一年生
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『………』
遠い競技場の方向から、興奮した様子の甲高い叫び声がいくつも混ざりあって聞こえてくる。
校舎内は空っぽだ。名前を除いて誰もいない。
螺旋階段の途中にある窓辺に体を押し込めて、痩せっぽっちの背中を丸めて名前は座っていた。
片手に小型のビデオカメラ、もう片手には杖が力強く握り込まれて、膝の上で待機している。
手は時折、手持ち無沙汰に杖を撫でた。
けれど名前の目は真っ直ぐ競技場を見つめている。
そうして、どのくらい経っただろうか。
色めき立った観衆の声が一段と高くなって、ビリビリと窓を振動させた。
どうやら選手が入場してきたようだ。
そろそろ試合が始まるらしい。
ところで、ホグワーツでは魔法のせいで電子機器が動かないという話がある。
しかしクィディッチの試合中ではマイクを使用しているし、全ての電子機器が影響を受けるわけではないのだろう。
もしかしたら魔法のマイクに呪文が掛けられているのかもしれないけど。
とにかく一か八か、名前]はビデオカメラの電源を入れた。
幸いビデオカメラは問題なく起動して、正常な画面が映し出された。
名前はレンズを競技場の方向へ向けた。
ズームのボタンを押し、ピントを合わせて、観衆の顔を一通り映していく。
観客席には、ロンとハーマイオニーはもちろん、ネビルやマルフォイもいた。
ゆっくりとカメラを回し続け、やがて教師陣用の観客席まできた。
そこで名前はぴたりと動きを止める。
『(ダンブルドア校長先生……。)』
名前は画面に映る笑顔をじっと見つめた。
観客席には、他の教師達と一緒にダンブルドアが座っていた。
相変わらずブルーの瞳をキラキラと輝かせていて、楽しそうに試合を眺めている。
『……。』
名前はその笑顔をしばらく眺め、カメラに収めてから、ようやく競技の方へレンズを向けた。
選手達一人一人にレンズを向けるが、誰一人としてまともに映すことが出来ない。
レンズに収めた瞬間、残像と化して消えてしまうのだ。
なんとか映そうと四苦八苦していると、偶然にもピントが審判のスネイプに合った。
審判を買って出た(と名前はロンに聞いた)スネイプの眉間の皺は、名前の目にはいつもより深く見えた。
『(………あ)』
一瞬、赤色が画面を横切っていた。
赤色が消えた方向へレンズを向ける。
猛スピードだ。
赤色は急降下をして、真っ直ぐスネイプの方へ向かっていく。
『(ぶつかる……)』
名前は緊張してカメラを強く握り締める。
赤い光は、すれすれでスネイプにぶつからなかった。
そしてぴたりと止まり、高く高く手を挙げた。
その手には、金色のスニッチが握られていた。
ハリーの眩しいほどの笑顔があった。
『……。』
一拍遅れて沸き起こった観衆の歓声は一層大きくて、地震のように校舎を揺らし、空気すらも振動させた。
(一部からはブーイングが起きていたが。)
ある者は立ち上がって手を叩き、またある者は抱き合って喜び、喜び勇んで雄叫びを上げる者もいた。
名前もカメラを手放して拍手をしそうになったが、すんでのところで我に返り、慌ててカメラを持ち直した。
(もしもそのまま拍手をしていたら、カメラは地上へ真っ逆さまだっただろう。)
グランドに降りる選手達へ、拍手が雨のように降り注ぐ。
『(……。)』
名前はちらりと録画時間を見る。
試合開始から五分も経っていない。
『……すごい、な。』
思わずぽつりと溢した言葉にはっとして、名前は口を閉じてカメラを回す。
今の名前の独り言は、しっかりビデオに収められたことだろう。
ハリーはいつの間にかグランドに降りているダンブルドアと何か言葉を交わしている。
その後ろで、スネイプが不機嫌そうな顔をしていた。
『……。』
そのまましばらくの間、観客席やグランドの様子を撮っていたが、ハリーが更衣室に入っていった際に、名前も撮影を切り上げた。
『……。』
何かを探しているかのように辺りを見渡しながら、名前は危なっかしく歩いていた。
芝生は湿気を帯びてしっとりと濡れている。
ズボンの裾が濡れることも構わずに、名前は歩みを止めない。
『(ハリー……どこだろう。)』
名前なりにハリーへ何か労いの言葉を掛けたかったのだろう。
試合が終わってから探し続けているがまだ会えていない。
見落としてしまったのだろうか。
どこかで擦れ違っていたのだろうか。
立ち止まり、糸が切れた人形のようにかくんと俯く。
てんやわんやの大騒ぎが今となっては夢のようだ。
