ユーリス篇
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
士官学校へ来てしばらくすると、また異母兄から命を狙われるようになった。教会が燃えて、一時抜け殻のようになっていた私に優しい言葉をかけてくれたのだが、立ち上がった私にはかける言葉はなく、ただ死んでほしいようだ。初めにあった時は本当に優しい人だったのだが、私のせいで歯車を狂わせてしまったのだと思うと遣る瀬無くなる。
「いくらで依頼されたのかしら」
襲ってきた男に剣を突き付けて尋ねる。本職の暗殺者を雇わないのは金が足りないのか、ただの脅しのつもりなのか、送られてくるのは定職につかない金に困ったごろつきばかり。聞いた以上の情報をペラペラと話してくれる所は助かる。
「そう。引いてくれるなら、これ以上は何もしないけれど、どうする?」
男の白状した金額は大金とは言えない。依頼人に対する誠実さも、仕事を遂行する自尊心も持たないなら、いつもこれで引き上げていく。男は迷うことなく引くことを選び、昏倒した仲間に見向きもせずに逃げ出していった。金を出し惜しんでいる今の状態であれば対応しきれるが、果たして本職に依頼した時この命は無事にあるだろうか。
夜空を見上げると、たくさんの星が浮かんでいる。セイロス教の教えでは死者はあの星々の一つに迎えられるというが、もしもあの子たちが今の私を見ているのならどう思うだろうか。それともこんなに遠く隔てられていては私のことなど分からないかもしれない。光り輝く星と違って、夜の闇の中に溶け込むだけの存在にすぎないのだから。
(これで死んだら、みんな、怒るかしら)
人が死んだらどうなるかなんて、本当の所は誰にも分からないけれど。こんな風になってしまった私を見て欲しくはないなと思った。
兄の所業をいまだに糾弾しないのは、兄から跡継ぎの座を奪った罪悪感があるからだが、それ以上に、私を否定してくれるのが兄だけだから、というのもある。だって、誰も彼もが私を責めてくれないのだ。私に罪がないなんて、私自身は決して思わない。そんな中で兄だけは私を許さないでいてくれる。こうして罰を与えてくれる。だから兄を恨むことはないが、それでも、大人しく死んであげることはできない。生き残った以上、生きていかなくてはならないから。死んでいない以上、生きる努力をしなくてはならないから。生き残る努力をしなくてはならない。だから、この程度では死ねないのだ。ちゃんと死ぬまで、死ねない。
これは祝福だろうか、呪いだろうか。どちらにしても甘んじて受け入れる他、私にできることはなかった。
会いたくて、会いたくなかった人との再会は、思わぬ所でだった。部屋への帰り道、夜の闇の中、月の明かりがその人の姿を映し出す。教会近くの崖で別れて以来、もう長いこと、ずっと顔を合わせていなかった。それなのに、どうしてこんなところにいるのだろう呆然と立ち竦んで、俯く。合わせる顔なんて、あるわけがない。私は、何も出来なかった。ユーリスがくれた機会を無駄にして、守りたかったものを何一つ守れず、自分だけ生き残ってしまった。
「レイラ」
名を呼ばれて体が一瞬震えた。恐る恐る様子を窺うと、ユーリスは軽く手を広げてこちらを真っ直ぐ見ていた。まともに見ていられずすぐ視線を下に逸らした。
「ほら、来い」
「………………」
何も出来なかった私に、縋る資格などあるはずがない。拳を固く握りしめて、首を振る。瞼を閉じれば、いつだって燃え落ちる教会が脳裏を過ぎる。
「いいから来いって」
「………………」
頑なに首を振り続けていると、呆れたため息が聞こえてきた。私のことなど、もう放っておいてほしい。優しさに見合う人間ではないのだ。皆、皆死んでしまった。私が歌ったから、司祭様を止められなかったから、すぐにお金を用意できなかったから。全ての選択が、あの惨劇に繋がっている。私は何もかも間違えたのだ。
「ったく、強情な所は相変わらずだな。おい、レイラ。逃げるなよ」
