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ビリーの調べによると、フェイスに本命ができたのではないかと彼女達が殺気立っているらしい。
最近は前よりも真面目に任務に取り込んでいるせいもあるだろうから、私が本命とはまだ言いきれない。それでも比重が重くなっているのは確かだろう。
問題は、この情報をどう処理するかだ。大事になる前に身辺整理をさせておいた方がいいとは思うが、ウエストのメンターにそれとなく様子を見るよう指示した方がいいだろうか。これは果たして公私混同になるだろうか。
「はい、口開けて」
悩んでいる途中、その悩みの種の当人に言われるままに口を開くと、舌先にショコラが乗せられた。体温でじわりと溶ける甘さに意識が集中する。パトロール中に差し入れを貰ったらしく、報告のついでに持ってきたのだ。こちらの悩みも知らずにフェイスも同じくそれを口に運んだ。
「うん、おいしい♪ここの、お気に入りなんだ。どう?」
「………おいしいわ」
糖分が脳に染み入る。小さな物量は既に溶けてなくなってしまった。名残惜しいと思ったのが顔に出たのか、フェイスは機嫌良さそうに笑った。
「はい」
もう一個差し出されたが、首を振った。
「あなたが貰ったものでしょう。ひとつくれただけで十分よ。ありがとう」
「気にしないでいいよ。ほら、食べて」
フェイスは楽しそうに押し付けてくる。この甘みは麻薬と一緒だ。一度味わうと、もっと欲しくなってしまう。人間にとって欲望を押さえつけるのは至難の業だ。
「いつも頑張ってるご褒美だよ。それとも、別のものがいい?」
含みを持たせる視線をひと睨みして、差し出されたままのショコラを口に含む。甘くて、依存性がある。いつの間にか頭の中に住みついてしまった彼と同じだ。困ったことになってきてしまった。
「仕事中にからかわない」
「アハ、ごめんね。いつも振り回されてるから、たまには動揺させたくて、つい」
「そんなことしたかしら」
「そうだよ。あなたの言葉に動揺して、どきどきして、いつの間にか夢中にさせられて……」
指先が唇に触れて、なぞるように動く。こんな場所でそんな触れ方をするなと注意しようとすると、その前に指を離してそれをそのまま自らの唇に触れさせた。
「……こんなに好きになるなんて、思わなかった」
こういう関係になる時も、今も、好きとは一言も言われた覚えがない。それを、仕事中のこのタイミングで、そんなに愛おしそうな顔をして言うのか。
呆然として、顔が熱くなる。何を言われても動揺しない自信はあったけれど、今のはあまりに不意打ちすぎて、思わず固まってしまった。主導権を握っていると油断して、安心していたのだ。
フェイスはそんな私を見て、同じように固まり、それから動揺の声をあげた。
「……えっ?」
「……」
「嘘、なんで?」
まさかたった一言でこんなことになるだなんて誰が思うだろう。自分でさえも予想外だ。熱の引かない顔を手で隠そうとすると、その前に手首を掴まれて阻まれた。彼は目を見開いたまままじまじとこちらを見つめるから、他にやりようのない私はせめてもと目線を下に落とした。
「……好きだよ」
耳に届く、短い音の響きでどうしてこんなに鼓動が跳ねるのか。
「あなたのことが、好き」
「…………聞こえてるわ」
「うん。でも、言わせてよ。あなたがどんな反応するのか怖くて、今まで言えなかったんだからさ」
顎に手がかかり、再び目が合う。ああ、そんな風に私を見ないでほしい。逃げ出したくなるけれど、仮に歩けたとしてもきっと実行することはできなかっただろう。真っ直ぐこちらを射抜く瞳から、目をそらすことすらできない。
「……好きだよ、レイラ」
恋なのか、愛なのか、そんなことはもう、瑣末なことでしかなくなっていた。だっていつの間にか、気づいたらもう、目を離せない。心を奪われてしまったら、もう戻れないのだから。
ここでようやく、はっきりとした。私は選択を誤ったのだ。
