勿忘草
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鳳が日吉を探しながらランニングをしていると、思いの外簡単に視界に彼の姿を捉えることができた。
「日吉っ!」
「…なんだ、お前か。」
相変わらず無愛想な彼だが、練習の手を止めて話を聞こうとしてくれているあたり、嫌がられてはいないのだろうと安堵しながら近づくと、完全に身体ごとこちらに向き直った。
「ねぇ日吉、楓ちゃんのことなんだけど…。」
その名前に反応したのか、ピクリと眉が動いた。
鳳から見ても日吉は過保護なくらい楓を気にかけていた。
記憶が無いくらいの幼少期から幼馴染とは聞いているが、ただの幼馴染には見えなかった。
もしかして日吉は彼女の事を幼馴染以上に思っているのかも、と思わせられた事も何度もある。
「…楓がどうした。」
「澪先輩と、何かあったの?」
「…さあな。」
何時も通りに素っ気ない態度で返事を返されたが、眉間に皺が寄っている。
彼は何か知っているのだろう。
「俺、どうしても楓ちゃんが噂のような子だと思えなくて…だから先輩達と何か仲違いでもして、勘違いされてるんじゃないかって思ってて…。」
拙い言葉だが、日吉に伝えてみる。
彼が知り得る事を話してくれれば、こんな険悪な状況は打破できるかもしれない。
そう期待も込めて。
「アイツは何もしていない、ただそれだけだ。」
「何もって…」
「何も、だ。わかったら練習に戻れ。」
そういうと彼はまた練習に精を出し始めた。
鳳は今ひとつ腑に落ちなかったが、走り込みの為、仕方なしに足を進めるのであった。
一方楓は黙々と準レギュラーのマネージャー業をこなしていた。
一時期とはいえ正レギュラーのマネージャーを担っていたおかげか、少し仕事に余裕ができていたため、久々に一般部員の練習の手伝いに行こうとしたところ、話し声に気が付いた。
「小鳥遊さんを苦しめておいて普通に部活に来れる神経がよくわかんねぇよな。」
「本当にな。まさか自分の方が上だと思ってんのか?」
「やばっ、自意識過剰過ぎんだろ。」
ゲラゲラと笑う部員の声。
どう考えても自分と澪の事を話している。
練習や片付けの手伝いは今でも積極的にやっていて、それこそ準レギュラーのマネージャーをするまでは彼らのマネージャーもしていたのに。
それなのに信用はやはり得られないものなんだなと、深く溜息をついた。
一呼吸おいて、何も知らないふりをして手伝いに入れば、いいところに来たと言わんばかりに片付けを全て押し付けられ、彼らは別の練習へ向かってしまった。
まぁ、これも仕事だしね。
そう自分に言い聞かせて、辛い気持ちを押し殺すように黙々と作業を進めるのだった。
そうして片付けが済む頃には準レギュラーの次の休憩が差し迫っており、彼らの元へドリンクとタオルを抱えて向かった。
そして彼らだけは変わらず接してくれる。
日吉を筆頭に全員悪意の籠った視線を向けてくる事なく、今まで通りマネージャーとして関わってくれる。
それが楓の心の救いだった。
「お疲れ様。」
「あぁ、ありがとう。」
日吉は楓からいつもと違わぬ味のドリンクを受け取る。
彼女は正レギュラーのように個人を区別して作ってはいないが、練習の段階や気温に合わせて準レギュラーのドリンクの中身を変えていた。
それは正レギュラーのマネージャーに入っていた時も変わらず。
独学で疲労回復、熱中症対策など色々と調べて考えているようだった。
準レギュラーが1人でも居残り練習をしていれば、時間外でもドリンクやタオルもそっと用意してやる、そんな気遣いの出来る楓が。
噂のように、小鳥遊澪を虐めるだなんて有り得ないと少し考えれば分かりそうな事なのに。
こんな状況でも気丈に振る舞って、仕事も手を抜く事なくこなしているのに。
日吉は跡部や澪の態度は勿論の事、正レギュラーや一般部員の楓に対する態度に苛立ちを隠せなかった。
