一年生
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肌寒さを感じて、名前は眠りから覚めた。
うっすらと目を開けると、辺りは仄暗くてよく分からない。
まだ意識は微睡みの中にあって、名前はまた目を閉じた。
体を捻って寝返りを打とうとした。
しかし、思うように体が動かせない。
そして、寝ているベッドが硬く、異様に冷たい。
「目が覚めたか?ミョウジ。」
声が聞こえて、名前は閉じた目をぱっちりと開けた。
「よく眠れたようだな。気分はどうだ?」
薄暗くて声がどこから聞こえたのか分からなかった。
しかし暗がりからクィレルが現れた。
いつものおどおどした雰囲気ではなくて、蔑むような目をして名前を見下ろしている。
手には杖が握られていた。
『……』
じっと杖を見たまま、名前は立ち上がろうと体を動かした。
けれど体が全く動かない。
名前は自分の体を見ようとしたが、しかし頭すら動かせない。
無理矢理でも動かそうと思えば動かせるのだが、動かすと首が締まって息が出来なくなった。
何か紐のようなものが巻き付いて、動く度に首を締めてくるようだった。
その感覚は首だけではなく、両手首にも、両足首にもある。
名前は体を動かすのをやめた。
そして目だけを動かして、クィレルを見上げた。
クィレルは微笑んでいた。
鳥肌が立つほど冷たい笑みだった。
「ミョウジ、とても賢い選択だな。お前がもがけばもがくほど、その縄はお前を苦しめるのだ。」
やはり動けば動くほど、縄は首や手や足に食い込んでくるようだ。
おそらく魔法がかけてあるのだろう。
名前は身動ぎもせず、横たわったまま、目の前に佇むクィレルを見つめた。
クィレルはすっと目をそらした。
名前の背後を見つめていた。
「どうしてクィレル先生が。……そう思っているのか?」
『……』
「何故こうなったのか、何故こんなことをするのか。聡いミョウジになら分かるだろう?」
『……分かりません。』
口を動かすだけで、喉が動くだけで、巻き付いた縄が首を締め付けた。
しかし名前はいつもの無表情を浮かべていた。
クィレルは名前を見下ろして、忌々しそうに眉根を寄せた。
そして片足を上げて名前に近付けた。
靴底が眼前に迫り、名前の体は微かに強張った。
クィレルは靴の先を名前の肩に当てて後ろに押した。
名前の体は容易に転がり、体勢は反転した。
動かされたことで縄が締め付け、顔が膨張するような感覚が広がる。
「見えるか。」
息が詰まって、目の前がぼやけていた。
けれど先程よりも暗闇に目が慣れてきたようだ。
室内の様子が見えるようになっている。
締め付けられた縄の僅かな隙間から、名前は慎重に呼吸を繰り返した。
天井はドーム型で、案外高い。
灰色の石がきれいに並んでいた。
少なくとも名前の知らない部屋にいるらしい。
更に視線を動かしてみる。
中央辺りに、姿見よりも大きい、曇った鏡があった。
光がないのに、明るく輝いている。
『望みを映す、鏡……』
「そうだ。」
思わずといった様子で名前は言葉をもらした。
声を出したことでまた縄に締め付けられる。
喉元を押さえ付けられ、名前は咳き込んだ。
咳き込んだことで締め付けは強くなった。
クィレルは咳き込む名前を跨いで、鏡の方へ向かった。
まるでとても愛おしそうに鏡を撫でている。
名前はぐっと堪えて、咳を止めようとした。
動きを止めれば一時的にでも、縄の締め付けが緩むからだ。
苦しくて、目の表面に涙の膜が張った。
「これで"石"が手に入る。」
クィレルは鏡越しに名前を見つめていた。
その目付きは、名前に何か言うように促しているようだった。
声を出せばまた縄が締め付ける。
けれどクィレルの思惑を無視したら、どうなるか分からない。
名前は慎重に呼吸を繰り返して、小さく口を開けた。
『賢者の石……』
「そうだ。それでご主人様は甦る。何ものにも屈しない体となって、もう一度この世に現れるのだ。」
『……ヴォルデモート、』
「その名を軽々しく口にするな!」
部屋の中で声が大きく反響した。
指先が白くなるほどに強く握られた杖から、強烈な光が放たれる。
