route : Faith
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タワーにある自室に帰って一息ついていると来客があった。誰が来たのかモニターで確認し、扉を開けるように操作する。もしかしたら来るかもしれないと思っていたが、本当に来るとは思わなかった。
硬い顔をして現れたフェイスに来客用の椅子に座るよう促すと、もの言いたげな様子ではあったが黙って座った。お茶を淹れようとすると、そんなのはいいと言われてしまったので大人しく話を聞くことにした。
「キースに問い詰めたんだけど」
「直接聞けと」
「……」
ここまで来ておいて黙り込むフェイスに、胸ポケットから写真を取り出して差し出した。
「ちょうど良かったわ。私も聞きたかったことがあるの。私はその黒髪と話していたのだけど、実際、どうだった?」
「これが?いや、黒髪じゃなくて白髪だったよ」
「……そう。そういうこと」
「だから、一体どういうこと?」
「ビル倒壊の時、遺体不明のまま死亡届が出された友人。ようやく、見つけられたのよ」
説明する私に対し、フェイスはどことなく張り詰めた顔をしていた。
「司令になったのも、本当はそのためなの?」
「前に話したことは本当よ。友人探しはそのついで」
生存を確認し、所在は掴めた。まだ問題は山積みだが、少し気が緩んでしまった。数年分の疲れがまとめて来たような気がして、額を抑えて俯く。ようやく、ここまで来た。
「……司令、大丈夫?」
「……大丈夫。問題はまだあるけど、これで肩の荷がひとつ降りたわ」
フェイスは立ち上がると、どうしたらいいのか分からない顔をしながらも私の前に立った。聞きたいことがあるなら、聞けばいいのに。
「他に聞きたいことは?」
「……たくさん、あるよ。ありすぎて、何から聞けばいいのか分からないくらい」
「そう。じゃあ、一つだけ質問に答えるわ」
「一つだけ?」
「話せるだけは話したから」
言外にこれ以上話すことはないと伝えると、彼は少し不機嫌そうな顔をした。
「……ふうん、そう。じゃあ、一つだけ」
いつかの日と同じような顔をしているから、質問の内容は言う前から読めてしまう。
「ちなみに、親友以上の感情は持ち合わせていないわ」
先手を打つと面食らった顔をして、眉を寄せた。
「…………そんなに分かりやすい?」
「この間と同じ顔をしていたから。ノーカウントよ、続けて」
フェイスは浮かない表情のままその場に膝をつき、こちらを見上げた。まるで何かを乞うような目線が向けられて、どうして私なのだろうかと思う。他にいくらでも選択肢はあるはずで、既に幾人も相手がいるというのに。
「…………肩の荷がひとつでも降りたなら、もういいんじゃない。いつになったら、気が向いてくれるの?」
一つだけと言った質問に、それを選ぶ。いつまで、この関心が続くのだろう。手に入らないからこその執着なのだろうか。上司を籠絡したいだけなのだろうか。何故そんな目で私を見るのか。
手を伸ばして、頬に触れた。こちらの動向を見守る瞳が揺れている。
執着、懇願。それだけでは、まだ、足りない。そう思うのは、私が欲しがっているからなのか。一度手にすれば、私にも分かるだろうか。
頬に触れた手に手が重なり、媚びるように擦り寄られる。ぎこちないから、もしかしたら緊張しているのかもしれない。そんな仕草さえ可愛らしいと思えるこの感情が何に由来するものなのか、判別がつかない。優越感なのか、庇護欲なのか、母性本能なのか、恋や愛とかいうものなのか、私にはまだよく分からない。時間がないのに、責任なんてとれやしないのに、それなのに、どうしてか、欲しくなってしまった。
「……誰にも話さないなら、いいわ」
大きく見開いたと思ったら、願いが叶ったと言わんばかりに細まる瞳、緩む頬。たくさんの彼女がいる、無責任な男。私と関係を持ったからといってその全てと手を切ることなんてしないだろうに。でも、その方がこちらにとっても都合がいい。いつ終わりになってもいい方が互いのためだろうから。
