの男性は燎さんの言葉に返事をすることは無かったけれど、代わりに先程の隊員さんが案内のために燎さんへ声をかけていた。
「⋯燎さん?間宮さん?」
頭痛が酷くなり患部も痛み出してきて、そのままでいると顔に出そうな気がして紛らわすためにも先程少し気になったことを尋ねてみると、小さく笑いながら「間宮が苗字で燎が名前、燎も苗字っぽいよね」と答えてくれた。
「みんな間宮って呼ぶから名前ちゃんは燎のままでいいよ」
小さな船のような乗り物の扉をくぐりながらそう言われ、私も間宮さんの方が、と口を出ようとしていた言葉は静かに飲み込んだ。
座席へ腰を下ろしても私を離してくれる様子はなく先程よりも燎さんの整った顔が近くにあり、ついじっと眺めてしまった。
深い紺の髪は片側を耳の後ろに流していて、長い前髪から覗く赤い目を覆うフレームレスの眼鏡からは知的でミステリアスな雰囲気が漂ってる。
「僕の顔がどうかした?」
暫く見つめてしまったせいで不快に思われたのか燎さんは私を見下ろしながら、ふわりと目を細めて「惚れた?」と愉しげに呟いた。
見た目やタイプは全然違うのに目元の赤は見慣れているような気になってしまう。
すこしだけ、と体の辛さを隠すように答えると「残念」と調子良さげに笑みを浮かべる燎さん。
そんな言葉を交わしていると乗り物が少しづつ動きだした。
「⋯あ、あの、私もう下ろしていただいても」
なかなか言い出せずにいた言葉を伝えても「気にしなくていいよ」と一言であしらわれてしまい、言葉を続けようにも突然伸びてきた手がおでこに添えられて口を噤んだ。
「熱上がってる、大丈夫?肩⋯も良くないね」
ぺたぺたとおでこや肩を触られ更に申し訳なくなりつつ痛みが増していた肩を見れば、薄らではあるけれど肩にかけられた羽織には黒い染みが小さく広がっていた。
「ごめんなさい!これ燎さんの⋯!」
「これは別にいいんだけど、僕さっき痛むなら言ってね⋯って言われても言い難いか」
逆にごめんねと言われて申し訳なさをすごく感じた。
それに今までの優しさに感謝をしてもしきれないほど助けらればかりで、心からの謝罪と感謝を伝えると燎さんは優しそうに微笑んでくれた。
そうこうしているうちに規則的な小さい揺れが連続し始め、ここ数十分での疲労が一気に体を襲い熱を持つ目蓋は自然と降りて意識が遠ざかっていった。