それは飛び出すように出てくると、目にも止まらぬ速さで名前の腹の辺りを抉るようにぶつかった。
名前の体は壁に強く叩きつけられた。
『……』
腹を押されて、背中を打ち付けて。
名前の肺にあった空気は、外に全部飛び出してしまった。
強い衝撃は名前の体に一瞬の混乱を引き起こした。
息をする方法を忘れてしまった。
吐くものはなく、吸うことも出来ない。
頭が眩み、目の前が明滅を繰り返す。
そして締め付ける縄がより一層に状況を悪化させている。
「あのお方の偉大さを欠片も理解していないお前が、簡単に口にできるような名前ではない。」
クィレルは興奮治まらぬ様子で、忌々しそうに吐き捨てた。
今にももう一度魔法を放ってきそうだ。
しかし名前は反応が出来なかった。
息を取り戻すことで精一杯だったからだ。
名前は体を動かさないようにして、短く、小さく、息を吸った。
それを何度か繰り返して、十分に呼吸をする。
ようやく息を取り戻して、名前は体の痛みに気が付いた。
腹、背中、頭の痛み。
強い吐き気。
食い込む縄。
名前はクィレルを見た。
クィレルは名前を見下ろしていた。
真っ直ぐと杖を向けている。
魔法を叩き込むことに一切躊躇いはないだろう。
『思い違いではなかったということですか……。』
唇が震えた。声も震えていた。
名前は俯いて唇を噛み締める。
震えが弱まってから、名前はもう一度口を開いた。
『賢者の石も、ユニコーンの血も、ハリーが傷つけられるのも、……全部、クィレル先生の計画だったのですか。』
抑揚のない小さな声は掠れていた。
しかし静かなこの空間では、十分聞き取れる声量だった。
「やはりお前は聡い。その年にしてはな。さすがはミョウジの息子というべきか。」
『……父を……』
「知っているとも。ご主人様がお教えくださった。ミョウジ、お前の父親はご主人様の腹心の部下だった。しかし、お前の父親は裏切ったのだ。」
名前は前髪の隙間からクィレルを見上げた。
目の前に火花が散った。
一瞬体が浮遊して、壁に叩き付けられた。
身構える猶予はなくて、体は床に倒れ込もうとする。
しかし倒れることは許されなかった。
首に縛られた縄で引き上げられ、爪先が床を掠める。
縄が食い込み、呻くこともできない。
「お前の父親はマグルの世界に逃げ込み悠々と暮らしている。ご主人様の深い悲しみを味わうべきだ。そうは思わないか?ミョウジ。」
体を動かさないように努めた。
動けば締め付けるからだ。
けれどいつまで息を止めていられるものだろうか。
そうでなくても、宙に浮かんだ体は微かに動く。
縄はじわじわと食い込んでいく。
首を捩じ切られるか。
骨を捩じ切られるか。
呼吸がままならない。
感覚が薄らいでいく。
意識が遠のいていく。
「よせ。」
嗄れた低い声が響いた。
声は彼方此方に響き渡る。
どこから出ているのかはわからない。
「しかし、ご主人様っ……」
「俺様が『よせ』と言っているのだ。」
「……承知いたしました。」
縄が緩んだ。
名前は床に倒れ込んで、体の彼方此方を打ち付けた。
しかしその痛みは気にならなかった。
息をしても、咳き込んでも、縄は締め付けてこなかったからだ。
横たわったまま咳き込む体を丸め、ゆっくり呼吸を繰り返す。
周囲の様子を見る余裕まで出てきた。
クィレルは杖を持ったまま、鏡の前を右往左往している。
眉を八の字にしてとても困っているようだ。
「俺様はナマエの顔が見たい。」
再び低い嗄れた声が響いた。
クィレルは目を見開いて固まってしまった。
名前はキョロキョロと辺りを見回した。
名前から見えるのはクィレルだけだ。
クィレルの視線を探ってみたが、話している相手を見ている様子はない。
名前は首を傾げたままじっとクィレルを見つめた。
そんな目で見つめられてもクィレルは対応に困るようだった。
名前を見つめ返す目は、普段のクィレルのように見えた。
「見せろ。心配はいらん。」
声が低く響いて、クィレルはハッとしたように目を見開いた。
そして慌てて口元を歪め、きっと名前を睨む。
どうして表情を作り直したのか。
名前は更に首を傾げた。
