ツルネ
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仕事に疲れた時に、時々やってくる私の秘密の場所。
弓道で使われる弓道場と言われる場所。普通の弓道場なら秘密の場所なんて言わないだろう。
だが、ここは少し違う。
木々に囲まれ、射場だけに光が射し込む。太陽の光も、月の光もスポットライトのよう。まるでここだけを照らしている、舞台の上のようだ。
仕事が終わる頃にはもう外は暗い。そんな中私は階段を登って、鳥居を潜り、更に登って神社を通る。明るい神社なら神聖な感じがするが、暗いと何か出そうで怖いと少し思う。小銭を払って鍵を持ち、更に登って弓道場に行く。
弓道なんて、やったことはない。
もっと言えば私は元々県外の人間だ。この地域では弓道部がある学校は少なからずあるらしい。弓道なんて無い学校で育ったから弓道を聞くと身構えたり、高尚なイメージが強い。だからきっとここで弓を引く人たちも、弓道の段持ちという人達も高尚な人ばかりなのだろうと思っていた。
いや、今でも思ってる。
"道"がつくのだから難しいイメージもある。
鍵を差し込み扉を開けると、今日も中庭に月明かりが射し込む美しい弓道場がそこにあった。今日は昼間に少し雨が降ったから何だか射場から見える景色がなお美しく見える。
お邪魔します。
そう思いながら一礼して、荷物を置き射場から一番景色が美しく見える場所に行き正座をして中庭に目を向ける。美しいけど、どこか心を引き締める空気をまとうここは、神秘的だ。
そして目を瞑り少し湿った空気をゆっくり大きく吸い込んだ。
「処置は終わりました?」
「大丈夫です」
「すいません、報告良いですか?」
「お願いします」
「先生、報告させてください」
今日も仕事は忙しかった。
もっとこうすれば良かった、あぁすれば良かった。仕事の反省点なんてボロボロ出てくる。命を守る仕事で業務は処理出来たが、でももっと効率的に動けたのではないかそう思うと自分のなすことすべてが悪く見えてくる。そう思い出すと胸に鉛でも埋め込まれたんじゃないかという気持ちになって大きく吸った息を今度は溜息として吐き出した。
少しだけ胸が軽くなった。
それを何度も繰り返すのが、ルーティンだ。
―ガラッ!
すると、後ろから躊躇しない扉が開く音にびっくりして振り返った。今まで誰か来たことなんて一度もなかったのに。いきなりのことで息を張り詰めてしまった。振り返るとそこには、恐らく弓道着というものを着た男性が立っていた。男性もまさか人がいるとは思っていなかったのか驚いている。
「驚いた…」
男性はそう言いながら射場に入ってくる。恐らく弓をひくために来たのだろう。ならば私は去るべきだ。私は弓を引きに来たわけじゃないのだから。
「ごめんなさい、すぐに出ます」
そう言って立ち上がろうとすると、男性は私をジェスチャーでとどめた。
「あぁ、いや。こっちこそすいません、誰かいるとは思わなくて…」
そう言いながらも男性は弓を引く準備を着々と進めている。私はせめて邪魔にならないよう、荷物を置いた場所まで戻った。
「……、なんかすいません。弓を引かないのに、場所を使ってしまって…」
本来なら弓を引くべき場所なのに私がやってるのはただの仕事の一人反省会。本来なら怒られても仕方がない事だ。
だが男性は構いませんよ、と笑みを浮かべながら言った。
「邪魔しないので、ここにいても良いですか?」
その笑みに私はそうお願いをすると、男性はキョトンとして笑みが消えた。
だめだっただろうか…。
だめと言われたら去ればいい。もしかしたら一人で矢を射たいのかもしれない。それを考えると私は邪魔だ。
男性は一度的を見て、私を見ると楽しいものではありませんよ?と言った。おそらく私が弓を引かないのに、と言ったから弓道をしない人間と見抜いたのだろう。弓道が分からない人間からしたら矢を射ること、弓を引くことの楽しさなどなんて、分かる人間に比べれば全然分からない。そう男性は気を遣ってそう言ったのだろう。
