Paradise Lost
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王国西部、ロディ海岸南方沿いに位置する小さな港町の丘にその教会はあった。孤児院の役割を併せ持った、小さく貧しい教会だ。大人は司祭と修道女のみで、親も行き場もない子供たちが寄り添って生きていた。
腹は満足に満たされることはなく、着古した衣服を繕いながら身につける日々。それでも皆、本当の家族のように互いを愛し、慈しみあっていた。喧嘩もたくさんしたが、それ以上に笑い合う日々だった。
そう、私は幸せだった。満ち足りていたのだ。それが少しずつ、違っていったのは、一人の旅人を教会に泊めたあの日からだったと思う。賛美歌を歌う私を見て、興奮したように褒めそやしたあの旅人。
いつのまにか噂が流れ出して、小さな町にぽつりぽつりと観光客が増えていくようになった。彼らは教会へ訪れて賛美歌を聞き、その話を聞きつけて、寂れた港町にまた人が増えていく。少しずつ寄進が増えて、食事の量が増えた。司祭さまは更に孤児を引き取り、職のない浮浪者にパンを分け与えた。
教会は、段々と評判になっていった。私の歌はいつしか天上の歌声と呼ばれ、教会は慈しみの丘と呼ばれた。歌を聞きに来るもの、寄進をするもの、子供を捨てにくるもの、施しを受けにくるもの。いつしか皆で歌っていた賛美歌を、私一人だけが歌うようになっていた。その方が喜ばれるから、と。
そうして、あの男が私に目をとめた。それまでに受け取った寄進よりも遥かに多い額の金。豪商である男は教会の運営にも口を出すようになり、言葉巧みに教会の増築を取り付けた。子供たちが増えたので生活区域が手狭になっていたし、その金は男が立て替えるということだったので司祭様は頷いたのだ。
結婚をちらつかされたが、ずっと断り続けていると、寄進がぱったり止まった。立て替えるという話だった増築の資金も、事業が失敗しただのと虚言を吐いて用意出来ないと言われ、教会は途端に困窮した。
子供たちはあの頃よりも増え、乞食は教会にまるきり寄生していた。寄進が止まれば教会は立ち行かなくなる。西方教会からの援助もどうなるか分からない。
私が嫁げば、今まで通りの寄進を約束すると男は言った。もう、どうすることもできない。だから私は決めたのだ。だが、そうはならなかった。
身なりの良い格好をした男性が、私を見るなり目を見開き、私を産むと同時に亡くなった母の名を呟いた。その人は帝国の外務卿であり、私の父だと言った。その場で紋章の有無を調べられると、公爵家でもよく見られる種類の小紋章があることが発覚し、公爵よりもその周りの従者達が歓声を上げた。
そんな都合のいい話があるものか疑問だったが、私を育ててくれた礼として多額の寄進をしてくれるという事だったので、私は頷いた。貴族だというのなら、金は掃いて捨てるほどあるのだろうという打算からだった。
けれど一時的な寄進ではその場しのぎにしかならない。借金もある以上、早急にまとまった金額を用意する必要があった。
「やあ、話は聞いているよ。俺は君の、兄になるのかな。突然のことで戸惑うこともあるだろうけど、俺でよければ君の助けになるよ」
穏やかな微笑み、優しい声。腹違いの兄は予想外に歓迎的だった。紋章を持っているという理由で彼から嫡子の座を奪ってしまったと言うのにだ。弟の方は警戒心を顕にしていたが、兄はそれを窘めた。継母も、笑みを見せる人ではなかったが、何の含みもなく私に接してくれたし、使用人にもそれを徹底させてくれた。
父が何を考えているかはよくわからない。何せ金がいると言えば、ならば自力で工面しろと領地の運営を貴族の家に入ったばかりの娘に投げてくるような人だ。教会にいた頃は本の寄進もあったため勉強はしていたし、町の人たちからの相談事を引き受けていた経験もある。家庭教師もつけてくれたが、それでもやはり周囲はいい顔をしなかった。最終的な判断は父に委ねたが、外務卿として帝都に赴くことも多いので私が判断することも多かった。
いつからか、食事に毒が混ざるようになった。出かけの帰り道に野盗に襲われることが多くなった。それは兄の差し金によるものだとすぐに分かったが、追求することはしなかった。勝手な改革を推し進めていく中で、新しい次期領主に難色を示した領民が、次第に慕ってくれるようになってからのことだった。それまではまだ兄を領主に、という声が大きかった。