風と、ざわざわと森の葉がうごめく音がする以外、物音はしない。
昼間と比べてぐんと冷えた風が名前の黒髪を揺らした。
赤い夕日が青白い名前の横顔を照らし、濃い陰影を落とす。
俯き、冷たい風に嬲られる名前の姿は、見ている者へ哀愁を感じさせた。
(しかし幸か不幸か、見ている者は誰一人としていなかった。)
長いローブがカーテンのようにはためき捲れ上がる。
ぶるりと身震いをして、風をはらむローブを体に巻き付けた。
ふう、と吐いた息は、ほのかに白い。
名前はやがてすっと顔を上げ、また歩き出した。
『(……ハリー。)』
それからしばらくしない内に目的の人を見つけた。
箒置き場の木の扉に寄りかかり、ハリーはホグワーツを見上げている。
全てをやり遂げた、満足そうな顔をしながら。
つられて名前もホグワーツを見上げる。
ホグワーツの窓が夕日に照らされ、眩しく輝いていた。
名前は目を細めてハリーに視線を戻す。
すると、ハリーはもうホグワーツを見てはいなかった。
何か別の事へ気を取られているようだ。
またまたつられて、名前はハリーの視線が向かう先へと目を移した。
『……。』
城の正面の階段から誰かが降りてくる。
顔を見られたら困るのか、深くフードを被っているので"誰なのか"は認識できない。
しかし人目を避けているのは明らかだ。
急いでいるらしく、早足で禁じられた森に向かっていく。
名前はただボーッと、禁じられた森に消えていく人物を眺め、不思議そうに首を傾げた。
『……あ、』
しかし予想外の事が起きた。
ハリーが箒に乗ってその人物を尾行し始めたのだ。
そしてこれも予想外の事だが、名前は二人の跡を追い掛けた。
器用にも忍び足で走り、そのまま禁じられた森の中へ二、三歩足を踏み入れる。
そこで名前は冷静さを取り戻したのだろう、ピタリと立ち止まった。
「これって跡を追う必要は無いんじゃないだろうか」
という疑問と、
「しかも禁じられた森って入っちゃダメなんじゃなかったっけ」
という名前の中の生真面目な部分が顔を出し、
しかし
「だけど二人が気になるんだ!」
と好奇心旺盛な部分が叫ぶ。
悩む名前に悪魔と天使が囁きあって、名前は走り出す体勢のまま銅像のように固まって考え込んだ。
だが、「まあいいや」と瞬時に考えを放棄することを決断した。
その間数秒。およそ三秒。
名前は遅れを取り戻すために全速力で走った。
『……。』
禁じられた森は奥へ進めば進むほど樹々が茂り合い、辺りはどんどん暗くなっていった。
走りながら上を見るが、樹々の葉が隙間が無くなるほど重なりあっており、太陽の光は届かない。
空を箒で飛んできているであろうハリーの姿も、もちろん見えない。
ハリーの姿が見つからないのに、これ以上尾行を続ける必要があるのか疑問だったが、名前はとりあえずフードを被った人物を追うことにした。
ハリーがこの人物を追い掛けているのなら、きっと今も空にいるはずだし、ハリーは途中で諦めたりしないだろう。
だから名前は追い掛け続けた。
森の奥へ進む度に樹々の葉の層は厚みを増していく。
葉は頭上を隙間なく覆い尽くし、辺りが真夜中のように暗くなる。
頼りになるのは太陽か月か、微かに届く光の粒子だけだ。
周囲はとても静かで、暗闇が音すら飲み込んでしまったかのようである。
深い霧がかかり始めた頃、フードを被った人物はぴたりと立ち止まった。
『……。』
素早く名前は息を潜めてしゃがみ、大柄の自分を容易に覆えせそうな雑草の根元に身を隠した。
忍んで歩いてきたせいと緊張のせいで、耳の中で鳴り響く鼓動が少々煩わしい。
荒げてしまいそうになる呼吸を意識して抑え付け、草の隙間から様子を窺う。
フードを被った人物は太い木の辺りに立っている。
見ていると、ぼそぼそと声が聞こえてきた。
声の感じからして一人ではないらしい。
名前は耳をそばだてた。
「……な、なんで……よりによって、こ、こんな場所で……セブルス、君にあ、会わなくちゃいけないんだ。」
「このことは二人だけの問題にしようと思いましてね。」
二人の男性の声が聞こえてきた。
聞き覚えのある特徴的な声だ。
前者の吃り、時々裏返る声、おそらくこれはクィレルだろう。
そしてもう一人の低い声は、『セブルス』と呼ばれているし、こっちはスネイプだろう。
「生徒諸君に"賢者の石"のことを知られてはまずいのでね。」
『………
(……賢者の石……)』
スネイプの発した言葉は、勝手に名前の思考を掻き回した。
賢者の石。どこかで聞いた言葉だ。
どこで聞いただろう?