好きなんて言葉、真剣に言ったことなんて1度もなかった。
たくさんいる彼女達の「私の事、好き?」の言葉に、適当に返す「好き」の一言。
そもそも、自分から関係を誘うこともなかった。いつも声をかけられて、告白されて、断るのも面倒だから頷いてたらいつの間にか彼女が増えていく。
だから、自分から進んで行動を起こしたのは、司令がはじめてだった。お堅い雰囲気のくせして手なんて振り返して、朝帰りを咎めないから、面白くて、興味をもった。口うるさく言わなくて、 落ち着いた雰囲気が傍に居ると不思議と心地よかった。
それなのに期待しているとか言われて、やめて欲しいと思ったのに、何故かその言葉が耳に残って離れない。ヒーローになってと、握られた手の温かさを覚えている。
複数の女の子と遊んでる自分を棚に上げて、男とただ話してるだけで心がモヤモヤすることもあった。自分だけ見て欲しいとか、期待されたいけどしないで欲しいとか、そんな面倒な感情を持て余して、挙句、冗談めかして引っ込めておいた言葉をもう一度口にする羽目になった。
今思うと、司令にはかっこ悪い所しか見せていないのに、何故か条件付きで了承された。
誰にも話さない。それはこちらにも好都合だったけれど、今ではそれが不安の種になりつつある。そういう関係になったのに何もしない日々が続き、それでもようやく先に進めて、本当にこの人のことが好きなのだとわかった。
今まで気付かないというか、こんなことはきっとないと思っていたけれど、いつの間にかこんなにも好きになっていた。こんなことは初めてで、浮かれもしたけれど、気づいてしまった。その一言を言われたことは今まで一度もなかった。
「……好きだよ」
その一言で普段の冷静さが崩れ落ちるのに、彼女は嫌だというように首を横に振る
「好き。大好き」
「………言わないで」
挙句の果てにこれだ。いつもはあんなに余裕のある態度を見せておいて、今では全く繕えていないくせに、そんなことを言う。
「どうして?」
いつもは真っ直ぐに目を合わせてくるのに、少しもこちらを見てくれない。受け入れてくれたのはそっちなのに、好きと言い出した途端逃げ腰になるのなら、いっそのことその理性を完全に引き剝がしてしまいたかった。
押し黙ったままのレイラの手を握ると、肩が一瞬震えてようやく目が合った。
「好きだよ、レイラ」
瞳が動揺に揺れるけれど、その目は再び閉じることも逸らすこともなくこちらを見つめている。どうして泣きそうな顔をしているのか気になったけれど、それを聞けば、全てが終わってしまうような気がした。
早く手を打たなければならないのは分かっていた。こうなった以上きちんと話をしなくてはならないということも。それなのに手をこまねいていたのは、ひとえに私の覚悟が足りていないせいだった。
「君もルシアも、隠し事をしている」
現在エリオスの広報部で働いている学生時代からの友人から話があると言われ、真剣な顔をしてそんなことを言われた。どこから嗅ぎつけてきたか知らないが、この様子だと内容は知られてしまっているのだろう。
「……こんなところでそんな話しないで」
夜の屋上に人影は見られないが、誰も来ないとは限らない。機密事項なのだから聞かれてはまずい。
「君が逃げるからじゃないか。……この間、偶然聞いたんだよ。君の身体を動かしているサブスタンスは、時限爆弾と同じだって。寿命を縮めてまで何をしようって言うんだ……」
「……これがなければ、私は今も寝たきりの状態で人の手がないと生きることさえままならない。そんな状態、何ができるっていうの。私には、やることがあるのよ」
やりたいこと、やるべきこと、いくらでもある。それができないままただ息をしているだけなんて、そんな残酷な世界で生きたいとは、私には思えなかった。
「いくら探しても、シリルはもう死んだんだよ」
「家族とも話して決めたことよ。皆、私の意志を尊重してくれた。あと数年、生きられるうちに、やれるだけのことはやる。シリルのことはそのうちの一つにすぎないわ」
