第二話「風に舞う剣先」
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江戸にある天然理心流剣術道場…又の名を、"試衛館"。
その道場では、今日も木刀が打つかる音と、青年達の掛け声が響いていた。
『やー!』
門下生の1人である沖田羽衣は、木刀の先を向け、相手の脇腹を容赦なく狙う。
交わした相手に同じように狙われるがそれを素早い動きで避け、一瞬の隙に反対側の脇腹を打突した。
「一本!」
師範代である近藤勇の掛け声が上がると、ここにいる誰よりも背の低い少女は、『ありがとうございましたっ!』とペコリと頭を下げた。
自分よりも年下の…しかも女子に負けた悔しさで門弟は下唇を強く噛み締める。
だが、誰よりも背筋を伸ばし、礼儀正しく接する羽衣を見て、小さくお辞儀を仕返した。
「次!斎藤くん!」
静かに正座していた斎藤はすっと立ち上がり、木刀を構えた。基本の姿勢を取り、「始め!」の声と共に素早く相手と距離を縮める。
高速ともいえる連打攻撃に相手の動きが鈍り、その隙に勢い良く相手の木刀を叩いた。
誰もがその速さに目を見張り、道場には相手の木刀が叩き落とされた音だけが響く。
「……い、一本!」と近藤が慌てて叫ぶと、斎藤は相手の木刀を拾い、頭を下げた。
『(……やっぱり、一様はすごい)』
速すぎて見えない動きは勿論、僅かな相手の隙も見逃さない観察眼は流石としか言えない。
キラキラと大きな瞳を目一杯輝かせながら、羽衣はぎゅっと木刀を握り締めた。
『一様!今日も稽古を付けてくださいませんか?』
「構わないが、俺よりも近藤さんや土方さんに教わった方が良いのではないか」
『いいえっわたしは一様に教わりたいのです!』
手拭いで汗を拭う斎藤の元へ素早く駆け寄り、羽衣は懇願する。
斎藤はチラリと道場の端へ目配りすれば、案の定近藤と視線が合わさった。
まるで娘を取られたと言わんばかりの寂しそうな顔をしていたが、無理矢理ニッコリと笑みを作っていた。
「うむ。いいんじゃないか?斎藤くん、羽衣ちゃんに教えてやってくれ。ただ、無理は禁物だぞ」
「…はい」
『!ありがとうございますっ』
嬉しそうに斎藤の腰に抱きつき、ぴょんぴょん飛び跳ねる羽衣。
斎藤は再び視線を移動すると、他の門弟に見せられないくらいに泣きそうに顔を歪めた近藤がいたのだった。
申し訳ない気持ちと愛でたい気持ちが混ざり、斎藤は行き場のない掌を静かに握るしかなかった。
***
「違う、踏み込みが足りん!もう一回やってみろ!」
『…はいっ!』
皆が稽古を終えた後も、道場では木刀がぶつかり合う音が響いていた。
静かに構えの姿勢を取る斎藤に合わせ、羽衣も『すぅ…』と大きく深呼吸する。
後ろ足を使いながら斎藤の動きを観察し、風を切るように木刀を突き立てた。
「今のは中々良かった。その調子でいけ」
『!本当ですかっ?』
普段は寡黙であるが、稽古となると厳しく、一切手を抜かない。そんな斎藤に褒められたことが嬉しくて、羽衣は頬を綻ばせた。
近くの寺院から鐘の音が響くと、「今日はここまでだ」と斎藤が呟いた。
『ありがとうございましたっ!』と頭を下げる羽衣に、向かい合った斎藤も頭を下げる。
稽古の後、外の井戸で顔を洗うのも2人の日課で、羽衣は大人しく斎藤が顔を洗うのを待っていた。
『一様……髪の毛伸びましたね』
微かに水で濡れた濃紺色の髪を、ぼおっと見つめていた羽衣が呟く。
斎藤は羽衣を見つめた後、自分の髪にそっと触れた。