クィレルがスネイプの言葉に、小さな声で何か返している。
会話は断片的にしか聞き取れない。
意識を集中させようとしたけれど、名前の思考は切り替わってくれなかった。
『(賢者の石……ニコラス・フラメル……ハリー……スネイプ先生……狙う……)』
スネイプの声がクィレルの声と名前の思考を遮った。
名前は意識を取り戻して、再び二人の話に耳を傾けた。
「あのハグリッドの野獣をどう出し抜くか、もうわかったのかね。」
「で、でもセブルス……私は……」
「クィレル、我輩を敵に回したくなかったら、」
「ど、どういうことなのか、私には……」
「我輩が何が言いたいか、よく分かってるはずだ。」
そうスネイプが言った後、それっきり、二人の会話は途切れた。
二人はその場を動かず、互いに視線を逸らさず、黙って睨み合っているかのように見える。
会話が途切れた後の森は急に静けさを取り戻す。
自分の鼓動と呼吸がハッキリと耳に届く。
風も、生き物の気配も、時間の流れも無くなってしまったかのように、とても静かだ。
そして、先にスネイプが口を開いた。
息を吸い込む音が聞こえた。
「……あなたの怪しげなまやかしについて聞かせていただきましょうか。」
「で、でも私は、な、何も……」
「いいでしょう。
それでは、近々、またお話することになりますな。もう一度よく考えて、どちらに忠誠を尽くすのかを決めておいていただきましょう。」
そう言うと、もう用事は無いとばかりにスネイプは踵を返した。
けれど二、三歩進んでから不意に立ち止まり、振り返ってクィレルを見た。
「ああ、言い忘れておりましたが。」
クィレルは緊張で身体を強張らせているように見えた。
ローブに覆われた肩が鋭く尖り、自分を守るように丸められている。
「むやみやたらに生徒に近付くのはよしたほうがいい。あの生徒は何も考えてないように見えるでしょうが、存外鋭い。感付くかもしれませんぞ。」
「な、なんのことです……。」
「とぼけるおつもりですかな?あなたが常々ミョウジに熱い視線を送っているのは知っている。生徒一人が消えたら周りも騒ぎ出すでしょう。教師として、こればかりは譲りようがありませんな。」
「……。」
「此度の件、よく考えてもらいましょう。早々に答えをお聞かせ願いたい。それでは失礼。」
そう言って、スネイプはまたくるりと前を向いて足早に歩き始めた。
今度こそ、スネイプは振り返ることもなく去っていく。
フードを被った黒い背中は深い霧の中へ消えていく。
瞬く間に消えてしまった。
足音だけが遠ざかっていく。
クィレルは木の根元に一人取り残され、呆然としていた。
『……。』
遠くで梟が鳴いた。
名前はハッとして我に返り、屈んだ体勢のまま後ずさる。
クィレルから見えない位置まで来ると、そっと体を起こし、忍び足でその場を離れた。
そうして距離をとった後に、全速力で走る。
地面から出ている木の根っこや切り株、生い茂った草木や濡れた地面に足をとられながら、森を出た。
『……。』
眼前にそびえ立つホグワーツに、名前は無意識に安堵した。
名前自身意識はしていないが、スネイプとクィレルの会話や禁じられた森の雰囲気は、少なからず精神的に影響を与えていたのだろう。
思った以上に息が乱れてうまく呼吸することができない。
喉がひきつれて咳が出た。
どっと汗が吹き出てくる。
身体を丸める。
心臓は飛び出しそうなほどに暴れている。
胸に手を置いてゆっくりと深く呼吸をする。
呼吸を繰り返すうちに、やっと落ち着いてきたようだった。
丸めた身体を伸ばして、名前はぐるりと周りを見渡した。
太陽はすっかり隠れてしまっていて、空には星が輝いている。
早く校内に戻った方が良さそうだ。
『(スネイプ先生も、クィレル先生も……いいひとだ……でも……二人の話は、よくわからない。)』
足を踏み入れた校内は静かだった。
廊下にも広間にも人の気配が無い。
きっと皆はもう既に夕食を終えていて、寮に戻って寛いでいるのだろう。
一人歩く名前の足音は、誰もいない廊下でよく響いた。
『(クィレル先生は、俺を見ているらしい……何でだろう。)』
森の中で聞いた会話はとても不可解で衝撃的だった。
そのうえ彼らの会話から名前の名前が飛び出してきた。
名前は理解が追い付かなくて、たった今耳にした自分の名前が、他人の名前のように聞こえてしまった。
情報と疑問が頭の中を覆い尽くす。