私にできることは、限られている。けれど、しない言い訳にはならない。仲間内で一番優しかった友人は何か言いかけて、そして、悲しそうな顔をして俯いた。
「……君って人は……本当に変わらないね」
「まだ、身体に馴染む可能性は残ってる。それに、ルシアがなんとかするって言うから。期待はしないけど、任せることにした」
「……それは、ルシアも大変だ」
寂し気に、辛うじて微笑んだ友人を慰める術を、私は持っていない。だからせめて、後悔などしていないと示すべく笑ってみせた。
「心配をかけて、ごめんなさい。でも、大丈夫よ。私は、大丈夫」
友人は泣き出しそうな声で、どうして君たちだけがこんな目に合わないといけないんだ、と声を絞り出した。
私たちだけではない。何事もなく平和に生活している人がいる一方、痛みを受けた人たちも多くいる。過去は変えられないし、痛みが薄れるのには時間がかかるかもしれない。けれど、今はまだやれることがあるし、未来はまだ、これからだ。だから私は、ここにいる。
話が終わった後も屋上に残り、ぼんやりと星を眺める。ようやく、思い出した。私には時間がないのだ。それなら、もう潮時だろう。終わりにしなればならないことがある。
明日話をしよう。そう思い帰ろうとした時、暗がりに誰かいることにようやく気が付いた。目が合って、私は本当にとんでもないことをしてしまったのだと、そう思った。
「寿命を縮めるって、何」
こちらを見上げる強ばった顔は蒼白で、車椅子を握りしめる手は震えている。友人に知られたのは誤算で、それを聞かれてしまったのは失態だった。本当は、何も話さないで関係を断ち切ろうと思っていたのに、ぐずぐずしているから機を逃してしまった。
「……ごめんね」
「……なんで……どうして……どういうことなの」
「……ごめんね」
謝罪を繰り返す。シリルの所在が判明したあの日、本当は断るべきだったのだと、今は分かる。気まぐれに受け入れてしまったせいで、彼にいらぬ痛みを与えてしまうことになるだなんて、あの時には分からなかった。これ程続くとは思っていなかったのだ。
「謝らないでよ。何が何だか、分からないよ。ちゃんと説明して」
見開いたままの瞳を静かに見つめる。私の事などすぐに飽きて、それで終わりになると思っていた。
「―――ビルの倒壊に巻き込まれて、首から下が動かなくなった。これだけ動けるようになったのはサブスタンスの効果によるけれど、その代わり、長くは生きられないと、言われているわ」
愕然とした表情。こんな顔をさせずに済む方法はいくらでもあった。それをしなかったのは、できなかったのは、この子の存在が日増しに大きくなって、そうしていつの間にか愛しいと思ってしまったから。気づいた時にはもう手遅れになってしまった。
「いつ死ぬか分からない身で、何も言わずに関係を持ってしまったこと、不誠実だったと謝罪するわ。どうせすぐに飽きて、終わりになるだろうと、あなたをみくびっていたことも。……好きと言ってくれて、ありがとう。けれど、これ以上はあなたが苦しむ。この関係は解消しましょう」
「―――なに、それ」
「あなたにはこの先、たくさんの可能性がる。私のこの不自由な体に、残された時間は多くない。私は、あなたに何もしてあげられないわ。何も、残してあげられない。だから、私のことはもう、やめておきなさい」
ようやくこの言葉を告げることができた。フェイスはしばらくの間呆然としていたが、やがて下を向く。その瞳から涙が一粒地面へ落ちていくのを目撃し、私は大いに驚かされた。一つ、また一つと零れていく。
「……身体に馴染む可能性があるって、言ったよね」
涙に気を取られて、反応が遅れる。
「……ルシアが研究、頑張ってるんでしょ」
再び顔が上がって、思わず息を呑んだ。強い眼差しに射抜かれる。手の震えは既にとまっていた。
「俺が苦しむって、このまま終わりにされる方が苦しいよ。俺は、あなたのこと本気で好きなのに」
