彼は誰時の菫空
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「名前ちゃんも夜は気をつけた方がいいぞ」
「夜?ですか?」
小皿を出すとお客さんはそう唐突に告げてきて、また急にどうしてかと思いながら同じものを隣のお客さんへも静かに渡した。
「もう何人も辻斬りにやられてるって話だぜ」
「浪人ばっからしいけどよ、気ぃつけるに越したことはないしな」
物騒になったもんだなぁとお酒を飲みながら話をする二人のお客。
「それは大変で⋯お二人が毎日来てくれれば安心ですね」
あまり沈んだままでは良くないと思って軽く言葉をかけると、んじゃ明日も来るか!と笑い合う二人。
でも真面目な話いろいろなお客さんが来てくれるからこそ、それだけ噂も沢山耳にしていた。もちろんいい噂ではなく、どこで誰が亡くなっただとかそういう噂。
このままでは夜に帰るお客さんのことも心配で、早めにお店を閉めることもうっすらと考え始めていた。
それからしばらく経っても噂が消えることは無かった。
日が昇る時間帯に果物を買いに出かけた帰り道、新八くんを見かけた。
隣には白い⋯なんだろう、よくわからない生き物のようなのも一緒だった。
「⋯新八くん?」
「え?あっ名前さん!どうしたんですか!?」
「これ買った帰りで⋯⋯えっとそちらは⋯」
腕に抱えた紙袋を見せながら、よく見ると黄色いくちばしや足ひれのようなものが存在している白くて存在感のある大きな生き物について尋ねてみた。
「こちらエリザベスさんで⋯」
『はじめまして。』
新八くんがエリザベスと名前を口にすると、エリザベスさん?は文字の書かれたプラカードで器用に挨拶をしてきた。
「は、はじめまして⋯?」
一応挨拶を返しつつ、どうして二人は橋のど真ん中で立ち尽くしていたのかと聞くと、このエリザベスさんは小太郎のペットだと言う。しかもその小太郎がここ数日消えてしまったことやこの場で血の着いた持ち物を見つけたということを教えてくれた。
最近耳にする辻斬りの噂。心配になってこの場所に手がかりでもあればと探しに来たらしいけど、いつも見かける銀時がいない。
銀時は?と聞けば別件の依頼でそっちの方へ出かけたみたいだった。
「大丈夫ですよエリザベスさん、小太郎はすごく強いです。それにその血も小太郎じゃない別の誰かのものかもですし、ね?」
だから大丈夫ですよ。そう自分へも言い聞かせるように再度言葉に出した。
『うっ⋯』
目の前のエリザベスさんは、こころなしかプラカードの言葉と共に目が潤んでいるように見えて、ついその丸い頭に手を伸ばして撫でてみると短く白い二つの腕で軽く抱きしめてきた。
「ギリギリアウトだろォオオオ!!!」
そんな私達を見て大きな声と共にエリザベスさんへストレートを叩き込んだ新八くんは、エリザベスさんのカウンターによりプラカードで思い切り吹き飛ばされている。
⋯大丈夫かな、と思いながらも先程聞いた話が頭の中でループして、自分で言葉にしたもののやっぱり小太郎が心配だという気持ちが晴れることは無かった。
「もしお店に来たら新八くんに連絡するから」
「はい!名前さんもお気をつけて!」
二人はしばらくここで様子を見ているらしく、私は自分の家へと帰った。
小太郎のこともありお店を早めに閉めるというより夜間は少しの間営業を控えることにした。小太郎なら閉まっていても訪ねてくるだろうし遅い時間に帰宅するお客さんの事も心配だったから。
それから本を読んだりと寝るまでの時間を費やしてみても、やっぱり小太郎のことが頭から離れない。
「ごめんね、少し出かけてくるね」
いつも通り猫へご飯をあげて丸くなる背を優しく撫でながら声をかけると、みゃうと小さな鳴き声が帰って来た。
私自身、少しでも何か出来ることがあるかもしれないと思って長羽織を羽織ってから箪笥に入れていた短い白鞘を護身用にと取り出した。以前夫妻から頂いたものを御守りとしてずっと大切に保管していたものだ。
何もしないまま最悪を迎えたくない一心で。
ただの自己満足と言われればそうなのかもしれないけれど、もうあの時みたいな気持ちにはなりたくなくて。
再度暖かい小さな背を撫でてからしっかり戸締りをして先程新八くん達を見かけた方へと向かった。
日中の言葉通りであれば先程出会った橋は新八くん達が見ているだろうと思い、もしかするともっと川上の方で何かに巻き込まれて所持品だけが流れてきたのかも、と少し離れた川上の方へと来ていた。
