My fair lady
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魔法舎に来て、しばらくが経った。街にいた時は人と話すより仕事に向き合っている時間の方が長かったけれど、ここに来てからは話す機会が増えて大分話せるようになってきた。
「流暢に話せるようになってきたね」
「先生」
中庭での勉強会を終えて、散歩にでも行こうかと思っていたらフィガロ先生がどこからか現れたので足を止める。
「片言で喋っているのも可愛かったから、少し寂しい気もするよ」
「あら、今の私には可愛げがありませんか?」
「おや、誰がそんなこと言ったんだい。フィガロ先生に教えてごらん。俺が叱ってきてあげる」
先生はおどけて片目を瞑った。
「なんてね。どんなになっても君は俺の可愛いお姫さまだよ。もう少し温室で育ててあげたかったけど、君の話が沢山聞けるようになるのは嬉しいな」
お姫さま扱いされる年頃でもないのだが、先生は私のことをなんだと思っているのだろう。
「私も、中々伝えられなかったことを言葉にできたらと思っています。本当にたくさん、言いたいことがあるんです」
「え~、なんだかちょっと不安だな。俺に対する不満とかじゃないよね?」
そんなことがあるはずないのに、と呆れてため息をつく。やはり態度だけでも言葉だけでも伝わらないものは有るのだろう。
「多かれ少なかれ不満はありますが、そんなものよりも伝えたいのは、私があなたに、どれほど感謝しているか。どれほど敬愛しているか、ですよ。フィガロ先生、私はあなたが思っているよりも、あなたのことが大好きですよ」
本心を伝えるとフィガロ先生は戸惑って、それから嬉しそうに笑ってくれたが、すぐに自嘲的な笑みへと変えてしまった。どうしてそんな顔をするのだろう。
「…………君のそれは、多分、刷り込みのようなものかもしれないよ」
「この世界で初めて見たあなたを、親として慕っていると?」
「そう。例えば、君を看病したのが違う人間だったら、君はその人に懐いていたかもしれない」
おかしなことを言うひとだ。あるはずのないことを言って、どうなるというのだろう。その方が都合がいいと、最後まで騙してくれたっていいのに。でも、その答えは私の中ではとうにでている。私がつけた傷が残る手を取ると、先生は瞳を揺らした。
「でも、私を看病してくれたのはあなたでした。熱に魘される私の手を握ってくれたのも、物言わぬ私の世話をしてくれたのも、あなたです。名前を付けてくれました。言葉を教えてくれました。この世界のことをたくさん教えてくれました。たくさん褒めてくれたし、たくさん慰めてくれました。いつも、助けにきてくれました。全部全部、あなたがしてくれたことです。いつだってあなたは優しかった。だから、それだけで十分なんです」
触れて、言葉を尽くして、どうにか伝えたい。受け入れられなくてもいいから、知っていてほしい。私があなたに会えてどれほど幸せかを。しっかり目を見つめて、笑いかける。
「いつも、私を助けてくれて、守ってくれてありがとうございます。今は難しいかもしれないけれど、あなたの力になれるよう頑張りますから。だから先生、これからもよろしくお願いします」
先生は何も言わず、ただ呆然と私のことを見返していた。それから目を逸らしてあちこちに視線を移し、最終的に私の顔に戻ってくると、またすぐに下を向いて空いた手で口元を隠してしまった。照れているのか頬がうっすら赤くなっている。
「……あ、あはは、ちょっと驚いたな。うん、君は前から正直な物言いをする子だったけど、威力が増したね。先生、思わずどきどきしちゃったよ。ほんの一瞬だけ、口説かれてるのかと思って」
その言葉にどう返したものか悩んで、何も言わないことにした。黙って微笑むと、ちら、と顔を上げた先生は目に見えて狼狽えた。
「え、何それ、どういう意味?……いや、待って!言わないで!」
「ふふふ」
いつもの余裕な態度が欠けらも無い姿に、思わず笑ってしまうと、先生はぽかんと口を開けて、それから同じように笑った。
「はは、まったく、サラには敵わないな」
「そうですか?でもそれは、私も同じですよ」
握ったままの手を持ち上げて、騎士がするように口付けをした。刷り込みだろうがなんだろうが、私はこのひとを愛している。
「愛しています」