クィレルは怒りの表情を浮かべたまま、頭に巻いたターバンに手をやった。
ターバンをほどいているようだった。
そしてクィレルは後ろを向いた。
「ほう……。見れば見るほど、ミョウジそっくりだ。懐かしい。まるでミョウジの若い頃を見ているようだ。」
『……』
「ごきげんよう、ナマエ。ああ……、あまり気分はよくなさそうだな。さて、俺様が誰だか分かるかな?」
『……ヴォル、……』
言いかけて、名前は口を閉じた。
そして、そろそろとクィレルの頭を見た。
正確にはクィレルの後頭部にある、"顔"を見た。
"顔"はなんだか愉快そうで、ニヤニヤと笑っている。
その顔の持ち主こそがクィレルの"ご主人様"なのだろう。
「ん?どうした?最後まで言ってみろ。」
『……ヴォルデモート……。』
「そう。そうだ。心配しなくていい。発音もしっかりできている。」
ヴォルデモートは哀れんだ目で名前を見つめた。
どうやら名前の滑舌の悪さは、ヴォルデモートにも知られているようだ。
名前は魔法を叩き込まれた以上の衝撃を感じたようだった。
無表情から更に感情が削ぎ落とされ、生気がない。
ヴォルデモートは生暖かい目で見つめている。
「ナマエ……俺様はこの一年間、ナマエを見てきた。」
ヴォルデモートは我が子に絵本を読み聞かす父親のような、優しい声音でそう語る。
一年間も自分の発音の悪い声を聞かれていたのかと思うと、名前は血の気が引いた。
「俺様を裏切った男そっくりの、その息子だ。目に留まるのは仕方ないと思わないか?」
名前は前髪の隙間からじっとヴォルデモートを見つめた。
ヴォルデモートの赤い瞳は名前を見ていた。
しかし、おそらく、名前を見ているわけではない。
名前を通して、名前の父親を見ているのだ。
「ナマエ、俺様の元に来い。」
『……』
「学校では決まりごとが沢山あるだろう?しかしここで学べることは、沢山の中の一部でしかない。知識が偏り、思考も歪む。」
『……どうして、』
「ナマエ、お前は小さく抑え込まれるような器ではない。俺様が全てを教えてやろう。ホグワーツにいるよりずっといい。」
『……、……俺の父は、……あなたを、裏切った。だから、……憎いんじゃないのか。殺したいくらいに。』
「ああ確かに、お前の父親は裏切った。沢山の仲間の命を奪ってな。しかしお前ほど計り知れない魔力を持った魔法使いも稀有だ。だからこそ欲しい。たとえお前が俺様を裏切った男の息子だろうとだ。」
『……』
「俺様の元に来い。頷け。それだけでいい。」
ヴォルデモートは笑う。
赤い瞳が三日月状に弧を描く。
名前はヴォルデモートを見つめた後、首を左右に振った。
ヴォルデモートはあからさまに深い溜め息を吐いた。
「ナマエ、お前は愚かなことに、自分の魔力の強大さに気付いていないようだ。」
ヴォルデモートはいかにも残念そうな声音で続けた。
けれど名前の返事にあまり驚いてはいないようだった。
「お前の成長は著しいものだった。それこそスポンジのように吸収していった。」
物が分からない子供に教えるような、諭すような優しい口調だ。
しかし浮かべた表情は優しさとは程遠い。
獲物を逃さないように見つめてくる赤い瞳は変わらない。
ぎらつきだけが増していく。
「だがそれだけではない。魔力の増大だ。お前には桁外れの魔力がある。
いつか魔力の増大に追い付かず、扱えなくなる日がくるぞ。その時、お前は死を迎えるだろう。」
『……』
「勿論、死にたくはないだろう?」
『……』
「生きるか死ぬか、考えるまでもない。俺様と共に来るのだ。」
名前は首を傾げる。
傾げたまま、じっとヴォルデモートを見つめる。
そしてまた、首を左右に振った。
ヴォルデモートは大袈裟に溜め息を吐いた。
「ああ、ナマエ……なんて愚かな奴だ。いいだろう。そんなに死を望むのなら殺してやる。今、ここで───」
再び縄が持ち上がり、名前は強制的に立たされた。
立ち上がっても、縄は上へ引っ張り続ける。
足が持ち上がり、結われた足は空を蹴った。
じわりじわりと、手足の先から冷えてくる。
苦しさに瞼が閉じてしまう。
自然と歯を食い縛る。
もがいても縄は締め付ける。
───この場から抜け出す。
