第七話「親心子知らず」
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それからも、羽衣の(花嫁)修行は続いた。
「羽衣さん、きちんと前を見て『わ、わああっ!』
だだだだ、と素早く廊下を雑巾掛けする羽衣は、集中するあまり、棚に激突してしまった。
その拍子に、上に乗っていた壺がグラグラと傾いて落ちそうになる。
「危ない…!」
山南が押さえたことで、何とか羽衣の上に落ちてくることは防げたが……一瞬にして大惨事を想像した2人は、「『ふ~』」と思わず息を吐いた。
『ご、ごめんなさい…』
「怪我がなくて良かったです。ゆっくりで良いので、周りに注意してこなしていきましょう」
コクン、と大きく頷いた羽衣の顔は萎れている。
だが、山南以上に彼女を心配して見守る男達がここにいたー……
「羽衣ちゃんは本当に無事なんだろうか…!?」
「大丈夫みたいですよ、間一髪でしたけど…」
「あの壺、移動した方がいいな」
コソコソと物陰から話しているのは、近藤、総司、土方の3人。
羽衣が雑巾をきちんと絞らず、ビチャビチャのまま行なおうとした時は手を貸しそうになったが、互いに止め合いながら何とか耐えたのだ。
山南は口調は優しいもの、指導には一切手を抜かない。彼に必死でついて行こうとする羽衣の姿はいじらしいし、非常に心配だった。
「(舅にいびられる嫁を見守る、親のようだな…)」
そんな3人の姿を後ろから見つめ、心の中で呟く新八。
何だかんだで自分も羽衣が心配でここにいるので、人のことを言えた義理でもないのだが……
「それにしても、羽衣は雑巾掛けしてる時も可愛いなぁ。成長日記に書いておかなきゃ」
「な、何?総司、そんなものを綴っていたのか……ぜひ、俺にも見せてくれ!」
「いいですよ。赤ん坊の時からあるので、今度貸してあげます」
「おい!近藤さんも総司も静かにしろ、バレちまうじゃねぇか!」
盛り上がる近藤と総司を見兼ねて、怒鳴る土方の声の方が何倍も大きい。
そのせいでとっくに山南には気付かれていて、既に困った笑みを浮かべてこちらを見ていた。
「火が強すぎです!全部焦げてしまいますよ!」
『はい!』
「洗濯物は、きちんと絞ってからでないと乾きません!」
『はい…!』
「落ち葉は一ヶ所に集めないと、今日は風が強いので飛んでいってしまいます!」
『は、はい!』
料理、洗濯、掃除…と続き、お次は裁縫。山南の真似をして破れた道着をチクチクと縫っていた時、その事件は起きた。
バサっと広げてみると、外側と内側が繋がって縫われていたのだ。
『着れません…よね?』
「……着れませんね」
静かに首を横に振る山南に、羽衣はここまでの苦労を思い浮かべながら、道着をきゅっと握った。
悔しそうな…また悲しそうな様子の羽衣を見て、山南はすっと目を細める。
「少し…休憩しましょうか」
羽衣はバッと面を上げると、彼は柔らかく微笑んでいた。
***
『ふぅ……』
縁側に腰を落ち着かせた羽衣は、自然と肩の力を抜いた。
料理や掃除、裁縫も剣術のように鍛えれば上達するのかもしれないが、やはり木刀を触っている時の方が何倍も楽しい。
『(わたし…女の子じゃないのかなぁ)』
寺子屋で、女の子とお手玉やあやとりをするのも勿論楽しいが、男の子達に紛れて木に登ったり、虫を捕ったりするのも嫌いじゃない。
「あんたのようなお転婆娘など、嫁には貰えん」と妄想の中の斎藤に言われた気がして、ずーんと落ち込んでしまう。
