第一話「初桜の迎え」
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ふわり、と桜色の花弁が風に乗って、1人の少女の髪に付いた。
その少女は透き通った茶色い髪をしているので、花弁の淡い色が溶け込んで見える。
少しだけ切れ長の目は長い睫毛で縁取られ、翡翠色の大きな瞳は何処までも澄んでいて濁りがない。
ふと前を向いた細面の鼻は小さいがすっと筋が通っていて、白い肌に桃色の唇が映えていた。
少女は先生の話を聞きながら夢中で文字を書いているから、花弁が付着したことに気付いていないようでー……
「…おい、ゆっくり行くぞ」
「せーのっ!」
『はわぁ!?』
コソコソと悪戯な顔をした少年2人は、目の前に座る少女の髪を思い切り引っ張った。
それによって漸く面を上げた少女は、ズキンとした痛みに眉を寄せた。
『!やめてっ』
「花とか似合わねー!」
「桜が腐ったら可哀想だから取ってやってんだよ!」
『っやめてってば!』
少女ーー沖田羽衣は負けじと言い返す。
お互いにべーっと舌を出していると、スパンッと少年達の頭が叩かれた。
「「いってー」」と涙目になって睨み付けられても、先生はビクともしない。
「いい加減にしなさい!羽衣ちゃんもよっ女の子ならそんな顔しちゃいけません!」
『っだって、虎徹(コテツ)達が引っ張るから』
「一々相手にしないの。いい?ここは学問を学ぶところなのよ」
『はい…』と羽衣が納得のいかないような顔で俯き、少年達はふいっと顔を逸らす。
反省のない態度に先生がもう一度叩くと、今度こそ不貞腐れながらも謝った。
江戸の町の中にある、寺子屋。
年端もいかない子供達が文字書きや計算を学ぶ場所である。
今年で9歳になる羽衣も、その生徒の1人だった。
ただ、羽衣はあまり寺子屋が好きではなかった。勉学が嫌いだからとか、こうやって男の子達にからかわれるからではない。
この時間に……大好きな人と離れてしまうから。
「「「「さよーならー!」」」」
日が落ちる少し前に寺子屋は終わり、生徒達は友達と共に下校していく。
迎えに来る親達の間を、羽衣は小石を蹴りながら通り抜けていった。
ふと、「羽衣」と透き通るような声が自分の名を呼び、弾かれるように面を上げた。
『……一様ー!!』
まるで御主人様を見付けた忠犬の如く走り、少し離れた桜の木の下で待っていた男にぎゅっと抱き付く。
"はじめさま"と呼ばれた濃紺色の髪の男は、長い前髪の隙間から見える瞳を、ふっと柔らかく細めた。
『どうして?どうして一様が?兄様はどうしたのですか?』
「総司は土方さんに頼まれ、試衛館で用を済ませている」
『そうなんですねっ』
羽衣の兄、沖田総司は今日も一生懸命働いているのだと、羽衣は幼いながらに理解していた。
『一様、稽古はいいのですか?』
「ああ。今日は全て片付いている。総司から羽衣を迎えに行って欲しいと頼まれてな」
「だから俺が来たんだ」と淡々と告げる斎藤一の声を、羽衣は目一杯見上げながら聞いていた。
『…ありがとう、ございます』
「?どうした、」
『なんでもないです…』
斎藤が自分を迎えに来てくれたのは、仕事だからなのだろうか。総司に頼まれなければ、来てくれないのだろうか。
嬉しさと寂しさから複雑な表情をして俯く羽衣を、首を傾げて見る斎藤。
やがて、とぼとぼと小さな小幅で歩き出した羽衣に合わせて、斎藤もゆっくりと歩んでいった。
「そんなに気落ちしなくとも、総司にはじきに会えるだろう」
『………はい』
「??」
突然大人しくなった羽衣を見ても、斎藤は首を捻るばかりだ。
とは言っても、斎藤は普段から口数が少ないので、いつもとあまり変わらないのだが…
空を茜色に染める、夕暮れの中。道場への道をゆっくり歩きながら、漸く羽衣は面を上げて隣を盗み見た。
斎藤の顔周りを包むように桜の花弁が舞っていて、思わずぽおっと見惚れてしまう。
一方的だと思っていたのに、「何だ」と透き通った紺青色の瞳に見つめられ、羽衣は視線の置き場に困った。
『っあの、一様って桜が似合うなあって、』
「桜が、か?」
『はい!桜は綺麗で、一様もとても綺麗で、お似合いです!』
「…それは喜んでいいのかわからぬな」
「何故、その解釈になるのか…」と真剣に考える斎藤と、こちらも至って真剣な羽衣。
男に"綺麗"と表現することはどうなのかと思うし、寺子屋で言葉を学んでいる筈の羽衣が少し心配になる。
7つも歳の離れた子供を相手にしているのに真剣に言葉を選ぶのは、彼が真面目(すぎる)からだろう。
「俺は、あんたの方が似合うと思うが」
『わたしが…ですか?』
「ああ」
初めて会った時、羽衣はまだ赤ん坊だったが、その時も桜が舞っていた。
それに…夜泣きする羽衣を抱いて桜の木の下に行くと、何故か毎回泣き止むのだ。
斎藤の髪を触りながらきゃっきゃと笑う赤ん坊が、まるで桜の精のようだった。
斎藤はその時のことを懐かしむように、目線を下にやった。
「特に、夜桜が似合うと思っている」
『よざくら?』
「夜の桜と書いて、夜桜だ。淡い色の桜が闇深い夜に照らし出される花あかりの光景は、息を飲むほど美しい」
「俺は夜桜が一番好きだ」と瞳を瞑りながら微笑む斎藤を見て、羽衣は自分のことを好きだと言ってくれているような気になり、嬉しさが込み上げてきた。
『わたしも、一様とお似合いな桜が、一番大好きですっ!』
また文略が可笑しいような気もするが、無邪気に笑う羽衣に斎藤も静かに微笑んだ。
自然と手を繋いで歩いていることに2人とも気付かぬまま、羽衣は斎藤に今日学んだことなどを話して聞かせる。
そんな時だったー…
「…っはぁ、追い付いた!」