時間はまばらで来る日もまちまちだが、夜にやって来ては何をすることもなくたわいない話をして眠りにつき、朝になると準備を手伝って部屋に戻っていく生活が続いていた。朝方に来ることもあるが、勝手にベッドに入ってきて人の寝顔を見ながら目覚めを待つという奇妙なことをしている。
ようやくチームに慣れ始めたと思っていたが、新しいメンターの存在で噛み合いかけていた歯車がまたずれてしまったのだろう。こればかりは当人たちでどうにかするしかないが、問題はそれだけではないようだ。
ここに来て他のルーキー達との意識にズレが大きくなっている上、私に期待されているという重荷もストレスになっているようだ。そのストレスの一因に擦り寄ってくるというのも自分で自分の首を絞めているような気もするのだが、プライベートの時には仕事の話はしないので別の話なのかもしれない。
今朝も起きると眠そうな目でぼんやりとしているので頭を撫でてやると、子供扱いしないでと文句を言いながら満更でもなさそうにしている。気まぐれな野良猫が懐っこい家猫になったみたいだ。
「……今夜も来ていい?」
「いいけど、そんなこと聞くの珍しいわね」
「最近入り浸りすぎてる気がして……迷惑じゃないなら、いいんだけど」
いつもこちらの都合などお構い無しに司令室に遊びに来ていた男の言うセリフが今はこれだと思うと感慨深くなる。
「あなたの負担にならない程度に。ちゃんと休めるのなら構わないわ」
「……うん」
他の女の所にはいかないのかと純粋な興味で尋ねてみようかとも思ったが、予想以上に嬉しそうな顔をするので水を指すのはやめにしておいた。すぐに飽きるものと思っていたが、どうやら予想以上に私の事が気に入っているらしい。もしかすると私は早まったことをしてしまったのではないだろうか。
ルーキーズキャンプの様子は定期的に報告を受けていた。アクシデントがあったようだが、無事に対処したとのことで、ルーキーの成長を確かめることができたのは僥倖だった。皆、少しずつ成長している。
13期の専任司令に任命されたときは、どうして私なのか疑問だった。上層部は私の体のことを知っている。いつ死ぬかも分からない人間に就かせるなど、何を考えているのだろうと、今でも不思議に思う。けれど、こうして希望の種が芽吹きつつあるのを見守るのは悪くない。もし、途中で終わるとしても、いつか花開くのだと確信させてくれるのなら、私は絶望しないで死んでいけるだろう。
「なんか、ご機嫌だね?」
久しぶりに部屋に迎え入れたフェイスは、不思議そうに首を傾げた。
「ええ、とても。報告は受けているわ。非常事態における素早いかつ正確な状況判断、的確な作戦立案、個人の能力に見合った割り振り。時間との勝負の中、被害を最小限にして結果を出した。すごいわ。よくやったわね」
「…………えっと、ありがとう」
いつもこういった話はしないでいたのだが、今回ばかりは言いたいことがたくさんある。
「いざと言う時に冷静な判断ができるのはあなたの長所よ。観察力に長けているから、適材適所に人員を配置できる。現場の指揮官として期待できるわ。状況判断能力が高いから不測の事態も対処しやすい。その視野の広さは重要よ。DJとしての経験も生きているんだわ」
「なんかいつもの倍は早口なんだけど……」
「やっぱりやればできる子なのよ、あなた。土壇場で才能を発揮できるのが証拠だわ。ふふ、よく頑張ったわねえ」
「……褒めすぎだよ。たまたま上手くいっただけであって、俺一人でしたことじゃないし」
「勿論他のルーキーも立派だったわ。課題のチームワークがこんな形で試されるとは思わなかったけれど、それでもあなたの功績は大きいわよ」
こんなに機嫌がいいのはいつぶりだろう。報告を聞いた時から楽しみにしていた。本人を目の前に褒め続けていると、フェイスは頬を赤く染めて叫んだ。
「ストップ、ストップ!もういいから、その辺で勘弁して」
「ふふ、まだ褒め足りないのだけど、駄目かしら」
「駄目。もういいよ、ありがとう。…………これで少しは期待に応えられたかな」
「少しなんてものじゃないわよ」
「はいはい。見損なわれない程度にはちゃんとやるよ」