視界に入れないよう離れた場所で練習をすれば鳳が首を突っ込んでくるし、とにかく考えないようにしていても常に彼女の事で頭が支配されているような、そんな感覚だった。
どうして誰も、小鳥遊澪にコントロールされていることに気付かないのか。
楓は必要以上に助けを出す事を拒んでいるし、何も出来ない自分にも苛立ちを覚える。
今までの彼女の仕事ぶり、そして今も、冷たい視線を向けられていても、変わらず自分達の補佐をしている姿を見て、どうして誰も何も思わないのか。
悔しさとも似ているその感情をぶつける先もなく、ただ彼女を守る人間でありたいと、ただそれだけを願った。
部活の時間はあっという間に過ぎ、楓は一般部員に代わってコートの球拾いをしていた。
部員達に押し付けられるように仕事を請け負った為、必然的に正レギュラーのいるコートの片付けまで行うことになり、コートの隅から正レギュラーの刺々しい視線を浴びることになっていた。
「アイツ、澪に近付くなって言ったのによ…。」
一部からは視線だけでなく棘だらけの言葉まで降ってくる。
正レギュラーのマネージャーを外されたのに図々しいとでも言いたいのか、けれど楓は職務放棄することなく仕事を全うしていた。
「そう思うなら、自分達で片付ければいいんじゃない?」
「滝…。」
「お前は楓の肩を持つって言うのかよ。」
宍戸と向日は楓を庇うような発言をする滝に食ってかかる。
滝は普段と変わらぬ穏やかな笑みを浮かべているが、心中穏やかではなかった。
「やってくれてるのに、感謝も無しに言っていい言葉ではないと思うけれど。」
その笑みからは想像できない程鋭い視線を2人に向ける。
「そんなに嫌なら自分達でやるか、澪を呼んできて澪にやらせれば?」
「おい滝お前…!」
「だってそうじゃないかい?楓ちゃんの仕事であるってことは澪の仕事でもあるし、自分達が使ったものだけど。」
そういうと彼は手にしているドリンクボトルを置いて、楓の元へと向かった。
「楓ちゃん、お疲れ様。」
「あ、お疲れ様です…。」
思いがけず声をかけられた楓は少し驚いたような表情。
それでいて、こうして普通に声をかけてくれる事に喜びを感じていた。
「大変でしょ、手伝うよ。」
「い、いえ。先輩達は練習でお疲れでしょうし。これくらいやらせてください。ただ…」
「ただ?」
言葉を詰まらせた楓に、優しい視線を向ける滝。
楓はそれを感じ取った。
彼は自分を敵認定していない、それどころか変わらず優しくしてくれる人間だ、と。
そして、声にしかけた言葉はぐっと飲み込むことに決めた。
「いえ、なんでもありません。」
こんな優しい人に聞かせる言葉ではない。
余計な心配をかけてはいけない。
笑顔でそう返せば少しは安心してくれたのか、彼も微笑み返した。
「じゃあ少し耳だけ傾けて、俺の話相手になってくれないかい?」
「はい、なんでしょうか?」
「全然部活に関係ないんだけどさ…」
そう言って滝は他愛もない話を始める。
クールダウンのついでだからと、正レギュラーのコートをうろうろと動き回って片付けをする楓に、ずっとついて回ってくれた。
おかげで他のレギュラーや澪に絡まれる事なく、順調に片付けが進んだ。
「ふふ、先輩って意外とお茶目ですね。」
会話の合間に出た、久々に聞く楓の笑い声に滝は顔をパッと明るくした。
「うん、楓ちゃんに笑ってもらえてよかった。」
「えっ?」
滝はまた優しげな笑みを浮かべて楓の頭をぽんっと優しく撫でた。
「楓ちゃんには笑顔が似合うからね。」
「も、もう先輩。からかってますね。」
「ふふっ、そう見えるかい?」
楓は滝の言動に少し頬を赤く染めて、不満を溢した。
滝はそんな楓を少し揶揄するように、意地悪な笑みを浮かべると、「やっぱり」と更に楓は不満を露わにした。
「楓ちゃんは、変わらずそのままでいてね。」
「はい…?」
「それじゃ、片付けも終わったみたいだしお疲れ様。」
「あ、はい、お疲れ様でした…。」
小さく手を振る滝を見送り、自分自身もコートを後にするのだった。