考えることが出来ない。
苦しさも意識も遠退いていく。
笑い声が響いている。
うっすらと目を開けると、辺りは仄暗くてよく分からない。
まだ意識は微睡みの中にあって、名前はまた目を閉じた。
体を捻って寝返りを打とうとした。
しかし、思うように体が動かせない。
そして、寝ているベッドが硬く、異様に冷たい。
「目が覚めたか?ミョウジ。」
声が聞こえて、名前は閉じた目をぱっちりと開けた。
「よく眠れたようだな。気分はどうだ?」
薄暗くて声がどこから聞こえたのか分からなかった。
しかし暗がりからクィレルが現れた。
いつものおどおどした雰囲気ではなくて、蔑むような目をして名前を見下ろしている。
手には杖が握られていた。
『……』
じっと杖を見たまま、名前は立ち上がろうと体を動かした。
けれど体が全く動かない。
名前は自分の体を見ようとしたが、しかし頭すら動かせない。
無理矢理でも動かそうと思えば動かせるのだが、動かすと首が締まって息が出来なくなった。
何か紐のようなものが巻き付いて、動く度に首を締めてくるようだった。
その感覚は首だけではなく、両手首にも、両足首にもある。
名前は体を動かすのをやめた。
そして目だけを動かして、クィレルを見上げた。
クィレルは微笑んでいた。
鳥肌が立つほど冷たい笑みだった。
「ミョウジ、とても賢い選択だな。お前がもがけばもがくほど、その縄はお前を苦しめるのだ。」
やはり動けば動くほど、縄は首や手や足に食い込んでくるようだ。
おそらく魔法がかけてあるのだろう。
名前は身動ぎもせず、横たわったまま、目の前に佇むクィレルを見つめた。
クィレルはすっと目をそらした。
名前の背後を見つめていた。
「どうしてクィレル先生が。……そう思っているのか?」
『……』
「何故こうなったのか、何故こんなことをするのか。聡いミョウジになら分かるだろう?」
『……分かりません。』
口を動かすだけで、喉が動くだけで、巻き付いた縄が首を締め付けた。
しかし名前はいつもの無表情を浮かべていた。
クィレルは名前を見下ろして、忌々しそうに眉根を寄せた。
そして片足を上げて名前に近付けた。
靴底が眼前に迫り、名前の体は微かに強張った。
クィレルは靴の先を名前の肩に当てて後ろに押した。
名前の体は容易に転がり、体勢は反転した。
動かされたことで縄が締め付け、顔が膨張するような感覚が広がる。
「見えるか。」
息が詰まって、目の前がぼやけていた。
けれど先程よりも暗闇に目が慣れてきたようだ。
室内の様子が見えるようになっている。
締め付けられた縄の僅かな隙間から、名前は慎重に呼吸を繰り返した。
天井はドーム型で、案外高い。
灰色の石がきれいに並んでいた。
少なくとも名前の知らない部屋にいるらしい。
更に視線を動かしてみる。
中央辺りに、姿見よりも大きい、曇った鏡があった。
光がないのに、明るく輝いている。
『望みを映す、鏡……』
「そうだ。」
思わずといった様子で名前は言葉をもらした。
声を出したことでまた縄に締め付けられる。
喉元を押さえ付けられ、名前は咳き込んだ。
咳き込んだことで締め付けは強くなった。
クィレルは咳き込む名前を跨いで、鏡の方へ向かった。
まるでとても愛おしそうに鏡を撫でている。
名前はぐっと堪えて、咳を止めようとした。
動きを止めれば一時的にでも、縄の締め付けが緩むからだ。
苦しくて、目の表面に涙の膜が張った。
「これで"石"が手に入る。」
クィレルは鏡越しに名前を見つめていた。
その目付きは、名前に何か言うように促しているようだった。
声を出せばまた縄が締め付ける。
けれどクィレルの思惑を無視したら、どうなるか分からない。
名前は慎重に呼吸を繰り返して、小さく口を開けた。
『賢者の石……』
「そうだ。それでご主人様は甦る。何ものにも屈しない体となって、もう一度この世に現れるのだ。」
『……ヴォルデモート、』
「その名を軽々しく口にするな!」
部屋の中で声が大きく反響した。
指先が白くなるほどに強く握られた杖から、強烈な光が放たれる。
それは飛び出すように出てくると、目にも止まらぬ速さで名前の腹の辺りを抉るようにぶつかった。
