第四話「君想ふ夕暮れ」
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江戸の町も夏の陽気が近付き、蒸し返るような暑さが続いていたー…
『(……あつい………)』
夏だというのに、毛布に包まれているような息苦しさを感じる。
羽衣は暑さのあまり『んぅ…』とくぐもった声を出しながら、寝返りをうった。
一度目を開けてみると、そこには瞼を落とした総司の顔があって……
『……………!?に、兄様??』
羽衣は驚きで声を上げてしまうも、総司はスヤスヤと寝息を立てていて起きる気配がない。
身動きを取ろうにもまるで抱き枕の代わりにするように羽衣を抱き締めているので、それは叶わなかった。
『兄様…く、苦しいです』
それに、暑い。
いくら大好きな兄だからと言っても、背中からしたたる汗を感じては我慢出来なかった。
『兄様……?』
「………………すー」
『兄様!起きてくださいっ!』
「………すーすー………」
『もうっ起きないとデコピンしますよ!?』
「……ふふっ」
『……兄様、起きてますよね?』
クスクスと笑う総司に問い詰めると、「ごめんごめん」とついに白状した。
総司は体を起こし、羽衣の寝癖の付いた頭を優しく撫でる。
「おはよう、羽衣」
『おはようございます………じゃなくてっどうして兄様がわたしの布団にいるのですか?』
「えー?だって夏の夜って、お化けが出そうで怖いじゃない。僕は羽衣を守りたいだけだよ」
『お、お化け…!?』
サーと顔を青くする羽衣を、総司は優し気な瞳で見つめた。
「だからさ、今日は僕とずっと一緒にいよう?」
コテン、と首を傾げながらとびきり甘い言葉を投げ掛ける。
そんな兄を困ったように見つめていた羽衣だが、『駄目です!』と容赦なく断った。
「ええ!?どうして?」
『今日は一様に宿題を見てもらって、その後に稽古を付けて貰う予定なんです。
だから、兄様とずっと一緒に居ることは出来ませんっ』
「(そんな……!)」
ガーンとショックで打ちひしがれる総司。
ぷるぷると体を震わせ、漸く(わざとらしい)ニッコリとした笑みを浮かべた。
「羽衣…夏休みに入ってからずっと一くんと一緒にいるけど、一くんも自分の用事があるんじゃないかな?」
『用事、ですか…?』
「うん。一くんだって年頃の男子だからね。女の子と出掛けたり、遊んだりしたいんじゃないかな?」
『女の子と……』
言われてみれば、斎藤も年頃のれっきとした男児だ。
いつも羽衣に付き合わされているせいで、逢瀬の1つも出来ないのではないだろうか。
『(…一様が逢瀬なんて、やだ)』
今まで考えたことがなかったが、斎藤が女性と歩くところを想像すると胸の奥がつんと痛くなった。
『(一様、すごく綺麗だもん。モテモテなんだろうな)』
顔が整っているだけでなく、とても真面目で優しく、その上剣の腕も達人級なのだ。あんな美丈夫を世の女性達が放っておく筈がないだろう。
すっかりしゅんと落ち込んでしまった羽衣を、総司は「だから…ね」と抱き締めようとした。
だが、その腕をするりと抜け、寺子屋から出された宿題を手に持つ羽衣。
『………でも、約束したので、』
紙と筆をぎゅっと握り締め、『いってきます…っ!』と叫ぶなり小走りで部屋を出て行った。
気のせいか…去り際に見た総司の瞳が何処か寂しそうに揺れていた。
***
「羽衣、ここの漢字が間違っている。ここはにんべんではなくぎょうにんべんを使うとこだ」
部屋の一室で、羽衣は宿題と向き合っていた。
…正確には教えてくれる斎藤の言葉も耳に入らないほど、ぼおっとしていた。
寧ろ斎藤の方が真剣に問題を解いていて、計算や漢字の読み書きも彼は一切の手抜きをしなかった。
羽衣にしっかりと教養を身に付けて欲しいという思いもあるが、宿題の"先生役"を任されている責任感もあるのだろう。
羽衣が書いた文字を目で追っていた斎藤は、ふとその顔を見つめた。
「何かあったのか?」
『え?』
「先程から手が止まっているようだが…」
その指摘に、羽衣は筆を動かす手が止まっていることに漸く気付く。
『ご、ごめんなさい』と素直に謝る羽衣を見て、斎藤は眉根を寄せた。
申し訳なさから俯く羽衣に手を伸ばし、前髪の下の額にそっと触れた。
『っっ』と思わず体を強張らせる羽衣に気付かず、真剣に熱をはかる斎藤。
「熱はないようだが、顔が少し赤いな。念のため、薬を飲み安静にした方が『大丈夫です…!』
『この通り、元気ですっ』と赤くなった顔をブンブン振るい、元気であることをアピールする。
そんな羽衣を疑いの眼差しで見つめていた斎藤は、「では何故集中出来ないのか」と尋ねた。
『そ、それは……』
まるで射抜くように自分を真っ直ぐに見つめてくる視線に耐えきれず、羽衣は膝に置いた拳をぎゅっと握った。
