勿忘草
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ミーティング後の部室では、澪から楓への引き継ぎ作業が行われていた。
「これ、前に私が休んだ時にも一度見せたと思うけど。」
「ありがとうございます。ドリンクのレシピですね?」
「そうそう、レギュラー専用の。あとはこっちにレギュラー専用の洗剤があって…洗濯機の場所はわかるよね?」
「はい!シャワー室の所のですよね?」
まったく、うちのレギュラーは“レギュラー専用”が多すぎる。
楓は澪の説明を聞きながらも、頭の片隅で考えていた。
部室も、シャワールームも、洗濯機も、ドリンクのメニューも、練習メニューも。
レギュラー、準レギュラー、平部員で其々差別化されており、楓が入部するまで全て一人で管理していた澪は尊敬せざるを得ない。
なんならレギュラーのドリンクは各々好みの味付けやメーカーまでレシピ化されている。
澪が家庭の事情で休んだ日(なんでも財閥のパーティーだったそう)に代打でドリンク作りをした時も苦労した事を思い出した。
「楓ちゃんなら大丈夫そうね。」
「えっ?」
余計な事を考えていると澪に不意にそう声を掛けられた。
「今の仕事は完璧だし、きっとすぐレギュラーのマネージャーもこなせちゃうね。」
「いやいや、澪先輩の補佐どころか足引っ張っちゃいそうで始める前から緊張してますよ…」
「ふふっ、そんなこと言っても楓ちゃんは飲み込み早いからなー」
クスクスとお上品な笑みを浮かべた澪に、もう、と小さく反抗した。
「試しに、ドリンク作ってみる?」
「あ、是非!じゃあレギュラーと準レギュの分作っちゃいますね。」
「うん、じゃあ私はそろそろレギュラーの走り込みの時間だから、そのままタイム測定行ってくるね。」
「はい、お願いします!」
そういうと、澪は首からストップウォッチを下げ、バインダー片手に部室を後にした。
楓は気合いを入れ直し、レギュラー用のレシピを見ながら作り始めた。
「お待たせしました!」
「楓ちゃんグッドタイミング。」
ドリンクとタオルを籠いっぱいに詰め込み、コートへ小走りで向かえば、タイミングよく走り込みを終えたレギュラーとが息を切らしていた。
「皆さんお疲れ様です!」
「楓ちゃん、初仕事お疲れ様。」
労いの言葉と共に籠からドリンクを攫っていくのは鳳。
彼は日吉と幼稚舎からの付き合いで、その幼馴染の楓にもいつも優しい。
元々気遣いのできる穏やかな性格な事も有り、今日も真っ先に彼女へ言葉をかけた。
「長太郎くんもお疲れ様。澪先輩程美味くは作れてないと思うけど…」
「そりゃそんな早く同じ味作れたら澪も苦労しねぇって」
そう言いながらもドリンクに口をつけるのは向日。
全く嫌味のない明るい語り口で場を茶化した。
「初仕事やんなぁ?の割には上出来やで、流石やなぁ。岳人も意地悪言うたらあかんて。」
そんな軽口を叩く彼をいつもフォローするのは忍足侑士。
彼もよく気遣いができる故なのか、稀に楓を赤面させる程の優しく、甘い言葉を漏らす。
そして赤面する彼女をみて不服そうな顔をするのはいつも日吉だ。
「いやそんなつもりじゃ」
しまった、と言いたげな顔で楓の顔に視線を向けたが、当の本人はクスクスと笑みを浮かべていた。
「ふふ、わかりますよ。それだけ澪先輩が凄いってことですよね。」
「お、なんだ話がわかるじゃねーか」
安心した表情を見せ、楓にイマドキの若者のテンションでグータッチを求めた。
楓がそれに遠慮しながらも応えると更にニカッと明るい表情を見せた。
「実際凄いですもん。でも、早く追いつけるように努力するんで、宜しくお願いします!」
「おう、期待してるぜ!」
「ほら楓ちゃん、準レギュの方もそろそろ行ってらっしゃい。」
「あ、そうですね。それじゃ、一旦失礼します。」
会釈をし、小走りで去る彼女の背中に、ただ一人鋭い眼差しを向けた人物がいた事には誰も気付かなかった。
「若!」
振り返ると、ドリンクとタオルの入った籠を抱えながら走る幼馴染みの姿。
「お疲れ様!」
「あぁ。」
「みんなもお疲れ様!来るの遅くなってごめんなさい。」
そういうと準レギュラーひとりひとりにタオルとドリンクを配っていった。
「正レギュラーの補佐が先で、俺らは後回しって事か。」
「寂しいなぁ、せっかく打ち解けてきたのによ。」
同じ学年で、日吉と同じ準レギュラーの海田と樫和がそう口にする。
