第五話「涼風の留守番」
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「羽衣…いくぞ」
『はい…歳兄』
夏の休みは終わったが、まだまだ暑い日が続く頃。
試衛館の離れにある縁側で、土方と羽衣は向かい合って正座していた。
お互い真剣な表情で相手を見つめ、ゴクリとどちらともなく唾を飲み込む。
ミーンミーンと蝉の鳴き声が聞こえる中、バッと土方が大きく腕を振りかざした。
「もらった!」
『っ!』
パチン!と将棋盤に駒をさした音が響くと、羽衣は驚いたように目を見開いた。
そして、『…ま、参りました』と悔しそうに顔を歪めながら頭を垂れる。
ふふん、と言うように勝ち誇った顔をする土方をキッと睨み付けた。
『歳兄強すぎ!勝てっこないです!』
「そりゃあな。俺はお前くらいの時から将棋を嗜んでるんだ、負ける訳ねぇだろ」
む~と眉根を寄せながら嘆く羽衣を、土方は笑って見つめた。
ここに総司がいるものなら、蔑むように冷たい視線を送りながら「土方さんって本当に幼稚ですね」と言い放ちそうだ。
だが、今この試衛館にいるのは土方と羽衣と、あとは……
「2人共、将棋もいいけど少しは休息を取らないと。身体が休まらないよ」
新たな対戦が始まる前に声を掛けてきたのは、門下生の1人である井上源三郎。
試衛館の中でも最年長である彼は、いつも和やかな雰囲気で場を和ませていた。
また…かなりの常識人で、土方と同じく気苦労の絶えない人物でもある。
井上が持つお茶と水羊羹を目にした羽衣の顔が、パアッと輝いた。
『水羊羹だ!』
「ありがとな、源さん。じゃあ少し休憩するか、羽衣」
『うんっ』
『ありがとう源さん!』とはしゃぎながらもお礼を忘れない羽衣に、井上も微笑みを浮かべていた。
何故他の皆がいないのか…それは、昨夜の夕餉時まで遡る。
***
「出稽古?」
白米を頬張っていた新八が驚いたように声を上げ、その話題を振ってきた師範代に視線を向けた。
門弟達が目を見張る中、提案者である近藤だけはニコニコと上機嫌に笑っている。
「ああ。皆山南さんは知っているな?今回、その山南さんが通っている道場の師範代が、ぜひ家(試衛館)と他流試合をしないかと申し出てくれたのだ」
「へぇ…凄いじゃないですか」
「腕が鳴るなぁ!」
箸を置いて近藤の話に耳を傾けていた総司は、感心するように呟く。新八も自慢の腕を捲りながら気合を入れ始めた。
だが、この男だけは珍しく話を聞いていないようで……
「羽衣、だから言っただろう。あまり頬張りすぎると飲み込めなくなると」
『ほ、ほめんらさい…!(※ごめんなさい)』
「ゆっくり水を飲め。そのまま飲み込むのが難しいならば、少しずつ噛みながら「…おーい、斎藤?」
「一くん、お母さんみたいだね」
「(……斎藤)」
まるでリスのように頬をパンパンにした羽衣を見兼ねて、隣に座る斎藤は口周りに付いたご飯粒を取ったり、水を差し出したりと忙しない。
反対側の隣に座る総司はその姿が母親のようだと思い、新八や他の門弟も斎藤の甲斐甲斐しさを黙って見つめている。
やがて生暖かい目を土方に向けられていることに気付いた斎藤は、ハッと背筋を伸ばした。
「も、申し訳ありません。話の腰を折ってしまって…っ」
「いや…いい。羽衣、斎藤の言う通りだ。そんなに頬張らなくても飯は逃げねぇよ」
『ふぁい!(※はい)」
もぐもぐと口を動かして、斎藤に教わった通り水を飲み込む羽衣。
そもそもこんなに頬張る羽目になったのは、総司と近藤が羽衣を可愛がるあまりに、自分のおかずを分け与えているからだった。
しかも当の彼等はというと、必死な羽衣の姿をうっとりと眺めていて。
隣に座る土方がわざとらしく咳をすると、近藤はハッと我に返った。
「と、兎に角だ。明日は急遽出稽古となった為、留守中の道場は井上さんに任せることにした」
「井上さんは行かねーのか?」
見事に緩み切った顔から、普段の貫禄ある姿に戻った近藤。
新八の問いに、皆の掛け合いを穏やかに見守っていた井上が静かに頷いた。
「私は皆の練習着の洗濯や買い出しがあるからね。残らせて頂くよ」
「それに、皆が留守の方が伸び伸びと家事が出来るしね」と冗談っぽく溢す井上を、それ以上詮索する者はいなかった。
「悪いが、俺も用あって今回は参加出来ねぇ」と土方が続けると、総司の眉がピクリと動く。
「珍しいですね、何かあるんですか?」
「ちょっとな。客人が来るんだよ」
「怪しいなぁ。皆が留守の間に女の人を連れ込んでたりして」
「はぁ!?そんなわけねーだろ!」
連れ込まないにしても、土方は非常に女性に人気があった。
現に彼が付き合いで吉原を訪れた際には、何人もの芸妓を惚れさせていたのだ。
なので、総司がこのような考えに行き着くのも可笑なことではない。
土方は疑いの眼差しで見つめてくる総司に、思わず肩を竦めた。
「…俺のことよりも、羽衣。お前もここに残るんだぞ」
『むぐっ!?』
頬に詰めていた物が一気に喉の奥を通り、顔を青くする羽衣に斎藤は慌てて水を飲ませた。
反対側にいる総司もその背中を摩りながら、「大丈夫?羽衣」と自分が食べ物を与えたにも関わらず、眉をハの字にさせて心配する。
『ど、どうして??』
「お前は寺子屋があるだろうが。それに、皆稽古することに必死だからな。羽衣の面倒を見る余裕もねぇ」
『面倒なんてかけません…っ』
自分だって、毎日門下生と共に剣術を鍛えているのだ。稽古先でも相手を負かす自信がある。
透き通った瞳の奥に強い意志を感じる土方だが、「こればっかりは駄目だ。諦めろ」と首を横に振るだけだった。
『(寺子屋なんて…)』
それがなければ、斎藤や皆と共に出稽古に行けるのに。
一瞬でもそんな考えが頭を過ってしまい、羽衣はハッと総司の方を見つめた。
自分を寺子屋に通わせる為に、稽古の合間を縫って働いている総司。
そんな兄の想いを踏みにじるなんて……していい筈がない。
『…………わたし、残ります』
「そうか…うん、俺もその方が良いと思うぞ。歳も源さんも居るし安心だ」
「僕は心配だなぁ。羽衣、土方さんに何か嫌なことされたら僕に言うんだよ?例えば、足の裏が臭いこととか、息が臭いとかでもいいよ」
『はいっわかりました』
「総司てめぇ…それはお前が思ってることだろが!!」
土方の怒声が飛んでも総司は特に気にせず、羽衣の頭を撫で続けている。
一方斎藤はというと、土方に任せるなら安心だと静かに納得していた。
「新八、原田にも声掛けといてくれ」
「おう!羽衣ちゃん、土産買ってくるからよ、帰って来たら一緒に食べよーぜ!」
『うん!ありがとう新兄!』
ニッと笑う新八につられ、羽衣の顔にも笑顔が戻った。
明るく皆を送り出そう…と、幼いながらに決心したのだった。