10years
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あの悲劇の翌日。
早速に辞令が出た。
「奏さん、まさか跡部副社長と知り合いだったなんて。」
「こういう面倒臭い事に巻き込まれるのが嫌だから今まで黙ってたのに…」
会議の後の会食でも流れる妙な空気感。
もう耐えられない、と泣きそうになりながら食した高級懐石の味は全く覚えていない。
暫くの出向となる為、事務用品や資料の荷詰めをしている奏の横で、後輩は羨ましいなぁなんて呟いている。
出来る事ならこのポジション、変わってやりたいものだ。
ただ。
彼、跡部景吾に纏わる記憶…
特に最後の夏に関しては彼女の中ではとても大きな存在で、決して忘れる事のない、誰かと変わってやりたいなどとは到底思えなかった。
だからなのか、昨日の一件があっても彼を恨むに恨めないのは。
目の下を薄っすら青黒く染めた奏は苦い笑みを浮かべながら、ダンボールに封をした。
「課長、それじゃあ行ってきますね。」
「ああ、くれぐれも先方に迷惑をかけないようにね。」
「あ、はい…その節は申し訳ございませんでした。」
しかし、昨日といい、中学の時といい、彼と絡むとろくなことにならない。
氷帝学園に入学し、暫く経ったとある日ーー…
帰宅部だった奏は、放課後何をするわけでも無く、テニスコートの近くのベンチに腰掛けていた。
すっかり葉桜へと変わった桜の木の横で、少し離れた場所から聞こえるテニスボールを打ち合う音と、ギャラリーの歓声をバックミュージックにぼんやりと空と枝葉を眺めていた。
刺激の無い日々。
ただ、その分生きるのは楽だ。
中学1年にしてそんな事を考えてた彼女は随分と冷めていたのだろう。
平々凡々、楽に、自由に生きていきたいと思っていた彼女にとって、放課後のひとときを何かに縛られるということは苦痛であった。
こうしてのんびりと気ままに過ごしたり、或いは寄り道をしてみたり。
奏はそんな自由な放課後が好きだった。
「ん、笹原?」
「あ、宍戸じゃん。」
不意に声をかけられ、視線を宙から正面へと移せば、目の前には同じクラスの宍戸。
彼はそういえばテニス部だったなぁ。
奏は悠長にそう思っていた。
「何してんだそんな所で」
「んー特に何も。ぼーっとしてただけ。」
「こんな所でか?」
不思議そうな顔をする彼に対して、奏は相変わらず、マイペースに受け答えをした。
「そうそう、丁度いいのよ此処。」
「へー、横座ってもいいか?」
「いいけど、部活中じゃないの?」
「いや、一年は今日はもう解散してんだ。で、自主練中って訳。」
「ふーん、熱心だねぇ。」
隣に宍戸1人分のスペースを空けるようベンチを詰めると、彼は横に溜息をつきながら腰掛けた。
「ね、丁度いいでしょ?」
「確かに、わからなくもねぇ。」
2人して宙を見上げた。
静かな様で、でも無音じゃない。
そんな空間は宍戸も気に入ってくれたのではないか、そう思った瞬間だった。
「ちょっと何あれ!」
「あれ、宍戸くんだよね?隣の奴誰?」
「アイツ、私たちのテニス部に何馴れ馴れしく近づいてんの?」
ギャラリーの声と、私達の間くらいから聞こえる女生徒の声。
あー、やらかした。面倒な事になりそうだ。
奏は近づく足音に頭を抱えたくなった。
しかし既に一年生の彼にもファンがいるのか。
「笹原、っ…」
気にするな、と宍戸に目で合図を送れば女生徒の声が響く。
「ちょっと貴方。」
「なんですか?先輩達がお揃いで。」
「ちょっとこっち来なさいよ、話したい事があるから。」
「あー、近づくなって奴ですか?聞こえてましたよ。」
すると、宍戸に聞こえた事が余程気まずいのか顔をカッと赤くして声を荒げた。
「分かってるなら、私達のテニス部に気軽に近づかないでよ!」
隣の宍戸も思わず顔を引きつらせている。
彼もあの様な輩は苦手なのだろう。
そして、私もこの貴重な放課後をこんな事に時間を食われてイラッとした。
「お言葉ですが先輩、宍戸も、彼らも、先輩達の所有物では無いと思いますが。この通り、宍戸は現に迷惑してそうな顔してますよ?」