私の存在が優しく穏やかな兄を変えてしまったのだと知ったあの時の感情を、罪悪感と言うのだろう。それは家を出て士官学校に来た今でも燻り続けている。
そうこうしているうちに、事業は軌道に乗り、ようやくまとまった金が用意出来た。少しずつは毎月送っていたが、私欲に任せて領民から搾取するわけにもいかず、微々たるものでしかなかったのだ。けれどこれで借金を全額返すことができる。皆を楽にすることが出来る。気持ちがはやり馬車を出すと、街に辿り着いた時には既に夜で、翌実の朝一に会いに行こうと決めた。
宿の食事場にいた人達は私を覚えていて歓迎してくれたが、何か言おうとして結局首を横に振った。
後で知らされた事だが、その日の昼、教会では結婚式が行われていた。私の一つ下の、教会で一緒に育った女の子と、私に結婚を強要した豪商との結婚式。彼女は教会の困窮を憂い、以前の私と同じ選択をした。そして、悲劇が起きてしまった。
あの子と結婚の約束をしていた少年が、豪商を殺そうと教会に乗り込み、付き人に殺された。それを見たあの子は、少年の持っていたナイフを拾うと、それを心臓に突き刺したそうだ。
私は、何も知らなかった。あの子が既に死んでいたこと、何もかもが間に合わなかったこと、愚かな私は知らなかったのだ。全てが手遅れだった。
非常事態を知らせる鐘の音が鳴り響いて飛び起きた。宿の窓を開けると煙の匂いが漂ってきている。教会のある丘が、夜だというのに驚く程明るくなっていて、火が上がっていることが分かった。
羽織を引っ掴んで部屋を出ようとすると侍女のマリアに引き止められそうになったが、そんなのは気にならない程気が急いていた。
避難は出来ているのだろうか。まだ幼い子達も多いのに、何かありでもしたらと思うといてもたってもいられない。走って、走って、教会にたどり着いて愕然とした。もう、既に崩れかけている。
火は丸ごと教会を包み込み、全てを燃やしつくそうとしていた。周りを見ると野次馬と火消しばかりで司祭様はおろか子供たちの姿が1人も見当たらない。
「中の人達は!?」
自分の声じゃないような、ヒステリックな声が出た。
「あんた、レイラか!?それが誰も見当たらねぇんだよ!!」
「そんな、うそ、」
「おい危ねぇ!近づくな!」
「お、お嬢様!ま、待って!お待ちください!お嬢様!行ってはなりません!!」
ふらふらとと歩き出す私を、マリアがしがみつくように止める。建物の焼ける音、肌にひりつく熱気、崩れ落ちる屋根。これは、現実に起きていることなのだろうか。マリアを引きずって、教会へ近づく。燃え盛る炎、黒焦げになった柱、閉ざされたままの鉄扉。どうして、開いていないの。
「お嬢様!!危険です!離れてください!」
「離して!皆まだ中に居るのよ!」
「誰か!誰かこの方をお止めして!!」
後ろから強い力で体ごと引っ張られて遠ざかる。伸ばした手は宙を切るばかりでどこにも届かない。ずっと何かを叫んでいたが、何を言っているのか自分でも分からなかった。
気づけば屋敷の部屋にいた。手には、あの子からの手紙と司祭様からの手紙がぐしゃぐしゃになって握られていた。周りには、教会の皆から今まで送られてきた手紙が散乱していた。
あの子の手紙は、結婚の知らせが急になったことを詫びるものだった。それから、自分で決めたことだから心配しないでと。教会のことは気にしないでいいから幸せになってほしいと締めくくられていた。
司祭様の手紙は、贖罪だった。私を当てにして無作為に人を救済し、教会を困窮させ、遂にはあの子を死なせてしまったことを懺悔していた。そして、このままでは子供たちも路頭に迷うしかないから、一緒に連れていく、と書いてあった。私だけでも、幸せになってほしい、と。
他の手紙を読み返しても、皆、私が上手くやっているか、体は大丈夫か、気遣う内容ばかりで、こっちのことは気にしないで、幸せになってと。みんな、優しい子たちばかりで、どうして、あんな死に方をしなくちゃいけないの。どうして、どうして、どうして。全て、燃えて、なくなってしまった。
食事も喉を通らず、誰とも会話できない日々が続いた。何も考えたくなかったし、何も見たくなかった。
多分兄がお見舞いに来てくれた。私があまりに弱っているから、ここに来た日と同じ表情と声で私に語りかけてくれた。私が立ち直ったらまた戻ってしまったが。
だが、私が立てるようになったのは継母のおかげだった。彼女は私の手を握り、いつもの凛と透き通る声で私と向き合ってくれた。