この子は、随分変わった。成長したと思う。対して私は、どうだろう。
自分の意思で動かせる身体の機能を殆ど失い、病室のベッドの上で幼なじみの親友が死んだと聞かされた失意の日々。サブスタンスを移植する臨床試験を持ちかけられ、一も二もなく頷いた。結果車椅子を用いれば動ける程回復したけれど、経過観察の結果、それは私の身体に重大な負担を掛けることが判明し、取り除かなければ長くは生きられないと宣告された。
崩れ落ちる義母の泣き声を聴きながら、それでも仮初の自由を手放すことはしなかった。それはイクリプスによる被害を看過出来なかったからで、遺体なき親友を見つけるためで、他のことをしている隙間なんてどこにもなかったはずなのに。
あの日、シリルが生きていると分かって、綻びができた。繕う前に絆された。あの時も、今も、私には覚悟がなかった。ただ、手に入れてしまいたいという欲しかなかった。刻一刻と迫る寿命の中で、無責任にそう思ってしまった。それなら、私が始めたことだ。自分から逃げ出してはならない。
「……可能性があるとしても、現時点で打開策はない。このままでは、私は必ず死ぬわ。その間、私に付き合う覚悟が、あなたにあるの?」
見上げる瞳に迷いがあれば、どう言葉を尽くされようと突き放す気でいた。けれど、痛いほど真っ直ぐに見つめてくるから、言葉よりも明瞭に伝わってくる。
「あなた以上に特別な人は、きっともう現れない。だから、傍にいさせてよ。どうか、俺を選んで」
手を両手で握られて、希うように額に当てられた。
終わりの時は必ず訪れる。それがいつ、どんなものになるかは誰にも分からない。ならば今できることは、私自身が覚悟することだけだ。どんな結末になるとしても、信じて受け入れよう。まだ時間は残されているのだから。
「フェイス」
名を呼ぶ。気まぐれだったはずなのに。すぐ終わると思っていたのに。
「さっきの言葉は撤回する。今はまだ、このままで」
「…………好きって言ってくれないんだ」
「現状では責任をとれないから。やめたければ好きにしなさい。止めないし、むしろ推奨しておくわ」
「責任って……今更やめるわけないでしょ。…………ハア、なんだかいつも振り回されてばっかり」
「それなのに、どうして私を選ぼうとするのかしら」
「信じて貰えてないようだから何度でも言うけど。俺は、レイラのことが好きなんだよ。他の誰でもない、あなたのことが。理由なんて、それだけで十分じゃない?」
それでも、望む言葉は言ってあげられない。引き返す道を、残してあげないとならないから。いつか嫌気が差して私の元を去るか、私の命が続く世界がやってくるまでは。
黙っていると、フェイスは仕方なさそうに微笑んだ。
「言わなくてもいいよ。傍にいることを許してくれているのがその証拠だって、今はちゃんと分かるから」
「……」
「恋愛するつもりは無いって言ってたのを、その気にさせた時点で俺の勝ち。そういうことでしょ」
そう、全てはあの時に決まってしまっていたのだろう。頷いてしまった時にはもう既に。
「…………それなら、体のことが解決出来て、まだあなたの気持ちが変わらないのなら、その時は私の逆転勝ちでいいわよね」
「アハ、何それ。……いいよ、全面降伏してあげる」
いずれ死ぬのなら、それはそれで仕方ないと思っていた。せめてその時までにできることをして、それでどうしようもなければ仕方ないと。自分の道筋を描く際に、必ず諦めがついてまわった。
「……まだ、時間はあるから。生き残って、その時には、欲しいものを遠慮なく手に入れるわ」
言いながら手を伸ばして、涙の跡が残る頬に触れると、穏やかな微笑みが驚きに変わり、頬が赤く染まっていく。
「……俺、もう既に敵う気がしないんだけど」
目を逸らしてそんなことを言うから思わず笑ってしまうと、フェイスは笑わないでよと不貞腐れたように言った。
―――死にたくない。