今回の合宿でいろいろと吹っ切れたようだ。いい機会になったようなので安心した。これで自信がつけばいいのだが。頭を撫でているとなにか物言いたげな視線が寄せられて、見つめると今度は逆に逸らされる。どうしたのかと手を引っ込めて眺めていると、小さな声でボソボソと話し出した。
「そんなに褒めるんだったら……代わりにご褒美くらいくれてもいいと思うんだけど」
「ごほうび」
「……駄目?」
機嫌を伺うように上目遣いで見上げられる。最近、もしかして私は若い燕を飼っているのではないかと思わされることが多々ある。恋愛関係にあるというよりは愛人関係にあると言った方が正しい気さえしてくる始末だ。それを狙っているのかもしれない。
「何か欲しいものでもあるの?」
「……うん。……駄目なら、別に」
「私に用意できるものならいいわよ」
「……その、なんて言えばいいのかな……」
歯切れが悪いのは、何か高額なものだろうか。フェイスはこちらをじっと見つめ、そっと手を伸ばしきた。頬に触れた手と、徐々に近づいてくる顔に意図を察して目を閉じた。唇が触れ合い、またすぐ離れる。目を開くと、至近距離で熱のこもった真剣な瞳とかち合い、思わず驚いてしまった。
「……この先に進みたいんだけど…………いい?」
今まではキスだけでそういう気配がなかったから、足のこともあって私にそういうことは求めていないのだと思っていた。
でも、もしかすると彼は思いの外、私の事を大事にしてくれていたのではないだろうか。そう考えると今までやけに甲斐甲斐しかったのも頷ける。油断しきっていた私の心に動揺が波紋のように広がっていった。
「………………あなたの方こそ、いいの?」
完全に麻痺しているわけではないが、それでも普通の女を相手にするのとは勝手が違う。
「なるべく負担にならないようにするし、ダメそうならすぐに止めるよ。…………でも俺は、ずっとあなたに触れたいって、そう、思ってた」
日頃の行いから、パートナーにするには向いていない男なのは分かっている。他の女との縁も切れてはいない。何より一線を超えてしまえば、情が深くなってしまう。これに関していうと、既に手遅れなような気がするが。それでも、曖昧だった感情が明確になってしまいそうだ。その時、自分はどのように変容するのだろう、それとも、変わらずにいられるだろうか。どちらにしても、今この手を振り払うことは出来そうにないことだけは確かだった。
触れた手に自分の手を重ね、いつか彼がしたのと同じように擦り寄ってみる。どうしてだろう、特別な相手など、作る予定はなかったのに。いつの間にかするりと私の生活の中に入り込んできてしまった。
それなら、もう、いっそ一度だけでも手に入れてしまおうか。そうしたらこの子も、私に対する関心が薄れていくかもしれない。それは私にとってもこの子にとっても、悪いことではない。
目を合わせると、たじろいで手を引こうとするから、重ねた手に力を込めた。ここで逃げ腰になるなんて、手慣れているくせに初心な反応をする。そんなに動揺するのは私だからなのだろうか。そうだとしたら気分がいい。
微笑むと顔を赤らめて、どこか悔しそうな顔をして再びキスをした。舌が絡まり、呼吸を奪われ、息苦しさにかえって心地良さを感じる。後頭部に手が周り、どんどん深さが増していくから縋り付くように腕を背に回した。
これが恋なのか、愛なのか、ただの欲望なのか、今だ定かではない。けれど、欲しいと思った。今はそれだけでいいだろう。どうせ終わりは見えている。
「…………起きた?」
目が覚めて最初に映ったものを、覚醒しきらない意識のまま、瞬きをしながら見つめた。甘やかな瞳が慈しむように見返してくる。
「大丈夫?辛いところとかない?お水、もってこようか」
触れ合った体温が離れていこうとするので、腕を伸ばして抱きよせる。
「……いいから、ここにいて」
「……っ」
「よく、私の寝顔、見てるけど。楽しいの?」
「気づいてたの?」
「まあね」
「……楽しいというか、嬉しいよ。こうして、あなたの一番近くで無防備な姿を見られるから」
どうやら、私が思っていたよりもこの子は私の事が好きらしい。緩やかに抱きしめられて、頬にキスをされる。見つめ合うと、幸せそうに微笑んだ。