「しっかりしなさい、レイラ。あなたがそうしていても、世界は何も変わらず進み続けるのです。あれからひと月が経ちました。あなたは立たなければなりません。立って、生きていかなくてはなりません。なぜならあなたは生きているからです。あなたの家族は、あなたの死を望まない。そんな方たちだからこそ、あなたはここにやって来て、あれだけのことをしてみせたのでしょう。レイラ、さあ、戻ってきなさい。悲しみ、苦しみながらも立ち上がって歩いて行くのです。残されたものにできるのはただそれだけしかできないのです」
「…………………このさき、どうやって生きていけばいいのか、私にはもう、分からないのです」
「分からないのであれば探しなさい。ずっと問い続けなさい。苦しみもがき続けるのです。いいですか、そうしていつか必ず、必ず、幸せにおなりなさい」
「あなたも、同じことを言うのですね」
「覚えておきなさい。あなたの幸福を願う人間がいることを。いいですね、あなたは死ぬまで精一杯生き抜くのです。それが生きているものの責務なのだから」
辛うじて頷く私を、継母は抱きしめてくれた。その温もりがあまりに優しすぎたから、泣いてしまったのを覚えている。
それから彼女は大修道院への渡りをつけ、士官学校へ入学させてくれた。あなたは何かやることがあった方がいいから、と言って。事実その通りで、忙しくしていた方が上手く息を吸うことができた。
私は結局、何も出来なかった。歌なんて、歌わなければよかった。そうすれば、貧しいままでも私たちは変わらず幸せで、寄り添いあって生きて行けたかもしれない。主のための歌を、金のために利用した罰が下ったのだ。それは私の罪なのに、私だけが生き残ってしまった。
過ぎたことをやり直すことできない。それなら、生き残った私は、償いをしていかなくてはならない。その方法は今はまだ分からないけれど、それを見つけて、行うことでしか前に進めないと思うのだ。だから士官学校での一年は、私にとってはいい機会となるだろう。様々な人間が出入りするここで、多くのことを学び、経験し、そして、答えを探すのだ。
先のことは分からないけれど、生き残った以上、生きていかなくてはならない。そうしていつか、失った幸せを、皆が願ってくれた幸せを、いつかは見つけられるように、今はただ、苦しみ続けよう。この胸の痛みが、私をどうにか持ち堪えさせてくれる。
罪を背負い、罰を受けて、生きていこう。幸福を失った世界でも、歩いていかなくてはならない。それが、私に課せられた責務なのだから。
腹は満足に満たされることはなく、着古した衣服を繕いながら身につける日々。それでも皆、本当の家族のように互いを愛し、慈しみあっていた。喧嘩もたくさんしたが、それ以上に笑い合う日々だった。
そう、私は幸せだった。満ち足りていたのだ。それが少しずつ、違っていったのは、一人の旅人を教会に泊めたあの日からだったと思う。賛美歌を歌う私を見て、興奮したように褒めそやしたあの旅人。
いつのまにか噂が流れ出して、小さな町にぽつりぽつりと観光客が増えていくようになった。彼らは教会へ訪れて賛美歌を聞き、その話を聞きつけて、寂れた港町にまた人が増えていく。少しずつ寄進が増えて、食事の量が増えた。司祭さまは更に孤児を引き取り、職のない浮浪者にパンを分け与えた。
教会は、段々と評判になっていった。私の歌はいつしか天上の歌声と呼ばれ、教会は慈しみの丘と呼ばれた。歌を聞きに来るもの、寄進をするもの、子供を捨てにくるもの、施しを受けにくるもの。いつしか皆で歌っていた賛美歌を、私一人だけが歌うようになっていた。その方が喜ばれるから、と。
そうして、あの男が私に目をとめた。それまでに受け取った寄進よりも遥かに多い額の金。豪商である男は教会の運営にも口を出すようになり、言葉巧みに教会の増築を取り付けた。子供たちが増えたので生活区域が手狭になっていたし、その金は男が立て替えるということだったので司祭様は頷いたのだ。
結婚をちらつかされたが、ずっと断り続けていると、寄進がぱったり止まった。立て替えるという話だった増築の資金も、事業が失敗しただのと虚言を吐いて用意出来ないと言われ、教会は途端に困窮した。
子供たちはあの頃よりも増え、乞食は教会にまるきり寄生していた。寄進が止まれば教会は立ち行かなくなる。西方教会からの援助もどうなるか分からない。
私が嫁げば、今まで通りの寄進を約束すると男は言った。もう、どうすることもできない。だから私は決めたのだ。だが、そうはならなかった。