「構いません」
私はそう言って同じく笑みを浮かべて答える。
男性は、またキョトンとして口元を押さえたかと思うとふふっと笑った。
初めて、弓を引く人を見た。
初めて、弓道というものを見た。
一番最初、男性が弓を引いて、美しい弓の音が響いて、矢が的を射止める音が聞こえた時、いつの間にか口からこんなにも澄んだ空気にも溶けて消えてしまうような声でこう言っていた。
「綺麗…」
真っ直ぐと的へ飛んでいく矢も、矢を放ったこの男性も。全てが、この弓道場に溶け込んでいてまるで一枚の美しい絵画でも見ているようだった。
でも、見惚れたのはその時だけだった。矢を放った男性の顔には一瞬だがどこか陰が見えていた。
男性は次々と矢を的に命中させる。
私は、あの顔に落ちた陰が胸に引っかかっていた。職業病だ、あぁ嫌だ。そんな引っ掛かりを振り払うように頭を振る。
そして何本も矢を的に命中させた男性は休憩なのか、止めたのか、ふぅ…と肩で息を一度吐くと私を見た。
「よく此処へは来られるんですか?」
「仕事の後に、ちょくちょく…」
問いかけながら男性は私の隣まで来ると、弓を立てかけ手にしていたグローブのようなものの紐をほどき始めた。
「最初、またカップルが忍び込んだのかと思いました」
………カップルが忍び込んだのかと?
そんなことする子がいるの?
…、不謹慎だなぁ…。
「それにしても、弓を引かずにここで何を?」
「…、仕事の一人反省会、ですかね」
「えぇ?」
「……ここは、静かで綺麗で、空気が澄んでいるから。色んなモノを思い出して、反省して、記憶を整理するのに、私は最適だったんです」
中庭を眺めながら私はそう言う。確かに、こんな反省会をするよりも、この美しい場所は美しく弓を引く事の方が相応しい。
最後に…、そう自分に言い聞かせ澄んだ空気を肺いっぱいに吸って吐き出す。そして男性と向き合った。
「弓を引くためじゃなくてごめんなさい。もうこれっきりにします」
「え、いや…」
「こうやって弓を引く方のご迷惑になりそうなので、」
「迷惑だなんて…。俺は迷惑だなんて思ってないですよ。不謹慎な事もされていないですし、今まで通り使ってもらって構いませんよ」
優しく男性はそう言った。
……甘えて、良いだろうか。
私は少し視線を落とし、綺麗に磨かれた床を見て、その言葉に甘えることにした。
「ありがとう、ございます…」
「いえいえ」
それが男性―滝川雅貴さんとの初めての出会いだった。
お言葉に甘えていつものように訪れると、滝川さんとよく会うようになった。言葉は滝川さんが休憩をとる時だけ。私達の間には言葉は少ない。だが、雰囲気や空間がとても心地良かった。
滝川さんは神職の方でここの神社で働かれている。だから暗くても道着で弓道が出来るらしい。
でも、あの陰の理由はまだ分からない。
まぁ、本人が言いたくないのなら私は待つだけだ。
そして仕事が終わり、今日は弓道場に寄らずに私は帰宅する予定だった。
しかし、通知を告げるスマホを見て予定が変わった。予定が一つ入った。
そして、その予定を終えると私はアパートに帰らず、足は弓道場に向いていた。
いつもの場所に鍵はなかった。もう、滝川さんが行っているのだろう。その事さえ私には傷に塩を塗り込まれているようだった。走って、走って…。自分を落ち着かせるように扉のメイデンで一つ息を吐いて扉を開く。
弓を引いている滝川さんの集中を欠きたくなかったから。
扉を開くと、何故か髪が短くなった滝川さんはちょうど弓を引いていた。的にはたくさんの矢が射られている。
私は出来る限り音を建てないように戸を閉めて、射場の隅っこに行って蹲った。
「どうした?今日は何かあったのか?」
優しい声色に、優しい言葉。初めてあったときに比べて砕けた言葉遣い。それぐらい私達は仲良くなっていた、と思う。