囁くように、呟くように言った告白がどこまで届くかは分からない。ただ、知っていて欲しかった。
あれから先生は、どこかよそよそしい。いつも通り振舞っているように見えるが、中々目が合わないし、合ったとしてもすぐに逸らされてしまう。思えば、知ってほしいという気持ちが先行して、先生がどう思うかは考えていなかった。困らせたい訳ではなかったのだけど、一度口に出したものを引っ込めるのは誠実と言えるだろうか。いや、そんなことよりも煩わせる方が良くないだろう。そう思って撤回を申し出るべく部屋を訪ねることにしたのだが―――
「やあ、サラ。俺に何か用かな」
貼り付けたような笑みはどこか武装しているようでもある。それに寂しさを覚えるが、身から出た錆だ。
「はい。あの、この間のことですが……」
表情が一瞬崩れた。また顔を赤くしているのを見て、なかったことにしてくださいと言おうとしたのに別の言葉が口をついてでた。
「やっぱり、愛しています」
「…………」
先生は固まった。私も自分で戸惑う。
「……ええと、本当は、撤回するつもりで来たんですが、つい。あの、迷惑になるようなら取り下げようかと。でも、何故か」
手を引かれて、足が前に出る。部屋の中へ入り込んでしまい、ドアが閉まる音がして。また明かりをつけないでいたせいで月明かりだけが頼りになる。先生の顔は暗くてよく見えない。
「あなたを困らせたくはなくて」
先生は何も言わない。止めてくれないから、続けしかなくなる。
「でも、愛していても、いいですか?何も気にしなくていいんです。私が勝手に想っているだけで、見返りが欲しいとも思いません。……フィガロ先生?」
微動だにしないので、心配になってそこで一旦喋るのを止めた。暗闇に慣れてきた目で見えた先生はなんだか泣きそうで、でも泣き方が分からないように見えた。
「先生……」
「身よりもなく、記憶もなく、言葉も分からない君を―――お姫さまのように大事に、大切に扱ってあげれば、もしかしたら、俺に愛を教えてくれるんじゃないか。そう、思っていたんだ」
その声は、僅かに震えている。言わなくてもいいことを、わざわざ言うだなんて。それを望んでいたのなら、私の言葉は都合がいいはずだろう。それなら、ただ受け入れてくれればいいのに。
「……俺の望みどおり、君は俺を愛してくれたね」
「……ええ、愛していますよ」
「全部打算でやっていたことだよ。優しくして、守ってあげて」
「……ふふ」
「どうして、笑うんだい」
「だって、そんなの関係ないから」
そう言うと先生は、訝しげに呟く。
「関係、ない?」
そう、今更そんなの、関係ないのだ。盲目と言われようが構わない。
「もう、手遅れです。だって、あなたと出会って、愛してしまったから。あなたがなにをしていたって、なにを言ったって、無駄なことなんです」
先生は呆然とした様子で私を見ていた。どう言葉を紡げば、あなたはこの気持ちを信じてくれるだろう。
「……君の記憶を奪ったのが、俺だって言っても」
「記憶なんて、どうでもいいですよ、そんなの」
「君のことを騙しているよ。本当は北出身の魔法使いで、オズよりも長く生きてる」
「あら、ふふ、随分な年齢詐称ですね」
「笑うところじゃないよ、サラ」
呆れた顔をして、先生は困ったように眉を寄せる。もうあと一押しだ。先生は結構押しに弱いから。
「愛しています。どうか、許してください」
気がつくと、抱きしめられていた。先生の体は冷たくて、どうにかして熱を分け与えてあげたくて腕を背にまわした。力を入れると壊れてしまいそうに思えて、添えるぐらいだったけれど。
「…………サラ」
耳元で名を囁かれる。この人の付けた、私を示す名前。その名で呼ばれる度に、失った記憶のことなどどうでもよくなっていった。南の国の、あの診療所で、ずっと一緒にいたいと、そう思うようになっていた。
「はい」
「―――俺は、君を探していたのかな」
私には分かりようもないことを、独り言のように呟く。本当にそうであったら、どんなに良かったか。
「……なら、見つけてくれてありがとうございます。あなたの元へ来れて、私はとても、幸せですよ」
記憶のことは本当にどうでもいいと言っているのに、先生はそれでは信用ならないみたいで何度も確認を取ってくるので段々と辟易してきた。
「本当にいいの?」
「何度もそう言っているじゃないですか」