そう言ってユーリスが足を踏み出す。逃げ出したい衝動と、子どもたちは誰一人逃げられなかったのに自分だけは逃げるのかという罪悪感で足が縫い止められたみたいに動かない。動揺している間にもう目の前まで来ていて、抱きしめられていた。確かな温もりに包まれて、絶望的な気持ちになる。ああ、駄目だ。この人は私を甘やかしてしまう。
「そんな顔するくらいなら、いっそ泣いちまえ」
「…………そんなことに、なんの意味があるの」
「いつまでもひでぇ面引っ提げてるよりはましな顔になるだろうよ。お前、昔から泣くの下手くそだからな、仕方ねえから俺が手伝ってやるよ」
ユーリスはいつもそうだ。いつもそうやって、泣かないでいる私に泣けと言ってくる。
行商の付き添いと称して、気まぐれにふらりと訪れる少年。どこから来て何をしているのかもはっきりしなかったが、よく、お土産を持ってきてくれて、色々な話をしてくれた。町のみんなにとって私は祝福された子で、教会の子達にとって私は姉で、けれどユーリスの前では、私は私でいられたように思う。思惑がなんであれ、ただのレイラとしていられたのだ。熱い涙が、ボロボロと零れて、頬を濡らしていく。嗚咽を堪えようとするが、上手くいかない。ユーリスが強く抱きしめてくれるから、もう何もかも耐えられなくなって彼にしがみついた。
「ゆ、ユーリス、み、みんな……死んでしまった。焼け死んでしまった。煙に、まかれて、みんな、みんな」
「…………ああ」
「わたしのかぞく、死んでしまった。ど、どうして?あと少しだったのに、なんで、司祭さま、どうしてあんな、あんなこと」
皆、優しい子たちばかりだった。いつも私を手伝ってくれて、無理をしないでと心配してくれて、姉として慕ってくれた。私の、家族。愛している。愛しているのだ。みんなのためならなんでもできた。なんでもしてやりたかった。おなかいっぱい食べさせて、綺麗な服を着せてやって、暖かい部屋で凍えることの無い穏やかな眠りを与えたかった。もう、何もかもかなわない。あの子たちはもういない。どうしてあんな惨いことを。司祭様が変わってしまったのは、やはり、私のせいなのだろう。私が、他の子どもとは違かったから。大金を集めてしまったから、全てを救えると勘違いして、その理想を悪夢に変えてしまったのだ。
「それにしたって士官学校に来るとは思いもしなかったぜ。部屋から出てこないって聞いてたが、よくここまで来れたもんだ」
「……義母のおかげで、なんとか。やることがあった方がいいだろうからって、教団と話をつけてくれたわ」
「夫人とは上手くやれてるんだな」
「妾腹の子なんて、普通は目障りなはずなのに、色々と気にかけてくれている。ありがたいことだわ。それより、ユーリスはどうしてここにいるの?」
まさか教団の膝元にいるだなんて思いもしなかったが、そもそも、ユーリスについて私が知っていることは多くない。何者なのかもいまいちよく分からないのだ。
「あー、まあ、いろいろあってだな」
「……そう。あなたも相変わらず秘密主義ね」
「……公爵家と繋がってたこと、怒ってるか?」
「怒る?まさか。あなたには、感謝してるわ」
あのまま結婚式に臨み自殺していたら、きっと司祭様は同じように教会に火をつけていた。それを回避出来たのに、結局、教会は炎に呑まれた。私には、なんの力もなかった。特別な存在でもなんでもない、ただの無力な小娘でしかなかった。
「……私は、私に怒っているのよ。何も出来ず、のうのうと一人生き残った……私自身に」
「…………」
ユーリスは眉を顰めた。何か文句を言いたそうな顔をしたが、大きなため息をついて手を伸ばすと私の頭をぐしゃぐしゃに掻き回した。
「ちょっと、何するのよ」
抗議をしてみるがユーリスは何も言わずにいる。やがて動きは止まり、頭に手を乗せたまま、ぽつりと呟くのが聞こえてきた。
「……それでも、お前が生きていてくれて、良かった」
「―――」
泣き止んだ筈が、また視界がぼやけてくる。誰も彼も、私を責めてはくれない。その優しさは、とても残酷で、痛かった。