「私としてはどっちが優先ってことは無いんだけど…やっぱり澪先輩に教えてもらう都合上こうなっちゃって…。」
楓は困ったように、しゅんとした表情を見せた。
「なるべく早く正レギュラーの仕事こなせるようになって、平等にマネージャー出来る様に頑張るね。」
「ま、心配しなくても岩本ならすぐ澪先輩みたいになれるって。」
「そーそー。無理すんなよ。でもあんまりレギュラーばっか贔屓してたら拗ねるかもな。」
戯けながらも楓の努力家な面を評価している2人は彼女を心配していた。
この夏を乗り越えた唯一のマネージャーだ、少し真面目すぎるところがあるから余計に無理をしすぎないか気にかけていた。
そしてそんな彼女を心配するのは、勿論海田と樫田だけではなく。
「無理しすぎて倒れたりするんじゃないぞ。」
「若、私そんな軟弱じゃないよ…」
「根を詰めすぎるなと言っているんだ。」
「はーい。」
確かに昔一度、無理をしすぎて体調を崩してしまったことがあるけれど、それは幼稚舎時代だし、低学年の時の話。
全くお母さんみたいなんだから、なんて楓は心の隅で思いながら、使用済みタオルと飲み終わったドリンクボトルを回収する。
「それじゃあみんな、頑張ってね。また後でタイム測りにくるから。」
「おー!岩本も頑張れよー!」
準レギュラーの皆に見送られながら、また小走りで、次は準レギュラーの部室へ向かう。
準レギュラー分の洗濯を回して、また正レギュラー分のドリンクを作って、またコートへ駆ける。
そんな繰り返しで初日はあっという間に部活が終了時刻を迎えた。
黙々と玉拾いをしていれば、視界に幼馴染の黒いシューズ。
「あ、若。お疲れ様。」
楓がコートから彼に視線を移せば、彼はああ、と小さく答えて玉拾いを始めた。
何も言わずに手伝ってくれるのが彼らしいなと思いつつ、楓も手は止めなかった。
「どうだった。」
「んー?忙しかったけど、楽しかったよ。やっぱり澪先輩は凄いなーって思い知らさせるね。」
「そうか。ならいいが、無理はするなよ。」
「本当に心配性なんだから…。大丈夫だよ。」
籠一杯に回収したテニスボールを運ぼうとすれば、楓の腕から日吉が籠を奪っていく。
「あ、ちょっと!」
「戻るんだろ?ついでだ。」
「そうだけど、それは私の仕事。」
「そっちのスコアとタイマーを運ぶんだな。」
「もー…でも、ありがとう。」
彼は優しい。
口が悪い事もあるが、楓は彼が優しい事をよく知っていた。
意地悪っぽい態度をとることもあったけれど、優しく真っ直ぐな彼の本質を知っているから、楓は幼い頃からずっと一緒にいて、その関係を大切にしていた。
日吉もまた、楓の性格を熟知しており、幼馴染という関係だからなのか、それ以上の気持ちがあるからなのか、非常に彼女を気にかけていた。
最初一緒にテニス部に入部したいと言い出した時は心配で仕方なかったが、彼女の頑固な性格をわかっていたので反対することはせず、共に過ごす道を選んだ。
結果、ひとつ心配事が減ったと思えばまたひとつ心配事が増えていく日々。
正レギュラーのマネージャー兼務と聞いた時には肝が冷えた。
元々レギュラー達は準レギュラーのマネージャーになった頃から楓に一目置いており、頻繁にちょっかいをかけにいったり、構いにいく様子をみせていた。
楓も人懐っこいところがあるので、普通に構われているし、日吉としては気が気ではなかった。
しかし、それでも一歩前の関係に踏み出す勇気は今の彼にはなかった。
何より下剋上を優先していた彼は、関係を進展させるのであれば、自身が跡部景吾という男を超えてからだ、と考えていたからだ。
結局正レギュラーの部室まで籠を運んでくれた日吉に一旦別れを告げて、片付けの為ミーティングルームに足を運べば着替え終わったレギュラー陣と澪が勢揃いしていた。
「お疲れ様、楓ちゃん。」
「みなさんお疲れ様です。」
「初仕事だったが、上手くやれてたんじゃねぇか?」
「うん、スムーズにできてたと思うよ。流石楓ちゃん。」
「ありがとうございます!明日からも頑張ります。」
楓は褒められて思わず顔が綻ぶ。
タイマーやスコアを定位置に片付けながらも、明日以降の部活への意欲がどんどんと溢れ出していた。
「お邪魔しました。」
昂る気持ちを抑えつつ、ミーティングルームを後にしようとすれば、お疲れ〜と手を振る皆の隣で、暗い表情の澪が見えたような気がした。
もしかして体調が悪かったのだろうか、楓はそんな疑問を浮かべたが、その答えは数週間後にわかる事になるのだった。