彼は誰時の菫空
名前設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「この前なんてお弁当まで作ってくれて」
「いいですね!」
珍しく小雨が降っていた。雨が降れば必然と客足が鈍くなり、六席しかないこのお店にいるお客はひとりだけ。
目の前にいるお客と他愛のない話をしているとガラガラと扉が動き、新しいお客の来店を知らせた。
「いらっしゃいま⋯」
「この前はどーも」
目の前のお客から目を離して扉の方へ目を向けると、真選組の隊服を身に纏い肩や頭を湿らせながら後ろ手に扉を占める可愛らしい顔立ちの人物が立っていた。
「またお待ちしてますね、お気をつけて」
先程よりも雲が厚くなり雨足が強まっていた。
何度か見かけた隊服の男性が席に着くと、先程までいたお客はお会計を済ませて帰ってしまった。
お客を見送ってすぐ男性へお茶と共に小さなタオルを渡すと、それを無言で受け取りながら濡れた箇所へ軽くあてがっていた。
直視するのは失礼かと思ってバレないよう少し横目に眺めていても、お店に入ってきた時の言葉以降なんの言葉も勿論注文も一切なく静かな男性。
「⋯ご注文はお決まりですか?」
さすがに少し気まずくて、控えめに声をかけてみると「いや」と淡白な声が返ってきてますます気まずさを感じてしまった。
その返事からほんの少し後。
「あんたに二つ三つ聞きてぇ事がありやして」
静かな店内で雨音にかき消されることなく聞こえた声に顔を上げると、その大きな目と視線が絡まった。
「答えられることであれば⋯」
顔にかかる髪を耳にかけながら答えると僅かに吊り上がった口角が見えて、返事を間違えたかなと少し不安を感じた。
「土方さんとは知り合いなんですかィ?」
「土方さん?」
急に土方さん?と思いつつも、花見の時に名前を呼んでいたのを思い出したり何より同じ真選組なので特段変なことでは無いのかなと。
だから簡潔に知り合った経緯を伝えると、ただ一言「へえ」とだけ言葉が帰ってきた。
⋯質問したのはそちらでは?と思いたくなるような素っ気なさに少し驚いていると、流れるように次の質問も飛んできた。
「旦那とも知り合いみたいでしたけど女か何かで?」
「⋯旦那?」
誰のことだろうと少し考えていると銀時のことだと教えてくれた。
幼馴染のような感じです、と伝えるとまた一言「へえ」と返ってくる言葉。
終始頬杖をつきこちらを見つめたまま質問してくる男性は、先程よりも少しだけ間を開けて「じゃあ」と言葉を続けた。
「この前はなんで嘘ついたんですかィ?」
この前。明確に言葉として説明しなくても、神楽ちゃんとそよ姫の時の話だとすぐにわかった。
「⋯お友達は大事ですから」
折角楽しそうだった二人をあの時知らせていたら、きっと真選組の人達の仕事を増やすことは無かったと思う。それでももう少しだけあの二人に楽しんでいて欲しかったし、特にそよ姫は限られた時間の中で少しでも長く外を満喫して欲しかった。
申し訳なさを誤魔化すように少しだけ微笑みながら答えると、相変わらず「へえ」と呟く男性。
「ところであんた名前は?」
あまりに自然と質問を続ける男性。表情や声音は崩さずとも何かしらの考えを自分の中で巡らせている様子に、どことなく銀時と似たものを感じてほんの少しだけ意地悪をしたくなった。
「質問は、二つ三つじゃないんですか?」
と。すると目蓋を僅かにぴくりと動かしてすぐに表情を戻した男性は「ちっ、覚えてやがったか」とわざとらしく舌打ちをした。
***
「男性に二言は無いと聞きましたよ?」
目の前でそう言いながら目を細めて微笑む女。
苗字名前。名前なんて書類を見ればすぐだった。
それでも気になっていたことを聞いた上で質問を続ければどういう反応をするのか気になって投げかけた質問だった。
てっきり素直に答えるとばかり思っていた俺の予想は外れた。
「ハ、あんたいい性格してやがる」
周りの空気に逆らうことなく笑顔で何でも乗り切れると信じているような、いいとこ育ちの女とばかり思っていたが、もしかしたら全然違うのかもしれないと。
褒められても困ります、なんて髪を耳にかけながら笑顔で答える女に加虐心がくすぐられるような感覚がした。
「今度は私からお伺いしてもいいですか?」
「二つ三つなら答えてやらァ」
逆に質問をしていいかと聞かれ、まあ少しならと返事をした自分の声は僅かに楽しそうだった。
「今は休憩中ですか?それともお勤め中?」
何が気になるのかと思えばまさかの質問。どうせわかってるくせに、と思いつつも言葉を返した。
「町民との会話は仕事の一環でぃ」
「そうなんですね、お勤めご苦労様です」
おかしそうに少しだけ笑いながら答えた様子に、ほらサボりだってわかってんだろと確信を覚えながらも楽しさで自然と口元が緩く歪んでいく。
「じゃあ二つ目に、 お名前を教えて頂けますか?」
続けられた質問はてっきり知ってるとばかり思っていた自分の名前。確かに言われてみれば名乗った覚えがない。なにより、少なくとも心の中で〝土方サンの部下〟なんて呼ばれ方をされてるなら早々に訂正しておきたかった。
「沖田総悟」
簡潔に名前のみを答えた。
すると女は「じゃあ沖田さん、三つ目ですけど」とこちらをしっかりと見つめながら最後の質問を発した。
「ご注文はお決まりですか?」
この質問で、この店に来る前よりも確実に苗字名前について興味が湧いてきたと確信した。
先程渡された小さなタオルを机に置いて、ますます緩く歪む口元に笑みが浮かぶ。
「魚」
メニューなんて見ずただ真っ直ぐに女の目を見ながらそう伝えると、笑顔になった女は「わかりました」と言い後ろへと姿を消してしまった。