物騒な噂のせいか普段であればまだ賑わっていてもいいはずの時間帯なのに、人といえば私一人で静かに流れる水の音だけが聞こえていた。
「⋯⋯何も無いかぁ」
橋には血の跡らしい黒ずみや刀傷といった切り口も特に見当たらない。ここじゃないのか、そもそも小太郎が切られた訳ではなくただ物を落としただけなのか。
そう思いながらも他に何かあればと川岸へ降りてみても、やはり何かがあるわけでもなかった。
連絡が取れない以上小太郎は何かしら危ないことに手を出しているのかもしれない。でも彼ならきっと大丈夫だろうとあまり深く考えず、これ以上時間が過ぎる前に帰ろうと道へ戻ろうとした時、ふと声が聞こえた。
「こんな時間に女が一人で何してるんだィ?」
「え?」
声がした方を振り返るもそこに人など立っていなかったが、代わりに左肩へ焼けるような激しい痛みを感じて顔が歪んだ。
見ると、肌まで届く一筋の深い切り口から溢れ出る血液が周りを既に染め始めていて、右手で圧迫してみても止まる気配はなく掌の下からどくどくと激しい鼓動が伝わってくるのがわかった。
「その匂い、アンタあの時白夜叉と一緒にいた女だね」
先程と同じ声が聞こえて、銀時がどうしたのかと声のした方へ目線を向けると、以前銀時のそっくりな赤ん坊と出会った際に見かけた男によく似た男が立っていた。
「にしても女ってのは普通ぎゃあぎゃあ騒ぐもんだと思ったが」
目を伏せたまま楽しそうに口角を上げて話す男が刀を持つ手に一瞬力を込めたように見えて、咄嗟に護身用にと持ってきた白鞘を両手で掴み横に構えると男は躊躇なく斬りかかってきた。
「アンタは随分と静かだねェ」
なんとか受け止めることは出来ても、あまりにも重く強い力に耐えきれずに後ろの石垣へと吹き飛ばされてしまい、思い切り背中と頭を打ち付け喉からヒュッと空気が漏れた。
「いッ⋯⋯」
まともな受け身なんて出来るわけない、打ち付けた身体と左肩との痛みが容赦なく襲ってきて声すらまともに出せなかった。
ゆらりとぼやけ始める視界の奥でゆっくりと近付いてくる男の姿が見えた。
手元へ目線を落とすと、鞘に収めたまま刀を受けたせいか一度の衝撃でボロボロと割れた鞘から覗く刀身にはヒビが入っていた。
「白夜叉と知り合いなら、あの桂とも知り合いかィ?」
「⋯⋯こた⋯」
ずっと心配で探していた小太郎の名前が聞こえて何か知っているのかと声に出した次の瞬間には既に間合いを詰められていて、間一髪と間に携えた刀は耐えきれずに鈍い音を立てて折れてしまった。
折れた勢いで刀の破片が飛び散り反射的に目を閉じると左目蓋へちくりとした痛みが走り、液体が目尻を伝い頬へ滴るのがわかった。
もう痛くない箇所が無いくらい全身が痛かった。
「だから女の割には静かなわけか」
頭を打ち付けた時に簪が折れたのか纏めあげている髪も重みで下へと滑り落ちていた。視界の歪みが酷くなって、手元にある刀はもう受けることさえできない有様で、それでもきっとこの男はこのままどこかへ去ってくれはしないだろうとわかってた。
「⋯こたろ⋯は⋯無事ですか⋯」
もう自力で立つことすら耐えられなくなっていて背中の石垣へ身体を預けながら、小太郎の安否だけでもと必死に声を繋いでみたけれど、返ってきた答えは暗いものだった。
「心配せずともすぐに会える」
声が聞こえたのが先か脇腹に激痛が走ったのが先か、すんでのところで繋ぎ止めていた意識はぷつりと切れて目の前が真っ暗になり意識が途絶えた。
***
男は名前の薄い腹へ深く突き刺した刀を引き抜くと、既に気を失っている名前はその動きに逆らうことなく体を崩し川辺へと倒れ込んだ。
「可哀想にねェ」
こんな時間に出歩かなければ、少なくとも自分と会わなければ長生きできただろうにと男は浅く笑いながら倒れた音のする方へと手を伸ばした。
目の見えない男は手探りで名前を見つけると、血を失っているせいか川の水で濡れているせいか、どんどんと冷えていく頬から流れるように髪へと手を滑らせると髪質とは異なるものを見つけた。
「こいつァ⋯」
女の頭部にある棒状のものなど一つしかない。それが簪とわかるなり拾い上げ懐にしまった男は静かにその場から姿を消した。
暫くすると、規則正しく川辺の小石を踏みつける一人分の足音がその場に静かに響いていた。
「可哀想にね」
先程の男とは違う響きを持つ声で静かに呟いた男は、目の前に横たわる随分と冷えきっていた名前の体を抱きかかえると何処かへ向かい歩き出した。