「言われてみればそうかもしれぬな。中々散髪
をする機会もない故、放置してしまっている」
『でも、長い髪の一様もきっとお似合いになると思います!』
『見てみたいですっ』とまるで挙手するように手を上げながら、興奮する羽衣。
純粋無垢な瞳で見上げられ、無視出来るほど斎藤は冷たくない。
「…それならば、結って伸ばしてみるか」と自分自身に提案するような斎藤の声を聞き、羽衣はパアアッと顔を輝かせた。
『あ、あの…!わたしが結ってもよろしいでしょうか?』
「?羽衣がか?」
『はい。ぜひ、やらせてくださいっ』
はいはい!と必死に手を上げる羽衣を斎藤は不思議そうに見つめていたが、特に断る理由もない。
頷けば、それだけのことなのに嬉しそうに頬を染めて笑う羽衣に、斎藤も自然と微笑みを溢していた。
『……んしょ、あ、あれれ…』
「…………」
『むむ…難しいですね』
「…羽衣、」
『大丈夫です…っ出来ますっ!』
場所は変わって、斎藤の部屋。
羽衣は肩に付くくらいの髪をいつも1つに結んでいるが、自分のと人の髪を弄るのでは勝手が違う。
手鏡を斎藤に持たせ、一生懸命に手を動かしてみるが…中々上手く結べない。
斎藤は静かにその場に正座し、手鏡から苦戦する羽衣の姿を見つめながら、内心ヒヤヒヤとしていた。
『(兄様はどう結っていたっけ…)』
羽衣は毎朝の総司の行動を思い出しながら、今度こそっと意気込む。
斎藤の細くて柔らかな髪に触れ、紙紐を巻きつけていき、きゅっと小さく結んだ。
『で、出来ました…一様、どうですかっ??』
斎藤は満足気に笑う羽衣から自分の髪へと視線を変える。
手鏡越しにそれを確認し、思わずふっと口元が緩んだ。
『!やっぱり下手くそですか?』
「いや…そうではない」
『?では何故笑うのですか??』
「随分懸命に結っていたことを思い出してな、」
何故か楽しそうな斎藤に首を傾げながらも、羽衣は無事に斎藤の髪を結べたことに満足していた。
『一様!あの、これから毎日、一様の髪を結んでもよろしいでしょうか?』
「それはあんたが、俺の起きる時間に合わせて毎日起きるということか?…中々厳しいと思うが」
『そんなことないです!起きれます!』
「……」
まるで鼻息が出そうなほど熱く語る羽衣に、斎藤は肩を竦めながら微笑んだ。
その口が「ならばお願いしよう」と動いた瞬間、嬉しさが込み上げてくるのを感じた。
「……人が一生懸命働いて帰って来たって言うのに、何をイチャついてるのかな?」
部屋の襖を開け、立っていた総司に2人は揃って目を丸くした。
斎藤は何となく羽衣の頭を撫でていた手をおろすが、総司は既に般若の顔をしていた。
『兄様、おかえりなさい!』
「ただいま、羽衣。今日も稽古よく頑張ったね」
『えへへ』
褒められたことに対して素直に喜ぶ羽衣に、総司はゆっくりと近付いていった。
後ろで1つに束ねていた自分の髪紐をほどき、それを羽衣に渡す。
『?』
「兄様の髪も結んでくれる?羽衣」
ニッコリ笑う総司に、斎藤はやはり…と心の中で呟いた。
総司の妹に対しての(異常なほどの)愛を知っているので今更驚きはしないが、やはり童のような嫉妬は目に余るものもある。
こうやって駄々を捏ねられても受け止められる羽衣は、9つも離れているというのに総司よりずっと大人だ。
『んん…兄様の髪は難しくて、結べません!』
「!そんな…!僕の髪結いやすいじゃない!」
「……ふっ」
どっちが年下なのかわからない。
そんな兄妹のやり取りに、斎藤は笑みを溢さずにはいられなかった。