「お~い羽衣ちゃんいるかー?」
「何だ、ここにいたのか『~~っ一様は、女の人と遊ばなくて宜しいのですかっ??』
意を決して話した羽衣を、斎藤だけでなく新八や左之助も目を丸くして見つめた。
最悪のタイミングで登場した2人は、ただ黙って斎藤に視線を注ぐ。
斎藤は驚いたように目を見開いていたが、すぐに元の冷静な表情に戻った。
「……すまないが、話が掴めぬ」
『わたしが一緒にいるせいで、一様は出掛ける時間もないのではと思って……』
「ちょっと待て…何の話だ?」
不安を口にする羽衣だが、斎藤は何がどうなってそのような考えになったのか理解出来ていない。
まるで、浮気が発覚した夫を問い詰める妻のようだ。
斎藤の混乱が周囲に伝わる筈もなく、左之助と新八はニヤニヤしながら2人のやり取りを聞いていた。
『(逢瀬も嫌だけど…)もし一様の幸せを邪魔していたなら、わたし、嫌です………』
「……………」
しゅん、と盛大に落ち込んでしまった羽衣の声は、だんだん尻すぼみになっていく。
さらに、「確かに斎藤も男だしなぁ。女の1人や2人経験あるだろうし」と左之助が顎に手を添えながら呟いた。
「!な、」
「確かにな…いつも吉原に行く俺達を苦虫を噛み潰したような顔で見てっけど、実は斎藤のような奴が、いっちばん興味あったりしてな!」
「!てきとうなことを「そーそー!真面目な奴ほど危ないんだよな」
ふんふんと2人は納得したように話を盛り上げていき、羽衣は衝撃で目に涙まで溜めている。
取り返しのつかないこの状況に、「新八……左之……」と斎藤は怒りで震えた。
『一様……も、申し訳ありません……わたし、』
「っ羽衣…」
良く考えたら、左之助や新八だってあんなに吉原に行っているのだ。
斎藤も同じ男…色事に興味のない筈もない。
羽衣は斎藤が女性と一緒にいるところを想像し、ズキズキと胸の痛みを感じた。
「…俺は、出生を問わずここに置いてくれた近藤さんや、生き方を正してくれた土方さんに心から感謝している。
色恋の否定はしないが…そのようなことを楽しむ身ではないと思っている」
「「((なんか重い……))」」
案の定しっかりとした答えが返ってきて、新八と左之助からは自然と笑顔が消えていた。
だが斎藤は真剣に答えているだけなので、彼を止める者は存在しなかった。
「仲間と共に剣を交えたり、食事を共にしながら夢を語り合うことの方が楽しいからな」
羽衣は静かに話す斎藤の声を聞き逃さないように、姿勢を正す。
すっと紺青色の瞳が羽衣を捉えた時、ドキリと心臓が飛び跳ねたような感覚になった。
「それに… 羽衣は俺の幸せを邪魔していると言っていたが、俺が一番幸福だと感じる時は、羽衣が俺を頼ってくれる時だ」
『…え?』
「剣を教えるのも、勉学を学ぶのも、あんたはいつも俺が良いと言ってくれるな。それが……何よりも嬉しい」
羽衣は翡翠色の大きな瞳に、目一杯斎藤の姿を映した。
幸せだと思っていたのは、斎藤も同じ。優しく細められた目がそのことを物語っていて、今すぐ斎藤に抱き付きたくて仕方がなかった。
ソワソワと体を弾ませる羽衣に気付き、斎藤も自然と構えるが……
「ん?俺らのことは気にしなくていーんだぜ?存分にイチャついてくれ」
「…………新八」
「良かったなぁ羽衣?斎藤は他の女よりお前といる方が幸せなんだってよ」
『………左之兄っ』
あと少し、というところで2人の傍観者の存在を思い出し、ピタリと動きを止めた。
斎藤は行き場のない手をすっと下ろし、ニヤニヤとだらしなく口元が緩みきった新八を見据える。
それに、いつの間に近くに来たのか、羽衣の頭を撫で回す左之助にすっと目を細めた。
「……何故、2人はここに来たんだ?」
「今更だな!!…まぁいいけどよ、俺達は羽衣ちゃんに用があったんだよ」
『わたしに?』
コテン、と小首を傾げる羽衣に、新八は本来の目的を告げる。
「この前一緒に植えた苗が、漸く咲いたみたいだぜ!」
『えっ本当!?』
「宿題で植物の観察するんだろ?早目に知らせた方がいいと思ってな」
新八に続けてニッと笑う左之助に、羽衣は大きく頷いた。
『この宿題が終わってから、すぐに行きますっ!』
「おう!頑張れよ~!」
「じゃあ、邪魔したな」
左之助は意味深に口角を上げながら、新八と共に部屋を出て行った。
『よしっ頑張ります!』と筆を持ち活を入れ直す羽衣に、斎藤はふっと頬を綻ばせた。
「…総司には少し悪いことをしているようだ」
『兄様、ですか?』
「ああ。総司は羽衣を好いているからな」
今朝の一連の出来事を思い出し、羽衣は抱き枕の代わりにされているだけでは…とも思った。
だが、寂しそうな兄の表情がやけに気になって、宿題が終わったら会いに行こうと決めた。