そんなこと、今まで考えたこともないのに。そう思わせてくれる存在に出会えたのは、幸運なことなのか、それとも不幸なことなのか。どちらにせよ、私にとっては特別な存在であることに変わりはなかった。
最近は前よりも真面目に任務に取り込んでいるせいもあるだろうから、私が本命とはまだ言いきれない。それでも比重が重くなっているのは確かだろう。
問題は、この情報をどう処理するかだ。大事になる前に身辺整理をさせておいた方がいいとは思うが、ウエストのメンターにそれとなく様子を見るよう指示した方がいいだろうか。これは果たして公私混同になるだろうか。
「はい、口開けて」
悩んでいる途中、その悩みの種の当人に言われるままに口を開くと、舌先にショコラが乗せられた。体温でじわりと溶ける甘さに意識が集中する。パトロール中に差し入れを貰ったらしく、報告のついでに持ってきたのだ。こちらの悩みも知らずにフェイスも同じくそれを口に運んだ。
「うん、おいしい♪ここの、お気に入りなんだ。どう?」
「………おいしいわ」
糖分が脳に染み入る。小さな物量は既に溶けてなくなってしまった。名残惜しいと思ったのが顔に出たのか、フェイスは機嫌良さそうに笑った。
「はい」
もう一個差し出されたが、首を振った。
「あなたが貰ったものでしょう。ひとつくれただけで十分よ。ありがとう」
「気にしないでいいよ。ほら、食べて」
フェイスは楽しそうに押し付けてくる。この甘みは麻薬と一緒だ。一度味わうと、もっと欲しくなってしまう。人間にとって欲望を押さえつけるのは至難の業だ。
「いつも頑張ってるご褒美だよ。それとも、別のものがいい?」
含みを持たせる視線をひと睨みして、差し出されたままのショコラを口に含む。甘くて、依存性がある。いつの間にか頭の中に住みついてしまった彼と同じだ。困ったことになってきてしまった。
「仕事中にからかわない」
「アハ、ごめんね。いつも振り回されてるから、たまには動揺させたくて、つい」
「そんなことしたかしら」
「そうだよ。あなたの言葉に動揺して、どきどきして、いつの間にか夢中にさせられて……」
指先が唇に触れて、なぞるように動く。こんな場所でそんな触れ方をするなと注意しようとすると、その前に指を離してそれをそのまま自らの唇に触れさせた。
「……こんなに好きになるなんて、思わなかった」
こういう関係になる時も、今も、好きとは一言も言われた覚えがない。それを、仕事中のこのタイミングで、そんなに愛おしそうな顔をして言うのか。
呆然として、顔が熱くなる。何を言われても動揺しない自信はあったけれど、今のはあまりに不意打ちすぎて、思わず固まってしまった。主導権を握っていると油断して、安心していたのだ。
フェイスはそんな私を見て、同じように固まり、それから動揺の声をあげた。
「……えっ?」
「……」
「嘘、なんで?」
まさかたった一言でこんなことになるだなんて誰が思うだろう。自分でさえも予想外だ。熱の引かない顔を手で隠そうとすると、その前に手首を掴まれて阻まれた。彼は目を見開いたまままじまじとこちらを見つめるから、他にやりようのない私はせめてもと目線を下に落とした。
「……好きだよ」
耳に届く、短い音の響きでどうしてこんなに鼓動が跳ねるのか。
「あなたのことが、好き」
「…………聞こえてるわ」
「うん。でも、言わせてよ。あなたがどんな反応するのか怖くて、今まで言えなかったんだからさ」
顎に手がかかり、再び目が合う。ああ、そんな風に私を見ないでほしい。逃げ出したくなるけれど、仮に歩けたとしてもきっと実行することはできなかっただろう。真っ直ぐこちらを射抜く瞳から、目をそらすことすらできない。
「……好きだよ、レイラ」
恋なのか、愛なのか、そんなことはもう、瑣末なことでしかなくなっていた。だっていつの間にか、気づいたらもう、目を離せない。心を奪われてしまったら、もう戻れないのだから。
ここでようやく、はっきりとした。私は選択を誤ったのだ。
好きなんて言葉、真剣に言ったことなんて1度もなかった。
たくさんいる彼女達の「私の事、好き?」の言葉に、適当に返す「好き」の一言。
