彼は誰時の菫空
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本を読みながら休日を過ごしていると、猫がひょこっと机に飛び乗って喉を鳴らしながら頬を擦り付けてきた。
「お腹空いたの?」
頭や顎を撫でながら本を閉じて時計を見ればお昼すぎ。朝方余しておいた焼き身を持ってくると嬉しそうに食べ始めてくれた。
その様子に癒されながら、今日起きてからコーヒーしか飲んでいないためさすがにお腹がすいてきた。
出来合いのもので済ませてもいいけれど、たまには誰かが作ったご飯を食べたくなるのは一人暮らしの人からすればそう珍しくないことだと思う。
思い立ったら気持ちが沈む前にと、身だしなみを整えて目的地は特に決めずに町へと出かけた。
やっぱりお昼時ということもあって普段より人が多く感じる中、良さげなご飯処を見つけて中に入ってみると気さくな店主に声をかけられて、カウンターの席へと腰を下ろした。
「お嬢ちゃん初めてかい?見ない顔だな」
「はい、美味しそうな匂いがしてつい」
「そりゃ嬉しいね、決まったら呼びな!」
水の入ったグラスを受け取りながらメニューを見れば、どれも馴染みのある定食ばかりで値段もお手頃で、お店の賑わいも納得のものだった。
暫く悩んでから肉じゃがの定食を頼んで、食べ終わったら本屋でも行こうかなと考えていると、隣の席に座った方が「いつもの頼むわ」と慣れた様子で注文を伝えた。
その声に聞き覚えがあって、隣をちらりと見れば普段は隊服のイメージが強い顔見知りが落ち着いた着物を身につけながら煙草を手にしているところだった。
「土方さん!」
「あ?おぉ苗字か」
奇遇だなとこちらを見る土方さんへ、そうですねと軽く微笑んだ。
「お休みですか?」
「あぁ。おめーも休みか?」
「そうなんです、たまには外でご飯食べたくて」
土方さんとはあまりのんびりと話をしたことか無かったなと思いながら、そういえばとこの前沖田さんが来た事を話してみた。
***
「⋯ったく、次サボってたら追い出してやってくれ」
「んー⋯出来るだけ頑張りますね」
柔らかく笑み浮かべて控えめに笑う苗字は落ちている髪を耳にかけると、遠慮せずにいいですよ、と手にしたままの煙草をつんつん指さした。
煙草を嫌がる女が多いせいか喫煙者の肩身が狭くなってきているせいか自然と咥えずにいた煙草に目を落として、悪ぃなと一言告げてから火をつけた。
「喫煙はしませんけど嫌いじゃないですよ」
においとか煙とか、と言いながらこちらを見つめる苗字に今時珍しいなと思った。
「男が吸ってんのか?」
「いませんよ!お客さんとか喫煙されてる方が多いので」
疎まない原因は身近なやつが嗜んでいるからだろうと思い聞いてみたが、男じゃなく客だと微笑む苗字。てっきり男がいるとばかり思っていたため少し驚いた。
「あと、その⋯この前はごめんなさい、嘘ついて」
申し訳なさそうに眉を下げながら謝られ何かと考えたがそよ姫の事だろうとすぐにわかり、気にしてねえよと伝えると今度はありがとうございますと礼を言われた。
気にしてないと伝えたことへの感謝なのか、あの時気付かぬフリをしたことへの感謝なのかはわからないが、時間が経とうと自ら嘘だと言い謝罪をする苗字に対し怒りは湧かずむしろ好感さえ持てた。
***
土方さんと話をしていると、奥から店主さんが出てきた。
「はいよ、暑いから気ぃつけてな」
目の前には湯気を立たせた炊きたてのご飯と肉じゃがや小鉢がのったお盆が置かれて、どれを見ても美味しそうなごはんにここへ来てよかったと頬が緩んだ。
「こっちもはいよ」
続けて店主さんが持ってきたものは土方さんの前に置かれて、それをなんの疑いもなく慣れた動作で口へ運んだ土方さん。
「なんだ、お前も食うか?」
「いや⋯えっ、土方さんそれって⋯」
こんもりとご飯の上に盛られたクリーム色のそれ。ぱくぱくと食べ進める土方さんへ一応それについて聞いてみると「マヨネーズに決まってんだろ」と当たり前のように答えてくれた。