それを見て、最近、薄々気づき始めたことが確信に近づいてきてしまったのだと悟る。どうせ、長くは続かないと思っていた。単なる好奇心の延長で、いつかは元の関係に戻るだけ。だけど、これは、もしかすると、少し困ったことになったかもしれない。
硬い顔をして現れたフェイスに来客用の椅子に座るよう促すと、もの言いたげな様子ではあったが黙って座った。お茶を淹れようとすると、そんなのはいいと言われてしまったので大人しく話を聞くことにした。
「キースに問い詰めたんだけど」
「直接聞けと」
「……」
ここまで来ておいて黙り込むフェイスに、胸ポケットから写真を取り出して差し出した。
「ちょうど良かったわ。私も聞きたかったことがあるの。私はその黒髪と話していたのだけど、実際、どうだった?」
「これが?いや、黒髪じゃなくて白髪だったよ」
「……そう。そういうこと」
「だから、一体どういうこと?」
「ビル倒壊の時、遺体不明のまま死亡届が出された友人。ようやく、見つけられたのよ」
説明する私に対し、フェイスはどことなく張り詰めた顔をしていた。
「司令になったのも、本当はそのためなの?」
「前に話したことは本当よ。友人探しはそのついで」
生存を確認し、所在は掴めた。まだ問題は山積みだが、少し気が緩んでしまった。数年分の疲れがまとめて来たような気がして、額を抑えて俯く。ようやく、ここまで来た。
「……司令、大丈夫?」
「……大丈夫。問題はまだあるけど、これで肩の荷がひとつ降りたわ」
フェイスは立ち上がると、どうしたらいいのか分からない顔をしながらも私の前に立った。聞きたいことがあるなら、聞けばいいのに。
「他に聞きたいことは?」
「……たくさん、あるよ。ありすぎて、何から聞けばいいのか分からないくらい」
「そう。じゃあ、一つだけ質問に答えるわ」
「一つだけ?」
「話せるだけは話したから」
言外にこれ以上話すことはないと伝えると、彼は少し不機嫌そうな顔をした。
「……ふうん、そう。じゃあ、一つだけ」
いつかの日と同じような顔をしているから、質問の内容は言う前から読めてしまう。
「ちなみに、親友以上の感情は持ち合わせていないわ」
先手を打つと面食らった顔をして、眉を寄せた。
「…………そんなに分かりやすい?」
「この間と同じ顔をしていたから。ノーカウントよ、続けて」
フェイスは浮かない表情のままその場に膝をつき、こちらを見上げた。まるで何かを乞うような目線が向けられて、どうして私なのだろうかと思う。他にいくらでも選択肢はあるはずで、既に幾人も相手がいるというのに。
「…………肩の荷がひとつでも降りたなら、もういいんじゃない。いつになったら、気が向いてくれるの?」
一つだけと言った質問に、それを選ぶ。いつまで、この関心が続くのだろう。手に入らないからこその執着なのだろうか。上司を籠絡したいだけなのだろうか。何故そんな目で私を見るのか。
手を伸ばして、頬に触れた。こちらの動向を見守る瞳が揺れている。
執着、懇願。それだけでは、まだ、足りない。そう思うのは、私が欲しがっているからなのか。一度手にすれば、私にも分かるだろうか。
頬に触れた手に手が重なり、媚びるように擦り寄られる。ぎこちないから、もしかしたら緊張しているのかもしれない。そんな仕草さえ可愛らしいと思えるこの感情が何に由来するものなのか、判別がつかない。優越感なのか、庇護欲なのか、母性本能なのか、恋や愛とかいうものなのか、私にはまだよく分からない。時間がないのに、責任なんてとれやしないのに、それなのに、どうしてか、欲しくなってしまった。
「……誰にも話さないなら、いいわ」
大きく見開いたと思ったら、願いが叶ったと言わんばかりに細まる瞳、緩む頬。たくさんの彼女がいる、無責任な男。私と関係を持ったからといってその全てと手を切ることなんてしないだろうに。でも、その方がこちらにとっても都合がいい。いつ終わりになってもいい方が互いのためだろうから。
時間はまばらで来る日もまちまちだが、夜にやって来ては何をすることもなくたわいない話をして眠りにつき、朝になると準備を手伝って部屋に戻っていく生活が続いていた。朝方に来ることもあるが、勝手にベッドに入ってきて人の寝顔を見ながら目覚めを待つという奇妙なことをしている。