グズっと私は鼻をすすって、少し顔を上げると滝川さんが、困ったように笑っていたが私の目に浮かぶ涙を見ると、酷く困惑していた。そして、手を伸ばして私の頭に手を優しくポンッと乗せて優しく撫でてくれる。
その優しさに耐えきれなかった。
「婚約破棄、された…」
手が、止まった。
一応結婚を約束した婚約者がいた。
だが、その婚約者から今日、違う女性が好きになったから婚約破棄させて欲しいと申し出があった。慰謝料は払うから面倒な事はしないでほしいという言葉付きで。その違う女性は私よりも綺麗な人で、私を見る目は嘲笑っていた。
ポロッと涙が溢れた。
「……そうか」
絞り出すような滝川さんの言葉だった。
滝川さんは何度か私の頭を撫でると、隣に腰掛けて抱き寄せてくれた。暖かいその人肌が、私の涙腺を決壊させるには十分だった。
私が静かに涙を流している間、滝川さんは宥めるようにポン、ポンと肩を叩いていた。
涙がようやく止まると、滝川さんは一つ提案をしてくれた。
今度の私の休みにドライブしようと。
何故?と聞くと気分転換に、とイタズラをした子供のような笑みに私は何も言えなくなり頷いた。
その日は結局、滝川さんに送ってもらった。
別れ際に連絡先も交換して。
そして、その後から怒涛の連続勤務をこなし、私の休みになる。
今日は晴天だ。
滝川さんは私のアパートのメイデンに来るまでやってきた。
あの時、泣いたおかげが思ったよりも心は重くない。同僚にも落ち込んでいるところを見られどうしたのか聞かれた。婚約破棄されたことを言ったらその男クズだな、とかアンタは悪くないんだから落ち込むなと散々言われた。
後部座席に乗ろうとしたら、助手席に乗るように言われ助手席に乗る。ラジオを流しながら滝川さんと、ポツポツと話をした。
滝川さんはなんと、風舞高校の弓道部のコーチを引き受けたらしい。髪を切ったのはそのせいなのかな。でも、さっぱりした髪型は彼に似合っていた。
弓道部の部員達はなかなか個性的な子達ばかりだが、皆良い子で弓道が好きな子ばかりらしい。いつか私にも会わせたいと言っていた。
あの弓道場の森には白いフクロウがいる。メイデンメイデンをフウというらしい。時々姿を現すらしい。滝川さんには言わなかったがそのフクロウの存在は何となく気付いていた。木々の隙間に時々隠れ切れていない白い鳥の姿が見えていたから。
そして、滝川さんはいつの間にか師匠になっていた。弟子が出来たんだ、と言っていた。あれは弓道馬鹿だなと言っているがその顔はとても優しくて、そのお弟子さんを大切にしているのがわかった。
高速道路に乗り、話をポツリポツリとしながら車は進む。そして私は、いつの間にか景色が山ではなくなっていることに気付いた。窓の外を眺めると、そこには。
「海…」
今日は比較的波は凪いでいて、少し揺れる波に太陽光が反射してキラキラしている。海なし県と言われるところから海まで来るとは思ってなかった。少しワクワクと胸が疼いた。
滝川さんが駐車場に車を停め、二人で砂浜に降りる。
磯の香りと波の打ち寄せる音。
全てが私の普段の日常の中に無いものだった。
周りに人はいない。
「滝川さん、ありがとう」
「メイデンから言ってるが、雅貴でもマサさんの方がいいんだがなぁ」
仲良くなり始めた頃、滝川さんは私をメイデンメイデンで呼び始めたが私はメイデン字のままだった。それを他人行儀すぎるから嫌だと滝川さんは何度も言っていた。
拗ねた子供のようにそういう滝川さんが可愛くて、また非日常な場所に私の気持ちは浮かれていてふふ、と笑う。
「じゃあ、雅貴さん?」
「はい、何でしょうか?」
嬉しそうに答える滝川さん……もとい雅貴さん。
そのやりとりがおかしくて私と雅貴さんは笑い合った。
「ところで雅貴さん。なんで海?」
「人があんまりいなくて大声を出せる場所が、俺にはここしか思い付かなかったから、かな」
人があんまりいなくて大声を出せる……?
