勿忘草
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「楓ちゃん。」
部活中、突然澪に呼び止められた楓。
一瞬身構えたが、いつも通りの彼女。
場所も人が疎らだがいるコートの隅ということもあり、妙な安堵感があった。
「澪先輩、どうしたんですか?」
「楓ちゃんは…テニス部が好き?」
「えっ?勿論ですよ。」
突拍子もない質問に思わず面食らった。
嫌いなわけがない。
「私も、テニス部が大好き。此処が私の居場所で、大切なの。」
そんなこと、わざわざ言われなくても彼女の振る舞いからひしひしと伝わっている。
好きでなければ、大切でなければこんなに献身的に働けないだろう。
それを改めて口にした彼女に少しだけ違和感を感じた。
「だからこそ、もう…」
続けて何か言いかけた澪の話を遮るように、楓のすぐ後ろのフェンスにテニスボールが勢いよく音を立てて当たった。
「澪、大丈夫か!」
「うん、私は大丈夫よ。」
すぐに駆け寄ってきたのは宍戸。
打球は宍戸の向こうのコート、向日から放たれたもののようだった。
「おい岳人!危ねえぞ!」
「澪、すまねぇ!」
ネットの向こうから手を合わせて詫びるようにそう言う向日に澪はいつもの優しい微笑みを向けた。
「大丈夫だよ!気をつけてね!」
「澪、この後練習試合すっからスコア頼んでもいいか。」
「うん、勿論。」
宍戸たちは終始楓には視線を合わせず、いないものかのように扱った。
そして、澪の肩を抱くようにコートに導いて、楓から距離を取らせた。
──ああ、仕方ないよね。
先輩達が信じるのはどう考えても付き合いの長い澪先輩だ。
けれど、今までの努力全てを否定するように、存在さえなかったことにされるのは辛かった。
どこか、先輩達ならと期待していた分、余計に。
「…失礼します。」
「楓ちゃん。」
その場を去ろうとした背中に澪からかけられた言葉は、何故か、呪いのように重く、楓にのし掛かった。
「ねぇ、岳人。さっきのワザと?」
「いや…狙ったわけじゃねえけど。」
「なら、いいんだけど…。楓ちゃんにもちゃんと謝らなきゃダメよ。」
「あー…」
歯切れのない返事を繰り返す向日。
打球が楓の方へとんだのは事実狙った訳ではなかったが、澪が楓に絡まれていると思い、集中力が切れたからだった。
そして、あの場で彼女に謝らなかったのは意図しての行動だった。
僅かながら楓を信じたい気持ちもあったが、澪が危害を加えられたと思うと、ボールが当たった訳でもないしそれくらい…という気持ちが優った。
しかし澪はそんな楓にも気を遣い何故か優しい。
本当に出来た人間で、惚れた弱みなのか、彼女が清らかな聖女のようにさえ思えてきた。
「亮もだよ。楓ちゃんの事も心配してあげて。彼女の方がボールに近かったのよ。」
「アイツは澪と違って頑丈そうだし、多少当たっても問題ねぇだろ。」
長い髪を練習試合に向けて束ね直している彼は冷たく言い放った。
完全に澪の味方…つまり楓は敵だと認定したのか、既に遠く離れた楓に鋭い視線を送った。
「亮…」
「俺は澪を傷つけるやつは絶対許さねぇ。」
「亮、私は大丈夫だから…。」
悲しげな笑みを浮かべる澪に、宍戸と向日は儚さを覚えた。
そして、そんな眉の下がった笑顔とは裏腹に、僅かに自然と口角が上がる彼女には気づけなかった。
私は、楓ちゃんにやられた、なんて一度も言ってないのにな。
澪はスコアをつけながらぼんやりと考えていた。
一度も彼女を悪く言ったことはないし、いじめられたなんて言ってないのに、周りが面白いくらいに私の思った通りに動いてくれる。
皆、また私を世界の中心に置いてくれている。
冷たくなった指先にゆっくりと血が通っていくように、じんわりと温かく、少しずつ、居場所を取り戻したような感覚になった。
楓ちゃんのことは嫌いじゃない。
でも、憎い。
テニス部どころか学園中が私の味方。
心が満たされるような、それでいて何故か、また心に隙間が空いたような、この不思議な感覚に今は浸らせて────
きっと、これが正解だから。
楓と澪のやり取りを遠目から見ていた鳳。
例の噂の事は全く信じられずにいたが、先輩達と彼女らの温度感を見る限り、何かはあったのだろうと察していた。
けれど、やはり楓が噂のような子だとは思えなかった。
彼女が澪について語る時の眼差しは、側から見てもわかるくらい羨望に満ち溢れていて、あれが嘘だとは到底思えない。
だからと言って、当人同士の揉め事…揉め事かどうかは定かではないが、そこに全く関係のない自分が首を突っ込む事は如何なものかとも思っていた。
すっかり練習に身が入らなくなった鳳は、頭のクールダウンも兼ねて走り込みに向かった。
はぁ、日吉に話聞きたいなぁ。
このモヤモヤとした気持ちを晴らす為に、心の中で溜息を吐き、走りながら日吉の姿を探すのだった。
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