「⋯マヨ⋯⋯」
「うめーぞこれ、どうだ?」
ありえない量のマヨネーズを見ていると悪気もなくただ善意でこう告げた土方さんへ、自分のがあるので!と答え肉じゃがを口へ運んだ。
人は誰しも食の好みはあるしどこぞの人のように甘党だとか偏食の類に浸かりきってる人もいたりするくらいだ。
それがただマヨネーズなだけだと思いながらも、初めて見る山のようなマヨネーズの量とそれを当たり前のように食べ進める土方さんにしばらく理解が追いつかなかった。
「すみません奢って頂いて⋯」
「気にすんな、部下が迷惑かけたみてーだしな」
食べ終わるとごく自然に私の分まで支払いをした土方さんへお金を渡そうとしても受け取って貰えず、迷惑をかけた部下の分だと押し切られてしまった。
「どっか行くのか?」
「あ、えっと⋯近くの書店にでも行こうかなと」
これからの予定を聞かれ、当初考えていた通り本屋にでも行こうかと伝えると「んじゃ行くか」と歩き出した土方さん。
「土方さんも本読まれるんですか?」
置いていかれぬように小走りで隣まで距離を詰めて、あまり本を好むタイプだとは思っていなかったがもしオススメがあるならと聞いてみた。
「マガジン」
端的に返ってきた言葉。
その言葉に、毎週ジャンプを読んでいる銀髪頭の彼とどこか似たものを感じて小さく笑ってしまった。
***
「私あっちの方にいますね」
書店に着くなりそう言った苗字は、少なくとも俺は絶対読まないだろう部類の本が並ぶ棚へと向かっていった。
店を出たあとの予定も特になく隣にいた苗字へと予定を聞けば書店に行くらしく、気付けば一緒に書店へと向かっていた。
今日はマガジンの発売日でもなんでもない。
ただほんの一瞬、もう少しだけ一緒にいたいと思っていた自分がいた。
よほどの用がない限り書店へ足は運ばないし、家に持ち帰ってまで何かを読むことも出来ればしたくない。
⋯なんで俺ここにいるんだ、一緒にいたいと思った相手は離れたところで本に没頭している。
⋯⋯アレ?なんで俺ここにいるんだ、よくわからなくなって煙草に手を伸ばしたが場所も場所なため煙草を手に取る事はせず、ボサボサと乱暴に頭を搔いた。
***
久しぶりに来た書店は興味をそそられる本が沢山あり長らく眺めてしまった。
次またいつ来るかも決めてないので、とりあえずはと重荷にならない程度の冊数を抱えてレジへと向かった。
「随分買うんだな」
本の入った紙袋を受け取ろうとすれば、いつの間にか横にいた土方さんが手を伸ばして紙袋を受け取ってしまった。
「土方さん!それ自分で持てますよ!」
「いいから甘えとけ」
私と逆側の腕へと袋を持ち替えると頑なに渡そうとしない土方さんの優しさに、ありがとうございますと小さくお礼を伝えた。
「土方さんってもしかしなくてもモテモテですか?」
少し強引ではあるもののさり気ない優しさを平然と向けてくれる土方さんへ好意を向ける女性は沢山いるのでは、と思った。
「さぁな」
「⋯顔に書いてますよ?」
明らかに何かを思い浮かべて顔を逸らした土方さん。明らかそうだろうなと思い少し揶揄うと頭を小突かれた。
あとは家か?となんでもなさそうに聞いてくる土方さんへそうですねと伝えると、どうやら着いてきてくれるらしくそのまま二人で家までの道をのんびりと歩いた。
「お前はどうなんだよ」
少し歩いていると、お返しのように聞いてくる土方さん。
「お客さんにはモテモテですよ」
土方さんには負けますけど!と笑うと更に細められた目で見下ろされてしまい、つい反射的にごめんなさいと素直に謝った。
それからいくらか言葉を交わしていると見慣れた門が見えた。
「すみません、ありがとうございました」
「戸締りしろよ」
結局最後まで持たせてしまった本を受け取りお礼を伝えると、土方さんらしい言葉と共にほんのりと煙草の匂いがした。
そのまま来た道を戻っていく土方さんの後ろ姿を少し眺めてから家に入りしっかりと戸締りをした。