第十一話「時雨に明かす」
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夜になっても雨は止まず、ザーッと激しく音を立てながら降り続いていた。
羽衣は黒雨を見上げていた視線を、ふと名前を呼ばれた方向に向ける。
襦袢姿の総司は少し驚いたように目を丸くしながら、「外にいたの?風邪引いちゃうでしょ」と羽衣に素早く近付いた。
『兄様が早く来てくれたから大丈夫ですよ』
「何見てたの?」
『雨、全然止まないなぁと思って…』
羽衣に合わせるように、「そうだね…」と総司も天を仰ぐ。
様子が気になり隣に視線をやると、総司が泣いているように見えて羽衣はドキリと肩を揺らした。
『っ兄様、』
「ん?」
「冷えちゃった?中入ろうか」と促されて、気のせいだったのかな…と思い直す羽衣。
流れるように寝かし付けられ、当たり前のように同じ布団に入ってくる総司に驚いている暇もなかった。
「あれ、今日は怒らないの?」
『…はい。今日は雨が降ってるから』
雨の日は、総司が何処か寂しそうにしていることに気付いていた。
その理由をずっと知りたいと思ってきたが、同時に知ってしまったら何かが壊れてしまう気がして……怖かった。
「優しいね、羽衣は」
総司が再び泣きそうに顔を歪めたので、 羽衣は思わずぎゅっとしがみ付いていた。
優しい兄が苦しむことがないように、自分の元から離れていかないようにと…。
総司はふっと翡翠色の双眸を緩ませると、羽衣を包み込むように抱き締めた。
「……僕、雨って苦手なんだ」
兄の切ない声音と、激しい雨の音が重なる。
羽衣は昔から知る兄の温もりに心地良さを感じながら、その言葉の続きを待っていた。
「でも、嫌いにはなれないんだよね」
『どうしてですか…?』
「どうしてなんだろう………恵の雨だった日があるからかな」
きっと、自分の知らない日があって、知らない兄の一面があるのだろう。
羽衣は寂しさを募らせながら、ぎゅっと総司の衣を握っていた。
「なんて…近藤さんに言ったら、"雨は作物を育てるには必要なものなんだぞ?"って返されそうだけどね」
『ふふっ想像出来ます。"いいか?総司、雨は大地を作ってくれるんだ!"って』
「今の近藤さんの真似?似てるなぁ」
同じ布団の中で、くすくすと笑い合う。
漸く総司の笑顔が見れた安心感から、羽衣はだんだんと瞼を重くしていた。
「今日のことなんだけど」と話し出した総司は、『はい……』と睡魔と格闘する羽衣に気付いて、ふっと顔を綻ばせる。
「明日、一緒に来て欲しい場所があるんだ。……その時にちゃんと話すから」
「ごめんね、羽衣」と苦しそうに呟いた総司は、何に謝っているのだろうか。
その理由を早く知りたいと思いながらも、羽衣は兄の体温に包まれながら深い眠りに落ちていった。
ーー何処かで、誰かが泣いてる。
「う……っ」
ザーッと降り続ける雨の音が煩く、瞑っていた目を開けた。
羽衣の目の前には、橋の下で雨宿りするように、同い年くらいの少年が身を震わせながら座っていた。
その子の腕の中では何かが動いていて、衣や布は薄汚くとも、宝物を扱うように大事に抱えられていた。
『(……赤ちゃん?)』
その大きさからして、まだ生まれて間もないように見える。
少年が涙を振り払うように面を上げた時、羽衣の心臓はドキリと跳ね上がった。
透き通った茶色の髪、切れ長の目元から覗く大きな翡翠色の瞳、口角の上がった印象的な口元……今よりも随分幼い顔立ちだが、しっかり面影が残っている。
今、自分の目の前にいるのは間違いなく総司だ。
何故か幼い姿の兄が目の前にいて、見たこともない赤子を抱えている。
羽衣が呆然と立ちすくんでいる間に、赤子が『くちゅんっ』とくしゃみをしていた。
「…っやっぱり寒いか?ごめんな、こんなことになって……」
「ごめん……っ」と涙を堪えるような声と、眠りにつく直前に兄が呟いた声が重なって聞こえた。
『(……兄様、どうして)』
どうして、そんなに苦しそうなの…?