ようやくチームに慣れ始めたと思っていたが、新しいメンターの存在で噛み合いかけていた歯車がまたずれてしまったのだろう。こればかりは当人たちでどうにかするしかないが、問題はそれだけではないようだ。
ここに来て他のルーキー達との意識にズレが大きくなっている上、私に期待されているという重荷もストレスになっているようだ。そのストレスの一因に擦り寄ってくるというのも自分で自分の首を絞めているような気もするのだが、プライベートの時には仕事の話はしないので別の話なのかもしれない。
今朝も起きると眠そうな目でぼんやりとしているので頭を撫でてやると、子供扱いしないでと文句を言いながら満更でもなさそうにしている。気まぐれな野良猫が懐っこい家猫になったみたいだ。
「……今夜も来ていい?」
「いいけど、そんなこと聞くの珍しいわね」
「最近入り浸りすぎてる気がして……迷惑じゃないなら、いいんだけど」
いつもこちらの都合などお構い無しに司令室に遊びに来ていた男の言うセリフが今はこれだと思うと感慨深くなる。
「あなたの負担にならない程度に。ちゃんと休めるのなら構わないわ」
「……うん」
他の女の所にはいかないのかと純粋な興味で尋ねてみようかとも思ったが、予想以上に嬉しそうな顔をするので水を指すのはやめにしておいた。すぐに飽きるものと思っていたが、どうやら予想以上に私の事が気に入っているらしい。もしかすると私は早まったことをしてしまったのではないだろうか。
ルーキーズキャンプの様子は定期的に報告を受けていた。アクシデントがあったようだが、無事に対処したとのことで、ルーキーの成長を確かめることができたのは僥倖だった。皆、少しずつ成長している。
13期の専任司令に任命されたときは、どうして私なのか疑問だった。上層部は私の体のことを知っている。いつ死ぬかも分からない人間に就かせるなど、何を考えているのだろうと、今でも不思議に思う。けれど、こうして希望の種が芽吹きつつあるのを見守るのは悪くない。もし、途中で終わるとしても、いつか花開くのだと確信させてくれるのなら、私は絶望しないで死んでいけるだろう。
「なんか、ご機嫌だね?」
久しぶりに部屋に迎え入れたフェイスは、不思議そうに首を傾げた。
「ええ、とても。報告は受けているわ。非常事態における素早いかつ正確な状況判断、的確な作戦立案、個人の能力に見合った割り振り。時間との勝負の中、被害を最小限にして結果を出した。すごいわ。よくやったわね」
「…………えっと、ありがとう」
いつもこういった話はしないでいたのだが、今回ばかりは言いたいことがたくさんある。
「いざと言う時に冷静な判断ができるのはあなたの長所よ。観察力に長けているから、適材適所に人員を配置できる。現場の指揮官として期待できるわ。状況判断能力が高いから不測の事態も対処しやすい。その視野の広さは重要よ。DJとしての経験も生きているんだわ」
「なんかいつもの倍は早口なんだけど……」
「やっぱりやればできる子なのよ、あなた。土壇場で才能を発揮できるのが証拠だわ。ふふ、よく頑張ったわねえ」
「……褒めすぎだよ。たまたま上手くいっただけであって、俺一人でしたことじゃないし」
「勿論他のルーキーも立派だったわ。課題のチームワークがこんな形で試されるとは思わなかったけれど、それでもあなたの功績は大きいわよ」
こんなに機嫌がいいのはいつぶりだろう。報告を聞いた時から楽しみにしていた。本人を目の前に褒め続けていると、フェイスは頬を赤く染めて叫んだ。
「ストップ、ストップ!もういいから、その辺で勘弁して」
「ふふ、まだ褒め足りないのだけど、駄目かしら」
「駄目。もういいよ、ありがとう。…………これで少しは期待に応えられたかな」
「少しなんてものじゃないわよ」
「はいはい。見損なわれない程度にはちゃんとやるよ」
今回の合宿でいろいろと吹っ切れたようだ。いい機会になったようなので安心した。これで自信がつけばいいのだが。頭を撫でているとなにか物言いたげな視線が寄せられて、見つめると今度は逆に逸らされる。どうしたのかと手を引っ込めて眺めていると、小さな声でボソボソと話し出した。