先生は目を逸らして気まずそうにしている。そうなるくらいならはじめからやらなければいいのに、困った人だ。
「私にはもう必要のないものです。そんな顔しないで。それに、もし嫌な記憶があったらどうするんですか。また泣いてしまうかもしれませんよ」
「それは……嫌だなあ」
「そう言ってくれて安心しました。さあ、こんな話はもうやめにして、行きましょう。折角のお出かけの日なんですから」
手を差し出すとフィガロ先生は眉を下げて照れたように笑った。なんだか恥ずかしいな、と言いながらも手を握ってくれる。
「先生でも恥ずかしいなんて感じるんですね」
「俺をなんだと思っているんだい。これでもいい歳したおじさんなんだよ」
「それなら、離したほうがいいですか?」
そう聞くと先生は微かな笑みを浮かべ、握った手を持ち上げて、前に私がしたみたいに口付けをした。優しくてからかうような目をして誤魔化しているが、その奥にはひやりとさせる何かを隠している。
「サラが言ったんじゃないか。もう、手遅れだって。それなら、離さないでいてよ。ずっと」
「……ええ。離しませんよ。あなたが望んでくれるのなら」
どうか離さないで欲しい。記憶も過去もいらないから、ただこの人との明日だけが欲しかった。それ以外の何もいらない。前の世界だって、必要ない。だからどうか、私からこのひとを奪わないで。
「フィガロ先生」
「うん、なんだい」
「長生き、してくださいね」
「……はは、数千年生きてる魔法使い相手に面白いことを言うね」
終わりはいつだって呆気ないものだから、せめて願うくらいはしておきたいのだ。
「かなうなら、ずっと傍にいさせてください。いらなくなったら、石にしてくださいね」
「サラが石になる所なんて見たくないよ。……俺が石になるまで、傍にいてよ」
「喜んで。……ふふ」
嬉しくて笑う私を、先生は目を細めて眩しそうに見つめた。今まで時折見かけた視線を、この頃よく見る。その度にこの人の特別になれた気がして、一生そんなものになはなれない気がして、騙しているような気分にもなる。私では、この人に光の道を歩かせることができないかもしれない。それでも私はこの人を愛しく思っているから、離れることができない。この人を見つけてしまったのは、私の方なのだろう。
「大好きですよ、先生」
先生は嬉しそうに笑ってくれる。ああ、なんて愛おしいんだろう。
「愛しています」
心からそう思う。
「流暢に話せるようになってきたね」
「先生」
中庭での勉強会を終えて、散歩にでも行こうかと思っていたらフィガロ先生がどこからか現れたので足を止める。
「片言で喋っているのも可愛かったから、少し寂しい気もするよ」
「あら、今の私には可愛げがありませんか?」
「おや、誰がそんなこと言ったんだい。フィガロ先生に教えてごらん。俺が叱ってきてあげる」
先生はおどけて片目を瞑った。
「なんてね。どんなになっても君は俺の可愛いお姫さまだよ。もう少し温室で育ててあげたかったけど、君の話が沢山聞けるようになるのは嬉しいな」
お姫さま扱いされる年頃でもないのだが、先生は私のことをなんだと思っているのだろう。
「私も、中々伝えられなかったことを言葉にできたらと思っています。本当にたくさん、言いたいことがあるんです」
「え~、なんだかちょっと不安だな。俺に対する不満とかじゃないよね?」
そんなことがあるはずないのに、と呆れてため息をつく。やはり態度だけでも言葉だけでも伝わらないものは有るのだろう。
「多かれ少なかれ不満はありますが、そんなものよりも伝えたいのは、私があなたに、どれほど感謝しているか。どれほど敬愛しているか、ですよ。フィガロ先生、私はあなたが思っているよりも、あなたのことが大好きですよ」
本心を伝えるとフィガロ先生は戸惑って、それから嬉しそうに笑ってくれたが、すぐに自嘲的な笑みへと変えてしまった。どうしてそんな顔をするのだろう。
「…………君のそれは、多分、刷り込みのようなものかもしれないよ」
「この世界で初めて見たあなたを、親として慕っていると?」
「そう。例えば、君を看病したのが違う人間だったら、君はその人に懐いていたかもしれない」
おかしなことを言うひとだ。あるはずのないことを言って、どうなるというのだろう。その方が都合がいいと、最後まで騙してくれたっていいのに。でも、その答えは私の中ではとうにでている。私がつけた傷が残る手を取ると、先生は瞳を揺らした。