身なりの良い格好をした男性が、私を見るなり目を見開き、私を産むと同時に亡くなった母の名を呟いた。その人は帝国の外務卿であり、私の父だと言った。その場で紋章の有無を調べられると、公爵家でもよく見られる種類の小紋章があることが発覚し、公爵よりもその周りの従者達が歓声を上げた。
そんな都合のいい話があるものか疑問だったが、私を育ててくれた礼として多額の寄進をしてくれるという事だったので、私は頷いた。貴族だというのなら、金は掃いて捨てるほどあるのだろうという打算からだった。
けれど一時的な寄進ではその場しのぎにしかならない。借金もある以上、早急にまとまった金額を用意する必要があった。
「やあ、話は聞いているよ。俺は君の、兄になるのかな。突然のことで戸惑うこともあるだろうけど、俺でよければ君の助けになるよ」
穏やかな微笑み、優しい声。腹違いの兄は予想外に歓迎的だった。紋章を持っているという理由で彼から嫡子の座を奪ってしまったと言うのにだ。弟の方は警戒心を顕にしていたが、兄はそれを窘めた。継母も、笑みを見せる人ではなかったが、何の含みもなく私に接してくれたし、使用人にもそれを徹底させてくれた。
父が何を考えているかはよくわからない。何せ金がいると言えば、ならば自力で工面しろと領地の運営を貴族の家に入ったばかりの娘に投げてくるような人だ。教会にいた頃は本の寄進もあったため勉強はしていたし、町の人たちからの相談事を引き受けていた経験もある。家庭教師もつけてくれたが、それでもやはり周囲はいい顔をしなかった。最終的な判断は父に委ねたが、外務卿として帝都に赴くことも多いので私が判断することも多かった。
いつからか、食事に毒が混ざるようになった。出かけの帰り道に野盗に襲われることが多くなった。それは兄の差し金によるものだとすぐに分かったが、追求することはしなかった。勝手な改革を推し進めていく中で、新しい次期領主に難色を示した領民が、次第に慕ってくれるようになってからのことだった。それまではまだ兄を領主に、という声が大きかった。
私の存在が優しく穏やかな兄を変えてしまったのだと知ったあの時の感情を、罪悪感と言うのだろう。それは家を出て士官学校に来た今でも燻り続けている。
そうこうしているうちに、事業は軌道に乗り、ようやくまとまった金が用意出来た。少しずつは毎月送っていたが、私欲に任せて領民から搾取するわけにもいかず、微々たるものでしかなかったのだ。けれどこれで借金を全額返すことができる。皆を楽にすることが出来る。気持ちがはやり馬車を出すと、街に辿り着いた時には既に夜で、翌実の朝一に会いに行こうと決めた。
宿の食事場にいた人達は私を覚えていて歓迎してくれたが、何か言おうとして結局首を横に振った。
後で知らされた事だが、その日の昼、教会では結婚式が行われていた。私の一つ下の、教会で一緒に育った女の子と、私に結婚を強要した豪商との結婚式。彼女は教会の困窮を憂い、以前の私と同じ選択をした。そして、悲劇が起きてしまった。
あの子と結婚の約束をしていた少年が、豪商を殺そうと教会に乗り込み、付き人に殺された。それを見たあの子は、少年の持っていたナイフを拾うと、それを心臓に突き刺したそうだ。
私は、何も知らなかった。あの子が既に死んでいたこと、何もかもが間に合わなかったこと、愚かな私は知らなかったのだ。全てが手遅れだった。
非常事態を知らせる鐘の音が鳴り響いて飛び起きた。宿の窓を開けると煙の匂いが漂ってきている。教会のある丘が、夜だというのに驚く程明るくなっていて、火が上がっていることが分かった。
羽織を引っ掴んで部屋を出ようとすると侍女のマリアに引き止められそうになったが、そんなのは気にならない程気が急いていた。
避難は出来ているのだろうか。まだ幼い子達も多いのに、何かありでもしたらと思うといてもたってもいられない。走って、走って、教会にたどり着いて愕然とした。もう、既に崩れかけている。
火は丸ごと教会を包み込み、全てを燃やしつくそうとしていた。周りを見ると野次馬と火消しばかりで司祭様はおろか子供たちの姿が1人も見当たらない。
「中の人達は!?」
自分の声じゃないような、ヒステリックな声が出た。
「あんた、レイラか!?それが誰も見当たらねぇんだよ!!」
「そんな、うそ、」
「おい危ねぇ!近づくな!」
「お、お嬢様!ま、待って!お待ちください!お嬢様!行ってはなりません!!」
ふらふらとと歩き出す私を、マリアがしがみつくように止める。建物の焼ける音、肌にひりつく熱気、崩れ落ちる屋根。これは、現実に起きていることなのだろうか。マリアを引きずって、教会へ近づく。燃え盛る炎、黒焦げになった柱、閉ざされたままの鉄扉。どうして、開いていないの。