『~~っお嫁に行けないっ!』と叫びながらゴロンと横になった時、視界いっぱいに反対向きになった斎藤の姿が映った。
『は、一様!』
「……………」
慌ててガバッと起き上がり、羽衣はその場に正座をする。
今の言葉を聞かれてしまったのかと焦る羽衣だが、「…山南さんに裁縫を習っていると聞いたが」と斎藤は今の状況を尋ねてきた。
『えと、休憩中なのですっ』
「そうか」
『一様は、何処か行かれるのですか?』
「稽古まで時間がある故、素振りをしようと思ってな」
『!わたしもご一緒して宜しいですか?』
「構わないが…それでは休憩の意味がなくなるだろう」と言う斎藤に、だから一緒がいいのに。と思わず口にしてしまいそうになる。
ゴニョゴニョと口籠る羽衣を不思議そうに見ていた斎藤だが、すっと隣に腰掛けた。
「俺が共に休めば、問題はない」
『!』
羽衣について見えた犬の尻尾が激しく左右に揺れ、正座の姿勢をやめてその膝の間に座る。
「…!何故そこに座るのだ」と最初は動揺していた斎藤だったが、羽衣があまりにも嬉しそうに笑うので、好きにさせることにした。
「最近、家事を頑張っているようだな」
『!は、はい…でも、なかなか上手く出来なくて、』
「最初から完璧にこなせる者などいないだろう。俺も…料理を始めた頃は慣れない包丁に苦戦した」
『一様が…?』
羽衣は一生懸命に不慣れな斎藤を想像してみるが、やはり浮かんでこなかった。
けれど、彼は影で誰よりも努力する人なので、きっと料理も勉強してきたのだろう。
ふ、と羽衣の笑顔に影が落ちたのを、斎藤は見逃さなかった。
励ます上手い言葉が見つからず、何か好きなものの話題でも切り出そうか…と頭を悩ませる。
「(羽衣が好いているものといえば…剣術、団子、折り紙に猫……)」
斎藤が後ろで深く考え込んでいるとも知らず、羽衣は自分の小さな足と斎藤の足を見比べていた。
草履の大きさが違うのは当たり前であるが…斎藤の足は、もう立派な大人のものだ。
『(早く…大きくなりたい)』
そしたら、もっと斎藤に近付けるだろうか。
家事を完璧にこなせる大人に成長したら、もっと好きになってもらえるだろうか。
『……一様は、やっぱり、女性らしい方がお好きですか……?』
一度声に出したら止まらなくなり、羽衣はぽつり、ぽつりと不安を口にしていく。
『お料理や裁縫が出来る女性が良いですか?』
「………?」
『お嫁さまにしたいと思いますか?』
「!?」
何を言っているのかと冷静に理解しようとしていた斎藤だが、最後の質問には流石のポーカーフェイスも崩れかけた。
「(よ、嫁…………だと?)」
目の前で自分の膝の間にすっぽりと収まる、小さな少女。
好奇心旺盛で、想像力(妄想力)豊かなのはわかっていたが…こんなに答えに困る質問をされるとは思っていなかった。否、思う筈がない。
何故そのような疑問を持つのか…と暫く悶々と悩んでいた斎藤だったが、不安気に振り返る羽衣を見て、ぐっと喉を詰まらせた。
「……っよ、嫁…などの類いは、考えたことがない」
『!そうなのですか?』
「ああ。それに以前も言ったように、俺は近藤さんや土方さんに恩義がある故、色恋を楽しむ身ではないからな」
『でもっおじいちゃんになって独りぼっちは寂しいと思いますっ!お嫁さまと一緒の方が絶対良いです!』
「…何故、そこまで必死になる?」
自分の老後を心配してくれるのは有り難いが、何が羽衣をそこまで熱くさせるのだろう。
"嫁"という単語を聞いて、斎藤は先程羽衣が発していた言葉を思い出した。
「…あんたは、嫁に行きたいのか?」
