第十一話「時雨に明かす」
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楽しい正月が過ぎると、江戸の町も日常の色を取り戻していた。
この頃、試衛館に通う門下生の数は減っていて、がらんとした道場を見るとやはり寂しいと思ってしまう。
羽衣はそんな気持ちを振り払うように、今日も元気良く稽古に励んでいた。
『っ平ちゃん、手加減してないよね?』
「する訳ねぇじゃん、羽衣怒るだろ…っ」
激しく竹刀がぶつかり合い、じりじりと距離を詰めてゆく2人。
平助は試衛館に寝泊まりしたり道場で鍛える事が多くなっていて、羽衣はまた一人仲間が増えたことを心から嬉しく思っていた。
それに何より、門下生の中では背丈が一番近い為、羽衣は平助と打ち合いやすかった。
総司や近藤は上手く手加減をしてくるが……彼は負けず嫌いな事もあり、本気で挑んでくれるのだ。
それが真剣に剣術と向き合っている羽衣には嬉しく、とても貴重な事であると幼いながらに理解していた。
「もらったあ!」
『……っ!』
羽衣の素早い一撃を避け、平助の振り翳した竹刀が脇を突く。
悔しそうに唇を噛み締めた羽衣だったが、『ありがとうございましたっ』と素直に敗北を認めた。
「おーい羽衣ちゃん、平助!」
『!新兄、』
汗を拭う羽衣の元へ、新八の元気な声が近付いた。
子犬のように駆け寄って行くと、わしゃわしゃと大きな手が頭を撫で回してくれる。
手持ち無沙汰な平助に気付き、彼の隣に居た左之助が「平助もいるか?」と掌を開いた。
「!いらねーって……それより、新八っつぁんも左之さんもまーた晩飯だけ集りに来たのかよ?」
「まぁなー」
「お前も食ってくだろ?」と悪びれもせずに肩に腕を回してくる新八に、「新八っつぁんと一緒にすんなよな」と平助はむっと眉を寄せた。
『そうだっ新兄も左之兄も、相手してよ』
「悪いな、羽衣。また今度」
「よし!新八兄さんが夕餉の後に肩車してあげよう」
『!肩車じゃなくて!いっつもそう言って誤魔化すんだもん…』
ぷくーと拗ねたように頬を膨らませる羽衣に、左之助と新八は顔を見合わせ困ったように笑う。
「…とか言って、2人共羽衣に怪我させんじゃないかって怖いだけなんじゃないの?」と平助が指摘すると、ギクッと2人の肩が同時に揺れた。
『そうなの?わたし怪我なんてしないよ!』
剣術の腕には自信があるので、羽衣はそう胸を張って言い切れる。
毎日自分よりも体躯の良い男達と刀を交え、負けじと稽古をしているのだ。
年齢や性別など関係なく、常に本気で挑んで貰いたいと羽衣は思っていた。
「そ、そーいやあ!今日総司はいねぇのか?」
新八の下手すぎる誤魔化し方に呆れつつ、左之助は「斎藤も見当たらねぇけど…」と道場を見渡す。
羽衣はしゅんと肩を落としながら、『兄様は一緒に帰ったんだけど、近藤さんと話があるみたいで…』と彼等がここにいない理由を説明した。
「じゃあ斎藤もそこにいるのか。ってことは土方さんもか?」
『うん、皆同じ部屋にいると思う。お客さんが来てるんだって』
「それにしても気になるよな〜何の話してんだか」
他流試合の申し込みや交流の為、道場主が来訪することは頻繁にある。
なので総司が呼ばれた時、羽衣は特に疑問に思わなかったが……皆呼ばれているとなると、仲間外れにされたようで少し寂しかった。
平助の言葉にコクコクと頷く羽衣を見ていた左之助は、「良いこと思い付いた」と口角を上げた。
「ここで大人しく留守番するってのもなんだし、茶を運ぶ振りをして聞き耳立てるってのはどうだ?」
「おお!良いじゃねぇか。それなら自然だしな」
「で?誰が持ってくんだよ?」
左之助の提案にポンッと手を叩きながら同意する新八。
揃って小首を傾げる平助と羽衣へと振り返るなり、2人は怪しい笑みを浮かべたのだった。
***
ぽた、ぽたと静かに雨が降り出した。
まるでこれから起こる何かを知らせているようで、羽衣は不安気に暗い空を見上げた。
その隣にいる男…女中の格好をした平助はそれどころではないのか、「何で俺がこんなこと…」と未だ置かれた状況に納得出来ずにいた。
『平ちゃん似合ってるよ!可愛いっ』
「おーほんとか?羽衣も似合って………って違うだろ!?」