「でも、私を看病してくれたのはあなたでした。熱に魘される私の手を握ってくれたのも、物言わぬ私の世話をしてくれたのも、あなたです。名前を付けてくれました。言葉を教えてくれました。この世界のことをたくさん教えてくれました。たくさん褒めてくれたし、たくさん慰めてくれました。いつも、助けにきてくれました。全部全部、あなたがしてくれたことです。いつだってあなたは優しかった。だから、それだけで十分なんです」
触れて、言葉を尽くして、どうにか伝えたい。受け入れられなくてもいいから、知っていてほしい。私があなたに会えてどれほど幸せかを。しっかり目を見つめて、笑いかける。
「いつも、私を助けてくれて、守ってくれてありがとうございます。今は難しいかもしれないけれど、あなたの力になれるよう頑張りますから。だから先生、これからもよろしくお願いします」
先生は何も言わず、ただ呆然と私のことを見返していた。それから目を逸らしてあちこちに視線を移し、最終的に私の顔に戻ってくると、またすぐに下を向いて空いた手で口元を隠してしまった。照れているのか頬がうっすら赤くなっている。
「……あ、あはは、ちょっと驚いたな。うん、君は前から正直な物言いをする子だったけど、威力が増したね。先生、思わずどきどきしちゃったよ。ほんの一瞬だけ、口説かれてるのかと思って」
その言葉にどう返したものか悩んで、何も言わないことにした。黙って微笑むと、ちら、と顔を上げた先生は目に見えて狼狽えた。
「え、何それ、どういう意味?……いや、待って!言わないで!」
「ふふふ」
いつもの余裕な態度が欠けらも無い姿に、思わず笑ってしまうと、先生はぽかんと口を開けて、それから同じように笑った。
「はは、まったく、サラには敵わないな」
「そうですか?でもそれは、私も同じですよ」
握ったままの手を持ち上げて、騎士がするように口付けをした。刷り込みだろうがなんだろうが、私はこのひとを愛している。
「愛しています」
囁くように、呟くように言った告白がどこまで届くかは分からない。ただ、知っていて欲しかった。
あれから先生は、どこかよそよそしい。いつも通り振舞っているように見えるが、中々目が合わないし、合ったとしてもすぐに逸らされてしまう。思えば、知ってほしいという気持ちが先行して、先生がどう思うかは考えていなかった。困らせたい訳ではなかったのだけど、一度口に出したものを引っ込めるのは誠実と言えるだろうか。いや、そんなことよりも煩わせる方が良くないだろう。そう思って撤回を申し出るべく部屋を訪ねることにしたのだが―――
「やあ、サラ。俺に何か用かな」
貼り付けたような笑みはどこか武装しているようでもある。それに寂しさを覚えるが、身から出た錆だ。
「はい。あの、この間のことですが……」
表情が一瞬崩れた。また顔を赤くしているのを見て、なかったことにしてくださいと言おうとしたのに別の言葉が口をついてでた。
「やっぱり、愛しています」
「…………」
先生は固まった。私も自分で戸惑う。
「……ええと、本当は、撤回するつもりで来たんですが、つい。あの、迷惑になるようなら取り下げようかと。でも、何故か」
手を引かれて、足が前に出る。部屋の中へ入り込んでしまい、ドアが閉まる音がして。また明かりをつけないでいたせいで月明かりだけが頼りになる。先生の顔は暗くてよく見えない。
「あなたを困らせたくはなくて」
先生は何も言わない。止めてくれないから、続けしかなくなる。
「でも、愛していても、いいですか?何も気にしなくていいんです。私が勝手に想っているだけで、見返りが欲しいとも思いません。……フィガロ先生?」
微動だにしないので、心配になってそこで一旦喋るのを止めた。暗闇に慣れてきた目で見えた先生はなんだか泣きそうで、でも泣き方が分からないように見えた。
「先生……」
「身よりもなく、記憶もなく、言葉も分からない君を―――お姫さまのように大事に、大切に扱ってあげれば、もしかしたら、俺に愛を教えてくれるんじゃないか。そう、思っていたんだ」
その声は、僅かに震えている。言わなくてもいいことを、わざわざ言うだなんて。それを望んでいたのなら、私の言葉は都合がいいはずだろう。それなら、ただ受け入れてくれればいいのに。
「……俺の望みどおり、君は俺を愛してくれたね」
「……ええ、愛していますよ」