頭がぼんやりとしてきて、ブルブルと首を振る。
思考を放棄しそうになる頭を必死に働かせて、二人の会話を思い出す。
『(……クィレル先生は、あまり喋らなかった。)』
終始怯えていたようだったが、スネイプに半ば脅されたような形だったから、怯えても仕方ない話かもしれない。
しかし、クィレルは「なんで、よりによって、こんな場所で」と言っていた。
何故クィレルが禁じられた森にいたのか。
何故"よりによって"と言ったのか。
それではまるで、クィレルが後ろめたいことをしていて、それをスネイプが知っているようではないか。
何か事情があったとして、けれどそれと名前に何の関係があるのだろうか
『(……スネイプ先生は……)』
考えても分からない。意識を切り替え、次はスネイプの言葉を思い出す。
首を傾けて右斜め上を見つめる。
考えるときの、名前の癖だった。
『("賢者の石"を、生徒に知られたくない……ハグリッドの野獣……が守っているのは、たぶん、それ……)』
考えているうちに寮へ辿り着いた。
寮への道順を考えなくても、身体は勝手に動いてくれるみたいだ。
ドアを潜った瞬間に歓声が耳を刺した。
談話室はどんちゃん騒ぎだ。
クィディッチの試合に勝ったからだろう。
しかし名前は真っ直ぐ自室に戻り、シャワーを浴びる準備をする。
『(……クィレル先生の、怪しげなまやかし……なんだろう)』
脱衣場で服を脱ぐ。
そこかしこに泥がついていた。
洗濯カゴに放り込み、風呂場に入る。
熱いお湯を頭から浴び、シャンプーの入ったポンプを押す。
手のひらに垂らして泡立てた。
『(……どちらに、忠誠……)』
頭を擦る手を止める。
シャボン玉が弾けた。
"どちらに忠誠を尽くすのか"とスネイプは言っていた。
忠誠を尽くすような大きな存在は、おそらくダンブルドアだろう。
だから名前は"どちら"の一方がダンブルドアだと仮定して考え続けた。
魔法界では偉大だと有名だし、何よりこの学校の校長だから、そう仮定することにした。
だが、そうだとして、もう片方は誰だと言うのだろう。
そしてスネイプは、どちら側なのだろう。
あっちか、こっちか。
あっちだとしたら……?
眉間に力がこもる。
頭を振って、その考えを無くした。
シャンプーが辺りに飛び散った。
スネイプが敵だとは、名前は考えたくなかった。
クィレルが敵だとも、もちろん考えたくない。
しかし、どちらかが裏切ろうとしているのは確かなことだろう。
『(……スネイプ先生は、クィレル先生には"近づくな"……って、言っていた……それに……)』
去り際、スネイプは意味深なことを言っていった。
名字には近付くな、と。
はっきり口にしていたものだから、名前は「まさかクィレル先生は、自分に何かするつもりなんだろうか?」と内心とても驚いた。
「えーっ」と叫びたいくらいだった。
実際は驚きすぎて固まっていたのだが。
盗み聞きがバレてしまうので好都合だったかもしれない。
『(スネイプ先生……クィレル先生……)』
会話の流れとあの状況からして、悪役はスネイプだ。
しかし最後の捨て台詞と、前に聞いた"クィレルには近付くな"という言葉のせいで、はっきり断言できない。
だが、"ハグリッドの野獣をどう出し抜くか"とか、ハリーを妙に嫌っていて、前回のクィディッチの試合中、ハリーの箒がおかしくなったことを思い出すと、悪役寄りに思えてしまう。
名前は固く目を瞑って考える。
ひたすら考える。
『……ダメだ。』
あくびが出た。
このまま眠ってしまいそうだ。
シャンプーを再開し、考えることをやめた。
スネイプもクィレルもハッキリしたことは分からない。
白でも黒でもない。二人ともグレーだ。
それに、二人だけがこの話に関わっているわけではないかもしれない。
そもそも、自分の考えすぎなのかもしれない。
可能性はいくらでもある。
だからいくら考えても仕方ない。
全ての考えを放棄してそう決断した。
正直に言うとこの出来事を名前はそれほど重大な事だと捉えていなかった。
「まあいいや」と思ったのだ。
珍しく考えに耽ったせいか、名前はとても眠かったからだ。
それとももしかしたら二人を疑いたくなくて、ただ現実逃避をしているだけなのかもしれない。
遠い競技場の方向から、興奮した様子の甲高い叫び声がいくつも混ざりあって聞こえてくる。
校舎内は空っぽだ。名前を除いて誰もいない。