遂に、というか、ようやく、というか、多少は腕の立つ人間に依頼をしたようだ。何とか生き残れはしたが、毒を使われたせいで体が痺れて頭がふらつく。解毒薬は服用したが、動きの悪い体を、壁を伝ってようやく歩いていたけれど、限界が近い。足から力が抜け、その場に崩れ落ちる。目が霞んできて、夜闇の中ではもう、まともに機能しない。意識が朦朧としていく中、幻覚を見た。それはユーリスの姿をしていて、随分都合のいい幻覚を見るものだとぼんやり思った。
「おい!しっかりしろ、レイラ!!」
幻覚は喋るものだっただろうか。その幻覚が回復魔法をかけてくれたところで視界が鮮明になってきた。
「…………ユー、リス」
それは幻覚ではなく確かに存在しているようで、こんな都合のいい現実があり得るはずないのに、実際に目の前にいるのはユーリスで、頭が混乱する。
「……お前、兄貴に命狙われてるってのは本当なのか」
「どうして、それを」
「そんなことどうだっていい。どうして俺にも何も言わねえんだ」
鋭い目付きに思わず目を逸らしてしまう。ユーリスは聞こえよがしに大きなため息をついた。
「公爵はこのこと知ってんのか」
「……知らせてはいないわ」
「だろうな。……この馬鹿!」
頭を叩かれて痛いと叫ぶ。手加減はしてくれているのだろうが痛いものは痛い。
「痛くて良かったなあ?死んでたら痛いのも分からねえもんな」
「……」
痛む頭をさする。そういえば、こんな風に叱ってくれるのも、昔からユーリスだけだった。
「おいこら、この状況で何笑っていやがる」
「私の兄は、やっぱりユーリスだけだなと思って」
そう言うとユーリスは驚いて、納得が行かないというように顰め面をした。不思議に思って眺めていると、彼は頭を手で掻きむしり、またため息をつくと片手で顔を覆った。
「……どうしたの?」
「…………どうしたもこうしたもねえわ。お前、死に急ぐのも大概にしとけよ」
「―――死に急いでなんか」
「いねえって、言えんのか」
「…………簡単に死ぬつもりは無いわ」
「それでも、死ぬ時は死ぬだろ。本当にいいのか。これで満足か」
皆、私に生きろという。生きて幸せになれという。痛くて、苦しくて、どうしようもないくらい辛いのに。本当は、いっそ、死んでしまいたい。そんなこと口に出せるわけもなく、ユーリスの強い眼差しに押し負けそうになって、俯いた。
「答えろ、レイラ。お前、本当はどうしたい。このままでいいのか」
「……私がこのまま黙っていれば、家から出た時に兄は何事もなく後継者に戻れる。兄から奪ったものを、全部返すことができる。だから、いいのよ。私はこのままでいい。兄のためには死んであげられないから、せめて、全てを返すその日まで付き合うわ」
士官学校を卒業したら、継承権を放棄して家を出ようと考えていた。お金のために貴族になった人間に、公爵も領主も務まる訳がない。私にはそんな資格がないのだ。顔を上げるとユーリスはなんとも言えないような顔をしていた。
「………………お前、本当に変わらねえな。そんなだから、限界が来るんだぜ」
「限界って……?」
「はあ、ったく、危なっかしくて見てらんねえよ」
「何をぶつぶつ言ってるのよ」
「誰のせいだ、誰の。……仕方がねえ、俺が根回ししてやる」
「……………………は?」
「あんたの暗殺依頼が割に合わない仕事だって噂を流せば、依頼を受ける奴も減るだろ。後は、そうだな……」
「……待って、ユーリスがそんなことまでする必要はないでしょう。これは私の問題よ」
ユーリスにはもう十分すぎるほど助けてもらっている。これ以上手を煩わせてはいけない。そう思うのに、ユーリスは怒気を孕んだ目で私を睨むように見た。
「人間、死ぬ時は死ぬんだぞ。ここで見過ごして、これ以上お前に何かあったら、俺がそいつを殺してやる。それでいいのか」
「…………どうしてそうなるの。よくないに決まってるでしょう」
「なら話は決まりだ」
どうしてユーリスはいつもこうなのだろう。伸びてきた手が、頭をぐしゃぐしゃと掻き回す。いつも一人で何とかしようとする私に、何の気負いもなく手を差し伸べてくれる。
「……ユーリスは、そうやっていつも私を甘やかそうとする」
「はあ?そう言って全然甘えてきた試しがねえだろ」
「……だって一度甘えたら、頼りきりになってしまいそうなんだもの」