兄を抱き締めたいのに、身体が金縛りに合ったように動けない。声を掛けたくても、喉が詰まってしまって叶わない。
羽衣はどうすることも出来ない自分が悔しくて、じわりと瞳に涙が溜まっていく。
身を寄せ合う2人をぼんやりと眺めていると、「おい、いたぞ!」と周囲が騒がしくなった。
「こいつだぜ、さっきぶつかって金を盗んだのは」
「っ誰が盗むか…!ただぶつかっただけだろ?勘違いすんなっ」
「まだしらばっくれんのか?餓鬼だからって許して貰えると思うなよ」
「やっちまえ!」と刀を引き抜き、3人の男達が一斉に攻め寄ってきた。
振り翳された刀を総司が避けた隙に赤子が放り出されてしまい、『わああああ』と大きな鳴き声が辺りに響き渡る。
慌てて駆け寄った総司は男の刀に邪魔され、もう1人の男は剣先を赤子に向けている。
「………っ羽衣!!」
兄に名前を呼ばれて、ハッと気付いた瞬間……ふわりと桜の花弁が舞い上がった気がした。
キン!と刀がぶつかり合う音が響いた時には男は地面に倒れていて、鮮やかな赤が暗闇を染める。
迫り来るもう1人の男を斬り倒すと、突如現れた少年は静かに血の付いた刀を振り払った。
『………っ』
あまりにも一瞬の出来事に、思わず息を呑む。
残虐な場面であるのに、淡い桜の花弁のように舞う姿はとても美しかった。
雨に濡れた少年がこちらを振り向いた時……「羽衣」と聞き慣れた声にぱちりと目を開けた。
『…………………』
「大丈夫か?随分うなされていたが…」
『っっは、はじめさま……っ!?』
布団からぴょんっと飛び上がる羽衣を、傍で正座していた斎藤はじっと見据える。
ドッキドッキと高鳴る鼓動を落ち着かせながら、『何で一様が?』と何とか声を絞り出した。
「…今日は総司と出掛けるのだろう?総司が酒屋から帰って来るまでに稽古を済ませねばと思い、起こしに来たんだ」
『えっでもわたし、寺子屋が…」
「寺子屋は休んで良いと言っていたが」
「…何も聞いていないのか?」と問われ、昨夜、兄が何か言いたそうだったことを思い出す。
爆睡してしまった己が恥ずかしく、カァアと顔を赤く染めながら羽衣は布団の中に逃げ込んだ。
「……羽衣、悪いが遊んでいる暇はない」
『遊んでないです…反省をしているんです……』
「反省?」
そもそも話をしに来てくれたというのに、総司の腕の中があまりにも心地良く、寝てしまうなんて。
それも、今まで斎藤にずっと(?)寝顔を見られていたなんて。
羽衣は『うう…』と消え入りそうな声を出しながら、先程まで見ていた夢の内容を思い出していた。
『一様、私ってどんな赤ちゃんでしたか?』
夢の記憶は曖昧であったが、幼い兄が赤子を抱いていたということは……その赤子は、もしかしたら自分なのかもしれない。
布団からちらっと顔を出して様子を伺うと、斎藤は「…そうだな」と真剣に答えようとしていた。
「良く泣き、良く食べ、良く寝て、そして甘えん坊だった。今も変わりはしないが……」
『ええっ?』
"何か可笑しなことでも言ったか?"というような顔をする斎藤に、首を横に振る羽衣。
幸せそうに頬を一杯にして食べる姿や、一度寝てしまうと中々起きない姿、自分も含め試衛館の皆に甘える姿を、斎藤は思い出しながら話していた。
『わたし、そんなに甘えてますか…?』
「(自覚がないのか…)ああ、良く甘えている」
『!幼いですか?』
「?羽衣はまだ子供であろう」
彼のお嫁さんになる夢がまた一歩遠のいていく気がして、羽衣はガクッと項垂れた。
一方で、布団の中に頭だけを入れてジタバタと足を動かす様を見ながら、「芋虫のようだな…」と斎藤は感想を溢していた。
「…朝稽古は良いのか?」
『します…っ一様と稽古!したいですっ』
素早く布団を片付けて『さあ、行きましょう!』と張り切っていると、「ふ…っ」と斎藤の肩が可笑しそうに震え出す。
不思議そうに見上げる羽衣の頭に、ふわりと掌が乗せられた。
「……変わらないが、ちゃんと成長している」
出会った頃より、ずっと、ずっと大きくなった。
そのまま優しく頭を撫でられ、長い前髪の隙間から柔らかく細められる瞳を見付けてしまうと、羽衣はドキンと胸をときめかせた。
だが、その瞳はいつものように優し気に揺れていても、寂しさを強く含んでいる気がした。
『(…昨日の兄様みたい……)』
雨の日は元気のない総司と同じように、斎藤もたまに何かを深く考え込んでいる時がある。
彼等にとってはまだ幼い子供なのかもしれない。
それでも…いつの日か、その寂しさに触れて癒すことが出来ればいいと思う。
『(早く、早く大人になるんだ)』
堂々と隣に並んで、歩けるようになる為に。
羽衣は鍛えられた背中を見つめながら、固く決意していた。