そもそも、自分から関係を誘うこともなかった。いつも声をかけられて、告白されて、断るのも面倒だから頷いてたらいつの間にか彼女が増えていく。
だから、自分から進んで行動を起こしたのは、司令がはじめてだった。お堅い雰囲気のくせして手なんて振り返して、朝帰りを咎めないから、面白くて、興味をもった。口うるさく言わなくて、 落ち着いた雰囲気が傍に居ると不思議と心地よかった。
それなのに期待しているとか言われて、やめて欲しいと思ったのに、何故かその言葉が耳に残って離れない。ヒーローになってと、握られた手の温かさを覚えている。
複数の女の子と遊んでる自分を棚に上げて、男とただ話してるだけで心がモヤモヤすることもあった。自分だけ見て欲しいとか、期待されたいけどしないで欲しいとか、そんな面倒な感情を持て余して、挙句、冗談めかして引っ込めておいた言葉をもう一度口にする羽目になった。
今思うと、司令にはかっこ悪い所しか見せていないのに、何故か条件付きで了承された。
誰にも話さない。それはこちらにも好都合だったけれど、今ではそれが不安の種になりつつある。そういう関係になったのに何もしない日々が続き、それでもようやく先に進めて、本当にこの人のことが好きなのだとわかった。
今まで気付かないというか、こんなことはきっとないと思っていたけれど、いつの間にかこんなにも好きになっていた。こんなことは初めてで、浮かれもしたけれど、気づいてしまった。その一言を言われたことは今まで一度もなかった。
「……好きだよ」
その一言で普段の冷静さが崩れ落ちるのに、彼女は嫌だというように首を横に振る
「好き。大好き」
「………言わないで」
挙句の果てにこれだ。いつもはあんなに余裕のある態度を見せておいて、今では全く繕えていないくせに、そんなことを言う。
「どうして?」
いつもは真っ直ぐに目を合わせてくるのに、少しもこちらを見てくれない。受け入れてくれたのはそっちなのに、好きと言い出した途端逃げ腰になるのなら、いっそのことその理性を完全に引き剝がしてしまいたかった。
押し黙ったままのレイラの手を握ると、肩が一瞬震えてようやく目が合った。
「好きだよ、レイラ」
瞳が動揺に揺れるけれど、その目は再び閉じることも逸らすこともなくこちらを見つめている。どうして泣きそうな顔をしているのか気になったけれど、それを聞けば、全てが終わってしまうような気がした。
早く手を打たなければならないのは分かっていた。こうなった以上きちんと話をしなくてはならないということも。それなのに手をこまねいていたのは、ひとえに私の覚悟が足りていないせいだった。
「君もルシアも、隠し事をしている」
現在エリオスの広報部で働いている学生時代からの友人から話があると言われ、真剣な顔をしてそんなことを言われた。どこから嗅ぎつけてきたか知らないが、この様子だと内容は知られてしまっているのだろう。
「……こんなところでそんな話しないで」
夜の屋上に人影は見られないが、誰も来ないとは限らない。機密事項なのだから聞かれてはまずい。
「君が逃げるからじゃないか。……この間、偶然聞いたんだよ。君の身体を動かしているサブスタンスは、時限爆弾と同じだって。寿命を縮めてまで何をしようって言うんだ……」
「……これがなければ、私は今も寝たきりの状態で人の手がないと生きることさえままならない。そんな状態、何ができるっていうの。私には、やることがあるのよ」
やりたいこと、やるべきこと、いくらでもある。それができないままただ息をしているだけなんて、そんな残酷な世界で生きたいとは、私には思えなかった。
「いくら探しても、シリルはもう死んだんだよ」
「家族とも話して決めたことよ。皆、私の意志を尊重してくれた。あと数年、生きられるうちに、やれるだけのことはやる。シリルのことはそのうちの一つにすぎないわ」