螺旋階段の途中にある窓辺に体を押し込めて、痩せっぽっちの背中を丸めて名前は座っていた。
片手に小型のビデオカメラ、もう片手には杖が力強く握り込まれて、膝の上で待機している。
手は時折、手持ち無沙汰に杖を撫でた。
けれど名前の目は真っ直ぐ競技場を見つめている。
そうして、どのくらい経っただろうか。
色めき立った観衆の声が一段と高くなって、ビリビリと窓を振動させた。
どうやら選手が入場してきたようだ。
そろそろ試合が始まるらしい。
ところで、ホグワーツでは魔法のせいで電子機器が動かないという話がある。
しかしクィディッチの試合中ではマイクを使用しているし、全ての電子機器が影響を受けるわけではないのだろう。
もしかしたら魔法のマイクに呪文が掛けられているのかもしれないけど。
とにかく一か八か、名前]はビデオカメラの電源を入れた。
幸いビデオカメラは問題なく起動して、正常な画面が映し出された。
名前はレンズを競技場の方向へ向けた。
ズームのボタンを押し、ピントを合わせて、観衆の顔を一通り映していく。
観客席には、ロンとハーマイオニーはもちろん、ネビルやマルフォイもいた。
ゆっくりとカメラを回し続け、やがて教師陣用の観客席まできた。
そこで名前はぴたりと動きを止める。
『(ダンブルドア校長先生……。)』
名前は画面に映る笑顔をじっと見つめた。
観客席には、他の教師達と一緒にダンブルドアが座っていた。
相変わらずブルーの瞳をキラキラと輝かせていて、楽しそうに試合を眺めている。
『……。』
名前はその笑顔をしばらく眺め、カメラに収めてから、ようやく競技の方へレンズを向けた。
選手達一人一人にレンズを向けるが、誰一人としてまともに映すことが出来ない。
レンズに収めた瞬間、残像と化して消えてしまうのだ。
なんとか映そうと四苦八苦していると、偶然にもピントが審判のスネイプに合った。
審判を買って出た(と名前はロンに聞いた)スネイプの眉間の皺は、名前の目にはいつもより深く見えた。
『(………あ)』
一瞬、赤色が画面を横切っていた。
赤色が消えた方向へレンズを向ける。
猛スピードだ。
赤色は急降下をして、真っ直ぐスネイプの方へ向かっていく。
『(ぶつかる……)』
名前は緊張してカメラを強く握り締める。
赤い光は、すれすれでスネイプにぶつからなかった。
そしてぴたりと止まり、高く高く手を挙げた。
その手には、金色のスニッチが握られていた。
ハリーの眩しいほどの笑顔があった。
『……。』
一拍遅れて沸き起こった観衆の歓声は一層大きくて、地震のように校舎を揺らし、空気すらも振動させた。
(一部からはブーイングが起きていたが。)
ある者は立ち上がって手を叩き、またある者は抱き合って喜び、喜び勇んで雄叫びを上げる者もいた。
名前もカメラを手放して拍手をしそうになったが、すんでのところで我に返り、慌ててカメラを持ち直した。
(もしもそのまま拍手をしていたら、カメラは地上へ真っ逆さまだっただろう。)
グランドに降りる選手達へ、拍手が雨のように降り注ぐ。
『(……。)』
名前はちらりと録画時間を見る。
試合開始から五分も経っていない。
『……すごい、な。』
思わずぽつりと溢した言葉にはっとして、名前は口を閉じてカメラを回す。
今の名前の独り言は、しっかりビデオに収められたことだろう。
ハリーはいつの間にかグランドに降りているダンブルドアと何か言葉を交わしている。
その後ろで、スネイプが不機嫌そうな顔をしていた。
『……。』
そのまましばらくの間、観客席やグランドの様子を撮っていたが、ハリーが更衣室に入っていった際に、名前も撮影を切り上げた。
『……。』
何かを探しているかのように辺りを見渡しながら、名前は危なっかしく歩いていた。
芝生は湿気を帯びてしっとりと濡れている。
ズボンの裾が濡れることも構わずに、名前は歩みを止めない。
『(ハリー……どこだろう。)』
名前なりにハリーへ何か労いの言葉を掛けたかったのだろう。
試合が終わってから探し続けているがまだ会えていない。
見落としてしまったのだろうか。
どこかで擦れ違っていたのだろうか。
立ち止まり、糸が切れた人形のようにかくんと俯く。
てんやわんやの大騒ぎが今となっては夢のようだ。
風と、ざわざわと森の葉がうごめく音がする以外、物音はしない。
昼間と比べてぐんと冷えた風が名前の黒髪を揺らした。
