彼は誰時の菫空
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夫妻の元で店を手伝いながら暮らし始めて二年程経ち、忠が老衰で亡くなった。それから一年して後を追うように菊も天国へと旅立った。
忠の死後は菊と二人で料理店を営んでいた名前も菊もいないとなれば一人でやっていく気にはなれず、半年ほど経った頃に日頃から親しくしていた手当てをしてくれた男性へと相談をしてお店を閉めた。
夫婦は生前に店と家、そして名前のことを男性へと話をしていた。
それからさらに半年ほど経つと男性の元へ、生前の夫婦が託していたという手紙が届いた。
中には、名前にあまり無理をさせないでくれといった内容や定期的に顔を見てやって欲しいという内容に継いで。
「私にお店⋯ですか?」
子供のいなかった夫妻から名前への贈り物について記されていた。
「かぶき町といっての、ここからそんなに離れてはないがいろんな人が住んどる賑やかなところでの、そこにあの人等がここと同じくらいの料理屋を建てていたらしくての」
名前は手紙を見せてもらうと、そこには夫妻が名前のことを子供のように親しんでいた事や、自分達には子供がいないから貯えが無駄になってしまう事、かといって使い道も無かったので名前に新しい地で新しい生活を幸せに送って欲しいと記されていた。
名前は結局、夫妻が亡くなった今でも夫妻には勿論、目の前の男性へも自身の過去のことは言えずにいた。
それを無理に聞こうとはせず夫妻は日頃の名前を見て、過去に何があったにせよこれからを生きるのが大事であり世の女性と同じような普通の幸せを感じて歩んで欲しいと思っていたのだ。
親が子を想うように、普通の幸せを掴んで欲しいと。
手紙を持ちながら堪えきれず涙を流す名前を見つめながら、いいんじゃないかの?と言葉をかけた男性は名前が落ち着くまで優しく背中を撫でた。
「あの人等の事じゃ、なにも無理してこんなことはせんと思うでの、名前ちゃんのために出来る範囲での贈り物を用意してくれていただけじゃよ、受け取っても罰は当たらんと思うぞ」
それにあの人等も喜ぶと思うがの、と笑顔で伝える男性へ名前は手で口元を覆いながらも言葉を伝えた。
「私には勿体ないですしそんな優しくされるような人間でもないんです⋯お菊さんや忠さんのお気持ちがこんなに暖かくて大きなものだったのはすごく嬉しいんですけど⋯」
そこまで言うと言葉を詰まらせ俯いてしまった名前の姿を見た男性は、がははと大きく声を上げた。
「なに簡単じゃよ行って駄目なら戻ってくればええ、この家はわしが任されたようなものじゃ、名前ちゃんがいつ戻ってこようとわしは大歓迎じゃよ」
明日行って明後日帰ってきてもええんじゃよ、と声を張り大きく笑う男性を見て数度ぱちぱちと瞬きをした名前は、小さく笑いながら心にあったつっかえのようなものが取り払われたような気がした。
「じゃあ、そうしますね」
それから数日して元から少ない荷物を纏めた名前は、男性の車でかぶき町に建てられていた料理屋まで来ていた。
「今まで何から何までお世話になりました」
「寂しくなったら電話でもするんじゃぞ」
またの、と手を振りいつものようにふらりと居なくなるように店を後にした男性の車を見送りながら、名前は新しい地での新しい生活を楽しみに感じていた。