思わずほんかわと緩みそうになる口元を引き締め、平助は慌てて自分の服装を見渡した。
あれから…汗だくの道着から動きやすい着物に着替えた2人はというと、たすき掛けをして茶を運ぼうとしていた。
羽衣はいつも通りなので問題はない。だが……女中に見えるように平助の頭は一つに丸く結ばれ、挿し櫛までしてある。
何故、聞き耳を立てるだけなのに女の格好をしなければいけないのか?と平助が気付いた時には既に遅く……離れたところで、左之助と新八は見守る振りをしながら楽しそうに笑っていた。
「(な、殴りてぇえええ…!!)」
あれよあれよという間にこんな格好をさせた2人を、一発…いや、二発は殴ってやりたい。
『平ちゃん大丈夫…?』と心配そうに顔を覗き込む羽衣に気付いて、怒りで震えていた拳をぱっと開いた。
「だ、大丈夫だって。それより羽衣、よだれ出てるけど…」
『え!?』
2人が持つお盆には人数分のお茶と、羽衣の大好物である饅頭が置かれていた。
これは予め井上が用意していたもので、彼の目を盗んで支度をするのはかなり大変だった。
羽衣はぐうぅと鳴り響くお腹の音に顔を赤く染め、『は、早く行こうっ』と饅頭を見ないように歩くことにした。
やはり皆は近藤の部屋に集まっているようで、中から薄らと話し声が聞こえてくる。
平助と共に襖の前で正座をして、合図するように顔を見合わせた時………「いい加減にして下さいよ!!」と総司の怒鳴り声が響いた。
「このことは、もう何年も前から決まってたんです。それをあんた達の都合で覆せると思ってるんですか…!?」
「…総司、落ち着け」
「逆に一くんは何でそんなに落ち着いてられるの?僕には無理だよ」
「は…っ」と息を吐く総司の声を、羽衣はただ目を丸くして聞いていた。
総司は自分を叱る時も、他者に怒る時も、こんなに声を荒立てることは決してしなかった。
そんな兄が……一体何に腹を立てているというのか。
羽衣はドクンドクンと波打つ心臓の音を感じながら、そっと襖に手を掛ける。
すると中から勢い良く開けられて、苛立った様子の総司とすぐに目が合った。
『に、兄様……』
「………羽衣?」
羽衣は驚いて動くことが出来ずにいると、総司の瞳から怒りの色が薄れていく。
「こんな所で何してるの…?」と尋ねた声も震えている気がして、羽衣は『ご、ごめんなさい』と咄嗟に口にしていた。
『お客さんと皆にお茶を持って来たんです…』
羽衣は様子を伺うようにそう伝えると、総司はいつもの優しさと、困惑したものが混ざったような複雑な表情を浮かべていた。
兄の様子を心配していた時、「……羽衣なのか?」と部屋の中から初めて聞く声がした。
開いた襖の先に見えるのは、高そうな着物を身に纏い、綺麗に整えた漆黒の短髪を後ろに流した役者のような男性だった。
歳は近藤や土方より少し上くらいだろうか。
彼の隣には華やかな柄の着物を身に纏った女性が座っていて、気の強そうなつり目の瞳が驚いたように自分を見据えている。
「羽衣…っ大きくなったな……」
『(だ、誰…?)』
目に涙を溜めた男は、感激したように近付いてくる。
羽衣は咄嗟に後ずさると、総司が腕を引いて守るように立ち塞がってくれた。
「雨宮殿!まだ羽衣ちゃんには何も話していないんですよ」
「っあ…そう、でした」
"雨宮"と近藤に呼ばれた男は、ハッと我に返ったように動きを止める。
羽衣は男の行動よりも、それによって一気に殺気立った室内に呆然としていた。
静かに座っていた斎藤からも、今にも飛び掛かって来そうなほどの怒りを感じる。
「……羽衣。後で僕も行くから、先に部屋に戻っててくれないかな」
『は、はい…』
総司にぽんぽんと頭を撫でられ、羽衣は素直に頷くしかなかった。
残された平助が気になり視線を配ると、「あれ?そこの人、何処かで会ったことある?」とやはり総司に揶揄われていた。
「っ!?平助、何て格好してんだ…っ?」
「え!まさか平助だったのか?」
「平助に女装の趣味があったとは…すまぬ、知らなかった」
「ち、ちげーって…!!これは…その、騙されたに近くてだなっ」
平助のお陰もあり、殺気立っていた空気が徐々に和らいでいく。
羽衣はごめんねと心の中で謝りながら、総司の言う通り自室に戻ることにした。