「全部打算でやっていたことだよ。優しくして、守ってあげて」
「……ふふ」
「どうして、笑うんだい」
「だって、そんなの関係ないから」
そう言うと先生は、訝しげに呟く。
「関係、ない?」
そう、今更そんなの、関係ないのだ。盲目と言われようが構わない。
「もう、手遅れです。だって、あなたと出会って、愛してしまったから。あなたがなにをしていたって、なにを言ったって、無駄なことなんです」
先生は呆然とした様子で私を見ていた。どう言葉を紡げば、あなたはこの気持ちを信じてくれるだろう。
「……君の記憶を奪ったのが、俺だって言っても」
「記憶なんて、どうでもいいですよ、そんなの」
「君のことを騙しているよ。本当は北出身の魔法使いで、オズよりも長く生きてる」
「あら、ふふ、随分な年齢詐称ですね」
「笑うところじゃないよ、サラ」
呆れた顔をして、先生は困ったように眉を寄せる。もうあと一押しだ。先生は結構押しに弱いから。
「愛しています。どうか、許してください」
気がつくと、抱きしめられていた。先生の体は冷たくて、どうにかして熱を分け与えてあげたくて腕を背にまわした。力を入れると壊れてしまいそうに思えて、添えるぐらいだったけれど。
「…………サラ」
耳元で名を囁かれる。この人の付けた、私を示す名前。その名で呼ばれる度に、失った記憶のことなどどうでもよくなっていった。南の国の、あの診療所で、ずっと一緒にいたいと、そう思うようになっていた。
「はい」
「―――俺は、君を探していたのかな」
私には分かりようもないことを、独り言のように呟く。本当にそうであったら、どんなに良かったか。
「……なら、見つけてくれてありがとうございます。あなたの元へ来れて、私はとても、幸せですよ」
記憶のことは本当にどうでもいいと言っているのに、先生はそれでは信用ならないみたいで何度も確認を取ってくるので段々と辟易してきた。
「本当にいいの?」
「何度もそう言っているじゃないですか」
先生は目を逸らして気まずそうにしている。そうなるくらいならはじめからやらなければいいのに、困った人だ。
「私にはもう必要のないものです。そんな顔しないで。それに、もし嫌な記憶があったらどうするんですか。また泣いてしまうかもしれませんよ」
「それは……嫌だなあ」
「そう言ってくれて安心しました。さあ、こんな話はもうやめにして、行きましょう。折角のお出かけの日なんですから」
手を差し出すとフィガロ先生は眉を下げて照れたように笑った。なんだか恥ずかしいな、と言いながらも手を握ってくれる。
「先生でも恥ずかしいなんて感じるんですね」
「俺をなんだと思っているんだい。これでもいい歳したおじさんなんだよ」
「それなら、離したほうがいいですか?」
そう聞くと先生は微かな笑みを浮かべ、握った手を持ち上げて、前に私がしたみたいに口付けをした。優しくてからかうような目をして誤魔化しているが、その奥にはひやりとさせる何かを隠している。
「サラが言ったんじゃないか。もう、手遅れだって。それなら、離さないでいてよ。ずっと」
「……ええ。離しませんよ。あなたが望んでくれるのなら」
どうか離さないで欲しい。記憶も過去もいらないから、ただこの人との明日だけが欲しかった。それ以外の何もいらない。前の世界だって、必要ない。だからどうか、私からこのひとを奪わないで。
「フィガロ先生」
「うん、なんだい」
「長生き、してくださいね」
「……はは、数千年生きてる魔法使い相手に面白いことを言うね」
終わりはいつだって呆気ないものだから、せめて願うくらいはしておきたいのだ。
「かなうなら、ずっと傍にいさせてください。いらなくなったら、石にしてくださいね」
「サラが石になる所なんて見たくないよ。……俺が石になるまで、傍にいてよ」
「喜んで。……ふふ」
嬉しくて笑う私を、先生は目を細めて眩しそうに見つめた。今まで時折見かけた視線を、この頃よく見る。その度にこの人の特別になれた気がして、一生そんなものになはなれない気がして、騙しているような気分にもなる。私では、この人に光の道を歩かせることができないかもしれない。それでも私はこの人を愛しく思っているから、離れることができない。この人を見つけてしまったのは、私の方なのだろう。
「大好きですよ、先生」
先生は嬉しそうに笑ってくれる。ああ、なんて愛おしいんだろう。
「愛しています」
心からそう思う。