誰かに頼りきりになった人間がどんな風になるのか、私はよく知っている。依存して、盲目的になって、自立心が薄れていく。そんな風にはなりたくない。私はもうこれ以上ユーリスの迷惑にはなりたくないのだ。
「……俺は別にそれで構わねえんだけどな」
「…………え?」
「なんでもねえよ。いいから口閉じてろ」
言われるがままにそうすると、あっという間に抱き上げられてしまった。いつになく近い距離にユーリスの顔があって、あまりの近さに呼吸が一瞬止まった。
「な、何してるの」
「何って、見りゃ分かんだろ」
「歩けるから、降ろして」
焦る私の言葉をユーリスが聞き入れてくれることはなく、それどころか何も言わずに黙り込んでしまった。気まずい思いをしながら宙に揺られていると、暫くして小さな声が落ちてきた。
「…………お前、あんま心配かけさせんな」
ユーリスは、出会った時から私のことを気にかけてくれる。他の誰も見ようとしない私の弱さを、ユーリスだけは見ていてくれた。それだけで、あの時の私は十分救われていたのだ。ごめんなさいと、小さな声で呟くが、何も返答がないから、違う言葉を重ねた。
「…………ユーリス。いつも、ありがとう」
その言葉にも何も返ってこなかったが、顔を見上げると少しだけ満足したように微笑んでいた。
星辰の節、舞踏会の夜。会場の外へ抜け出した私は冷たい空気の中、無数に輝く星空を見上げていた。去年の今日、教会が燃えた。まだ一年、もう、一年。どれだけ月日が経とうと、あの日を忘れることは決してない。
「教会のこと、思い出してるのか」
振り返らなくても声で誰か分かったから、空を見上げたままでいた。
「……こんな日まで、私のことなんて気にしなくてもいいのに」
「こんな日だからこそ、だろ」
「ユーリスって、過保護だと思うわ」
「ああ?どこが」
「心配しすぎよ。私、子供ではないのよ」
「こんなところで一人でいるから、わざわざ様子を見に来てやったんだよ」
「……やっぱり過保護よ」
この人はいつまで私の心配をし続けるのだろう。あの夜の炎を、何度も夢にみるけれど、なんとか、少しずつ、動けるようになって、未来のことも、少しずつ考えられるようになった。幸せ、というものがなんなのか、まだよく分からないけれど、少しずつ歩んで行った先で、少しずつ見つけて行ければいいと、そう思う。振り返るとユーリスはどこか神妙な顔つきで私を見ていた。この人の存在にどれだけ助けられてきたか思い返し、微笑む。
「ユーリス、私、強くなるわ。あなたが心配しなくても済むように」
「……それは、俺はもうお役御免、ってことか?」
「何それ、違うわよ。強くなって、いつか幸せになるから。ユーリスにはそれを見届けほしいのよ」
なんだかんだで、もう長い付き合いになる。それならいっそ、時には離れていてもいいから、私の行く道を確かめておいてほしい。それなのに、彼はどこか気まずそうに目を逸らした。
「……今更なんだが、そもそもお前、俺とつるんでていいのか?俺はならずものの頭領で、お前に最初近づいたのだって目的があったからだ。それでも、本当にいいのか?」
今更なことを言うので、つい笑ってしまった。そんな私をユーリスは訝しげに見つめる。
「何よ今更、人喰い燕さん。本名も明かさないあなたのこと、それでも信頼して家族とも友人とも思っているのよ。あなたこそ、私に愛想つかしたんじゃなければ、これからも私のことを見ていてよ。私も、ユーリスのこと見ているから」
「…………レイラ、お前」
僅かに目を瞠り、驚いた様子でいるユーリスをじっと見つめていると、彼は呆れたように息を吐いて、笑った。
「……そうだな、今更だよな」
「そうよ、今更よ」
「よし。いいぜ、見届けてやる。今更、お前から目を離すなんてできやしねえからな」
それは、私も同じことだ。ある日私の前に現れた少年は、いつの間にか心の片隅に居座ってしまった。目を奪われて、心を奪われた。きっとこれを、恋と呼ぶのだろう。今はまだ口にする覚悟はできていない。けれどいつの日か伝えられたら、受け入れてもらえたら、それはきっと、幸せと言えるだろう。未来がどうなるのかは、まだ分からない。分からないから、生きていくしかないのだ。
