勿忘草
name change
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
翌朝、楓が登校すると上履きがなくなっていた。
その翌日には教室に置いたままにしていた教材がゴミ箱に入っていた。
翌週には教室のロッカーがゴミ箱にされていたし、机にはなかなか消えないペンで大きく悪口が書いてあった。
廊下を歩けば視線を感じ、ヒソヒソとこちらを見ながら話す声は、もはや当たり前のように聞こえてくる。
そして時には直接身に覚えのない悪口で罵倒される。
彼と彼女を敵に回すこと。
それは学園中を敵に回すこと。
そんなことは誰に言われずともわかっていたつもりでいたけれど。
そもそも、根本的なところから言えばあの2人を敵に回したつもりは1ミリもないが。
実際問題、対立とまではいかないけれど、蟠りのようになっていて、碌に会話もできていない。
憧れの人物である澪が、楓の中で少しずつ恐怖の対象でもあるかのような感情が芽生え始めていた。
しかし、楓は彼女との関係修復を決して諦めてはいなかった。
周りからなんと言われようと、彼女から直接何かされた事はなかった。
ずっと強い憧れを抱いていた人物を、こんな事で嫌いになるなんてことも出来ず。
ただ、周りのガードが固く、今は会話もままならないけれど、絶対にいつか以前のように笑い合える日が来ると信じていた。
そのために自分が出来ることとして、部活は今まで以上に熱心に取り組んでいた。
───あの日、澪からかけられた言葉。
辞めないでね。
その一言が楓でリフレインしていた。
彼女がそう言うのだからと、準レギュラー以外のマネージャーも出来る事は率先してやった。
正レギュラーの補佐、澪の仕事であっても、雑務であればレギュラー陣や澪に迷惑をかけることはないだろうと細々とした仕事をこなしてみたり、手があけば一般部員を手伝い、勿論準レギュラーの補佐も手を抜く事なく、これまで以上に自らに気合いを入れて取り組んでいた。
それが、彼女に近づき、彼女との和解の第一歩になると信じながら。
そしてまた同じ方向を向いて、同じ夢を追えると信じていた。
一方日吉は、激化する嫌がらせに強い憤りを覚えていた。
普段から登下校は時間があえば共にしていたが、日吉は楓への危害を守れるよう、あの日を境に毎日送迎をしていた。
クラスが別であるが故に教室や授業、移動教室等では楓を守りきれないことが強く悔やまれた。
楓は何もしていないのに何故嫌がらせを受けなくてはならないのか。
そして彼女を守りきれない自分にも憤りが募る。
そして、楓は頑なに日吉に嫌がらせの事実を隠そうとしていた。
楓にとってはテニスに集中して欲しいという強い気持ち故の行動ではあったが、日吉としては頼りにしてもらえないことで、不甲斐ない、頼りない自分自身を責める他なかった。
こんなにずっと近くにいるのに。
ずっと楓を想ってきたのに。
まだまだ自分が未熟だという事をただひたすらに思い知らされていた。
「楓。」
「若、どうしたの?」
「ストップウォッチの調子が悪いんだが、予備とかあるのか?」
日吉の手には画面がチラチラと付いたり消えたりを繰り返すストップウォッチ。
「あ、それなら倉庫にあるよ。電池切れかもしれないし、取ってくるから私のタイマー使ってて。」
「いや、休憩ついでに自分で取ってくる。」
「そう?ありがとう。じゃあ電池交換は私が後で試してみるからそれはもらうよ。」
「ああ、助かる。」
「入って右手の備品棚の上の方にあるから。」
「わかった。」
なんの気なしに日吉は倉庫へ足を運んだ。
倉庫特有の重い扉を開くと、彼は楓を倉庫に行かせなかった事を安堵する事となった。
ドアの開閉により送り込まれた空気によって、薄暗い室内で明るいブロンドの髪が揺れた。
「日吉くん、お疲れ様。」
「…お疲れ様です。」
何食わぬ顔をしてこちらに声をかけてくる澪に、日吉は思わず眉間に皺を寄せた。
本当は挨拶を返す事を拒みたい気持ちもあったが、楓はそんな事を望まないと彼は理解しており、少し遅れて返事をした。
早くこの場を立ち去ろうと黙々とストップウォッチを備品棚から探していると、新品のテニスボールを用意している澪が沈黙を破った。
「…楓ちゃんは、元気?」
瞬間、思考が停止した。
この人は何を言っているんだ、日吉は考えが追いつかなかった。
一体誰のせいで楓は苦しんでいると思っているのか。
思わず感情的になりかけたが、それが相手の思う壺であることは明白であると日吉は考え、踏みとどまった。
あくまでも、冷静にこの人を対処しなくては。
「なんで楓に直接聞かないんですか?小鳥遊さんと楓は仲が良いと思っていましたが。」
一瞬驚いたように目を開けた澪。
しかしすぐにいつも通りの表情に戻った。
「みんなが…みんなが楓ちゃんに近づかせてくれないの。」
あくまでも被害者面である事に変わりはないのか。
日吉は諦めを含んだように小さく溜息を吐いて続けた。
「だったら楓にちょっかいかけるのやめてもらっていいですか。それで全て解決すると思うんですが。」
日吉は目的のストップウォッチを発見し、備品棚を閉じながらそう言い放った。
「そんなことしてないよ。」
一拍置いて返ってきた答えはとても納得できる内容ではなかった。
「じゃあ何故止めない」
思わず感情が籠った。
「なんで、だろうね。」
そう言う彼女の横顔はどこか儚げで、それでいて楽しそうでもあった。
日吉はそれを見て苛立ちを抑えきれずに、澪を睨みつけるような視線を向けた。
「とにかく、私は何もできないよ。だって周りが勝手にやってる事なんだから。」
「そう、ですか…。」
日吉はそれだけ言うと視線を外し軽く会釈をして立ち去った。
これ以上彼女と居ると感情の制御が出来なくなりそうだと判断したからだ。
そして、確信した。
彼女は狂っていると。
「…私は、悪くない。」
ひとりきりの倉庫で、澪は小さくそう呟くのだった。
13/13ページ