彼は誰時の菫空
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「⋯⋯ッ」
全身の痛みで目が覚めた。
うっすらと目を開けると視界の半分が何かに遮られていて、まるで自分の腕じゃないみたいに重く感じる右手を動かして遮られている左目に手を当てると、ガーゼのようなものが左目を覆うようにあてがわれていた。
鼻をつくような薬の匂いが漂っていて、ベッドの周辺にいくつか備わったモニターや機械から数本の管のようなものが身体のいたるところに繋がっているようだった。
何もしなくてもジンジンと痛む頭を無理なく動かせる程度で左右に動かして部屋全体を眺めてみると、モニターや機械の他には一つの椅子がそばにあるのと二つの窓が壁にあるだけで、部屋自体はそこまで広くない無機質な部屋だった。
「いっ⋯⋯た⋯」
少しでも上体を起こそうと右腕に力を込めると、姿勢を変えたことで左肩はもちろん右の脇腹も容赦ない痛みに襲われてつい声が漏れてしまう。
「まだ寝てろ」
それでもなんとか上体を起こしたところで、突然部屋の扉が開き中に入ってきた人物がそう声をかけてきた。
声のした方へと顔を向けると、そこにはあまりに懐かしすぎる人物が立っていた。
「⋯⋯晋助⋯?」
「随分いい女になったな」
窓際へと移動した晋助は壁へもたれかかると隻眼を細め喉をくつくつと鳴らしながら小さく笑った。町にあるポスターでしか見かけていなかった晋助が、彼らしい笑みを浮かべながら今目の前にいる、それだけなのについ自然と涙が滲んできた。
窓際から数歩こちらへ近付いた晋助は私の左目を覆うガーゼの上を指の背で軽く撫でながら、左肩と右脇腹へと視線を往復させ「悪ぃな」と一言呟いた。
「なんで謝るの?」
「似蔵は俺んとこの⋯」
そこまで口にして再度「悪ぃな」と言う晋助は悲しそうな、それでいてどこか冷えた目をしているような気がして、大丈夫だよと声をかけようとしたけれどその目がほんの少しだけ怖く感じて言葉を飲み込んだ。
「こっちは残んねえらしいが、肩と腹は諦めろ」
僅かに感じた怖さは一瞬で消えてしまい、ゆっくりとした動きでガーゼの上を何度も撫でる動きと左目を見つめる眼差しにはたっぷりと優しさが込められているのを感じて、今度こそ「大丈夫だよ」と言葉をかけた。
「それに、ほら、今だけお揃い」
でしょ?と晋助へできる限りの笑みを向けると、一瞬目を見開きながら「言うようになったな」と笑ってくれた。
元々大きな傷があるし今更増えたところで、と正直思っていた。
「名前」
すると突然私の名前を呼んだ晋助は動かしていた指を止めて、そのままゆっくりと滑り落ちるように頬から顎そして首を伝って優しく左肩まで指を動かすと、その指先はまるで今私が考えていた元からある傷跡を服の上からなぞるような動きを続けた。
「これどうした」
まるで、いや確実に、そこにある傷跡を見透かしているような問いと指の動きに震える目で晋助を見上げると真っ直ぐにこちらを見つめていた目線とぶつかった。
「あの後何があった」
なんで?どうして?と考えてみるものの今私は治療のためか全く違う着物を身につけていた。
手当の過程で見られてしまったのが晋助へと伝わったのだろうと思ったし、あの後とはみんなと別れたその後の話だとも理解できた。
「⋯えっと⋯⋯」
今まで誰にも言わずに隠してきたのに当時から隠し事なんて全部バレていた晋助へ当然のようにバレてしまい、やっぱり晋助には隠し事なんて出来ないんだなと改めて痛感した。
銀時や小太郎とはまた違う彼なりの優しさがあるからこそ、この話から逃がす気は無いのだと目を見れば直ぐにわかった。
晋助の優しさが今だけは少し憎く思いながらも、右手で布団をキリキリと掴みながら静かに全てを話し始めた。
何をしてどう過ごしていたか。こっちへ越してきてすぐ銀時や小太郎とも出会ったものの彼らには伝えていないことや、この話をするのは今が初めてだってことも。
全て話し終えて、自分の右手を見つめながら次の言葉を探していた。改めて口にした自身のことは誰かに明るく話せるような過去では無いし、少なくともいい気持ちにはなれないと思う。
少しの後ろめたさと沢山の後悔とがぐるぐるモヤになって胸を覆い始めた時、ひんやりとした大きな手が頭にふわりと乗せられた。
「悪かった」
けして晋助が悪い訳では無い。晋助が非を感じるところなど何処にも無いはずなのにその短い言葉がやけに低く落ち着いた声で発せられたことに不安を感じて伏せていた顔をあげた。
そんな私の目に写った晋助の顔は、はじめ先程とは何も変わってないように見えたけれど目元は酷く冷め切っていて、その表情から思い出すのはあの日の光景。
どこか晋助が届かないほど遠いところにいってしまったような気がしてつい頭に置かれた手を右手で優しく触れると、するりとその手を引いた晋助は私の頬にその手を添えて既に乾ききっている目尻に残る涙の跡を親指で優しくなぞった。
「名前」
さっきとは違う雰囲気をまとった声で私の名前を呼ぶ、その声の響きや低さに覚えがあり過ぎてほんの少し胸がどきりと跳ねた。
晋助はそのまま私の髪をいくらか梳いて耳の後ろへと流した後なにか言葉を続けようと薄く口を開いた時、トントンと部屋の扉が叩かれた。
叩く音は聞こえたものの扉が開かれることも次いで言葉が聞こえることもない。
晋助はその意図を理解したのか扉に目を向けると私から離れ扉まで向かうと、廊下で誰かと話しを始めたようだった。
久しぶりに見た晋助は元気そうで、僅かに昔よりも尖った雰囲気を感じるけれど変わらないところはいくつもあって、きっとポスターを見かけるということは何かしら危ないことをしているんだろうけどそれでも晋助でいてくれたことに安心できた。
内容までは聞こえないにしてもうっすらと聞こえてくる話を意識してしまうのに申し訳なくなって窓へと目を向けると、家を出た時には降っていなかった雨がぽつぽつと降っていた。
あれからどのくらい経ったのかわからない。外は暗くどんよりと重たい雨雲に覆われている。
意識が途切れる前に聞いた言葉を当然信じることはできず、ただ小太郎の無事を祈りながらぽつぽつと降り続ける雨の静かな音を聞いていた。