私にできることは、限られている。けれど、しない言い訳にはならない。仲間内で一番優しかった友人は何か言いかけて、そして、悲しそうな顔をして俯いた。
「……君って人は……本当に変わらないね」
「まだ、身体に馴染む可能性は残ってる。それに、ルシアがなんとかするって言うから。期待はしないけど、任せることにした」
「……それは、ルシアも大変だ」
寂し気に、辛うじて微笑んだ友人を慰める術を、私は持っていない。だからせめて、後悔などしていないと示すべく笑ってみせた。
「心配をかけて、ごめんなさい。でも、大丈夫よ。私は、大丈夫」
友人は泣き出しそうな声で、どうして君たちだけがこんな目に合わないといけないんだ、と声を絞り出した。
私たちだけではない。何事もなく平和に生活している人がいる一方、痛みを受けた人たちも多くいる。過去は変えられないし、痛みが薄れるのには時間がかかるかもしれない。けれど、今はまだやれることがあるし、未来はまだ、これからだ。だから私は、ここにいる。
話が終わった後も屋上に残り、ぼんやりと星を眺める。ようやく、思い出した。私には時間がないのだ。それなら、もう潮時だろう。終わりにしなればならないことがある。
明日話をしよう。そう思い帰ろうとした時、暗がりに誰かいることにようやく気が付いた。目が合って、私は本当にとんでもないことをしてしまったのだと、そう思った。
「寿命を縮めるって、何」
こちらを見上げる強ばった顔は蒼白で、車椅子を握りしめる手は震えている。友人に知られたのは誤算で、それを聞かれてしまったのは失態だった。本当は、何も話さないで関係を断ち切ろうと思っていたのに、ぐずぐずしているから機を逃してしまった。
「……ごめんね」
「……なんで……どうして……どういうことなの」
「……ごめんね」
謝罪を繰り返す。シリルの所在が判明したあの日、本当は断るべきだったのだと、今は分かる。気まぐれに受け入れてしまったせいで、彼にいらぬ痛みを与えてしまうことになるだなんて、あの時には分からなかった。これ程続くとは思っていなかったのだ。
「謝らないでよ。何が何だか、分からないよ。ちゃんと説明して」
見開いたままの瞳を静かに見つめる。私の事などすぐに飽きて、それで終わりになると思っていた。
「―――ビルの倒壊に巻き込まれて、首から下が動かなくなった。これだけ動けるようになったのはサブスタンスの効果によるけれど、その代わり、長くは生きられないと、言われているわ」
愕然とした表情。こんな顔をさせずに済む方法はいくらでもあった。それをしなかったのは、できなかったのは、この子の存在が日増しに大きくなって、そうしていつの間にか愛しいと思ってしまったから。気づいた時にはもう手遅れになってしまった。
「いつ死ぬか分からない身で、何も言わずに関係を持ってしまったこと、不誠実だったと謝罪するわ。どうせすぐに飽きて、終わりになるだろうと、あなたをみくびっていたことも。……好きと言ってくれて、ありがとう。けれど、これ以上はあなたが苦しむ。この関係は解消しましょう」
「―――なに、それ」
「あなたにはこの先、たくさんの可能性がる。私のこの不自由な体に、残された時間は多くない。私は、あなたに何もしてあげられないわ。何も、残してあげられない。だから、私のことはもう、やめておきなさい」
ようやくこの言葉を告げることができた。フェイスはしばらくの間呆然としていたが、やがて下を向く。その瞳から涙が一粒地面へ落ちていくのを目撃し、私は大いに驚かされた。一つ、また一つと零れていく。
「……身体に馴染む可能性があるって、言ったよね」
涙に気を取られて、反応が遅れる。
「……ルシアが研究、頑張ってるんでしょ」
再び顔が上がって、思わず息を呑んだ。強い眼差しに射抜かれる。手の震えは既にとまっていた。
「俺が苦しむって、このまま終わりにされる方が苦しいよ。俺は、あなたのこと本気で好きなのに」
この子は、随分変わった。成長したと思う。対して私は、どうだろう。