宍戸の名前を出した事を少しは悪いと思ったけれど、それでも迷惑そうな彼を見て、何も言わないという選択肢はなかった。
…まぁ、イラッときたせいなのもあるけれど。
自分にしては珍しく、穏やかで無かった。
「先輩達も、彼らの事が好きなら、所有物みたいな扱いと過度な応援はやめてあげたらどうです?」
「ほぅ…面白い事を言うな?」
視界の端から声が聞こえ、それと同時に女生徒の顔から血の気が引いていった。
視線を向ければそこには一年生にして、氷帝の生徒会長兼テニス部部長になった跡部景吾の姿。
流石の彼女も有名過ぎる彼の存在は知っていた。
「おい、オマエ。」
「……何。」
一息…いや二息程置いて、奏は彼に顔を向け応えた。
「オマエ、テニス部のマネージャーになれ。」
「はぁ?!」
彼女の驚嘆の声と重なるように、周りからも同様の声が聞こえる。
宍戸でさえ、何言ってんだと言いたげな顔をしているではないか。
「オマエに拒否権はねぇ、付いて来な!」
「な、何それ!横暴よ!私は嫌よ!」
「だから、拒否権はねぇって言っただろ。」
近づく彼に顎を持ち上げられ、何か企んでいるような笑みを向けられる。
整った顔立のせいか、無性に腹立たしく感じた。
「そんなに軽々しく触らないでくれる?」
「フッ…気に入ったぜ。」
そう笑うと、彼は手を離した。
「…俺らには、オマエの様な媚びないマネージャーが必要だ。俺らが練習に集中出来るようにな。其処で、オマエに頼みたいって話なんだが…やる気はねえか?」
先程より丁寧に頼んでくる跡部。
そして視界の端には困り顔の宍戸。
「笹原。」
黙る奏に声を先にかけたのは宍戸だった。
「正直、それは俺も感じてる。平部員の一年が雑務をやらされて練習に打ち込めねぇのは事実だ。」
「宍戸…。」
「俺からも、頼む。」
宍戸に真っ直ぐ見つめられる。
彼の真っ直ぐな視線と気持ちに心が揺らいだ。
「俺達は強い。だが、更に強くなるにはオマエの力が必要だ。」
跡部は凛とした態度でそう言い放った。
最悪だった彼の印象が変わった瞬間だった。
「…わかったよ。唯、やるからにはアンタ達も強くなりなさいよ。」
「フン…当たり前だ。全国の景色、必ず見せてやるぜ。」
「すまねぇ、本当に助かる。」
この瞬間から奏は、長い夢を見る事となった。
コートを縦横無尽に駆け巡るボールの音、耳にこびりついた氷帝コール。
選手と共に流した汗と涙。
考えなくても勝手に手が動く程に作り慣れたドリンクの味。
長かった宍戸の髪が地面に落ち広がったあの瞬間。
約束通り、跡部が導いてくれた全国大会の景色。
全てが、奏の大切な青春だった。
そして、最後の全国大会が終わったその瞬間、彼女の中で長く、熱く燃えていた炎が消えてしまった。
コートに佇む彼を…跡部景吾を見つめながら流した涙によって鎮火されてしまったような、否、全て燃え尽きてしまったような感覚に陥ったまま、今に至る。
当初は跡部と関わるとろくな事にならないと思っていた奏も、今までにない程に彼女を熱くさせた、テニス部と出会わせてくれた事には感謝をしている。
だから、なのだろう。
彼を恨みきれないのは。
「奏!」
2つ重ねた段ボールに視界を遮られながら、ビルのエントランスへ向かうと名前を呼ばれ、我に返った。
そして、私を名前で呼ぶ男性は彼ら、テニス部しかいない。
「…景吾。」
「なんだ、不服そうだな?折角迎えに来てやったのによ。」
「…目立ちたく無いんだからそういうのやめてよ。」
受付嬢どころかエントランス全体の視線を受け、段ボール越しに静かに彼を拒めば、彼は手元から段ボールを奪い勝ち誇った笑みを浮かべた。
「あの頃からちっとも変わってねーな。」
「そういう景吾だって。」
「まぁいい、車を待たせている。行くぞ。」
「あっ、ちょっと!」
他社の副社長に段ボール箱を運ばせる平社員が私以外にいるのだろうか。
彼の背中を追う様に会社の外に出れば、あの思い出の様な青い空。
再び始まる波乱の予感に、ただ空を見上げる事しか出来なかった。
10years
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