赤い夕日が青白い名前の横顔を照らし、濃い陰影を落とす。
俯き、冷たい風に嬲られる名前の姿は、見ている者へ哀愁を感じさせた。
(しかし幸か不幸か、見ている者は誰一人としていなかった。)
長いローブがカーテンのようにはためき捲れ上がる。
ぶるりと身震いをして、風をはらむローブを体に巻き付けた。
ふう、と吐いた息は、ほのかに白い。
名前はやがてすっと顔を上げ、また歩き出した。
『(……ハリー。)』
それからしばらくしない内に目的の人を見つけた。
箒置き場の木の扉に寄りかかり、ハリーはホグワーツを見上げている。
全てをやり遂げた、満足そうな顔をしながら。
つられて名前もホグワーツを見上げる。
ホグワーツの窓が夕日に照らされ、眩しく輝いていた。
名前は目を細めてハリーに視線を戻す。
すると、ハリーはもうホグワーツを見てはいなかった。
何か別の事へ気を取られているようだ。
またまたつられて、名前はハリーの視線が向かう先へと目を移した。
『……。』
城の正面の階段から誰かが降りてくる。
顔を見られたら困るのか、深くフードを被っているので"誰なのか"は認識できない。
しかし人目を避けているのは明らかだ。
急いでいるらしく、早足で禁じられた森に向かっていく。
名前はただボーッと、禁じられた森に消えていく人物を眺め、不思議そうに首を傾げた。
『……あ、』
しかし予想外の事が起きた。
ハリーが箒に乗ってその人物を尾行し始めたのだ。
そしてこれも予想外の事だが、名前は二人の跡を追い掛けた。
器用にも忍び足で走り、そのまま禁じられた森の中へ二、三歩足を踏み入れる。
そこで名前は冷静さを取り戻したのだろう、ピタリと立ち止まった。
「これって跡を追う必要は無いんじゃないだろうか」
という疑問と、
「しかも禁じられた森って入っちゃダメなんじゃなかったっけ」
という名前の中の生真面目な部分が顔を出し、
しかし
「だけど二人が気になるんだ!」
と好奇心旺盛な部分が叫ぶ。
悩む名前に悪魔と天使が囁きあって、名前は走り出す体勢のまま銅像のように固まって考え込んだ。
だが、「まあいいや」と瞬時に考えを放棄することを決断した。
その間数秒。およそ三秒。
名前は遅れを取り戻すために全速力で走った。
『……。』
禁じられた森は奥へ進めば進むほど樹々が茂り合い、辺りはどんどん暗くなっていった。
走りながら上を見るが、樹々の葉が隙間が無くなるほど重なりあっており、太陽の光は届かない。
空を箒で飛んできているであろうハリーの姿も、もちろん見えない。
ハリーの姿が見つからないのに、これ以上尾行を続ける必要があるのか疑問だったが、名前はとりあえずフードを被った人物を追うことにした。
ハリーがこの人物を追い掛けているのなら、きっと今も空にいるはずだし、ハリーは途中で諦めたりしないだろう。
だから名前は追い掛け続けた。
森の奥へ進む度に樹々の葉の層は厚みを増していく。
葉は頭上を隙間なく覆い尽くし、辺りが真夜中のように暗くなる。
頼りになるのは太陽か月か、微かに届く光の粒子だけだ。
周囲はとても静かで、暗闇が音すら飲み込んでしまったかのようである。
深い霧がかかり始めた頃、フードを被った人物はぴたりと立ち止まった。
『……。』
素早く名前は息を潜めてしゃがみ、大柄の自分を容易に覆えせそうな雑草の根元に身を隠した。
忍んで歩いてきたせいと緊張のせいで、耳の中で鳴り響く鼓動が少々煩わしい。
荒げてしまいそうになる呼吸を意識して抑え付け、草の隙間から様子を窺う。
フードを被った人物は太い木の辺りに立っている。
見ていると、ぼそぼそと声が聞こえてきた。
声の感じからして一人ではないらしい。
名前は耳をそばだてた。
「……な、なんで……よりによって、こ、こんな場所で……セブルス、君にあ、会わなくちゃいけないんだ。」
「このことは二人だけの問題にしようと思いましてね。」
二人の男性の声が聞こえてきた。
聞き覚えのある特徴的な声だ。
前者の吃り、時々裏返る声、おそらくこれはクィレルだろう。
そしてもう一人の低い声は、『セブルス』と呼ばれているし、こっちはスネイプだろう。
「生徒諸君に"賢者の石"のことを知られてはまずいのでね。」
『………
(……賢者の石……)』
スネイプの発した言葉は、勝手に名前の思考を掻き回した。
賢者の石。どこかで聞いた言葉だ。
どこで聞いただろう?