空を見上げれば星が瞬く。もしもあの子たちが私を見ているのなら、情けない姿を見せ続ける訳にはいかない。悲しみが消えることはないから、全て抱えたまま歩いていこう。
「いくらで依頼されたのかしら」
襲ってきた男に剣を突き付けて尋ねる。本職の暗殺者を雇わないのは金が足りないのか、ただの脅しのつもりなのか、送られてくるのは定職につかない金に困ったごろつきばかり。聞いた以上の情報をペラペラと話してくれる所は助かる。
「そう。引いてくれるなら、これ以上は何もしないけれど、どうする?」
男の白状した金額は大金とは言えない。依頼人に対する誠実さも、仕事を遂行する自尊心も持たないなら、いつもこれで引き上げていく。男は迷うことなく引くことを選び、昏倒した仲間に見向きもせずに逃げ出していった。金を出し惜しんでいる今の状態であれば対応しきれるが、果たして本職に依頼した時この命は無事にあるだろうか。
夜空を見上げると、たくさんの星が浮かんでいる。セイロス教の教えでは死者はあの星々の一つに迎えられるというが、もしもあの子たちが今の私を見ているのならどう思うだろうか。それともこんなに遠く隔てられていては私のことなど分からないかもしれない。光り輝く星と違って、夜の闇の中に溶け込むだけの存在にすぎないのだから。
(これで死んだら、みんな、怒るかしら)
人が死んだらどうなるかなんて、本当の所は誰にも分からないけれど。こんな風になってしまった私を見て欲しくはないなと思った。
兄の所業をいまだに糾弾しないのは、兄から跡継ぎの座を奪った罪悪感があるからだが、それ以上に、私を否定してくれるのが兄だけだから、というのもある。だって、誰も彼もが私を責めてくれないのだ。私に罪がないなんて、私自身は決して思わない。そんな中で兄だけは私を許さないでいてくれる。こうして罰を与えてくれる。だから兄を恨むことはないが、それでも、大人しく死んであげることはできない。生き残った以上、生きていかなくてはならないから。死んでいない以上、生きる努力をしなくてはならないから。生き残る努力をしなくてはならない。だから、この程度では死ねないのだ。ちゃんと死ぬまで、死ねない。
これは祝福だろうか、呪いだろうか。どちらにしても甘んじて受け入れる他、私にできることはなかった。
会いたくて、会いたくなかった人との再会は、思わぬ所でだった。部屋への帰り道、夜の闇の中、月の明かりがその人の姿を映し出す。教会近くの崖で別れて以来、もう長いこと、ずっと顔を合わせていなかった。それなのに、どうしてこんなところにいるのだろう呆然と立ち竦んで、俯く。合わせる顔なんて、あるわけがない。私は、何も出来なかった。ユーリスがくれた機会を無駄にして、守りたかったものを何一つ守れず、自分だけ生き残ってしまった。
「レイラ」
名を呼ばれて体が一瞬震えた。恐る恐る様子を窺うと、ユーリスは軽く手を広げてこちらを真っ直ぐ見ていた。まともに見ていられずすぐ視線を下に逸らした。
「ほら、来い」
「………………」
何も出来なかった私に、縋る資格などあるはずがない。拳を固く握りしめて、首を振る。瞼を閉じれば、いつだって燃え落ちる教会が脳裏を過ぎる。
「いいから来いって」
「………………」
頑なに首を振り続けていると、呆れたため息が聞こえてきた。私のことなど、もう放っておいてほしい。優しさに見合う人間ではないのだ。皆、皆死んでしまった。私が歌ったから、司祭様を止められなかったから、すぐにお金を用意できなかったから。全ての選択が、あの惨劇に繋がっている。私は何もかも間違えたのだ。
「ったく、強情な所は相変わらずだな。おい、レイラ。逃げるなよ」
そう言ってユーリスが足を踏み出す。逃げ出したい衝動と、子どもたちは誰一人逃げられなかったのに自分だけは逃げるのかという罪悪感で足が縫い止められたみたいに動かない。動揺している間にもう目の前まで来ていて、抱きしめられていた。確かな温もりに包まれて、絶望的な気持ちになる。ああ、駄目だ。この人は私を甘やかしてしまう。