自分の意思で動かせる身体の機能を殆ど失い、病室のベッドの上で幼なじみの親友が死んだと聞かされた失意の日々。サブスタンスを移植する臨床試験を持ちかけられ、一も二もなく頷いた。結果車椅子を用いれば動ける程回復したけれど、経過観察の結果、それは私の身体に重大な負担を掛けることが判明し、取り除かなければ長くは生きられないと宣告された。
崩れ落ちる義母の泣き声を聴きながら、それでも仮初の自由を手放すことはしなかった。それはイクリプスによる被害を看過出来なかったからで、遺体なき親友を見つけるためで、他のことをしている隙間なんてどこにもなかったはずなのに。
あの日、シリルが生きていると分かって、綻びができた。繕う前に絆された。あの時も、今も、私には覚悟がなかった。ただ、手に入れてしまいたいという欲しかなかった。刻一刻と迫る寿命の中で、無責任にそう思ってしまった。それなら、私が始めたことだ。自分から逃げ出してはならない。
「……可能性があるとしても、現時点で打開策はない。このままでは、私は必ず死ぬわ。その間、私に付き合う覚悟が、あなたにあるの?」
見上げる瞳に迷いがあれば、どう言葉を尽くされようと突き放す気でいた。けれど、痛いほど真っ直ぐに見つめてくるから、言葉よりも明瞭に伝わってくる。
「あなた以上に特別な人は、きっともう現れない。だから、傍にいさせてよ。どうか、俺を選んで」
手を両手で握られて、希うように額に当てられた。
終わりの時は必ず訪れる。それがいつ、どんなものになるかは誰にも分からない。ならば今できることは、私自身が覚悟することだけだ。どんな結末になるとしても、信じて受け入れよう。まだ時間は残されているのだから。
「フェイス」
名を呼ぶ。気まぐれだったはずなのに。すぐ終わると思っていたのに。
「さっきの言葉は撤回する。今はまだ、このままで」
「…………好きって言ってくれないんだ」
「現状では責任をとれないから。やめたければ好きにしなさい。止めないし、むしろ推奨しておくわ」
「責任って……今更やめるわけないでしょ。…………ハア、なんだかいつも振り回されてばっかり」
「それなのに、どうして私を選ぼうとするのかしら」
「信じて貰えてないようだから何度でも言うけど。俺は、レイラのことが好きなんだよ。他の誰でもない、あなたのことが。理由なんて、それだけで十分じゃない?」
それでも、望む言葉は言ってあげられない。引き返す道を、残してあげないとならないから。いつか嫌気が差して私の元を去るか、私の命が続く世界がやってくるまでは。
黙っていると、フェイスは仕方なさそうに微笑んだ。
「言わなくてもいいよ。傍にいることを許してくれているのがその証拠だって、今はちゃんと分かるから」
「……」
「恋愛するつもりは無いって言ってたのを、その気にさせた時点で俺の勝ち。そういうことでしょ」
そう、全てはあの時に決まってしまっていたのだろう。頷いてしまった時にはもう既に。
「…………それなら、体のことが解決出来て、まだあなたの気持ちが変わらないのなら、その時は私の逆転勝ちでいいわよね」
「アハ、何それ。……いいよ、全面降伏してあげる」
いずれ死ぬのなら、それはそれで仕方ないと思っていた。せめてその時までにできることをして、それでどうしようもなければ仕方ないと。自分の道筋を描く際に、必ず諦めがついてまわった。
「……まだ、時間はあるから。生き残って、その時には、欲しいものを遠慮なく手に入れるわ」
言いながら手を伸ばして、涙の跡が残る頬に触れると、穏やかな微笑みが驚きに変わり、頬が赤く染まっていく。
「……俺、もう既に敵う気がしないんだけど」
目を逸らしてそんなことを言うから思わず笑ってしまうと、フェイスは笑わないでよと不貞腐れたように言った。
―――死にたくない。
そんなこと、今まで考えたこともないのに。そう思わせてくれる存在に出会えたのは、幸運なことなのか、それとも不幸なことなのか。どちらにせよ、私にとっては特別な存在であることに変わりはなかった。