楽vs南雲
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本能に抗うように、私はその場から逃げ出した。
「はなさないで」「一緒に居たい」「そばに居たい」と本能が叫ぶ。
でも、私の心を捉えて離さないあの黒い瞳が、それを許さなかった。
今日で彼とも終わりにしようとしていたから、おしゃれなとは程遠い服だけど、こうやって動けるのだからこの服装で良かったと、今は皮肉にも思えた。
そう思いながら人混みをかき分けて人影のない路地に飛び込む。地面を強く蹴って、更に壁を蹴ってひたすら逃げた。
鞄の中のスマホがブルブルと震えているのが分かっる。恐らく彼からだろう。約束の時間を過ぎたのかもしれない。皮肉なことにいつもなら遅刻するのは彼の方なのに…。
でも、それどころではない。
「逃げる事ねーだろ」
「ッ!?」
ごく近くで聞こえたその声に続くように、肩を掴まれ壁に叩きつけられた。叩きつけられた衝撃と痛みで意識が飛びそうになるが、唇を噛み締めて耐える。目の前には先程の男性がいた。
「マジか…、これが、運命かよ………」
深い溜息を吐いて、酷く落胆したような声。
その声にあの時がフラッシュバックする。
私は酷く惹かれるのに、彼もこの男性も、私に落胆する。私はその気持ちに応えられなくて、悲しくて、苦しいのに。
もう、いい。
疲れた。
あの人に今日会って、この関係を終わりにしようと伝えようと思ったのに。でも、それでもきっとそれすら迷惑をかけるだけだ。
もう、何もかもが嫌だった。
いっそ、ここで死んだほうが、良いんだろう。
そう思うと私は隠していた短銃を素早く取り出し、自分のこめかみに銃口を押し当てた。
私、何のために生まれてきたんだろう。誰にも愛されない人生だったなぁ…。
ぼんやりとそう思いながら、最後に目の前の男性と目が合った。男性は酷く驚いたように目を見開いている。それが何だかおかしくて、ふっと笑みが溢れて私は引き金を引いた。
乾いた空に、銃声が響き渡る。
「な、んで……」
私の口から驚きの声が漏れた。
私が引き金を引くよりも早く、男性が私の手を掴み銃口を地面に向けさせたのだ。それに私は酷く驚いていた。
男性は少し怒った様子だった。
「なんではこっちのセリフだ。勝手に死のうとしてんじゃねーよ」
グッと肩を強く押され、再び壁に押し付けられる。
「ッ…………!」
その力の強さに、痛みで声にはならない悲鳴を上げると、男性は少しビクッとした。
そしてゆっくりと力を抜いてくれる。まるで手加減してくれようとしているように感じた。
「悪い、弱い奴にどうしたら良いか、分からねーから…」
男性は困惑しているようにそう言った。
私は突然追いかけられたり、壁に叩きつけられたりしたため警戒を解けずに男性を見つめることしか出来ない。
「何もそんなに警戒することねーだろ」
「…………」
「見つかるなんて思ってなかった運命なんだ。警戒すんのマジやめろ」
そういえば、あの時人混みの中でも言ってた『運命』って……?
「あ、の……。運命、って何のこと……?」
恐る恐るそう聞くと、男性は私から銃を優しく取り上げた。その優しい仕草とは反対に力任せに銃を壊す。呆然と壊しされた銃を見つめる私に、男性は「自害なんてさせねーから」と強く言い放った。それに私は何も言えなくなる。
「運命ってのは、『運命の番』のことだ」
「お前も分かっただろ?」と男性はそう言った。
『運命の番』。聞いたことはあるけど都市伝説のようなものだと思っていた。
でも、確かに本能がこの男性を求めていた。
「はなれたくない」と、「そばにいたい」と心臓が叫ぶ。今だって「触れて欲しい」と頭の奥底で誰かが乞い願っている。それは男性も同じなのか、恐る恐るといった様子で私に手を伸ばしてくるとそっと優しく頬に触れてきた。
「お前、フェロモン薄すぎ」
「え……」
自分のフェロモンなんて分からず首を傾げそうになる。匂いみたいなものなのかな…?そんな事を思いながら、自分の匂いをかごうとしたがそれよりも早く男性が私を抱き上げた。
「大方、薬でも飲んでんだろ」
薬、という言葉を聞いてハッと彼との約束を思い出した。
「あ、あの……!下ろして…!私、行かなきゃいけないから…!」
「あ?」
この男性との関係を始めるにも、何も始めないにしても、まずは彼との関係を終わりにしないといけない。そう思って慌ててそう言うと男性はドスの効いた声を出して私を睨んだ。
「俺以外の、その薄っぺらい匂いのαに会いに行くのか」
「薄っぺらい匂い」の、という言葉にズグッと胸が痛んだ。確かに、月に一回の定例はしていたものの彼との接触はほとんど無かったし、彼からの匂いをまとうことだってほとんど無かった。それがまるで、彼は私に一切興味がないと言っているようでひどく悲しかった。
「……、あなたは、」
「楽」
「え、」
「お前の運命の名前で、俺の名前」
そう言って男性ーー楽はまるで私を慰めるようにコツンと額を優しく擦り合わせた。それが嬉しくて、長らく乞い願い続けていたものがようやく与えられたような気がした。満たされた気がして涙が浮かぶ。気付いたら私は楽の首に腕を回して抱きついていた。
「楽」
ずっとずっと、心が飢えていた。
Ωという第二の性に診断されてから、ずっと。
彼に愛されたいと努力したけど、それは実を結ばなかった。
今日で彼に愛されたいと思っていた自分を殺して、一人で生きていく予定だったのに。
でも、トラブルもあったけど、こんなにも心が満たされたのは初めてだった。
「……やっぱ、やめだ」
そう楽は言った。
「別れを告げるぐらいさせてやろうかと思ったけど、他のαのところなんざ絶対に行かせない」
そう言うと、楽は私を抱えたまま歩き出した。
「…………ふーん、」
その時ビルの屋上から、冷たい黒い瞳が私達を見つめていることなど私は知る由もなかった。