「そんな顔するくらいなら、いっそ泣いちまえ」
「…………そんなことに、なんの意味があるの」
「いつまでもひでぇ面引っ提げてるよりはましな顔になるだろうよ。お前、昔から泣くの下手くそだからな、仕方ねえから俺が手伝ってやるよ」
ユーリスはいつもそうだ。いつもそうやって、泣かないでいる私に泣けと言ってくる。
行商の付き添いと称して、気まぐれにふらりと訪れる少年。どこから来て何をしているのかもはっきりしなかったが、よく、お土産を持ってきてくれて、色々な話をしてくれた。町のみんなにとって私は祝福された子で、教会の子達にとって私は姉で、けれどユーリスの前では、私は私でいられたように思う。思惑がなんであれ、ただのレイラとしていられたのだ。熱い涙が、ボロボロと零れて、頬を濡らしていく。嗚咽を堪えようとするが、上手くいかない。ユーリスが強く抱きしめてくれるから、もう何もかも耐えられなくなって彼にしがみついた。
「ゆ、ユーリス、み、みんな……死んでしまった。焼け死んでしまった。煙に、まかれて、みんな、みんな」
「…………ああ」
「わたしのかぞく、死んでしまった。ど、どうして?あと少しだったのに、なんで、司祭さま、どうしてあんな、あんなこと」
皆、優しい子たちばかりだった。いつも私を手伝ってくれて、無理をしないでと心配してくれて、姉として慕ってくれた。私の、家族。愛している。愛しているのだ。みんなのためならなんでもできた。なんでもしてやりたかった。おなかいっぱい食べさせて、綺麗な服を着せてやって、暖かい部屋で凍えることの無い穏やかな眠りを与えたかった。もう、何もかもかなわない。あの子たちはもういない。どうしてあんな惨いことを。司祭様が変わってしまったのは、やはり、私のせいなのだろう。私が、他の子どもとは違かったから。大金を集めてしまったから、全てを救えると勘違いして、その理想を悪夢に変えてしまったのだ。
「それにしたって士官学校に来るとは思いもしなかったぜ。部屋から出てこないって聞いてたが、よくここまで来れたもんだ」
「……義母のおかげで、なんとか。やることがあった方がいいだろうからって、教団と話をつけてくれたわ」
「夫人とは上手くやれてるんだな」
「妾腹の子なんて、普通は目障りなはずなのに、色々と気にかけてくれている。ありがたいことだわ。それより、ユーリスはどうしてここにいるの?」
まさか教団の膝元にいるだなんて思いもしなかったが、そもそも、ユーリスについて私が知っていることは多くない。何者なのかもいまいちよく分からないのだ。
「あー、まあ、いろいろあってだな」
「……そう。あなたも相変わらず秘密主義ね」
「……公爵家と繋がってたこと、怒ってるか?」
「怒る?まさか。あなたには、感謝してるわ」
あのまま結婚式に臨み自殺していたら、きっと司祭様は同じように教会に火をつけていた。それを回避出来たのに、結局、教会は炎に呑まれた。私には、なんの力もなかった。特別な存在でもなんでもない、ただの無力な小娘でしかなかった。
「……私は、私に怒っているのよ。何も出来ず、のうのうと一人生き残った……私自身に」
「…………」
ユーリスは眉を顰めた。何か文句を言いたそうな顔をしたが、大きなため息をついて手を伸ばすと私の頭をぐしゃぐしゃに掻き回した。
「ちょっと、何するのよ」
抗議をしてみるがユーリスは何も言わずにいる。やがて動きは止まり、頭に手を乗せたまま、ぽつりと呟くのが聞こえてきた。
「……それでも、お前が生きていてくれて、良かった」
「―――」
泣き止んだ筈が、また視界がぼやけてくる。誰も彼も、私を責めてはくれない。その優しさは、とても残酷で、痛かった。
遂に、というか、ようやく、というか、多少は腕の立つ人間に依頼をしたようだ。何とか生き残れはしたが、毒を使われたせいで体が痺れて頭がふらつく。解毒薬は服用したが、動きの悪い体を、壁を伝ってようやく歩いていたけれど、限界が近い。足から力が抜け、その場に崩れ落ちる。目が霞んできて、夜闇の中ではもう、まともに機能しない。意識が朦朧としていく中、幻覚を見た。それはユーリスの姿をしていて、随分都合のいい幻覚を見るものだとぼんやり思った。