「お嬢様!!危険です!離れてください!」
「離して!皆まだ中に居るのよ!」
「誰か!誰かこの方をお止めして!!」
後ろから強い力で体ごと引っ張られて遠ざかる。伸ばした手は宙を切るばかりでどこにも届かない。ずっと何かを叫んでいたが、何を言っているのか自分でも分からなかった。
気づけば屋敷の部屋にいた。手には、あの子からの手紙と司祭様からの手紙がぐしゃぐしゃになって握られていた。周りには、教会の皆から今まで送られてきた手紙が散乱していた。
あの子の手紙は、結婚の知らせが急になったことを詫びるものだった。それから、自分で決めたことだから心配しないでと。教会のことは気にしないでいいから幸せになってほしいと締めくくられていた。
司祭様の手紙は、贖罪だった。私を当てにして無作為に人を救済し、教会を困窮させ、遂にはあの子を死なせてしまったことを懺悔していた。そして、このままでは子供たちも路頭に迷うしかないから、一緒に連れていく、と書いてあった。私だけでも、幸せになってほしい、と。
他の手紙を読み返しても、皆、私が上手くやっているか、体は大丈夫か、気遣う内容ばかりで、こっちのことは気にしないで、幸せになってと。みんな、優しい子たちばかりで、どうして、あんな死に方をしなくちゃいけないの。どうして、どうして、どうして。全て、燃えて、なくなってしまった。
食事も喉を通らず、誰とも会話できない日々が続いた。何も考えたくなかったし、何も見たくなかった。
多分兄がお見舞いに来てくれた。私があまりに弱っているから、ここに来た日と同じ表情と声で私に語りかけてくれた。私が立ち直ったらまた戻ってしまったが。
だが、私が立てるようになったのは継母のおかげだった。彼女は私の手を握り、いつもの凛と透き通る声で私と向き合ってくれた。
「しっかりしなさい、レイラ。あなたがそうしていても、世界は何も変わらず進み続けるのです。あれからひと月が経ちました。あなたは立たなければなりません。立って、生きていかなくてはなりません。なぜならあなたは生きているからです。あなたの家族は、あなたの死を望まない。そんな方たちだからこそ、あなたはここにやって来て、あれだけのことをしてみせたのでしょう。レイラ、さあ、戻ってきなさい。悲しみ、苦しみながらも立ち上がって歩いて行くのです。残されたものにできるのはただそれだけしかできないのです」
「…………………このさき、どうやって生きていけばいいのか、私にはもう、分からないのです」
「分からないのであれば探しなさい。ずっと問い続けなさい。苦しみもがき続けるのです。いいですか、そうしていつか必ず、必ず、幸せにおなりなさい」
「あなたも、同じことを言うのですね」
「覚えておきなさい。あなたの幸福を願う人間がいることを。いいですね、あなたは死ぬまで精一杯生き抜くのです。それが生きているものの責務なのだから」
辛うじて頷く私を、継母は抱きしめてくれた。その温もりがあまりに優しすぎたから、泣いてしまったのを覚えている。
それから彼女は大修道院への渡りをつけ、士官学校へ入学させてくれた。あなたは何かやることがあった方がいいから、と言って。事実その通りで、忙しくしていた方が上手く息を吸うことができた。
私は結局、何も出来なかった。歌なんて、歌わなければよかった。そうすれば、貧しいままでも私たちは変わらず幸せで、寄り添いあって生きて行けたかもしれない。主のための歌を、金のために利用した罰が下ったのだ。それは私の罪なのに、私だけが生き残ってしまった。
過ぎたことをやり直すことできない。それなら、生き残った私は、償いをしていかなくてはならない。その方法は今はまだ分からないけれど、それを見つけて、行うことでしか前に進めないと思うのだ。だから士官学校での一年は、私にとってはいい機会となるだろう。様々な人間が出入りするここで、多くのことを学び、経験し、そして、答えを探すのだ。
先のことは分からないけれど、生き残った以上、生きていかなくてはならない。そうしていつか、失った幸せを、皆が願ってくれた幸せを、いつかは見つけられるように、今はただ、苦しみ続けよう。この胸の痛みが、私をどうにか持ち堪えさせてくれる。
罪を背負い、罰を受けて、生きていこう。幸福を失った世界でも、歩いていかなくてはならない。それが、私に課せられた責務なのだから。