名前の体は壁に強く叩きつけられた。
『……』
腹を押されて、背中を打ち付けて。
名前の肺にあった空気は、外に全部飛び出してしまった。
強い衝撃は名前の体に一瞬の混乱を引き起こした。
息をする方法を忘れてしまった。
吐くものはなく、吸うことも出来ない。
頭が眩み、目の前が明滅を繰り返す。
そして締め付ける縄がより一層に状況を悪化させている。
「あのお方の偉大さを欠片も理解していないお前が、簡単に口にできるような名前ではない。」
クィレルは興奮治まらぬ様子で、忌々しそうに吐き捨てた。
今にももう一度魔法を放ってきそうだ。
しかし名前は反応が出来なかった。
息を取り戻すことで精一杯だったからだ。
名前は体を動かさないようにして、短く、小さく、息を吸った。
それを何度か繰り返して、十分に呼吸をする。
ようやく息を取り戻して、名前は体の痛みに気が付いた。
腹、背中、頭の痛み。
強い吐き気。
食い込む縄。
名前はクィレルを見た。
クィレルは名前を見下ろしていた。
真っ直ぐと杖を向けている。
魔法を叩き込むことに一切躊躇いはないだろう。
『思い違いではなかったということですか……。』
唇が震えた。声も震えていた。
名前は俯いて唇を噛み締める。
震えが弱まってから、名前はもう一度口を開いた。
『賢者の石も、ユニコーンの血も、ハリーが傷つけられるのも、……全部、クィレル先生の計画だったのですか。』
抑揚のない小さな声は掠れていた。
しかし静かなこの空間では、十分聞き取れる声量だった。
「やはりお前は聡い。その年にしてはな。さすがはミョウジの息子というべきか。」
『……父を……』
「知っているとも。ご主人様がお教えくださった。ミョウジ、お前の父親はご主人様の腹心の部下だった。しかし、お前の父親は裏切ったのだ。」
名前は前髪の隙間からクィレルを見上げた。
目の前に火花が散った。
一瞬体が浮遊して、壁に叩き付けられた。
身構える猶予はなくて、体は床に倒れ込もうとする。
しかし倒れることは許されなかった。
首に縛られた縄で引き上げられ、爪先が床を掠める。
縄が食い込み、呻くこともできない。
「お前の父親はマグルの世界に逃げ込み悠々と暮らしている。ご主人様の深い悲しみを味わうべきだ。そうは思わないか?ミョウジ。」
体を動かさないように努めた。
動けば締め付けるからだ。
けれどいつまで息を止めていられるものだろうか。
そうでなくても、宙に浮かんだ体は微かに動く。
縄はじわじわと食い込んでいく。
首を捩じ切られるか。
骨を捩じ切られるか。
呼吸がままならない。
感覚が薄らいでいく。
意識が遠のいていく。
「よせ。」
嗄れた低い声が響いた。
声は彼方此方に響き渡る。
どこから出ているのかはわからない。
「しかし、ご主人様っ……」
「俺様が『よせ』と言っているのだ。」
「……承知いたしました。」
縄が緩んだ。
名前は床に倒れ込んで、体の彼方此方を打ち付けた。
しかしその痛みは気にならなかった。
息をしても、咳き込んでも、縄は締め付けてこなかったからだ。
横たわったまま咳き込む体を丸め、ゆっくり呼吸を繰り返す。
周囲の様子を見る余裕まで出てきた。
クィレルは杖を持ったまま、鏡の前を右往左往している。
眉を八の字にしてとても困っているようだ。
「俺様はナマエの顔が見たい。」
再び低い嗄れた声が響いた。
クィレルは目を見開いて固まってしまった。
名前はキョロキョロと辺りを見回した。
名前から見えるのはクィレルだけだ。
クィレルの視線を探ってみたが、話している相手を見ている様子はない。
名前は首を傾げたままじっとクィレルを見つめた。
そんな目で見つめられてもクィレルは対応に困るようだった。
名前を見つめ返す目は、普段のクィレルのように見えた。
「見せろ。心配はいらん。」
声が低く響いて、クィレルはハッとしたように目を見開いた。
そして慌てて口元を歪め、きっと名前を睨む。
どうして表情を作り直したのか。
名前は更に首を傾げた。
クィレルは怒りの表情を浮かべたまま、頭に巻いたターバンに手をやった。
ターバンをほどいているようだった。