「おい!しっかりしろ、レイラ!!」
幻覚は喋るものだっただろうか。その幻覚が回復魔法をかけてくれたところで視界が鮮明になってきた。
「…………ユー、リス」
それは幻覚ではなく確かに存在しているようで、こんな都合のいい現実があり得るはずないのに、実際に目の前にいるのはユーリスで、頭が混乱する。
「……お前、兄貴に命狙われてるってのは本当なのか」
「どうして、それを」
「そんなことどうだっていい。どうして俺にも何も言わねえんだ」
鋭い目付きに思わず目を逸らしてしまう。ユーリスは聞こえよがしに大きなため息をついた。
「公爵はこのこと知ってんのか」
「……知らせてはいないわ」
「だろうな。……この馬鹿!」
頭を叩かれて痛いと叫ぶ。手加減はしてくれているのだろうが痛いものは痛い。
「痛くて良かったなあ?死んでたら痛いのも分からねえもんな」
「……」
痛む頭をさする。そういえば、こんな風に叱ってくれるのも、昔からユーリスだけだった。
「おいこら、この状況で何笑っていやがる」
「私の兄は、やっぱりユーリスだけだなと思って」
そう言うとユーリスは驚いて、納得が行かないというように顰め面をした。不思議に思って眺めていると、彼は頭を手で掻きむしり、またため息をつくと片手で顔を覆った。
「……どうしたの?」
「…………どうしたもこうしたもねえわ。お前、死に急ぐのも大概にしとけよ」
「―――死に急いでなんか」
「いねえって、言えんのか」
「…………簡単に死ぬつもりは無いわ」
「それでも、死ぬ時は死ぬだろ。本当にいいのか。これで満足か」
皆、私に生きろという。生きて幸せになれという。痛くて、苦しくて、どうしようもないくらい辛いのに。本当は、いっそ、死んでしまいたい。そんなこと口に出せるわけもなく、ユーリスの強い眼差しに押し負けそうになって、俯いた。
「答えろ、レイラ。お前、本当はどうしたい。このままでいいのか」
「……私がこのまま黙っていれば、家から出た時に兄は何事もなく後継者に戻れる。兄から奪ったものを、全部返すことができる。だから、いいのよ。私はこのままでいい。兄のためには死んであげられないから、せめて、全てを返すその日まで付き合うわ」
士官学校を卒業したら、継承権を放棄して家を出ようと考えていた。お金のために貴族になった人間に、公爵も領主も務まる訳がない。私にはそんな資格がないのだ。顔を上げるとユーリスはなんとも言えないような顔をしていた。
「………………お前、本当に変わらねえな。そんなだから、限界が来るんだぜ」
「限界って……?」
「はあ、ったく、危なっかしくて見てらんねえよ」
「何をぶつぶつ言ってるのよ」
「誰のせいだ、誰の。……仕方がねえ、俺が根回ししてやる」
「……………………は?」
「あんたの暗殺依頼が割に合わない仕事だって噂を流せば、依頼を受ける奴も減るだろ。後は、そうだな……」
「……待って、ユーリスがそんなことまでする必要はないでしょう。これは私の問題よ」
ユーリスにはもう十分すぎるほど助けてもらっている。これ以上手を煩わせてはいけない。そう思うのに、ユーリスは怒気を孕んだ目で私を睨むように見た。
「人間、死ぬ時は死ぬんだぞ。ここで見過ごして、これ以上お前に何かあったら、俺がそいつを殺してやる。それでいいのか」
「…………どうしてそうなるの。よくないに決まってるでしょう」
「なら話は決まりだ」
どうしてユーリスはいつもこうなのだろう。伸びてきた手が、頭をぐしゃぐしゃと掻き回す。いつも一人で何とかしようとする私に、何の気負いもなく手を差し伸べてくれる。
「……ユーリスは、そうやっていつも私を甘やかそうとする」
「はあ?そう言って全然甘えてきた試しがねえだろ」
「……だって一度甘えたら、頼りきりになってしまいそうなんだもの」
誰かに頼りきりになった人間がどんな風になるのか、私はよく知っている。依存して、盲目的になって、自立心が薄れていく。そんな風にはなりたくない。私はもうこれ以上ユーリスの迷惑にはなりたくないのだ。
「……俺は別にそれで構わねえんだけどな」