「そんなに褒めるんだったら……代わりにご褒美くらいくれてもいいと思うんだけど」
「ごほうび」
「……駄目?」
機嫌を伺うように上目遣いで見上げられる。最近、もしかして私は若い燕を飼っているのではないかと思わされることが多々ある。恋愛関係にあるというよりは愛人関係にあると言った方が正しい気さえしてくる始末だ。それを狙っているのかもしれない。
「何か欲しいものでもあるの?」
「……うん。……駄目なら、別に」
「私に用意できるものならいいわよ」
「……その、なんて言えばいいのかな……」
歯切れが悪いのは、何か高額なものだろうか。フェイスはこちらをじっと見つめ、そっと手を伸ばしきた。頬に触れた手と、徐々に近づいてくる顔に意図を察して目を閉じた。唇が触れ合い、またすぐ離れる。目を開くと、至近距離で熱のこもった真剣な瞳とかち合い、思わず驚いてしまった。
「……この先に進みたいんだけど…………いい?」
今まではキスだけでそういう気配がなかったから、足のこともあって私にそういうことは求めていないのだと思っていた。
でも、もしかすると彼は思いの外、私の事を大事にしてくれていたのではないだろうか。そう考えると今までやけに甲斐甲斐しかったのも頷ける。油断しきっていた私の心に動揺が波紋のように広がっていった。
「………………あなたの方こそ、いいの?」
完全に麻痺しているわけではないが、それでも普通の女を相手にするのとは勝手が違う。
「なるべく負担にならないようにするし、ダメそうならすぐに止めるよ。…………でも俺は、ずっとあなたに触れたいって、そう、思ってた」
日頃の行いから、パートナーにするには向いていない男なのは分かっている。他の女との縁も切れてはいない。何より一線を超えてしまえば、情が深くなってしまう。これに関していうと、既に手遅れなような気がするが。それでも、曖昧だった感情が明確になってしまいそうだ。その時、自分はどのように変容するのだろう、それとも、変わらずにいられるだろうか。どちらにしても、今この手を振り払うことは出来そうにないことだけは確かだった。
触れた手に自分の手を重ね、いつか彼がしたのと同じように擦り寄ってみる。どうしてだろう、特別な相手など、作る予定はなかったのに。いつの間にかするりと私の生活の中に入り込んできてしまった。
それなら、もう、いっそ一度だけでも手に入れてしまおうか。そうしたらこの子も、私に対する関心が薄れていくかもしれない。それは私にとってもこの子にとっても、悪いことではない。
目を合わせると、たじろいで手を引こうとするから、重ねた手に力を込めた。ここで逃げ腰になるなんて、手慣れているくせに初心な反応をする。そんなに動揺するのは私だからなのだろうか。そうだとしたら気分がいい。
微笑むと顔を赤らめて、どこか悔しそうな顔をして再びキスをした。舌が絡まり、呼吸を奪われ、息苦しさにかえって心地良さを感じる。後頭部に手が周り、どんどん深さが増していくから縋り付くように腕を背に回した。
これが恋なのか、愛なのか、ただの欲望なのか、今だ定かではない。けれど、欲しいと思った。今はそれだけでいいだろう。どうせ終わりは見えている。
「…………起きた?」
目が覚めて最初に映ったものを、覚醒しきらない意識のまま、瞬きをしながら見つめた。甘やかな瞳が慈しむように見返してくる。
「大丈夫?辛いところとかない?お水、もってこようか」
触れ合った体温が離れていこうとするので、腕を伸ばして抱きよせる。
「……いいから、ここにいて」
「……っ」
「よく、私の寝顔、見てるけど。楽しいの?」
「気づいてたの?」
「まあね」
「……楽しいというか、嬉しいよ。こうして、あなたの一番近くで無防備な姿を見られるから」
どうやら、私が思っていたよりもこの子は私の事が好きらしい。緩やかに抱きしめられて、頬にキスをされる。見つめ合うと、幸せそうに微笑んだ。
それを見て、最近、薄々気づき始めたことが確信に近づいてきてしまったのだと悟る。どうせ、長くは続かないと思っていた。単なる好奇心の延長で、いつかは元の関係に戻るだけ。だけど、これは、もしかすると、少し困ったことになったかもしれない。