クィレルがスネイプの言葉に、小さな声で何か返している。
会話は断片的にしか聞き取れない。
意識を集中させようとしたけれど、名前の思考は切り替わってくれなかった。
『(賢者の石……ニコラス・フラメル……ハリー……スネイプ先生……狙う……)』
スネイプの声がクィレルの声と名前の思考を遮った。
名前は意識を取り戻して、再び二人の話に耳を傾けた。
「あのハグリッドの野獣をどう出し抜くか、もうわかったのかね。」
「で、でもセブルス……私は……」
「クィレル、我輩を敵に回したくなかったら、」
「ど、どういうことなのか、私には……」
「我輩が何が言いたいか、よく分かってるはずだ。」
そうスネイプが言った後、それっきり、二人の会話は途切れた。
二人はその場を動かず、互いに視線を逸らさず、黙って睨み合っているかのように見える。
会話が途切れた後の森は急に静けさを取り戻す。
自分の鼓動と呼吸がハッキリと耳に届く。
風も、生き物の気配も、時間の流れも無くなってしまったかのように、とても静かだ。
そして、先にスネイプが口を開いた。
息を吸い込む音が聞こえた。
「……あなたの怪しげなまやかしについて聞かせていただきましょうか。」
「で、でも私は、な、何も……」
「いいでしょう。
それでは、近々、またお話することになりますな。もう一度よく考えて、どちらに忠誠を尽くすのかを決めておいていただきましょう。」
そう言うと、もう用事は無いとばかりにスネイプは踵を返した。
けれど二、三歩進んでから不意に立ち止まり、振り返ってクィレルを見た。
「ああ、言い忘れておりましたが。」
クィレルは緊張で身体を強張らせているように見えた。
ローブに覆われた肩が鋭く尖り、自分を守るように丸められている。
「むやみやたらに生徒に近付くのはよしたほうがいい。あの生徒は何も考えてないように見えるでしょうが、存外鋭い。感付くかもしれませんぞ。」
「な、なんのことです……。」
「とぼけるおつもりですかな?あなたが常々ミョウジに熱い視線を送っているのは知っている。生徒一人が消えたら周りも騒ぎ出すでしょう。教師として、こればかりは譲りようがありませんな。」
「……。」
「此度の件、よく考えてもらいましょう。早々に答えをお聞かせ願いたい。それでは失礼。」
そう言って、スネイプはまたくるりと前を向いて足早に歩き始めた。
今度こそ、スネイプは振り返ることもなく去っていく。
フードを被った黒い背中は深い霧の中へ消えていく。
瞬く間に消えてしまった。
足音だけが遠ざかっていく。
クィレルは木の根元に一人取り残され、呆然としていた。
『……。』
遠くで梟が鳴いた。
名前はハッとして我に返り、屈んだ体勢のまま後ずさる。
クィレルから見えない位置まで来ると、そっと体を起こし、忍び足でその場を離れた。
そうして距離をとった後に、全速力で走る。
地面から出ている木の根っこや切り株、生い茂った草木や濡れた地面に足をとられながら、森を出た。
『……。』
眼前にそびえ立つホグワーツに、名前は無意識に安堵した。
名前自身意識はしていないが、スネイプとクィレルの会話や禁じられた森の雰囲気は、少なからず精神的に影響を与えていたのだろう。
思った以上に息が乱れてうまく呼吸することができない。
喉がひきつれて咳が出た。
どっと汗が吹き出てくる。
身体を丸める。
心臓は飛び出しそうなほどに暴れている。
胸に手を置いてゆっくりと深く呼吸をする。
呼吸を繰り返すうちに、やっと落ち着いてきたようだった。
丸めた身体を伸ばして、名前はぐるりと周りを見渡した。
太陽はすっかり隠れてしまっていて、空には星が輝いている。
早く校内に戻った方が良さそうだ。
『(スネイプ先生も、クィレル先生も……いいひとだ……でも……二人の話は、よくわからない。)』
足を踏み入れた校内は静かだった。
廊下にも広間にも人の気配が無い。
きっと皆はもう既に夕食を終えていて、寮に戻って寛いでいるのだろう。
一人歩く名前の足音は、誰もいない廊下でよく響いた。
『(クィレル先生は、俺を見ているらしい……何でだろう。)』
森の中で聞いた会話はとても不可解で衝撃的だった。
そのうえ彼らの会話から名前の名前が飛び出してきた。
名前は理解が追い付かなくて、たった今耳にした自分の名前が、他人の名前のように聞こえてしまった。