「…………え?」
「なんでもねえよ。いいから口閉じてろ」
言われるがままにそうすると、あっという間に抱き上げられてしまった。いつになく近い距離にユーリスの顔があって、あまりの近さに呼吸が一瞬止まった。
「な、何してるの」
「何って、見りゃ分かんだろ」
「歩けるから、降ろして」
焦る私の言葉をユーリスが聞き入れてくれることはなく、それどころか何も言わずに黙り込んでしまった。気まずい思いをしながら宙に揺られていると、暫くして小さな声が落ちてきた。
「…………お前、あんま心配かけさせんな」
ユーリスは、出会った時から私のことを気にかけてくれる。他の誰も見ようとしない私の弱さを、ユーリスだけは見ていてくれた。それだけで、あの時の私は十分救われていたのだ。ごめんなさいと、小さな声で呟くが、何も返答がないから、違う言葉を重ねた。
「…………ユーリス。いつも、ありがとう」
その言葉にも何も返ってこなかったが、顔を見上げると少しだけ満足したように微笑んでいた。
星辰の節、舞踏会の夜。会場の外へ抜け出した私は冷たい空気の中、無数に輝く星空を見上げていた。去年の今日、教会が燃えた。まだ一年、もう、一年。どれだけ月日が経とうと、あの日を忘れることは決してない。
「教会のこと、思い出してるのか」
振り返らなくても声で誰か分かったから、空を見上げたままでいた。
「……こんな日まで、私のことなんて気にしなくてもいいのに」
「こんな日だからこそ、だろ」
「ユーリスって、過保護だと思うわ」
「ああ?どこが」
「心配しすぎよ。私、子供ではないのよ」
「こんなところで一人でいるから、わざわざ様子を見に来てやったんだよ」
「……やっぱり過保護よ」
この人はいつまで私の心配をし続けるのだろう。あの夜の炎を、何度も夢にみるけれど、なんとか、少しずつ、動けるようになって、未来のことも、少しずつ考えられるようになった。幸せ、というものがなんなのか、まだよく分からないけれど、少しずつ歩んで行った先で、少しずつ見つけて行ければいいと、そう思う。振り返るとユーリスはどこか神妙な顔つきで私を見ていた。この人の存在にどれだけ助けられてきたか思い返し、微笑む。
「ユーリス、私、強くなるわ。あなたが心配しなくても済むように」
「……それは、俺はもうお役御免、ってことか?」
「何それ、違うわよ。強くなって、いつか幸せになるから。ユーリスにはそれを見届けほしいのよ」
なんだかんだで、もう長い付き合いになる。それならいっそ、時には離れていてもいいから、私の行く道を確かめておいてほしい。それなのに、彼はどこか気まずそうに目を逸らした。
「……今更なんだが、そもそもお前、俺とつるんでていいのか?俺はならずものの頭領で、お前に最初近づいたのだって目的があったからだ。それでも、本当にいいのか?」
今更なことを言うので、つい笑ってしまった。そんな私をユーリスは訝しげに見つめる。
「何よ今更、人喰い燕さん。本名も明かさないあなたのこと、それでも信頼して家族とも友人とも思っているのよ。あなたこそ、私に愛想つかしたんじゃなければ、これからも私のことを見ていてよ。私も、ユーリスのこと見ているから」
「…………レイラ、お前」
僅かに目を瞠り、驚いた様子でいるユーリスをじっと見つめていると、彼は呆れたように息を吐いて、笑った。
「……そうだな、今更だよな」
「そうよ、今更よ」
「よし。いいぜ、見届けてやる。今更、お前から目を離すなんてできやしねえからな」
それは、私も同じことだ。ある日私の前に現れた少年は、いつの間にか心の片隅に居座ってしまった。目を奪われて、心を奪われた。きっとこれを、恋と呼ぶのだろう。今はまだ口にする覚悟はできていない。けれどいつの日か伝えられたら、受け入れてもらえたら、それはきっと、幸せと言えるだろう。未来がどうなるのかは、まだ分からない。分からないから、生きていくしかないのだ。
空を見上げれば星が瞬く。もしもあの子たちが私を見ているのなら、情けない姿を見せ続ける訳にはいかない。悲しみが消えることはないから、全て抱えたまま歩いていこう。