その意図が分からなくて首を傾げると、雅貴さんは肩に手を回した。
「大声を出すことは、心と体をリフレッシュするらしい」
……あぁ、そういうことか。
雅貴さんには、見抜かれていたんだ。
奥深くに突き刺さった元婚約者への未練がまだ鉛のように重くて抜けていないことに。
私は雅貴さんの手に一度触れて、覚悟を決める。雅貴さんが手を放した。
何が婚約破棄だ。
何が慰謝料払うから面倒な事はしないでほしいだ。
何が……ッ。
何が………ッ!!
そして私は、大きく息を吸って腹から声を出した。
「浮気野郎なんてッ、こっちから願い下げだよバーーーカッ!!」
私の大きな声は水平線に吸い込まれて言って、思ったよりも響かずに終わった。たった一回しか叫んでいないのに、息が上がっていて。でも胸に突き刺さっていた鉛のような未練がボロリと取れた気がして、呼吸が楽だ。母なる海はどこまでも静かに私の未練というメイデンの大声を受け止めて、また静かにさざ波を揺らしていた。
「じゃあ俺も……」
そう言う雅貴さんは隣でゆっくり大きく息を吸う。
雅貴さんが何かを叫ぶらしい。
雅貴さんが心に秘めている事は何だろうと思いながら私は、海を眺めていた。
「[メイデンメイデンメイデンメイデンメイデン]!!」
「はい!!」
なにか私に言うらしい。
私は自分の気分が浮ついているのが分かる。だから、浮ついたまま海に向かって返事をしていた。
「俺が幸せにする!!」
…………え?
「だから俺と、付き合ってくれ!!」
バッと隣の雅貴さんを見る。
雅貴さんはいつも通り飄々として海を向いていたけど、耳がちょっと赤い。
ブワッと胸の奥から何か熱くて甘く疼くものが込み上げてくる。あの元婚約者といても感じる事が無かったそれ。
傍から見たらいい大人な男女が海に向かって叫んで、告白なんて、おかしいとか馬鹿にされそうだけど、今ここには私達しかいない。
「よろしくお願いします!!」
私も海に向かって叫んでいた。
雅貴さんは体躯も良いし、器量も良い。
私なんかじゃ釣り合わない。そう思っていたし、もっと器量の良い女性から言い寄られたりもするだろうに。
車に戻った頃にそんな考えが浮かんで、不安になってきた。そんな考えを払拭するように雅貴さんは私の手と優しく繋いだ。指を絡め、ギュッと握る。
「初めて会った時、俺の射を見て綺麗って言ってくれたよな」
「うん」
「俺も、初めて会った時、驚いたんだ」
あぁ、まさか人がいるとは思っていなかったから驚いていたときかな。
「[メイデンメイデンメイデンメイデンメイデン]が、綺麗で」
「……は、……ぇ…?」
言っている意味が分からなかった。
あの時、人がいるとは思わず驚いたんじゃなく?
「月明かりに照らされた[メイデンメイデンメイデンメイデンメイデン]が綺麗で、驚いたんだ」
初めて言われた言葉に、顔が熱くなる。
そんな事言われたことがなかった。
私は、平凡な人間だから。
「一緒に過ごせば過ごすほど惹かれていったよ。だから、婚約破棄されたって聞いたとき、腸が煮えくり返るのと同時に、喜んだ」
おメイデンを捨てた元婚約者に怒りを覚えたが、同時にこうとも思った。俺が、[メイデンメイデンメイデンメイデンメイデン]を幸せに出来ると。
雅貴さんは、私を見た。
「傷心で弱ってるところにつけこむようで卑怯かも知れない。だが、俺は……もう………」
ギュッと手を握られる。
大きな手。男性の手。
あぁ、そうか。
あの時なんで、まっすぐ帰らずに弓道場に足が向いたのか分かった。私の中で雅貴さんが誰よりも頼れる大きな存在になっていたからなんだ。悲しかった、悔しかった、誰かそばにいてほしかった、誰でもいいわけじゃなく。
雅貴さんが良かったんだ。
「雅貴さん、ありがとう。あの時、雅貴さんと出会えて、知り合えて良かった」
今度は私が雅貴さんの手を握り返した。