情報と疑問が頭の中を覆い尽くす。
頭がぼんやりとしてきて、ブルブルと首を振る。
思考を放棄しそうになる頭を必死に働かせて、二人の会話を思い出す。
『(……クィレル先生は、あまり喋らなかった。)』
終始怯えていたようだったが、スネイプに半ば脅されたような形だったから、怯えても仕方ない話かもしれない。
しかし、クィレルは「なんで、よりによって、こんな場所で」と言っていた。
何故クィレルが禁じられた森にいたのか。
何故"よりによって"と言ったのか。
それではまるで、クィレルが後ろめたいことをしていて、それをスネイプが知っているようではないか。
何か事情があったとして、けれどそれと名前に何の関係があるのだろうか
『(……スネイプ先生は……)』
考えても分からない。意識を切り替え、次はスネイプの言葉を思い出す。
首を傾けて右斜め上を見つめる。
考えるときの、名前の癖だった。
『("賢者の石"を、生徒に知られたくない……ハグリッドの野獣……が守っているのは、たぶん、それ……)』
考えているうちに寮へ辿り着いた。
寮への道順を考えなくても、身体は勝手に動いてくれるみたいだ。
ドアを潜った瞬間に歓声が耳を刺した。
談話室はどんちゃん騒ぎだ。
クィディッチの試合に勝ったからだろう。
しかし名前は真っ直ぐ自室に戻り、シャワーを浴びる準備をする。
『(……クィレル先生の、怪しげなまやかし……なんだろう)』
脱衣場で服を脱ぐ。
そこかしこに泥がついていた。
洗濯カゴに放り込み、風呂場に入る。
熱いお湯を頭から浴び、シャンプーの入ったポンプを押す。
手のひらに垂らして泡立てた。
『(……どちらに、忠誠……)』
頭を擦る手を止める。
シャボン玉が弾けた。
"どちらに忠誠を尽くすのか"とスネイプは言っていた。
忠誠を尽くすような大きな存在は、おそらくダンブルドアだろう。
だから名前は"どちら"の一方がダンブルドアだと仮定して考え続けた。
魔法界では偉大だと有名だし、何よりこの学校の校長だから、そう仮定することにした。
だが、そうだとして、もう片方は誰だと言うのだろう。
そしてスネイプは、どちら側なのだろう。
あっちか、こっちか。
あっちだとしたら……?
眉間に力がこもる。
頭を振って、その考えを無くした。
シャンプーが辺りに飛び散った。
スネイプが敵だとは、名前は考えたくなかった。
クィレルが敵だとも、もちろん考えたくない。
しかし、どちらかが裏切ろうとしているのは確かなことだろう。
『(……スネイプ先生は、クィレル先生には"近づくな"……って、言っていた……それに……)』
去り際、スネイプは意味深なことを言っていった。
名字には近付くな、と。
はっきり口にしていたものだから、名前は「まさかクィレル先生は、自分に何かするつもりなんだろうか?」と内心とても驚いた。
「えーっ」と叫びたいくらいだった。
実際は驚きすぎて固まっていたのだが。
盗み聞きがバレてしまうので好都合だったかもしれない。
『(スネイプ先生……クィレル先生……)』
会話の流れとあの状況からして、悪役はスネイプだ。
しかし最後の捨て台詞と、前に聞いた"クィレルには近付くな"という言葉のせいで、はっきり断言できない。
だが、"ハグリッドの野獣をどう出し抜くか"とか、ハリーを妙に嫌っていて、前回のクィディッチの試合中、ハリーの箒がおかしくなったことを思い出すと、悪役寄りに思えてしまう。
名前は固く目を瞑って考える。
ひたすら考える。
『……ダメだ。』
あくびが出た。
このまま眠ってしまいそうだ。
シャンプーを再開し、考えることをやめた。
スネイプもクィレルもハッキリしたことは分からない。
白でも黒でもない。二人ともグレーだ。
それに、二人だけがこの話に関わっているわけではないかもしれない。
そもそも、自分の考えすぎなのかもしれない。
可能性はいくらでもある。
だからいくら考えても仕方ない。
全ての考えを放棄してそう決断した。
正直に言うとこの出来事を名前はそれほど重大な事だと捉えていなかった。
「まあいいや」と思ったのだ。
珍しく考えに耽ったせいか、名前はとても眠かったからだ。
それとももしかしたら二人を疑いたくなくて、ただ現実逃避をしているだけなのかもしれない。