そしてクィレルは後ろを向いた。
「ほう……。見れば見るほど、ミョウジそっくりだ。懐かしい。まるでミョウジの若い頃を見ているようだ。」
『……』
「ごきげんよう、ナマエ。ああ……、あまり気分はよくなさそうだな。さて、俺様が誰だか分かるかな?」
『……ヴォル、……』
言いかけて、名前は口を閉じた。
そして、そろそろとクィレルの頭を見た。
正確にはクィレルの後頭部にある、"顔"を見た。
"顔"はなんだか愉快そうで、ニヤニヤと笑っている。
その顔の持ち主こそがクィレルの"ご主人様"なのだろう。
「ん?どうした?最後まで言ってみろ。」
『……ヴォルデモート……。』
「そう。そうだ。心配しなくていい。発音もしっかりできている。」
ヴォルデモートは哀れんだ目で名前を見つめた。
どうやら名前の滑舌の悪さは、ヴォルデモートにも知られているようだ。
名前は魔法を叩き込まれた以上の衝撃を感じたようだった。
無表情から更に感情が削ぎ落とされ、生気がない。
ヴォルデモートは生暖かい目で見つめている。
「ナマエ……俺様はこの一年間、ナマエを見てきた。」
ヴォルデモートは我が子に絵本を読み聞かす父親のような、優しい声音でそう語る。
一年間も自分の発音の悪い声を聞かれていたのかと思うと、名前は血の気が引いた。
「俺様を裏切った男そっくりの、その息子だ。目に留まるのは仕方ないと思わないか?」
名前は前髪の隙間からじっとヴォルデモートを見つめた。
ヴォルデモートの赤い瞳は名前を見ていた。
しかし、おそらく、名前を見ているわけではない。
名前を通して、名前の父親を見ているのだ。
「ナマエ、俺様の元に来い。」
『……』
「学校では決まりごとが沢山あるだろう?しかしここで学べることは、沢山の中の一部でしかない。知識が偏り、思考も歪む。」
『……どうして、』
「ナマエ、お前は小さく抑え込まれるような器ではない。俺様が全てを教えてやろう。ホグワーツにいるよりずっといい。」
『……、……俺の父は、……あなたを、裏切った。だから、……憎いんじゃないのか。殺したいくらいに。』
「ああ確かに、お前の父親は裏切った。沢山の仲間の命を奪ってな。しかしお前ほど計り知れない魔力を持った魔法使いも稀有だ。だからこそ欲しい。たとえお前が俺様を裏切った男の息子だろうとだ。」
『……』
「俺様の元に来い。頷け。それだけでいい。」
ヴォルデモートは笑う。
赤い瞳が三日月状に弧を描く。
名前はヴォルデモートを見つめた後、首を左右に振った。
ヴォルデモートはあからさまに深い溜め息を吐いた。
「ナマエ、お前は愚かなことに、自分の魔力の強大さに気付いていないようだ。」
ヴォルデモートはいかにも残念そうな声音で続けた。
けれど名前の返事にあまり驚いてはいないようだった。
「お前の成長は著しいものだった。それこそスポンジのように吸収していった。」
物が分からない子供に教えるような、諭すような優しい口調だ。
しかし浮かべた表情は優しさとは程遠い。
獲物を逃さないように見つめてくる赤い瞳は変わらない。
ぎらつきだけが増していく。
「だがそれだけではない。魔力の増大だ。お前には桁外れの魔力がある。
いつか魔力の増大に追い付かず、扱えなくなる日がくるぞ。その時、お前は死を迎えるだろう。」
『……』
「勿論、死にたくはないだろう?」
『……』
「生きるか死ぬか、考えるまでもない。俺様と共に来るのだ。」
名前は首を傾げる。
傾げたまま、じっとヴォルデモートを見つめる。
そしてまた、首を左右に振った。
ヴォルデモートは大袈裟に溜め息を吐いた。
「ああ、ナマエ……なんて愚かな奴だ。いいだろう。そんなに死を望むのなら殺してやる。今、ここで───」
再び縄が持ち上がり、名前は強制的に立たされた。
立ち上がっても、縄は上へ引っ張り続ける。
足が持ち上がり、結われた足は空を蹴った。
じわりじわりと、手足の先から冷えてくる。
苦しさに瞼が閉じてしまう。
自然と歯を食い縛る。
もがいても縄は締め付ける。
───この場から抜け出す。
考えることが出来ない。
苦しさも意識も遠退いていく。
笑い声が響いている。