家事を習っているのは、羽衣のこれから(将来)を考えてのことだと聞いていたが…もしかしたら、羽衣自身の目標は他にあるのかもしれない。
暫く間を置いてからゆっくりと顔を縦に振る羽衣に、やはり…と斎藤の予感は的中した。
『…わたし、ほんとはお料理よりも、剣の稽古がしたいです。裁縫をするなら、一様に勉学を教わりたい……』
家事を頑張りたいと思えば思うほど斎藤と一緒に居られる時間が減ってしまい、寂しかった。
『こんなんじゃ、お嫁さま(←予定)失格です…』と頭を垂れる羽衣を、斎藤は静かに見据えていた。
「…皆が料理や裁縫が得意な女子を好くとは限らないだろう」
『…………』
「苦手なことは誰しもある。夫婦というのは、互いに欠けている部分を補ってゆくものだと俺は思うが」
9歳にして嫁ぎ先に悩んでいることには驚いたが、羽衣の真剣さは伝わった。
それならば、相談相手として的確に返さなければ…と斎藤は謎の責任感を感じていた。
「決して家事を完璧にこなせなくとも、羽衣の純真な心や何事にも真っ直ぐに取り組む姿勢を、気にいる者はきっといる」
自分も、そんな羽衣に救われたのだ。
ここで初めて、斎藤は羽衣の"お婿になるかもしれない者"を想像した。
今は自分の膝の間に座りたがる彼女だが、他の誰かにも同じように甘える時が来るのだろうか。
くるくる動く大きな瞳がもう自分を映さないのかと思うと……とても、
「だが…あまり、喜べぬかもしれん」
"家族"としては嬉しく思うところかもしれないけれど。
「不思議なものだな。あんたと出会った頃は、只々手の掛かる赤子に戸惑うばかりだったが…今は成長を喜ぶと共に、寂しいと思う己がいる」
叶うならば、羽衣の成長をいつまでも見守っていたい。
こうして、目の届くところで、ずっとー…
ぽすっと静かに背中を倒す羽衣の温もりを感じながら、斎藤は瞼を伏せていた。
「(…おや?斎藤くんと羽衣さん)」
そろそろ羽衣を呼びに行こうとしていた山南は、縁側で腰掛ける2人を見付けた。
斎藤の膝の間に座り、背中を預けるようにして眠っている羽衣。
だが斎藤はというと…何かをブツブツと語っているようだった。
山南は息を潜め、彼の言葉に耳を傾けてみる。
「……風邪を引いた時は泣き止むまで随分かかってな…俺も総司も骨が折れた」
「姿が見えない時は皆で江戸中を探し回ったが、結局湯殿で眠っていたな」
「だが、手の掛かる子ほど可愛いというのは…強ち間違いではないらしい」
ペラペラと彼には珍しく饒舌な様子で、懐かしむように瞼を閉じている。
だが、羽衣が聞いたら頬を染めながら喜ぶだろう台詞も、残念ながら夢の中にいる彼女には届いていないようだ。
「(…仕方ありませんね)」
これからは家事の合間に、斎藤と居られる時間を作ってあげよう。
近藤や土方のことをとやかく言えないな…と自分に呆れるが、大好きな人の元で幸せそうに眠る羽衣を見たら、おまけで花マルをあげても良いと思ったのだ。
「(それにしても、斎藤くんはいつになったら気付くのでしょう…)」
「あんたには驚かされることばかりだが…不思議とそんな己も嫌いではないと思える。今朝も、髪を結びに来るのを待つ程だ。…つまり、まだまだ嫁に行かなくても良い」
『………むにゃ……』
「どうしても嫁に行きたいというのなら、一度その相手の男をこちらに連れてきてもらいたい。近藤さんや土方さんの許しを得るのは勿論、総司にも『…………お団子…おいし…』
"その相手"が自分だということを知ったら、彼はどんな顔をするのだろうか。
食べ物の夢を見ているあたり、羽衣の淡い想いが実る日は遠そうだった。